【要請レポート】

第33回愛知自治研集会
第8分科会 地方再生とまちづくり

限界集落と「妖怪祭り」による地域再生の取り組み


徳島県本部/三好市議会議員 平田 政廣

 三好市は徳島県西部の山間地域にあり、2006年3月1日に三好郡6カ町村が合併して新たにスタートした。合併前の旧町村はいずれも過疎町村の指定を受けていた典型的な山村過疎地域である。
 合併後、限界集落問題について議会の場で発言がされたのは2007年3月議会での発言である。発言内容は、三好市447集落のうち、高齢者人口が50%以上の限界集落が143集落32%もある現状を考えると、いかにして限界集落に生活する市民の安心安全な生活を確保するかが最重要政策課題として取り上げられることが求められている。民間委託、指定管理者制度の導入により経費節減のしわ寄せは委託を受けた会社、指定管理された者の下で働く勤労市民の賃金切り下げと労働条件の切り下げにより行財政が改革されたとしてもその後の地域活力は低下し集落が崩壊、消滅していたのでは改革でなく改悪でしかない。市内集落数の32%の地域で生活する市民に安心して生きていける市政運営が必要であるとの発言に対し市長は新聞では90カ所、議員の御指摘では130カ所ということで、またその調査の箇所数も違うようでありますが、いずれにしましても、私どもの地域でも、この役場から近いところに羽広だとか正木だとか、もう既に集落としてなくなった集落がたくさんあるわけであります。そういうことを考えましたときに、現在、65歳以上の人たちで大多数を占める集落がたくさんあるということは承知をいたしておりますが、ただいま御説明申し上げましたような、当市にとりましては行財政改革を積極的に進めながら、そういう地域に対しての対策というものもやっぱり今後積極的に取り組んでいかなければいけない。今の段階では、お話のとおりだんだんだんだん進んでいくことになって、手の打ちどころがなくなってくるというような私どもの反省もいたしておりまして、そこで住む人たちがより幸せに生涯を送れるような、そういう地域社会を築いていくということが三好市の目的であるとの内容であった。
 その後、限界集落問題の実態把握と今後の施策を生かす目的で2008年2月より高齢者人口が50%以上の「限界集落」141集落を対象にヒアリング形式で調査が実施された。調査結果は2010年6月に「三好市限界集落調査に関する調査報告書」として公表された。
 内容の概略は7月24日付け地元紙に掲載されたので参照願いたい。

 

 調査結果を参考にした市の施策は8月末までに検討委員会を設置し年度内に施策をまとめるとされているので具体策は定かでないが調査期間の2年間で消滅集落が1集落と「限界集落」が10%、「準限界集落」が20%増加したことから待ったなしの対策が望まれる。
 調査報告書の最後は、今回の調査を通じて三好市内における、人口減少と高齢化が進み集落機能が低下している集落の現状の一端が明らかになった。
 そこで見えてきたものは、「限界集落」と一括りにできない地域の多様性と、多くの集落で共通する課題である。
 一例としては、集落機能の低下を、集落外で別居している家族や親類が補完しているケースがあげられる。買い物や通院であれば集落外から家族が送迎を行う。清掃作業や地域の祭りには帰省し労役を果たしているなど、地域コミュニティの維持に集落外の人材が尽力しているような集落の姿である。
 つまり、「65歳以上の高齢者割合が50%以上」という定義のみで、高齢化を集落維持の限界と同義に捉えてきた、これまでの考え方とは異なる集落の実態である。
 もちろん、集落内に定住していないことで緊急時の対応や、別居家族の援助が主たる目的である為に将来の集落維持には課題を抱えているが、集落維持が直ちに困難になっているとはいえないような状況である。
 一方で多くの地域で共通する有害鳥獣被害、公共水道の無い地域では水源地の管理が難しいなどの共通する課題が可視化することが出来た。
 交通手段も今は住民の多くが自家用車を利用しているが、5年後、10年後に運転することが年齢的に難しくなることが予想されるなど今後の公的支援の在り方を考える材料が発見できたと言える。
 今後は問題に応じて財的支援や人的支援を使い分け、地域の実態に沿った一元的でない支援を行うことで地域の活性化を図っていくことが必要であると結ばれている。
 そこで、まとめにも記載されているように地域の多様性を生かし地域再生にチャレンジしている団体の取り組みを紹介し議論の素材として報告する。
 取り組みは2000年からスタートした。きっかけは水木しげる原作の漫画げげげの鬼太郎に登場する妖怪「児啼き爺」の故郷は何処かをめぐる調査からである。それまで阿波(徳島県)の山分とされていたが妖怪愛好家の多喜田昌裕が文献と語り伝える人物を特定したことから阿波三名村上名平(現三好市山城町上名平)であることが明らかとなった。
 2001年には地域の団体「藤川谷の会」が主体となり「児啼き爺」の石像を建立し全国(北は北海道から南は沖縄まで)から支援金が寄せられ建立費用300万円が確保された。
 2001年11月には石像の序幕式が盛大に開催されその後毎年11月には妖怪祭りとして地域の一大イベントが開催されている。
 2002年には「藤川谷の会」会員が手作りで水木しげるの漫画に出ている妖怪4体の着ぐるみを制作しその後妖怪祭りで使用している。
 その後毎年妖怪の着ぐるみを新しく作成し2010年現在21体を所有している。
 2007年11月には国民文化祭(徳島市を中心に全県下で開催)の協賛行事として妖怪祭りを開催し平時は5集落(内2集落は限界集落)120戸169人の地域に来場者1,500人となり県道が一時交通マヒ状態となった。
 2008年には妖怪がこんなにも人気があるのだからもっと地域の為に活用できないかと新しく地域を拡大し旧山城町(戸数2,027戸人口4,607人)に範囲を拡大し四国の秘境山城・大歩危妖怪村を立ち上げ世界妖怪協会水木しげる会長より後世に残したい「怪遺産」第2号として認定された(怪遺産認定を機会にNHK昼どき日本にも取り上げられ多くの皆さんにPRできた)。また、農林水産省の農山漁村(ふるさと)地域力発掘支援モデル事業に採択され2年間支援を受けた。2年間で旧山城町内の妖怪伝説の発掘事業に取り組み種類としては60種100か所の妖怪伝説を発掘した。農山漁村(ふるさと)地域力発掘支援モデル事業は、政権交代により事業仕分けの結果廃止となったが妖怪村を立ち上げ多くの妖怪伝説が発掘できたので中心となる城が必要との思いで会員が一致し2010年1月から4月の間に市の施設「道の駅大歩危」1階展示場に妖怪屋敷を設置した結果入館者が3.5倍に拡大している。

 現在のところ妖怪村や妖怪屋敷を訪れる観光客の土産品として妖怪茶(ペットボトル)、妖怪の涙(黒大豆茶)、妖怪せんべい、妖怪クッキー等地域で製造し販売しているが、今後は地域産物を使用し、地域で製造したものに限り妖怪村のラベルの使用と製造許可を与えることで新たな製品づくりに取り組んでいる。また、地域のホテルと連携し妖怪ウオーキングコースの設定や案内人の要請にも取り組んでいる。
 1996年に藤川谷の会の立ち上げから2000年の「児啼き爺」の故郷決定までに4年間の活動、石像建設から2007年国民文化祭の協賛行事の開催までに6年、妖怪屋敷オープンまでさらに3年。活動を始めるきっかけは故郷会(山城町出身者で近畿圏に在住)の働きかけと中心となって調査にかかわったUターン者の支援、指導がなければ今日までの取り組みに発展しなかったであろうことは事実である。山城町は大歩危の観光地であるが渓谷以外の観光資源は何もない、若者は少なくさびれる一方とあきらめていた地域が元気になれるのは妖怪伝承を記憶していた高齢者が居たから取り組めた資源の活用であり、全て地域の手作りを基本に取り組んだことがポイントである。
 妖怪村はまだ道半ばであり全国の限界集落地域と交流できればありがたい。

四国の秘境山城・大歩危妖怪村