【自主レポート】

第33回愛知自治研集会
第2分科会 「新しい公共」を再構築する

 「新しい公共」。おそらくブレア政権時代に端を発するであろうこの言葉が、近年の日本では、自治体の財政再建の文脈中で語られることが多い。しかし、財政上の理由から、行政の業務を市民セクターに無理に委ねるのではなく、フレキシブルなNPOが行政の弱点を補完してきた側面を忘れてはならない。現場の実例から、市民、企業、NPO、公共の現場、それぞれの弱点と長所をつなぎ合わせる「新しい公共」について考えてみた。



「公共サービスの担い手の多様化」からみる
「新しい公共」
大阪市の市民協働「かたづけ・たい」の成果から

大阪府本部/大阪市従業員労働組合 引地 正司

1. はじめに

 少子高齢化の進行のため、今後の日本社会は人口減少時代に突入し、少ない納税人口で、増大傾向が著しい社会保障などを支えていかなければならなくなる。当然、いままでのように公共サービスの大部分を国や自治体などの第1セクターが賄うことは困難になる。
 そのため、これまで行政が担ってきた公共サービスについて、市民団体、地域の自治組織、NPOや、さらには地元企業にも委ねていき、様々な主体が公共サービスを担っていくという設計図が、「協働」という名のもとに日本中あちこちの自治体で描かれている。
 そしてこのように多様な担い手が公共サービスを担う状況について、「新しい公共」と表現されることが多い。
 ところで、地方自治体の改革方針などを一読すると、これまで、国や自治体などの第1セクターが、社会の中の非営利で行う公益活動を、ほとんどすべて担ってきたという文脈にしばしば出会うのだが、それは本当なのだろうか。また、それで受益者のニーズを本当に満たしてきたのだろうか。
 実は、自治体がたくさんの税金を費やして公共サービスを担ってきたことは間違いないのだが、営利・非営利を問わず、社会の中の多くの公益活動が、市民組織、民間組織によって支えられてきた。
 行政組織の提供するサービスは、いくつかの弱点を抱えている。なによりも、平等を担保するために、サービスの内容が画一化される傾向にあり、個別のニーズを拾いきれない。
 また、市民の生活形態の多様化が招いたニーズの複雑化と増大化は、行政の守備範囲を超えており、とくに社会福祉分野において、地域の助け合いサロンや子育てサークル、教育機能を備えた託児所や、ボランティアで運営されるデイ・サービスなど、運営方法もサービス内容も、良きにつけ悪しきにつけ、さまざまな形態の事業が生み出されてきた。いうまでもなく、自治体の直営事業と競合するものも、その中には少なくないのである。
 つまり、公共サービスの担い手の多様化は、市民の暮らしの多様化とともに、進行してきたものだった。べつに「新しい」わけでもなんでもない。その担い手をうまく活かせなかった行政が「古かった」だけなのだ。
 そして、もう一つ大切なことは、地域独自の課題に即応するには、地域に根ざして活動する組織のほうが、うまく機能するということ。もともと、先に述べたサークルや助け合いサロンなどの活動は、かつては地域コミュニティの中で補われてきたものである。
 多様性、個別性、地域性が、市民団体などによる公益活動が、行政よりも支持されてきたキーワードだった。この得意分野の違いを正しく認識せず、コストカットに迫られて「『新しい公共』による市政の再構築」などを進めると、行政が担ってきた業務を安易かつ一方的に地元自治組織に押しつけるようなことになり、せっかくの「協働」の担い手を潰すことになりかねない。
 実は、ボランティア意識が低いといわれている大阪市だが、このような文脈で「新しい公共」が語られるより以前から、自発的でボランタリーな市民活動を市政に活かしていこうとする動きがあった。
 そのうちの一つ、「かたづけ・たい」という、大阪市建設局が設置した、条例違反の簡易広告物除却にかかる市民活動員制度についてレポートしながら、「新しい公共」のあり方についてみて行きたい。

2. 「かたづけ・たい」の発足とその効果

 「かたづけ・たい」が発足したのは2002年。大阪市では、不動産販売や風俗営業などの派手な色のチラシが、町中の電信柱や交通標識、道路標識の支柱に張られ、町の景観を著しく損なっていた。また、のぼりや店頭看板、パンフレットラック、置看板(交差点などに店頭から離れて掲出された看板)などが道路空間を占用し、通行の支障となっていた。
 当然のごとく、チラシの掲出者に対する是正指導を繰り返しながら、建設局の直営職員のほか、電柱管理者や委託業者による除去作業を行っていたが、その数日後にはまた掲出されるという繰り返しに終始する有様で、当時の手法と戦力では、市民からの強い改善要望にとうてい応えられない状況だった。
 そこで、建設局は一計を案じた。除却要望者である市民自身に、ボランティアで除去作業を手伝っていただくこととしたのである。二人以上の団体で登録加盟していただいたうえ、道路管理者の権限を一部委譲し、ボランティア保険にも加入。物件をチラシなどの道路法上の除去手続きを要しない簡易広告物に限定して、研修を実施するとともに、黄色の作業ジャンバーと作業に必要な工具を貸与した。「かたづけ・たい」の名も市民募集により決定したものである。
 しかし、初めての試みに、当初、建設局の事業所職員の反応は鈍かった。自分たちの仕事をとられたように感じるものも少なくなかった。
 ところが、この事業が軌道に乗るのに時間はかからなかった。
 次のグラフは、「かたづけ・たい」による撤去枚数と大阪市全体の撤去枚数の推移を表したものである。


簡易違反広告物撤去枚数

 2002年から2004年にかけて、「かたづけ・たい」による撤去枚数が増えるにつれて、大阪市全体の撤去枚数が減少しているのが一目瞭然である。これは、「かたづけ・たい」の活動が活発になるにつれて、違反広告物そのものが減っていったことを示している。広告物を掲出していた業界が、次第にチラシを張らなくなってきたのだった。それも、グラフにある通り、約3年で除却広告物が半減するほどの目覚ましい効果となって表れている。
 実際、チラシだらけだった電柱や標識柱が、2~3年をかけて、目に見えてきれいになっていった。
 当初、直営職員側にあった反感のようなものも、すみわけがうまくいくに従い、消えていった。「かたづけ・たい」がチラシを撤去してくれるので、直営職員は「かたづけ・たい」では撤去できない置き看板やパンフレットラックのなどの有価物件の処理に集中することができる。また、直営職員だけではなかなか手が回らない街の隅々を、「かたづけ・たい」が効果的にきれいにしてくれる。
 自分の街をきれいにし、安全に歩きたい市民と、法律に詳しく制度をつくれる行政、現場を知り、トラブルに対処できて、除却した広告物を保管・運搬できる現場職員の「協働」が実現した。
 この「協働」は、いうまでもなく、財政再建のために行ったものではない。行政組織のみでは十分に市民ニーズにこたえられなかった課題について、市民と現場と行政が、それぞれの得意分野を生かし、弱点を補い合うことにより、より良い結果をもたらしたものなのである。

3. 「かたづけ・たい」の定着と発展

 次に、「かたづけ・たい」が、どのていど地域に定着したかについてみてみたい。
 次のグラフは認定団体数及び活動員数の推移である。


認定団体数の推移

活動員数の推移

 認定団体数は、2007年、2008年ころをピークに横ばいだが、活動員数は増加し続け、市民団体、法人をあわせて5,000人に迫ろうとしている。
 また、法人加盟は、企業やNPOなど多岐にわたり、全団体数の1割を超えている。これは、この活動が、振興町会や地域の協議会にボランティアを押しつけて発展したものでないことと、地域に根差した事業展開を考える企業やNPOの関心を惹いていることを意味する。
 以上のことから、「かたづけ・たい」を通じ、違反広告物を除去するという活動が、町の中に根付いていったと評価できると考えられる。
 そして、この市民活動の成功は、思わぬ副産物につながった。
 2007年3月の大阪市会において、国の法改正を受けて屋外広告物条例が改正(2007年10月1日施行)された際に、「違反広告物の撤去、道路環境の美化に向けた取り組みの充実が重要である」という内容の付帯決議が付されたが、その付帯決議にこたえるために、経費削減と採用凍結の真っただ中にもかかわらず、2008年4月人事において、違反広告物対策として、要員の増配置がなされることとなった。
 違反広告物をなくし、街を安全にきれいにしようとする市民意識の高まりは、市会をも動かすこととなり「職の確立」にもつながったのである。
 また、放置自転車の整理などを行うボランティア「サイクル・サポーター」や、市民協働型の街の環境整備活動「ゆめまちロードおおさか」でも、「かたづけ・たい」のメンバーが数多く活躍されるなど、大阪市の建設土木部門における市民活動の礎となっている。

4. まとめとして

 「かたづけ・たい」の成果は、「新しい公共」について、いくつかのヒントを与えてくれる。
 まず、財政事情優先で行政の下請けを押しつけたものではないこと。市民要望の多い課題であるが、行政組織の性格上、十分にニーズにこたえられないところを、その要望をもつ市民自身に、要望解決の現場に入ってきていただいたものである。自発的な「担い手の多様化」を促進し、活用したものとなる。その結果が経費の節減となった。
 また、自主性を重んじ、無理に押しつけなかったことが、市民セクターの自由な活動を促進し、「かたづけ・たい」と直営職員の、きれいな役割分担につながった。もちろん、「かたづけ・たい」にもいろいろな人がいるものの、それぞれの役割、できることへの理解が進み、トラブルに発展することは少なく、市民と現場と行政と、それぞれの弱点を補い、長所を生かしあう関係につながっている。ささやかながら、公共セクターへの信頼回復につながったところも少なくない。
 もうひとつは、しっかりした公共側のコーディネート力が必要だということ。「かたづけ・たい」は、行政による「参加のデザイン」がまず効果的だったが、現場が介入せず支援する関係性をもっていたことも重要だった。
 市民によるボランティア活動を語るときに、よく引き合いに出されるのが阪神淡路大震災。あのときは、みんな無償の精神で助け合ったのだから、行政がやらずとも市民ボランティアでいろいろなことができるはずだというものである。
 しかし、この引き合いの出し方には少し問題がある。あの震災は、被災規模がけた外れに大きく、みんなの助けがなければ再生できない状態だった。神戸市をはじめ、兵庫県南部の地方政府が前代未聞の大打撃を受けて機能マヒを起こし、さまざまな問題に十分対処できるはずもなかった。そのような中で、やむなく自発的なボランティア活動が行われたのだった。
 私たちが想定しなければならないのは、このような悲劇的な緊急事態での市民ボランティアではない。地方政府がしっかりと機能しながら、市民やNPO、企業が参加できる仕組みをデザインし、あとは参加をしてもらって検証する。市民、企業と公共の弱点も長所も、そのうえで正しく認識し、それぞれのセクターが互いに補い合う関係性で事業を進めていく。そのことが、本当に自治体の持つ資源を有効に活かし、地域・市民主体の市政の実現につながると考える。
 そして効果的で最適な事業実施をすることが、公共サービスの水準を低下させることなく、中・長期的に経費のかからない公共サービスの実施になるものではなかろうか。