天皇の生前退位に関する憲法論(前編)

はじめに

2016年8月8日、天皇陛下のお言葉として、「高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか」について、「個人として」「これまでに考えてきたこと」が伝えられた。「現行の皇室制度に具体的に触れることは控え」られたが、天皇の生前退位を制度化する必要を示唆するものだった。その後、政府に有識者会議が立ち上げられ、生前退位についての検討が進められている。

本稿では、生前退位と憲法の関係(一)、生前退位制度の是非(二)、一代限りの特別法の是非(三)の三点について検討する。

 

生前退位は違憲か?

「お言葉」発表直後、生前退位を認めるには改憲が必要だ、との主張も見られた。しかし、その主張は誤っている。憲法2条は、「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と定めるのみである。つまり、憲法が

皇位継承について実体的条件として求めているのは、「皇位は、世襲のもの」であることに限られる。この点、崩御後の即位でも生前の譲位でも、「世襲」であることに違いはない。従って、生前退位を認めるために、憲法を改正する必要はない。

では、生前退位を認めるために、どのような手続的条件が必要だろうか。先ほど引用した、憲法2条は、「皇室典範の定めるところにより」とするのみである。

明治憲法下では、皇位継承の条件や手続を定めた皇室典範(以下、旧皇室典範)は、法律とは異なる特別の法典とされていた。その制定や改正に、帝国議会が関与することはできず、皇位継承の基準に、議会の意思は反映されなかった。

これに対し、日本国憲法は、皇室典範は「国会の議決」する法律の一種だと位置づける(同2条)。従って、生前退位を認めるには、国会の議決で、皇室典範に規定を盛り込み、それに基づき手続を踏めばよい。

 

生前退位制度の是非

では、現在の皇室典範は、どのように規定しているのだろうか。

皇室典範4条は、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」と規定する。そして、これ以外に、皇位継承を認めた規定はない。なぜ、このような規定になっているのか。

江戸時代までの歴史を振り返ると、天皇の生前退位は珍しくなかった。現在のように、生前退位を認めないという制度は、明治の旧皇室典範制定によって導入されたものである。

明治政府が旧皇室典範を定める際、井上毅は、天皇就任者が不適任であった場合や、政治責任をとり辞任する場合に備え、生前退位を認めるべきとの意見を持っていた。他方、明治政府主流派である伊藤博文は、天皇の権限は形式的なものにすぎず、天皇の適格性はさほど問題にならないこと、院政や退位強制等による混乱を生ずる危険があることから、生前退位を認める必要はないと考えた。旧皇室典範第10 条は、後者の考え方を採用し、「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」と定め、それ以外に皇位継承の規定を置かなかった。

戦後、日本国憲法の制定により、天皇の地位が「統治権の総攬者」から「国家の象徴」へと変わり、先述のように皇室典範の位置づけも変わった。そこで、議会で、新しく皇室典範を制定する運びとなる。その際、生前退位の可否も検討された。

当時は、昭和天皇の戦争責任という極めてデリケートな問題があった。終戦後、連合国は、天皇の法的責任をあえて問わなかった。しかし、生前退位を認めると、昭和天皇が、戦争の道義的責任をとって退位する可能性が生じる。逆に、退位の制度があるにもかかわらず、昭和天皇が退位をしなければ、道義的責任を明確に否定したかのようにとらえられてしまう。これは、いずれもあまりに大きな問題となろう。そこで、皇位継承については、旧皇室典範の内容を引き継ぎ、生前退位を認めないことになった。

しかし、現在では、昭和天皇の戦争責任の問題と、生前退位の是非は切り離して議論ができる。では、どう考えるべきか。

天皇の人権の観点からすると、生前退位を認めるべきだろう。天皇の地位にあれば、法律交付や外国使節の接受などの「国事行為」や被災地の慰問などの公的行為などで、かなりの精神力・体力を要する。一般の人々が享受する基本的人権の大部分も制限される。そうした負担を考えれば、一度その地位に就いたら一生離脱できないという制度は、あまりに過酷だ。そうすると、退位により、天皇の地位に伴う負担を軽減できるようにすることには合理的な理由があるだろう。


kimura-150x150首都大学東京 教授 木村 草太 (きむら そうた)
1980年、横浜市生まれ。東京大学法学部卒業、同助手を経て、現在、首都大学東京法学系教授。専攻は憲法学。国民の力で「憲法を活かす」をテーマに活動中。著書の『憲法の急所』(羽鳥書店)は「東大生協で最も売れている本」「全法科大学院生必読の書」と話題に。新刊に『憲法という希望』(講談社現代新書、共著)がある。