【要請レポート】

第33回愛知自治研集会
第12分科会 地域からのワークライフバランス

名古屋笠寺のまちづくり活動とワークライフバランス


名古屋笠寺まちづくりの会 青山 知弘

1. ヨーロッパの街への憧れと公務員志望

 子どもの頃から鉄道が好きで、夢は鉄道会社の社長になることだった。ある時手にした鉄道雑誌に、美しい街並みを背景にして走る、ヨーロッパで復権し始めたばかりのLRTの写真が掲載されているのを目にしてからは、「日本にこんな街をつくりたい」と思うようになった。
 その想いを胸に大学では都市計画を専攻し、卒業後は夢の実現に最も近い仕事だと思い地方公務員の道を選んだ。
 しかし、その後の十数年間、都市計画やまちづくりとは無縁の部署を回っているうちに、いつしか夢も薄らぎかけていた。
 入庁18年目を終えようとしていた頃、「内閣官房都市再生本部に行ってみないか」という話が舞い込んできた。そして2005年4月からの東京勤務で初めて「まちづくり」というものに出会うことになった。

2. 趣味から人の輪へ

 今思えば、「まちづくり」に出会う前は、いかに定時に仕事を終えて一刻も早く公務員の世界を離れ、幅広い趣味と見識と多くの交友関係を持ち、つまらない「役人」にならないことを自分の美学として目指していたように思う。スキー、テニス、社交ダンス、バイクツーリング、海外旅行、英会話サークルなど、機会があれば何にでも首を突っ込んだ。
  2002年、日韓ワールドカップの開催でサッカー熱が高まる中、友人達とフットサルサークルを立ち上げた。そこから思ってもいない展開が始まった。最初メンバーは、ほとんど自分の知り合いが占めていたが、立ち上げてから3ヶ月経った頃から、次第に友達が友達を連れてくるようになり、あれよあれよという間に会員数が男女合わせて100人を超えるまでに成長した。5対5でやるスポーツにもかかわらず、1度に参加する人数が50人を超えるようになり、フットサルをやる場と言うよりもコミュニケーションを楽しむ場に変わっていった。参加メンバーも必ずしもフットサルがやりたくて集まってきている人達ばかりではないので、性別、年齢、趣味も多彩だった。デザイナー、料理人をやっていた人、英語が得意な人、ITが得意な人、芸術大学の講師をやっていた人など。個々の個性と能力を集めれば何でもやれる気がした。そこでまず、メンバーの中に中国人と中国語を勉強したい人がいたので、2004年に中国語サークル「熊猫語の会(パンダ語の会)」を立ち上げてみた。この会は、毎週水曜日の勉強会と餃子パーティーや餃子の模擬店の出店などの活動をしながら、現在まで続いている。
 さて、2005年から始まった東京勤務では、当時「官から民へ」を掲げた小泉政権の真っ直中であり、私は、その民を元気にする1つの方策として、「まちづくりの担い手」の支援策を考える仕事を担当することになった。まちづくりの担い手と言っても実に多様である。自治会・町内会、商店街、NPO、大学、企業、そしてこれらが連携した協働体による取り組みなど。基礎的な知識も人脈もない私は、先のサークルで培ったネットワークづくりの経験を活かし、まずは片っ端から全国で頑張っている人達と会って人的ネットワークを作ることに専念した。その中で、仕事のスタイルが、これまでの組織の一員として動くものから、自分のキャリアや人的ネットワークをフル活用して、一個人としての顔で仕事を進めるように変わっていった。
 また、出会いの中で多くの刺激を受け、名古屋に帰ったらぜひ自分もまちづくりをやりたいと思うようになった。

3. 笠寺まちづくりの活動

 東京での2年間の任期を終えた私は、2007年4月から新たに住み始めた名古屋市南区の「笠寺」という門前町で、商店街や地元の人達と物好きな友人を集め、まちづくりの会を立ち上げた。(正確に言うと、たまたま訪れた笠寺の街が気に入り、ここでまちづくりをやりたいために住むことに決めた。)
 立ち上げた笠寺まちづくりの会「かんでらmonzen亭」のメンバーは、ほぼ半分は地元の人、残り半分は地域外の人であり、その多くはフットサルサークルからのつながりである。会の目的は、「笠寺のまちを楽しく暮らしやすく」という大まかなものにし、この目的に賛同できる人であれば、誰でも参加できるようにした。会費は取らず、規約や入会手続きもないので、一体どこまでが会員なのかよくわからない、ゆるゆるの会の形態を取った。活動内容も明確な目標もミッションもないので、メンバーがその都度自分のやりたいことを持ち寄って、その夢を一つ一つみんなで形にしていく作業を繰り返しながら発展させてきたのがこの3年間だった。その結果として、コミュニティが深まり、自己実現による充実感が生まれ、それぞれの個性が新たな価値を生み出していると確信している。
 ここでかんでらmonzen亭の主な活動内容を紹介する。

(1) てら寄席
 笠寺にある「泉増院」というお寺の本堂でやっている寄席のことである。芸人さん達は、地元の小学生によるちびっこ大喜利隊から、大学の落語研究会のメンバー、素人の出たがりおじさんから大須演芸場に出演していたセミプロの方まで様々。芸を見せたくて仕方がない人と見たい人双方が楽しめる寄席である。地元のお年寄りの「これまでカレンダーには病院に行く予定しか書くことが無かったが、これからは寄席の予定が入るようになった。」という言葉を聞いて感動した。既に開催回数も6回を重ねているが、これは、落語好きのメンバーの夢を叶えたものである。

(2) かさでらRプロジェクト
 裁縫が得意なメンバーと名古屋女子大学とのコラボレーションから生まれたもの。地域の人達に古着を持ち寄ってもらい、手作りのバッグや帽子にリメイクし、地域ブランド「かもん」として商店街で販売するという企画。製作教室はユニーが撤退した後の空き店舗を利用し、またブランドPRのための地元の人達をモデルにしたファッションショーも開催している。

(3) 笠寺古本通り計画
 商店街の各店舗に回収箱を置き、地域の人達から読まなくなった古本を提供してもらい、それをジャンル分けして各店舗に再配置。お店に立ち寄った際に自由に読むことも、気に入った本を1コインで持ち帰ることもできる。まち全体を図書館化して誰もが気軽に本に接する機会を作ることと、まちづくりの活動資金を集めることが目的。現在、地元の古本好きの青年の夢を叶えるべく、拠点となる古本ショップの開店準備作業を進行中。

(4) 亀池再生プロジェクト
 笠寺観音境内にある放生池(通称亀池)は、地域のシンボルであるにもかかわらず水が濁り、あちこちにごみが浮かんでいる状況で、地域の人達みんなが心を痛めていた。そこで、「ごみ釣り大会」を開催し楽しくごみを拾う企画や、池に棲むカメを全頭捕まえて甲羅に個体番号を付けて、種類、性別、身長、体重を調べ、地元の人達に気に入ったカメに名前を付けてもらう「カメの住民票づくり」の企画を行っている。また、池の水質浄化と防災、コミュニティの拠点として、池の辺に新たに井戸も掘った。

4. 自分の中の公務員像

 名古屋に帰ってきて配属先は、幸いにして環境まちづくりの支援を行っている部署であった。環境に携わることも子どもの頃からの夢であったので、それがまちづくりと合わせてできるとなれば盆と正月が一緒に来たような喜びである。
 そのため、「公」として分類される「仕事」も「私」として分類される「まちづくり」も自分の中では境目がなく、その活動のエネルギー源は、「このままの社会でいいのか。」という想いから来るものである。貧困、戦争、地球環境破壊など子どもながらにして感じていた不合理さに対して、あれから40年近く経ち、科学技術がこれだけ進歩したにもかかわらず、未だ人類は解決の道筋を付けることができないどころか、エネルギーや資源、食料の争奪戦は深刻さを増し、最後は殺し合いによって生物的な適正人口に自然淘汰されるという、最悪のシナリオを進んでいるようにさえ感じる。もし、これに唯一の解決策があるとすれば、それはまちづくりの中にあると直感している。一人一人が孤立して自分の生活を守るために汲々としている中では、出会ったこともない異国の他人の生活や、まだ見ぬ子孫のために今の環境を保全することなどに配慮している余裕などはないだろう。そんなことを考えている間に自分が競争社会の中で脱落してしまう。
 しかし、公務員にはそれができると感じている。だからこそ、我々の生活を支えてくれている人達(納税者)が、自分達ではやりたくてもやれない「人間らしい生活」の実現に向け、私が持っている知識と能力を少しでも役立ててもらいたいと思う。組織の中に隠れているのではなく、きちんと自分の顔とキャラクターを前面に出して、組織や仕事の枠に縛られず、地域の人達が本当に求めていることに真摯に対応できる自治体職員ならば、「給料を払っても惜しくない。」と思ってもらえるのではないだろうか。

5. 最後に

 最近読んだ田中優著の「戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方」の中に、目指すべき社会像は「経済のローカル化」と「人のグローバル化」であると書かれている。モノ、エネルギーそれからお金は、できるだけ小さなエリアで循環させることによって、自立的で持続可能な地域を実現する一方で、考え方の異なる多くの人達との交流、多様な文化に触れることによって、物質的な消費からではない新たな幸せや価値を感じ、そして生みだして進化していく社会のことを言っていると解釈している。そしてこれが最悪のシナリオを回避する唯一の方法であると。
 仕事でもまちづくりでも、このような社会の実現に向けて、自分の周りにいる多くの人達と共に、楽しみながら、そして支え合いながら過ごしていきたいと考えている。