【自主レポート】

第33回愛知自治研集会
第11分科会 地域における教育コミュニティづくり

 盛岡市教育委員会では「小中学校適正配置検討委員会」を設置し、学区再編の検討に着手しました。近年の少子高齢化や地域の過疎化、都市再開発事業等で、盛岡市内の学校規模の2極化も拡大しており、学校の適正配置の在り方が問われています。しかし、学校の適正規模の定義とは何なのか、財政問題との関係や地域活動との連携等、今後の課題や問題は多くあり、市民全体の議論と意見聴取が必要不可欠となっています。



盛岡市小中学校適正配置検討委員会の考察
子どもが主役の学校適正規模を問う

岩手県本部/盛岡市議会議員 刈屋 秀俊

1. 盛岡市小中学校の学校規模の現状

 文部科学省では、標準的な学校規模を小学校では12学級以上18学級以下、中学校でも同様に定めています。この基準で区分すると、小学校においては46校中大規模校が7校、小規模校が19校、中学校では、24校中大規模校が1校、小規模学校13校となっています。中でも、玉山区の小中学校はいずれも小規模校ですが、小規模校を解消するために統廃合を行った場合、通学区域が広いため、通学距離、時間が長くなることから、児童生徒に大きな負担を強いることとなりかねません。また、盛岡南地区都市開発や新たな住宅団地の整備により、本宮小学校、土淵小学校の児童数は、今後増加することが予想されています。中学校では、仙北中学校、大宮中学校、土渕中学校の生徒数の増加が予想されます。2013年の児童生徒の見通しでは、標準的な規模に満たない小学校は2007年から4校増えて23校(50%)に、中学校では2校増え15校(62.5%)となることが予想されます。その一方で、標準的な規模を超える小学校も2校増え9校(19.6%)に、中学校も1校増え、2校(8.3%)となることが見込まれます。

2. 検討委員会が答申した小中学校の適正規模等に関する基本的な考え方(要旨)

① 学校規模      ・小学校―12学級以上~18学級以下・中学校―9学級以上~18学級以下
② 通学距離      ・小学校―4キロメートル未満  ・中学校―6キロメートル未満
③ 望ましい学区の原則 ・地域活動の区域と一致     ・小学校区は、複数の中学校区にまたがらないこと
            ・中学校区は、小学校区を分割しないこと

3. 考察・答申をどう受け止めるのか

 一つ目として、「小規模校」と「大規模校」では、具体的な学校教育上の支障がどのようになっているのか。また。教職員や父母、子どもたちや地域の要望がどのようになっているのか、その把握と解消が喫緊な課題と言えます。盛岡市内の学校関係者から間接的に聞こえる「学校規模」の課題は、現在8校で取り入れられている「複式学級の解消」が上げられます。複式学級を弊害と見るのは偏見との見方もありますが、学校のイメージ低下や父母の要望には応えなければならない課題です。さらに、将来の新入生が皆無となり廃校の学校も予測されるなか、それらの少人数学校の課題解消が先決と考えます。一方、大規模校では「プレハブ校舎」での対応を余議なくされており、施設環境や学校行事への支障、校内コミュニケーションの低下など顕著な支障が現れており、児童生徒の将来予測からも「分離校の新設」を進めなければなりません。これら当面する喫緊の課題解消を通じて「学区と適正配置」の検討に着手していくことが、自然体としての取り組みと受け止められます。現在、抱えている顕著で喫緊な学校問題を優先して解決すべきであり、画一的な基準を当てはめ全市的な学校再編は、学校現場や父母、子どもたち、地域への無用な混乱や不信と不安を招くだけであり、基本的な受け止め方としては、慎重な取り組みが必要と考えるものです。
 二つ目として、「教育改革」が叫ばれ、教育基本法の見直し、学校への競争原理の導入、学区の廃止や選択制導入、格差社会の到来による家庭崩壊や子育て放棄など、学校教育を取り巻く社会環境は著しく激動しています。そのなかで「学校教育の在り方」と「学校適正配置」がどのように係わり、学校教育上への効果や影響がどうあるのか客観的な分析や議論が必要です。学校経営の理念とされる「知・徳・体」の教育実践にも必要でどう結び付くものなのか、不登校やいじめ問題の解消にもつながるのか、学校生活の態度や校風にも影響するのか、健全育成への成長過程にも寄与する施策なのだろうか、などなど、様々な観点から客観的なデータや検討素材が提供され論議し、説得力と論理性を持つ「学校づくり」が一体的なものとなって、見えてこなければなりません。結論的に言えば「なんのために学校の適正配置を行うのか」の理由と根拠の明示に尽きると思われます。例えば、「国立教育政策研究所」での調査結果では、「学力」に対する「学級数規模」の影響について「特別な影響は見られない」との結果であり、むしろ、「1学級の人数」が10人増えれば「平均点が若干下降する」と報告されています。また、「全国学力テスト」集計結果報告書でも、地域規模別(大都市、中核市、その他の市、町村、へき地)の平均正答数でも、大きな差は見られないと報告されています。つまり、客観的なデータと検証は極めて薄弱と見ることができます。
 三つ目として、「学校の適正規模」の定義とは何なのかについてです。自治体にも大都市と町村があるように「公共の適正規模」とは、一概に数字と計算のみでは計り知ることができないものです。精神的な安心感や満足感など感性に依拠する部分も多くあり、行政側の一方的な数字の価値判断で定められるものでもありません。しかし、2013年の児童生徒の見通しでは、標準的な規模(小中学校ともに12~18学級)に満たない小学校は、2007年度より4校増えて23校(50%)に、中学校では2校増え15校(62.5%)となることが予想されており、単純に当てはめれば「盛岡市の半分の学校」がいわゆる小規模の対象となるものです。この「小規模」と「適正規模」の概念をどのように融合するのか、その意思形成過程の透明性と説明責任も重要です。文部科学省(旧文部省)では、その「学校適正規模」について、これまで2回の指導通達を出し、1回目が1956年11月17日付けの「文部事務次官通達」、2回目は1973年9月27日付けの「文部省初等中等教育局長」のみとなっています。1回目の指導通達の概略は「義務教育水準の向上と学校経費の合理化のため、小規模校の統合を進め適正な規模とするよう努める」、「その際の規模とは概ね12学級ないし18学級を標準とする」、「児童生徒の通学距離は、小学生4㎞・中学生6㎞を最高限度とする」というものです。2回目には、その後の統廃合の混乱から、留意点と配慮を通達し「学校規模を重視する余り無理な学校統合を行い、地域住民との間に紛争を生じたり、通学上著しい困難を招いたりすることは避けなければならない。また。小規模学校には教職員と児童生徒との人間的ふれあいや個別指導の面で小規模学校としての教育上の利点も考えられるので、総合的に判断した場合、なお小規模学校として存置し、充実するほうが好ましい場合もあることに留意すること」と述べ、「適正規模」の尺度や解釈が未だ明解に示されていません。
 四つ目として、現在の地方財政は「国の三位一体改革」で疲弊度を増しています。自治体の教育委員会といえども、財政基盤の裏付けなしに教育行政を展開することはできません。地方交付税での教育費一般財源化や学校建設国庫補助率の引き下げなど、義務教育の責務を自治体への財政負担として転嫁する国の施策が、効率を求める学校再編計画の底流にあるものと言っても過言ではありません。先行して取り組んだ青森市の試算では、全校改築の総額と再編後の改築総額の削減効果を336億円と試算しました。また、文部科学省では、昨年に法律を改定し、学校施設の目的転用の国庫補助金返還期間を従来の47年間から10年間に短縮し、廃校の場合の自治体負担軽減策を講じて、学校施設の他への目的利用促進と学校再編計画を加速させているのです。「教育論」と「財政論」は、確かに背中合わせの問題ですが、その次元の異なる問題を「一緒くた」に論ずることは、ことの本質を見えなくさせ避けるべきと考えます。
 五つ目として、市民全体の課題として問題意識の共有化がどれだけ醸成できるのかです。先ほどの青森市での実例でも「廃止統合される学校」と「編入する学校」では、学校関係者、父母、学区民の注目や関心度、意識の温度差が顕著であったということです。廃止統合の対象学校では地域一丸となった「廃止反対運動」が高まり市教育委員会も一旦撤回する事態に至りました。しかし、その学区以外では関心が盛り上がらず他人事のようで、特段の変化は起きなかったということです。そもそも、学校の適正配置という大義には、学校の統廃合に自分たちが該当するか否かではない「盛岡市の教育の百年の大計」という観点での全市的な論議を構築し、将来に禍根を残さない取り組みと展開が必要と思われます。市民意識の昂揚策や意見聴取の方策も十分に吟味することも重要です。
 六つ目として、「適正規模」という定規(ものさし)を策定し、具体的に各学校への点検や選定(リストアップ)が進められる場合、校名が浮上する学校教育現場や地域の不安や動揺は隠せないものです。子どもたちに悪影響となる「浮足立つ教育現場」とならないような行政配慮、さらに「一方的に強行はしない」という安心感と寛大な態度が市政や教育委員会に求められます。同時に、具体策の検討方針案でも述べている「学校の分離、統廃合を検討する際は、学校関係者、保護者、地域方々を交えた組織を設置し、合意形成を図ることとします」との基本姿勢を堅持し、いかに「民主的」に、且つ、地域の意見と「かい離」しない、組織の受け皿づくりと運営が求められると言えます。

4. 考察・学校適正配置のあるべき原則

 前段の「考察・どう受け止めるのか」を踏まえ、「学校の適正配置」を検討するうえでの「あるべき姿」として、三つの原則に集約されると考えます。
 一つ目として「盛岡市の将来構想や計画に立脚し整合する原則」です。学校教育や教育行政も「街づくり」との係わりは否定できません。上位計画である「盛岡市総合計画」はもちろんのこと、「福祉」、「都市計画」、「環境」、「地域活性化」など、盛岡市が策定している各構想や計画に立脚し、ともに整合し協調し合いながら、進められる計画でなくてはなりません。「盛岡市の学校教育の構築と展開」は、「盛岡市の将来の街づくり」にも大きな影響と役割を果たすものがあると考えるからです。しかも、地域の活性化、中心市街地活性化、社会コミュニティーの構築、地域の文化伝承、町内会活動や子ども会活動、防災安全活動など、学校教育と地域コミニュティーの問題は密接に関連し連携しています。街づくりと子どもたちの健全育成との整合は、都市としての住みやすさにも関連する問題であり、その整合と関連性を大切にすべきと考えるものです。
 二つ目として「盛岡市の学校教育水準の維持と向上の原則」です。子どもたちを取り巻く環境は、日々、変化と多様化を増しています。国連での児童の権利に関する条約では、国家と大人に対して「子どもたちへの最善の利益の考慮」を謳っています。そのなかで、国や県や自治体の責務は大きく、教育委員会にはその実践が求められています。今回の「適正配置の検討」が、学校教育の水準の向上に資するという担保が確保されなければ、教育行政として本末転倒の実践と言わざるを得ないのではないでしょうか。先行き不透明な社会情勢、混迷する教育改革や行財政改革、疎外される人間社会と地域、深刻化する自然環境、手探りにある少子高齢化の到来、生活不安の増大と生きがいの喪失など、社会全体で乗り越える課題を抱えつつも、21世紀を担う子どもたちの未来を見据えた、説得力のある「盛岡市としての教育水準の維持向上の原則」に資するビジョンが求められるものです。
 三つとして「盛岡市民の限りない合意形成の原則」です。地方自治体の運営方針の基本理念の原則にある「住民自治」と「民主主義」は、すべての住民にとっても貴重な共有財産です。しかも、納税者である住民には「行政の執行権」に対して、要望を請願し住民請求を行う権利が憲法で保障されています。
 歴史のある学校、愛着のある学校、地域のシンボルである学校、子どもたちの笑い声が絶えない学校、その学校をどのように発展継承し次代につなげるのか、多くの英知の結集が欠かせません。そして、それを下支えする市民の理解や協力支援は、盛岡市の行政推進に必要不可欠な原動力でもあります。
 学校というデリケートな課題と向き合う上でも「市民の合意形成」は、何に於いても最優先に尊重されるべき大前提です。市民が判断の素材とする、将来の学校ビジョンやメリット・デメリットなどの情報提供、真摯な話し合いの積み重ねなど、今後の展開においても十分に配慮されるべき原則と言えます。

5. むすび

 以上の考察で掲げた観点や考えに対し、豊富化する具体的な検証や提言については、今後の議論を踏まえて起草したいと考えております。それは、今回の問題提起に対して、様々なご意見や提言があって、今後の道筋と新たな着眼点も広がるものと受け止めるからです。従って、ご覧の各位には抽象的な考察レポートとなったことをお許し願います。
 全体がまだ手探り状態での考察レポートであるという弁明と、各位の豊富化するご助言を戴ければありがたいものです。