【自主レポート】

第33回愛知自治研集会
第4分科会 「官製ワーキングプア」をつくらないために

 横須賀市立市民病院は1971年に現在の地に開設してから昨年度まで、自治体直営病院として地域医療の中心を担ってきましたが、自治体病院改革の波に飲み込まれる形で、今年4月より指定管理者制度の導入を余儀無くされました。指定管理者制度に移行する過程の労使交渉で見えてきた自治体の医療に対する考えや、指定管理者により病院がどのように変わったのかを再検証することにより、あるべき自治体病院の姿を考えてみました。



市町村が開設する病院の役割は
指定管理者制度は地域医療に何をもたらすのか

神奈川県本部/横須賀市職員労働組合・書記長 森田 洋郎

1. はじめに

(1) 横須賀市立市民病院の変遷
 横須賀市立病院の建設計画は市制施行後すぐに採り上げられ、1910年7月23日の市議会で決定されたものでした。その後計画は一時中断していましたが、1923年の関東大震災により多数の傷病者をだすに至り、市民の関心を深め、軍の援助を得ながら1924年に開院の運びとなりました。その後改築拡張工事を経て、横須賀市の中心部における中核的病院のひとつとして位置づけられるまでになりましたが、1962年3月に出火、本館すべてが焼失(けが人等はなし)してしまうこととなりました。
 その後の再建議論は、市議会をはじめ、地元医師会、厚生省、日本大学医学部に調査研究も依頼し、新病院建設計画が策定され、その案を地元医師会と確認書を取りかわしています。焼失してしまった場所は横須賀の中央部で人口も多い地域でしたが、他にも軍関係として始まった病院が複数存在しており、地元医師会は民業圧迫との観点を主張、小規模な分院があった現在の場所で「医療過疎地域に再建する」案が浮上しました。当時より、建設場所については疑問があるところで、あまりに交通の便が悪いこと(最寄り駅よりバスで40分程度)、地域住民の人口が少ないこと(横須賀市43万人口中の9分の1程度)等の問題は指摘されていましたが、当時の医師会の圧力等に沿った形での決着がされました。新病院は1971年に病床数220床、総事業費9億3,000万円でスタートしました。
 その後も高度成長期の流れに沿った形で第2期増改築事業計画が策定され、地元医師会との協定も締結し、病床数526床(うち20床伝染病床)、総事業費87億7,400万円の病院が1984年4月に開設しました。現在の許可病床数は482床となっています。
 このように市民病院の変遷は、軍港市としての病院建設から始まり、1962年に火事を起こし、当時の地域政治に大きく影響を受ける形で歪に巨大化していきました。残念ながら、建設当初より地域医療の充実という観点が乏しい計画であったと言えます。

(2) 指定管理者移行により病院機能は大幅に後退
 地元新聞にも大きくとりあげられましたが、4月より市民病院の機能は大きく後退しました。原因は、指定管理者移行により、マンパワーが多く失われたからです。
 日本大学医学部は指定管理者問題についてこう語っています。「そもそも指定管理者に変更することについて事前に相談もなく、新聞記事を見て知った。民営化されたら今までの日大の研修病院という位置づけではなくなるのは当たり前。横須賀市の見識を疑う」。これに対し地域医療振興協会側は「日大はきれい事を言うな。そもそも銚子市民病院と同じように理由をつけて引き上げようとしていたものだ」と応じています。いずれにしても日大医局員である医師の多くが市民病院を去りましたし、これから退職する医師も予定されています。
 4月時点で呼吸器内科が3人減で0、消化器内科が1人減で3人、循環器内科が1人増で5人、神経内科が2人減で0、血液内科が1人増で2人、脳神経外科が2人減で1人、形成外科が1人増で2人、リウマチ科が1人増で1人、小児科は5人減し5人増の総入れ替え、泌尿器科は1人減で0、耳鼻咽喉科は1人増で3人、麻酔科は1人減で2人、トータルでは5人減ですが、非常勤医師での外来診療が多くなっており常勤換算すれば5人減では収まりません。そして、呼吸器内科、神経内科、脳神経外科、泌尿器科では入院の停止となりました。
 医師を除く職員については、技術職であっても障害があっても(あん摩マッサージ指圧師で視覚障害者も複数います)無条件で市長部局への異動ができることが労使交渉で確認されました。交渉は組合が「指定管理者の職員になったら給料はいくらになるのか、夜勤の回数は増えるのか」と市当局に回答を求めていたところ、当局の回答は「指定管理者に移行することを、はじめに組合が合意してくれなければ、地域医療振興協会に労働条件は聞けない」というもので「行き先の分からないバスには乗れない」と平行線を辿っていました。しびれを切らせた当局が「指定管理者移行だけは先に決めていただき、その後労働条件を聞いた上で、市を退職して地域医療振興協会に就職するか、市役所に残るかの選択をしていただいて結構である」と方針を転換しました。
 結果、看護師はトータルで75人の減となりました。3月に在籍していた242人中、定年退職5人、自己都合退職21人、市長部局への異動63人と89人が病院を去りました。コメディカルは68人中、50人が市長部局への異動等で病院を去っています。当然ながら看護師の新規採用は難しく病棟の運営に大きな影響を及ぼしています。稼働していたベッド数377床が131床減の246床で4月をスタートしています。それでも10:1看護基準が満たされない時期が4月、5月と続き、許可病床数の半分という規模にまで、機能が低下しています。

(3) 現場で働く者の労働条件は急激に悪化
 4月からの病院は、未だ就業規則を労働基準監督署に提出もしていない状態です。36協定も結ばずに平然と時間外勤務を命じるなど違法状態に陥っています。4月から医師や看護師等の新規採用職員が入り、管理監督者の範囲も不明確な状況の中、労働組合の組織率も50%を割り込んでいると主張しており、労働者過半数代表を選出しなければならないという理屈です。そして未だに過半数代表者は選出されていません。
 病棟では看護師の新規免許取得者との関係で、10:1基準看護が取れない状態になりました。その対応として、外来から急きょ非常勤職員を病棟に回したり、2交代と3交代を混ぜた勤務表としたりしています。当然、そこに働く者の身体的疲労は今までになかったような状態に陥っています。そこには、安全な看護体制、良質な医療運営というスタンスは見られません。
 コメディカル部門の職員は3月までの夜勤について、勤務として2交代制をとったり、実質労働部分に時間外勤務手当が支給されたりしていました。これは厚生労働省からの指導により、それまでの状態を改善するために勤務化等に変えたものです(基発第0319007号(2002年3月19日)の「医療機関における休日及び夜間勤務の適性化について」)。それを4月からは労働組合に何ら提案もせず、当直手当のみでの当直体制で夜勤を強いています。
 このように、労働基準法等について法違反を平然と犯している状態で、訴えがなければ放置する、労働者のことは後回しという、前近代的な病院運営が見てとれます。
 医師については、同じく国立横須賀病院から指定管理者で横須賀市立うわまち病院となっている病院から、各科医師が非常勤として週に1度なりの外来診療をさせられています。
 看護師学生への奨学金制度が始まっていますが、卒業生がでる3年後まではこのような状態は続くでしょう。また、新卒者が奨学金との関係で採用されても、病院の体質が変わらない限り職員が長続きしない悪循環となるのではないかと危惧されます。

(4) 横須賀の医療事情は急激に悪化
 市民病院の産婦人科は、3人の日大医局からの派遣医師で分娩等を行っていました。今回の指定管理者移行をきっかけとしてこの3人とも市民病院を10月に去ることとなり、今後は日大からの派遣はなされません。地域医療振興協会は横浜市立大学からの派遣を希望していると伝わってきていますが、実現の見込みは立っていません。同時に横須賀市内の病院中で一番病床数も分娩数も多い横須賀共済病院が、この秋から産婦人科は某大学医学部の撤退と来年度4月より横浜市立大学からの産婦人科医師派遣が予定されています。
 よって、この秋から市民病院と横須賀共済病院の2病院で分娩が停止されることが半年間は確実な情勢で、ただでさえ分娩取扱い機関が少ないことが指摘されていた横須賀市が、さらに産科事情が悪化した訳です。横須賀共済病院に派遣する横浜市立大学が、同じ横須賀市にある市民病院に産婦人科医師派遣を行う程医師が潤沢に居るとは到底考えられません。
 そもそも神奈川県保健医療計画で周産期救急医療システムを構築し、医療機関の連携体制として基幹病院に横須賀共済病院が、中核病院に市民病院が、協力病院に市立うわまち病院が公的病院として位置づけられています。このうちの2か所で分娩が停止となる事態が起こっている訳で、公的病院の責任の所在が改めて問われています。医療計画を公立病院がまったく省みていないということです。
 また、市内の他の民間病院でも医師確保が科によってはますます困難になっており、外来診療科の停止などが複数の民間病院でも起こっています。
 こういう時こそ、自治体立病院が踏ん張ることが必要で、医療体制の確保についての責任の所在が問われます。地域保健医療計画の作成は県庁の所管事務で、単なる病床規制計画になっている感があります。市町村には担当する部署すらないのが実態で、医療体制の確保について責任の所在がはっきりしていないことも問題です。

2. この間の経過

(1) 横須賀市における指定管理者に至る議論経過
 横須賀市において指定管理者移行に傾倒していった大きな原因は、総務省の公立病院改革ガイドラインや自治体財政健全化法であることは言うまでもありません。ただ市民病院が、県内の他自治体立病院と比較して特別に財政状況が悪いとか(病院財政が悪いという見せかけの手法として、第3号経費を2年間市から交付しなかったこと、退職金の引当てをしていないことを全額赤字額に計上したことにより、累積赤字を約30億円増加させ50億円としましたが)、市本体の財政状況が特に厳しいということはありません(当局側は市本体の財政論が一層悪くなるという理論を展開しましたが)。やはりそこには地域政治の事情が複雑に絡み合っていました。
 当時の市長は市議会大会派の多数が推薦する、官僚から副市長を経て市長転出1期目の市長でした。2005年に当選し官僚出身らしく、政策を市幹部や市議会有力議員等に委ねる手法をとりました。大きな市の課題を動かせる権限が下ろされたと言えます。そのような背景の中で、市議会議員学習会に長隆公認会計士が呼ばれ、自治体病院の経営論の講演をし、指定管理者制度への関心が高まりました。当時市議会には医療問題特別委員会が設置されており、分娩問題を取扱う委員会であったのが衣替えをし、市民病院の指定管理者制度の是非を検討する場に変化しました。そこでの議論は財政論のみで、このままでは赤字が拡大するから病院が存続出来ない、ホワイトナイトに頼むしかないという短絡的なものでした。当時の副市長が医師であったのも、市の主張がもっともらしく聞こえる効果をもたらしました。そこには地域医療振興協会なら医師確保が出来るという根拠のない主張のみがありました。
 指定管理者移行の市議会議決があった直後に市長選挙が行われ、先の現職市長は落選、関係していた市幹部もすべて居なくなり、今の病院の状況について反省や責任をとる者はだれも居ません。今となっての市議会議員は、問題に全く触れないというスタンスに変わりました。

(2) 地域医療崩壊の流れは
 新医師臨床研修制度が2004年から、福島県立大野病院事件が2004年、2006年逮捕、健康保険一部負担金値上げ1997年、2003年、介護保険法施行2000年、療養型病床の削減計画等々、医療費抑制政策はこの10年間で急速な勢いで行われてきました。政権が変わり社会保険病院や厚生年金病院を存続させるため、新たな独立行政法人を設置する法案が国会提出されていましたが、今年6月に廃案となり現在病院を運営している独立行政法人は9月末に解散するため、病院の運営母体が無くなりかねない事態となっています。
 このように医療は根底から揺さぶられ、地域格差や診療科格差等がおこるのは当然の結末と言えるものです。政府の考えは、これ以上医療費が増加することは何としても止めたいというもので、そのためには医療をある程度民営化した方がよいということでしょう。医療保険の自己負担額を増加させ、入院時食事療養費などコスト意識を国民に持たせることにより、国民の声を背景に医療の効率性追求や合理化を進めようとしています。そのためには大学の医局制度も否定し、医学を追究することではなく経済至上主義の中での医療提供ということになりつつあると言えます。この考えが根底にある限り、地域医療(特に高齢化が進み人口が減少していく地域では)サービスが低下していくことは明らかです。
 市民病院においては、臨床研修医師が研修後残らないこと、大学からの派遣が厳しくなってきたことで、消化器科等において患者が診られないという事態が発生していました。そのため病院の収入も減少する悪循環が発生していました。

(3) 地域医療振興協会とは
 地域医療振興協会は、全国で49医療機関の運営の委託を請け負っている公益社団法人です。病院は全国で18か所の運営を行っています。自治医科大学系列の法人ですので、厚生労働省や総務省との関係が深い団体で、役員には官僚出身者が名を連ねています。
 協会のホームページにはめざすものとして「今なお医療に恵まれないへき地が数多く存在し、多くの人々が不安な暮らしを強いられ……医療を受けられることの安心を、すべての地域の方々にお届するため、深刻な問題でもある地域での医師不足の解決に一定の成果を上げるべく、地方自治体などと連携し地域に根差した保健医療……」との記載があります。また組織構成には、自治体から管理委託を受ける事業と、へき地への医療提供の2部門構成との記載となっています。実際に勤務医師がへき地に出張して診療を行っている状況もあるようで、組織的には通常の経済活動を自治体から受ける委託業務で稼ぎ、その余りでへき地医療を展開するという形態かと思われます。
 また、指定管理者制度をつくり公立病院ガイドラインをだした総務省は、自治体立病院が指定管理者へ変更することを想定し、その受け皿に地域医療振興協会をあてる方針を打ち立てたということが想定されます。もしかすると、あらかじめ自治体財政問題や医療費の高騰問題を総務省と厚生労働省で話し合った結果、医療の市場化の考えとも一致し、指定管理者制度と地域医療振興協会がセットでつくられていったのかも知れません。

3. 自治体立病院とは

(1) 大学医学部との関係
 指定管理者制度に変更されたことにより、日大医学部は市民病院を日大医学部研修病院という位置づけからランクを下げました。自治体直営病院と民間委託の病院ではランクが違い、今までは学部長が医局の医師派遣(人事異動)の権限を有していたものが、ランクが下がることにより各科の教授へ派遣するか否かの権限が移るとのことです。
 よって、今までのように医局から医師が派遣されないのは仕組みとしても明らかです。そもそも大学医局に所属する医師は「入局イコール医局へ就職する」という意味をもち、横須賀市立市民病院には就職先から在籍出向している状態です。医師が大学医局に入局するということは、自分の専門の医学分野をさらに探求するために修行に入る意味も持ちます。それぞれの大学は、そうした医師の技術レベルを高めるため全国の自治体立病院と連携し、医師を派遣しながら一定の水準以上の現場実地を重ねさせます。そうしたことで、医局組織全体の学術レベルも上がり、ひいては日本の医学レベルの向上につながっていく訳です。
 おそらく横須賀市は一つの自治体ぐらい指定管理者になって医局制でなくとも、さほど影響はないだろうと考えたはずです。今のところは大きな影響とはなっていないかも知れませんが、全国すべての自治体が同じことをしたとしたら、日本医学の将来にまで影響を及ぼすことになります。

(2) 不採算部門に対する公的責任
 病院経営において採算が上がる分野とそうでない分野が存在することは周知の事実です。例えば分娩を取扱う産婦人科では、出産に伴うリスクへの対応(政府の産科医療補償制度が出来ましたが不十分で賛否があるところです)、24時間の分娩に対応するためのスタッフの配置、出産後の未熟児等への対応のための小児医療体制、そして分娩と小児の救急体制等と非常にコストがかかる分野です。
 また、長期間の入院(高齢者等)については、保険点数上採算が取りにくい制度になっているため、高齢者が骨折した際の整形外科等の入院が一般的には難しくなっています。
 こうした部門で困っている市民の、セーフティーネットの役割も公的病院の役割と言えます。保険点数の関係から、大病院では外来受診は紹介状がなければ受診させないというところが増えています。横須賀市内においてもそうした病院が出始めており、いざという時の市民病院の存在は重要ですが、肝心の診療体制は医師がいなくてできません。また、不採算部門への受診はやんわりと断るという事態が、市民病院でも出始めています。

4. 公的医療はどこに向かうか

 医療法は法の趣旨目的を「医療を受ける者の利益の保護及び良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制の確保を図り、国民の健康の保持に寄与することを目的とし、医療施設の計画的な整備(中略)を行うものである」とし、続けて医療法は公的医療機関の役割の重要性に鑑み「医療従事者の確保その他都道府県が定めた医療確保の施策実施に協力しなければならない。厚生労働大臣は公的医療機関の設置を命ずることができる。厚生労働大臣又は都道府県知事は、医療機関に勤務しない医師等による施設利用、臨床研修の条件整備、救急医療等確保事業に係る医療の確保に必要な措置等を命ずることができる」としています。そもそも医療法は営利を目的とした病院の経営を認めていません。
 法を素直に読めば、公的病院が赤字になるのは当たり前であり、赤字部門の医療を積極的に行うことがその存在意義と言えます。法に定められた基本的理念が欠落しているのが昨今の状況ではないでしょうか。
 市民病院に以前から掛かっていた病院の近くに住む重症心身障害児の母親が私たちに訴えられました。「小児科の日大の先生達は、僕たちが居なくなってもきちんと引き継ぎをするから安心して来なさいね。息子さんの状態では一般診療所では厳しいからね、と言ってくれました。私たちの具合が悪い時、息子が風邪をこじらせた時など、息子を緊急に入院させたりもしてくれました。ところが4月に風邪で受診をしたとき、新たに赴任した小児科医師からは、簡単なことで外来に来ないで下さい。掛かり付け医を探して下さい。と一方的に言われました。前の先生は戻って来ないのでしょうか」これが、今の市民病院です。
 全国で起こっているこのような状況を一つひとつ明らかにし、公的病院のあり方を問い直す時期にきています。今を逃し、将来の日本の医療への大きな問題とならないよう、地域・現場の声を挙げていかなければなりません。