2016年憲法審査会での議論を受けて(後編)

参議院合区問題

次に、参議院の合区問題に関する議論を考えてみよう。

①参議院議員定数242、②半数改選、③議員定数の約半分を全国比例区に配分することの3つを前提に、都道府県を単位とした選挙を行うとするなら、現在の人口分布の下では、どんなに努力をしても5倍弱の格差が生じてしまう。そうした事情を考慮してか、以前の最高裁は、6倍未満の格差であれば許容する姿勢を示してきた。

しかし、最高裁は、2010年代に入り、一票の格差について非常に厳しい態度をとり始めた。2012年10月17日の大法廷判決は、「都道府県を各選挙区の単位とする仕組みを維持しながら投票価値の平等の実現を図るという要求に応えていくことは、もはや著しく困難な状況に至っている」とし、従来、許容範囲とされてきた5倍の格差を違憲状態と判断した。2014年11月26日の判決でも、この態度は維持され、4・77倍の格差が違憲状態とされている。

最高裁の強いメッセージを受け、2015年7月に選挙区割と定数配分が改正された。地方の定数が削減される一方で、都市部の定数が増やされた。さらに、島根・鳥取と徳島・高知はそれぞれ合区とされた。この改正後に施行された2016年7月の参院選では、格差は約3倍に縮小した。これを裁判所がどう評価するかに注目が集まったが、複数の高裁が違憲状態との判断を示した。最高裁が違憲状態を宣言する可能性も十分にある。そうなれば、さらに多くの都道府県を合区にせざるを得なくなる。

政治参加への平等な権利を実現するためには、一票の格差はない方がいい。しかし他方で、参議院の創設以来、都道府県が国民の意思決定の単位として尊重されてきたという歴史がある。合区とされた4県では、不満を訴える声は強い。

この点、自民党は、7月の選挙公約に「都道府県から少なくとも一人が選出されることを前提として、憲法改正を含めそのあり方を検討します」と記載していた。

 

合区解消自体は、真剣に検討すべき課題だろう。しかし、「都道府県から少なくとも一人」という提案は妥当だろうか。アメリカの上院のように、参議院を都道府県代表の院にするなら、全都道府県の定数を同数にすべきである。他方、現行憲法同様、全国民代表の院のままにするなら、人口比例による定数配分を徹底すべきであり、合区があっても何ら問題がないことになる。自民党の提案は、基本理念があやふやなため、自分たちに有利な選挙区割りをしたいだけではないか、と疑念を持たれても仕方がないものになってしまっている。

11月16日の参議院憲法審査会の審議では、自民党以外の議員は、合区解消改憲に慎重ないし反対の姿勢が示した。

民進党の小西洋之議員は、「七百二十名の国会議員がいる中で都道府県を選挙区としているのは参議院の選挙区選出議員のみ」であり、「一方で、私たちが作る法律は全て、ほとんど都道府県や市町村の行政区を基に法律を組み立てて」いることを指摘して、合区解消に理解を示しつつも、「そうした立論は法律論」で十分でないかと指摘した。確かに、①参議院議員定数242、②半数改選、③議員定数の約半分を全国比例区に配分することの3条件を見直せば、例えば、議員定数を増やしたり、全国比例区の定数を減らして都道府県選挙区の定数を増やしたりすれば、改憲をしなくとも通常の法律の改正によって合区は解消できるだろう。

 

また、公明党の魚住裕一郎議員は、「現在のように交通や情報の発達した社会においては、容易に地方の状況を知ることができ」るのであり、都道府県などの「行政区画は必ずしも選挙区の単位となるのではなく、あくまで選挙人団をつくるための便宜上のものと言ってもよい」として、合区解消改憲に消極的な姿勢を示した。

どのような選挙制度が国民にとって最適なのかを考えるうえで、合区解消それ自体は、検討に値すべき課題だ。しかし、それは、単なる党利党略で行われるようなことは、あってはならない。安保法制と憲法裁判所 今回の憲法審査会では、安保法制と憲法裁判所についても議論された。

審査会では、民進党や共産党から、改めて2015年安保法制の違憲性が指摘された。日本維新の会はさらに踏み込み、安保法制の合憲性をめぐる混乱を解消するため、憲法裁判所を設置すべきだと提案した。憲法裁判所については、民進党内にも賛成の声があるというし、市民の間にも期待の声があるという。

確かに憲法裁判所が上手く機能すれば、人権を保護し、過度の権力集中を抑制できるかもしれない。しかし、安保法制の合憲性に関する限り、憲法裁判所を設置して議論する必要はない。理由は次の通りだ。

 

憲法裁判所の裁判官に任命されるのは、最高裁判事や内閣法制局長官の経験者、著名な弁護士、憲法学者などだろう。しかし、2015年の安保法制の審議過程で、そうした面々の圧倒的多数が、安保法制を違憲と断じた。

例えば、山口繁元最高裁長官は朝日新聞の取材に違憲と答え、濱田邦夫元最高裁判事も、参議院中央公聴会で違憲と断じた。藤田宙靖元最高裁判事は、違憲と断じることこそ避けたが、自治研究誌の論文で、「安倍政権の政治的姿勢に対する怒り」を表明した。内閣法制局長官を務めた大森政輔、宮崎礼壹、阪田雅裕の各氏も、違憲と指摘。国内の全弁護士会が、安保法制違憲の声明を出した。

憲法学者も同様で、樋口陽一、長谷部恭男、石川健治の3教授ほか、多くの者が違憲としている。いくつかのメディアが2015年に実施した憲法学者アンケートでも、9割以上が違憲と答えた。憲法裁判所を設置しても、違憲との結論が再確認されるだけだろう。

仮に、数少ない合憲論者を集めて憲法裁判所を作ったならば、恣意的な人事と批判される。そんな裁判所が合憲判決を出したところで、権威はない。安保法制同様に、その判決が憲法違反だと強く批判されるだけで、安保法制違憲の疑義は解消しない。

もちろん、安保法制の合憲性をめぐる混乱を解消しようとする維新の会の努力は重要だ。しかし、不当な法の修正を裁判所に頼るのでは、国会議員の意味がない。憲法審査会に真に求められるのは、すでに発表された論文や、2015年の国会での法律専門家の参考人・公聴人の意見表明の議事録を吟味する機会を設けることではないか。そして、全国民の代表としての責任を果たすべく、国会議員が理性的に検証し、自らの力で正していくべきではないか。数を合わせるだけが国会議員の仕事ではない。小西議員も、11月16日の参議院憲法審査会で、「我が憲法審査会が憲法保障機能を全うする」べきであり、安保法制の合憲性について徹底的な審議を行うべきだと提案している。

 

おわりに

本来の改憲論議は、「国民のために、ぜひとも必要な政策がある。でも残念ながら、憲法違反になってしまう」という状況にあって初めてなされるべきものだ。しかし、これまでに議論された改憲提案は、いずれも十分な根拠のないものばかりで、改憲自体が自己目的になった本末転倒の議論になっている。必死に探してこの程度の難癖しかつけられないという状況からすると、かえって、現行憲法が良くできたものであることを示すものだったと思う。

憲法は、過去に国家が犯してしまった失敗を反省し、二度と同じような失敗を繰り返さないようにするためのチェックリストだ。そこには、「こんな失敗は繰り返してはならない」「もっとこんな国にしたい」という国民の希望が託されている。

 

2016年は憲法施行70年の節目だ。改憲論議の前に、もう一度、憲法を読み返し、そこに込められた「希望」を思い起こすことが重要なのではないか。本当に辛い時代を生き抜いた先人たちが、日本国憲法にどんな希望を託したのか。それを知ったうえで、それを超える理想像を描くことができたときに初めて、私たちは今よりも素晴らしい日本国憲法を手にすることができるだろう。

 


kimura-150x150首都大学東京 教授 木村 草太 (きむら そうた)
1980年、横浜市生まれ。東京大学法学部卒業、同助手を経て、現在、首都大学東京法学系教授。専攻は憲法学。国民の力で「憲法を活かす」をテーマに活動中。著書の『憲法の急所』(羽鳥書店)は「東大生協で最も売れている本」「全法科大学院生必読の書」と話題に。新刊に『憲法という希望』(講談社現代新書、共著)がある。