土俵の女人禁制とトンネル工事の深い関係

宝塚市の女性市長が土俵下で語った「悔しさ」

 

大相撲の巡業先の京都府舞鶴市で4月4日、急病で倒れた男性市長を救護するため土俵に上がった女性に、場内アナウンスが土俵から降りるよう求めた件。すでに様々な論評が出ているが、ここではその2日後に兵庫県宝塚市の中川智子市長が土俵下であいさつした件について考えたい。

https://digital.asahi.com/articles/ASL4636DRL46PIHB001.html?iref=pc_ss_date

 

この日、土俵の下に設けられた台の上であいさつした中川市長は、目の前にある誰もいない土俵に目をやりながら、「女性市長です。けれども人間です」「これは悔しいです。辛いです」「伝統を守りながら、変革する勇気も大事なのではないでしょうか」などと述べた。観客席からは拍手が起きた。

 

朝日新聞によると、中川市長は昨年4月の宝塚場所でも土俵下であいさつするように求められ、その時は「そういうものか」と思ったいう。だが、舞鶴市長の件で、男性市長が土俵に上がっていたことを知り、主催者側に自分も土俵上であいさつすることを求めたものの、「伝統への配慮」を理由に断られたという。

 

言うまでもないことだが、中川市長は宝塚市の有権者に選ばれた市長として、あいさつをした。男性市長だったら、会場の真ん中にある土俵の真ん中であいさつをしただろう。だが女性市長だから、一段下がった土俵の脇からのあいさつとなった。私が宝塚市民だったら、自分たちが選んだ市長を相撲協会は一段低く見ていると感じたかもしれない。女性だという理由で職務の一部ができないのは、女性の政治家と、彼女を選んだ有権者をないがしろにするものというほかない。

 

 

「政治利用」批判の政治性

 

この問題は何度も繰り返されてきた。1990年には当時の守山真弓官房長官が内閣総理大臣杯の授与を、2000年にも当時の太田房江大阪府知事が府知事杯の授与を希望したが、それぞれ、日本相撲協会側に難色を示されて断念した。

 

中川市長の発言を、「政治利用だ」と批判するコメントもネット上で目に付く。政治家が何かを主張すればそれはすべて政治的な発言であることは当然である。さらに言うと、フェミニズムの箴言を引き合いに出せば、「個人的なことは政治的なこと」である。たとえもし中川市長が政治家ではなかったとしても、個人の身の上に起きる出来事は政治的な出来事なのだ。現状を変えようとする行動はすべて政治的である。「政治利用だ」という批判は、裏返せばその批判を発する者は現状を固定することから利益を得る者だということを示しており、それ自身がまさしく政治的な主張である。

 

さらに考えると、市長の主張は全く正しい。反論するのはなかなか難しい。その「正しさ」が、ある層の人々の内部に、感情的には同意できない(したくない)けれど、同意せざるをえないという矛盾を引き起こしているのではないか。そのため、主張の内容ではなく主張が置かれた文脈を「政治利用」という言葉で決めつけ、そのうえで「その文脈は良くない」といって貶めようとしているのではないかと思う。

 

 

かつて女性は工事中のトンネルに入れなかった

 

話を戻すと、「女性だという理由で職務が遂行できない」といえば、かつて、女性が仕事でトンネル内に入ることができなかったことを思い出す。当初は炭鉱などでの過酷な労働からの女性の保護という現実的な理由もあったが、労働基準法は炭鉱業が廃れてからも長らく女性の坑内労働を禁止していた。私も駆け出し記者だった1980年代に、工事中のトンネル内の取材ができなかったことがある。今思えば、労基法は報道のための取材まで禁止していたわけではなかったのだが、「『山の神が怒る』といって気にする作業員もいますので」と、やんわりと断られた。女性技術者らの働きかけにより、2007年にようやく規制が緩和され、今では女性がトンネル工事に携わることを誰も不思議に思わなくなった。

 

大相撲とトンネル工事は違う話だと思う人もいるかもしれないが、女性を「穢れ」とみたり「女性の神様」が登場したりと多くの点で共通している。「伝統を守る」とは現在の形をそのまま固定することではない。今回の事件では、多くの人が疑問の声を上げている。女性の坑内労働禁止と同じように、近い将来土俵の女人禁制が解かれるに違いないと、私は確信している。

 

ジャーナリスト 林 美子(はやし よしこ)

2016年まで朝日新聞記者。労働やジェンダーの分野を中心に取材、執筆活動を続ける。早稲田大学ジャーナリズム研究所招聘研究員。