【自主レポート】

第33回愛知自治研集会
第2分科会 「新しい公共」を再構築する

 柏崎市は市直営の知的障がい児施設「さざなみ学園」の民営化方針を決定し、2012年度からの完全民営化に向けた取り組みをスタートさせています。しかし、この民営化に際しては、現場で働く職員だけでなく利用者からも多くの懸念や問題の声があがっています。本レポートでは、施設の民営化の是非とあわせて、戦後日本の社会福祉政策の転換がもたらした課題についても触れ、福祉施設の民営化のあり方について考察します。



知的障がい児施設の民営化と障がい者施策の問題点
柏崎市の「さざなみ学園」を例に

新潟県本部/自治労柏崎市職員労働組合・書記長 早川 安洋

1. はじめに

 バブル経済が崩壊した1990年代以降、景気の減速を受けて、国内ではより効率的な行政経営を目指す機運が高まりを見せた。そんな中、柏崎市でも多様化、高度化する行政需要に対応していくため「最少の経費で最大の効果を上げる」ことを目的として、現在まで四次にわたる行政改革に取り組んできている。
 1967(昭和42)年に開設され、現在も市直営で運営されている知的障がい児施設「さざなみ学園」もこの行政改革の波にさらされた。2001(平成13)~2004(平成16)年度を計画期間とする『新行政改革大綱(第二次行革)』以降、行政コストの抑制に寄与し、直営よりも効率的な運営が可能として、施設の民営化を念頭に検討が進められた。そして、2010(平成22)~2013(平成25)年度を計画期間とする『第四次行政改革大綱』において、行政コストの低廉化を図る方策として、計画期間内にさざなみ学園を民営化するという方針が明記されるに至った。
 しかし、この民営化計画が具体化するにつれ、現場レベルで個々の話に踏み込んで考えていったとき、民営化の是非とあわせて現在の障がい児を取り巻く社会福祉施策にも大きな問題があることがわかってきた。
 このレポートでは、さざなみ学園の民営化をとおして、公的施設の民営化問題、そして日本の社会福祉施策が抱える課題について指摘し、考えてみることにしたい。

2. 戦後の社会福祉政策と転換された障がい者福祉施策

(1) 戦後の社会福祉政策
 第二次世界大戦後の福祉法制は、生活に苦しむ人々を保護するため1946(昭和21)年に制定された生活保護法(旧法)、翌年に制定された身寄りのない児童等を保護するための児童福祉法など、戦後の混乱の中で保護・救済する必要のある人々への対策という中で整えられた。
 1951(昭和26)年にサンフランシスコ講和条約を締結し、真の独立国となった日本は、1960年前後からのいわゆる高度経済成長期を迎えると、生活水準が飛躍的に向上したが、これに取り残される可能性のあった社会的弱者を保護するために、精神薄弱者福祉法や老人福祉法、母子福祉法などによる「福祉六法体制」が形成され、福祉政策も拡充期に入っていくことになる。
 この日本の福祉政策に大きな転機が訪れたのが、老人医療無料化が実現した1973(昭和48)年である。この年は「福祉元年」とも呼ばれているが、一方で高齢化の伸展と経済成長の停滞により、市場原理主義・民活導入・小さな政府といった考え方の下、社会福祉分野を含む行財政改革の必要性が強調されるようになっていく。
 そして、この行財政改革の動きは、バブル経済が崩壊した1990年代以降さらに強まりを見せた。本格的な少子高齢社会を迎えるなか、これまでの行財政システムの維持が困難になるという情勢を受け、社会福祉分野においても、「規制緩和」「民にできることは民に」のかけ声とともに保育園や特別養護老人ホームといった公的施設の民営化が現在に至るまで積極的に進められている。

(2) 福祉政策の転換
 1998(平成10)年に公表された「社会福祉基礎構造改革について(中間まとめ)」は、戦後半世紀にわたって維持されてきた日本の福祉の基本構造を大きく転換するものとなった。それまでの福祉政策は、行政処分で一律的なサービス提供を行うことによって、誰にでも一定の水準の福祉を確保してきた。しかしながら、旧来のシステムでは、より多様化した地域が求める福祉需要に対応しきれないといった事例が顕在化するようになり、時代のニーズに対応する必要が生じたために政策の大転換が起きたのである。
 この「中間まとめ」での改革の基本的方向は、①サービス利用者と提供者の対等な関係の確立、②個人の多様な需要の地域における総合的支援、③幅広い需要に応える多様な主体の参入促進、といったもので、これまでの措置制度から利用制度(契約方式)への転換が行われるなど、社会福祉サービスの基本理念を「利用者本位」へと明確にした点で大きな意味を持つものであった。1998年以降、2000(平成12)年に「社会福祉事業法」など関係法の改正、2003(平成15)年には「支援費制度」が開始、また2006(平成18)年度からは「障害者自立支援法」が施行されるなど、短期間のうちに、新たな考え方に沿った政策が次々に展開された。

(3) 障害者計画に見る「入所から地域生活へ」
 1993(平成5)年に成立した「障害者基本法」では、全ての市町村に「障害者計画」を策定することを求めている。柏崎市でも、2006(平成18)~2010(平成22)年を計画期間とした「第二次柏崎市障害者計画」を策定し、障がい者福祉施策を推進している。
 前項の中間まとめにより位置づけられた、新たな国の障がい者福祉施策は「長期入所(入院)の解消と地域生活支援」を大きな柱としているが、「柏崎市障害者計画」においても、ソフト施策(障害者福祉施策)では、①障害や障害者に対する理解の推進、②早期療育および特別支援教育の推進、③在宅福祉の推進および地域で支える仕組みづくり、④社会参加システムの構築をうたっている。
 具体的な数値目標は、国の基本方針に沿って、「入所型施設に入所している人が自立支援などのサービスを利用することで、グループホームやケアホーム、一般住宅に移行し、地域生活を送れるようになる」ことを目標に、「2011年までの入所者削減目標27人(2005年の入所者数134人→2011年の目標入所者数107人)」としている。また、市直営の「知的障害児施設 さざなみ学園」については、「果たすべき役割や機能について、本市における障害者福祉施策全体の中で、運営のあり方も含めて見直しを進める」と言及している。

3. 「さざなみ学園」のあるべき姿とは

 このような経過のなかで、さざなみ学園は「福祉施策における入所型施設に対する見直しの方向性」、「行財政改革を達成するための民営化」という2つの視点から施設そのもののあり方を問われることとなった。

さざなみ学園の出身地別入所者数の推移

(1) 入所型施設としての今後
 障がい児施設をとりまく環境は、「施設から在宅へ」という福祉政策の大きな転換により大きく変わりはじめている。大きくは、1951年にデンマークのミケルセンによって提唱された「ノーマライゼーション(ノーマルな生活状態にできるだけ近い生活を作り出すこと)思想」がアメリカやヨーロッパ諸国で定着してきていること、また、障がい者自らが自己実現をしていくというという新たな視点も加わり、障がい者が、施設という閉鎖的な空間で生活していくことに批判が集まり、コミュニティケア(地域における生活支援)を重視する脱施設化の政策がとられてきたことによる。日本でも、この流れを受けて、1990年の福祉関係八法の改正や1995年の障害者プランにより、地域福祉の基盤整備の方向が明確になった。
  しかし、長らく日本では、入所施設が障がい者の家族介護へのセーフティーネットとして考えられてきたことや、障がい者への偏見が根強く、また地域福祉の基盤整備が未だに不十分であることなどにより、障がい者を入所施設から地域生活へ移行させるにあたり、十分な体制整備がとられてない状況となっている。
 今後、引き続き、障がい者に対する市民の意識啓発活動や、在宅サービス供給の拡充などを行っていくとしても、その効果が出るまでには、相当な時間と労力がかかることは考えておかねばならず、その間は当面現在と同じ両構えの対応で凌いでいくしかないものと考えられる。また、さざなみ学園は柏崎市民だけでなく、施設のない近隣の市町村からの利用者も受け入れている。こうした状況からも、さざなみ学園は柏崎を中心とする圏域における障がい児施設として重要な位置を占めており、当面の間、施設の存続が必要なことは事実である。

(2) さざなみ学園が抱える問題
 柏崎市においては、さざなみ学園の加齢児問題が顕在化している。加齢児とは、すでに障がい児施設においては対象となりえない学齢期を超えた障がい者のことを指す。さざなみ学園において、その加齢児の数が高止まりしているのである。しかも、今後もこの問題は当面解決できないとされている。
 なぜ、そのようなことが起こるのか。

さざなみ学園における年齢別入所者数の推移

 本来、さざなみ学園で学齢期を過ごした障がい児は、知的障がい者更生施設など成人を対象とした施設へ移るか、自宅に戻って障がい者サービスを受けながら生活するなど、一旦は施設を出るということになる。しかしながら、本来中間施設であるはずの更生施設は、実態は最終施設になっていて、入所者の動きが滞っており新たに入所することができない。このため、養育能力が低い家庭や本人の障害程度が重く自宅へ戻るという選択ができない障がい者にとっては、さざなみ学園にとどまるという選択肢しかない。
 その決定的な原因は、これまでの国の障がい者施策の転換に振り回され、地域としての障がい者施策を十分に確立することができなかったことによると考えられる。前述のように、現在の日本は、脱施設化政策を取りながらも、現状は施設を利用した支援も継続している。「施設から在宅へ」という思想自体は正しいが、施設政策を長年積み重ねてきただけに、そこには一足飛びに在宅生活へ移行できないという現実が横たわっている。

(3) 民営化は正しい処方箋か
 さざなみ学園の民営化議論は、新行政改革大綱(2001~2004年度:第二次行革)に初出する。そこでは、行政コスト抑制と経営主体を社会福祉法人に渡すことによる運営の効率化という2つの効果が示されている。言いかえれば、民営化により行政には一切の負担も責任も生じず、社会福祉法人に経営を任せることで低廉な人件費による施設運営が期待できるということである。計画の中では、教育や生活関連(し尿、ゴミ処理)など他分野の民営化と同列に挙げられており、民にできることは民にという発想をもってさざなみ学園の民営化を論じている。
 しかし、ここで注意しなければならないことは、「民営化はサービス水準の低下を前提としていない」ということである。同等のサービスをより安価に、効率的に行うために行うのが「民営化」である。もし、そのサービスが必要不可欠なものとするならば、この前提が崩れるようなものは、そもそも「民営化」すべきではないと言うこともできる。
 それでは、さざなみ学園の民営化はどうか。
 現在、柏崎市では民営化の受け手である社会福祉法人と民営化にかかる協議を行っている。この協議の中ではっきりしていることは、市のやり方を踏襲したのでは赤字となり、十分な施設経営ができないということである。このため法人側は、従業員の人件費を抑え、また施設の維持管理費を抑えるための計画をたてている。この背景には、知的障がい児の施設に給付される「知的障害児施設給付費」が成人施設の支援費より低いために、十分な施設経営ができないということがある。また、さざなみ学園には、週末になると自宅に外泊するという利用者もいる。当然ながら外泊時には利用者からの収入が得られなくなるため、より経営的に苦しくなるということも想定される。
 以上のことからもわかるように、施設を利用する市民にとってみれば、民営化によるサービス低下は明らかである。あわせて、これまでさざなみ学園で長年にわたりサービスを担ってきた職員が一斉に引き揚げる事態になるとすれば、その引き継ぎ如何によっては、決定的なサービス低下が避けられないことも付言しておきたい。

4. 問題の解決に向けて

 これまで見てきた問題点の解決策を整理すると、以下の2点に集約できる。
① 市が自己の責任において福祉行政の政策課題を明らかにし、その中にさざなみ学園の存在を明確に位置づけること。
② 民営化に向けての課題を整理すること
 ア 法人が施設運営できるだけの体制を整備すること(市が法人の損失を補てんする、国の示す基準を引き上げるよう働きかける など)
 イ 長年培ったノウハウを十分に継承することのできる体制を整備すること(十分な引き継ぎ期間を設ける など)

 特に、民営化については、2006~2009年にかけて欧州で行われた「ピークプロジェクト」という調査が指摘した、地方自治体が財政難を理由として行った民営化により発生した次のような問題を念頭に置いて、今後の議論を進める必要があると考える。

① 民主主義を形骸化させた(サービス提供を受ける人々の機会均等が失われた)
② サービスの質を低下させた(サービスの内容が低下し、または廃止された)
③ 民営化された企業で働く労働者の労働条件を悪化させた(賃金の大幅な切り下げまたはパート労働者などを多用し、低賃金構造を創出した)
④ 雇用条件の劣悪化は国や地方の社会的給付を急増させ、財政危機は解消しなかった(財政危機を回避するために行った民営化が、むしろ財政を悪化させた)

 行政がコスト意識をもって行政運営をしていくのは当然のことである。しかし、真に行政に求められているのは、自己の責任や負担を回避したいがために、民間に任せることで全ての問題が解決をするといった思考停止した議論ではなく、まずは自己の責任において、きちんと現状分析を行い、一定の処方箋をきちんと打ち出していくこと、それを市民に十分に説明していくことなのではないだろうか。「民営化」が財政危機の免罪符になっていて、「市民のために」という、より深いところへ行政の思いが至っていないような気がしてならない。

5. おわりに

 今回、民営化の方針が決まったさざなみ学園は、2011年度の1年間をかけて引き継ぎを終了させ、2012年から完全民営化というスケジュールが決まっている。今後も、関係者で様々な議論をしていく過程にあるが、組合としてまとめた意見を当局に訴え、少しでもよりよい民営化に貢献することができれば幸いである。施設で働く組合員の視点も大切だが、施設を利用する一市民の目線を持ちながら今後も議論を展開していきたいと考えている。また、このレポートを契機にして今後の議論に弾みがつけばとも思っている。
 行政は常に市民に対して責任があることを忘れず、そのことに対する自戒も込めながら、今後も行政の一員としてその運営に関わっていきたい。