「世の中は変えられる」と、先輩たちが教えてくれる

映画「ドリーム」の公式ホームページより

 

800m離れたトイレまで走る

 

先日ようやく、米国映画「ドリーム」を見た。人種差別が社会の隅々まで存在していた1960年代初めの米国で、NASAのロケット開発計画に重要な役割を果たした3人の黒人女性を描いた映画だ。

 

当時NASAは、元数学教師などの優秀な女性たちを計算手として雇っていた。まもなくコンピューターが担うことになる計算を、人間が手作業でやっていたのだ。黒人女性だけを集めた「西計算グループ」の一人、キャサリンは、黒人女性で初めて宇宙特別研究本部に抜擢される。だがそこは圧倒的に白人男性の世界。黒人だからとコーヒーポットも別扱いとされ、黒人用トイレは800メートル離れた建物にしかない。「ひざ下丈のスカート着用、ネックレスは真珠のみ」などと、女性にはドレスコードもあった。

 

友人たちも苦労を重ねる。その一人のドロシーは、管理職と同じ仕事をしているにもかかわらず昇進できないでいる。メアリーはエンジニアを目指しているが、黒人には資格取得の厚い壁が立ちはだかる。3人はそれらの困難を努力と創意工夫と互いの励ましとで乗り越えていく。

 

象徴的なシーンはいくつもある。トイレ内でも仕事をするために大量の計算資料を抱え、雨の中を黒人用トイレのある建物までハイヒールで駆けるキャサリン。メアリーは、判事を説得してエンジニアになるための資格取得に必要な学校に特例で入学するが、教室内を埋める白人男性たちは彼女に冷ややかな目を向ける。ドロシーの管理職昇進を阻んでいる白人の女性管理職は、「偏見はないのよ」と言い訳する。ドロシーは答える。「あなたが自分には偏見がないと思っていることはわかりました」

 

映画「ドリーム」の公式ホームページより

 

 

人種と性の「二重の差別」

 

 

彼女たちは、黒人であることと女性であることで二重の差別を受けている。数学という今でも女性が少ない分野で仕事をしていることを加えると、三重の意味でマイノリティーである。映画の中には、人種により区分けされたバスやトイレなどがたびたび登場し、差別が制度として生きている社会とはどのようなものなのかを実感できる。しかもそれは、ほんの50数年前に実際にあった社会なのだ。

 

社会は大変なスピードで変わっている。望ましくない方向への変化もあるが、多くの人生に良い影響を与える変化もある。「ドリーム」に見るような、米国での差別撤廃への流れがその一例だ。

 

先日見た日本のドキュメンタリー映画「たたかいつづける女たち」(2017年、山上千恵子監督)にも、1984年に男女平等法を求めて都心をリレーマラソンする女性たちの長い映像場面があった。ゼッケンをつけ、満面の笑顔で走る彼女たちの姿は大変印象的だ。いまでも深刻な問題はたくさんあるものの、大きな流れとしては女性にとって少しずつ生きやすい社会になってきていることは間違いないと思う。それは、多くの先輩が奮闘を積み重ねてきたからこそたどり着いた地点なのである。

 

 

それぞれの居場所で行動する勇気、一人ではないということ

 

 

つまり、世の中は、多くの人たちがそう願い行動することで変わっていくものなのだ。なのに、ちょっと前まで私たちはずいぶん違う社会に生きていたことを自覚しないでいると、目の前にある「現実」を固定的、永続的なもののように思い込み、あるいは歴史を個々人の行動とは関係のない自然現象か何かのように考え、社会は自分の努力では変えられないと最初からあきらめたり、「現実」に合わせた行動を選択してそれを自分に納得させたりすることになりかねない。

 

そういった傍観や諦念は、いまの社会が抱える課題を自覚し、それを変えようとする人たちに対し、「現実をわかっていない」などと冷笑する視線を向けることにもつながってしまう。ネットのコメント欄には、まさにそのような発言があふれている。

 

「ドリーム」の登場人物は特別に優秀な人たちだから、自分とは違うと思う人がいるかもしれない。だがこの映画のメッセージは、それぞれの居場所で、それぞれの人にできることがあるということであり、そのための勇気を持とうということ、そしてあなたは一人ではない、励まし合う仲間がいるということだ。仲間がいないと思ったら、探してみよう。願いを共有できる人が、必ずどこかにいるはずだから。

 

ジャーナリスト 林 美子(はやし よしこ)

2016年まで朝日新聞記者。労働やジェンダーの分野を中心に取材、執筆活動を続ける。早稲田大学ジャーナリズム研究所招聘研究員。