【論文】

第34回兵庫自治研集会
第1分科会 「新しい公共」と自治体職員の働き方

 2012年5月20日、鳥取市において全国でも珍しい住民投票が執行された。珍しいというのも、投票に付されたのが「市庁舎整備の是非」ではなく「整備のあり方」であったことだ。「地方主権」が叫ばれる中、これからのまちづくりの手法や議会の役割・責任など、様々な課題が浮き彫りとなった。今回の住民投票で何を学んだのか。今回の反省をどう活かしていくのか検証してみた。



成熟した住民投票制度とは?
浮き彫りとなった課題

鳥取県本部/鳥取市役所職員労働組合 宮谷 卓志

1. はじめに

 2012年5月20日、鳥取市において全国でも異例の住民投票が執行された。
 内容は、『市庁舎整備に関する住民投票』である。しかも庁舎整備の是非を問うものではなく、「市執行部が推進してきた『新築移転案』と、それに反対する住民団体の取り組みを受けて市議会が提案した『現庁舎の耐震改修案』のどちらかを選択せよ」というものであった。
現在の市庁舎
 
 結果は、『耐震改修案』が圧勝し、市執行部と市議会が長い月日をかけて議論してきた『新築移転案』が覆されるものであった。
 経過等については、各種情報媒体によって閲覧が可能であるため、表立った内容についての言及は行わないが、まちづくりに関わる自治体職員として、さらには市執行部や市議会議員と協議してきた組合役員としての視点や経験から今回の住民投票について評価させていただいた。(多少の主観は入るが、市当局はもちろん、市議会議員・市民・市長など、新築派・耐震派の双方からの情報を元にしている。)
 本市の住民投票制度は、まだまだ改善の余地があり、今回の住民投票において浮き彫りとなった課題を纏めることで、今後の取り組みに活かしていけたらと考える。

2. なぜ住民投票に至ったのか。

 通常、市の業務は、市長(執行部)が各種政策を提案し、市議会が必要な(提案された)予算案を可決することで業務が執行される仕組みになっている。すなわち、政策の是非(可否)は、市民の代表である市議会議員の判断に委ねられる間接民主制(議会制民主主義)である。
 多くの場合、住民投票は、間接民主制度を補完するものであり、よほどのことがない限り、政策の“是非”は市議会で決定されるべきと認識している。そうでないと住民自らが選んだ議員の判断力や決定力を問題視することだけでなく、各種政策はスピード感を失うことになるだろう。
 そのため、住民投票は、首長や議員の解職や議会の解散、市町村合併の有無など、自治体にとって非常に大きな事例にのみ適用されてきたように思う。どうして住民投票になったのか?
 その一つの理由として、今回の住民投票の前段に、住民団体の運動によって5万票を超える署名が集められたことが挙げられる。これは、市執行部の案が「耐震化」から「市有地への新築移転」、さらには「民有地を活用した新築移転」など揺れ動いたこと、経過等の説明が不十分であったこと等に対して市民が不安を抱いたとともに、市議会に設置された特別委員会において、数年にわたり議論されていた内容が全くと言っていいほど、市民に伝わっていなかったという不信感が住民運動の発端となったものである。
投票用紙
 

  有権者が15万人余りの鳥取市において5万票の署名。市議会も一度は住民投票実施を否決したが、有権者の3分の1を占める声は無視できず、市議会は住民投票という道を選ぶのだが、市議会が住民投票という選択をした大きな要素として、有権者の声のほかに『位置条例』の存在があった。
 市庁舎の位置変更については、市議会の3分の2以上の賛成が必要という、通称『位置条例』の議会可決が必要である。議論している段階であったが、耐震改修を支持する(住民投票を支持する)議員が3分の1以上を占めており、いくら議会内で議論しても折り合いがつかなかった。それどころか合併特例債の活用期限(現在は延長されたが)が迫っていたため、時間だけが過ぎると合併特例債自体ができなくなり、全額市費で耐震化もしくは、耐震化さえできないという最悪のケースが考えられた。こうした事情を勘案して、これまでの議論の積み重ねよりも住民投票に委ねるしか推進する策がないという状況であったと推測される。
 近年の行政現場において、『説明責任』がこれまで以上に問われている。特に新規事業のスタートや既存事業の改廃については、市民の納得を得ることが重要であり、ホームページで閲覧可能というだけでは事足りない。自治体財政も、市民の生活も厳しい中、税金の有効な使い道という点に市民の関心は高まっている。「事業仕分け」が流行りとなっているが、一つひとつの政策について評価していく時期はとっくに来ているのではないだろうか。

3. 住民投票に向けた不安

 組合では、住民投票に向けた市民活動が活発になる中、議員(新築派と耐震派の双方)と住民投票について議論していた。そして、各議員に対して、現在の状況を踏まえ、「住民投票による決着が本当に望ましいのか」、「政策判断に議員の責任はないのか」、「住民投票の内容は本当に民意が反映されるものになるのか」、「耐震化の案は2つだけでないのではないか」、「まちづくりの方向性として正しいのか。」などと問い質してきた。
 特に、今回の住民投票は二者択一であったが、『果たして十分に議論された“二者(二案)”であったのだろうか。』という疑念はあった。そもそも二案に絞られた議論の経過が見えづらく、住民からすると「どこでどんな話し合いがあったの?」、「なぜこの二案しかないの?」という感じであったと思う。住民投票に至るまでに開かれた議論が十分でなかったのだ。政策実現に向けた進め方に大きな問題があったと思われる。
 地方都市において、市庁舎は非常に大きな施設であり、その位置によって人の流れが大きく変わり、市民の生活も変化する可能性がある。また、市庁舎整備のような大規模プロジェクトでは、市財政の見通しや効率のよい行政サービスの提供など、様々な要素・専門的な知識が必要となってくる。
 どんどん減っていく職員、働く場としての市役所、分散されて効率的でない執務室……いまの市役所の問題(実情)を私たち市職員は日頃から感じ、どうすればいいか悩み続けている。さらに言えば、首長や市議会議員には任期があるが、自治体職員はそれよりもはるかに長い期間、行政サービスを提供し続け、市民の暮らしを守っていかないといけないという自負が私たちにはある。
 だからこそ「果たして、幅広く奥も深い情報を市民に知っていただいた上で、正確な判断をしていただけるのか?」という不安があった。「知り合いの議員に頼まれた」「市庁舎なんてどっちでもいい」といったレベルでは困るのである。そして、政治的な争いになることを最も危惧していた。

4. 住民投票をめぐるたたかい

 住民投票の内容が固まって、すぐに不安は的中した。限られた期間の中、「A案とB案どっちがいい?」というどちらかを蹴落とすたたかいになったのだ。本来は公平・公正に情報が提供されるべきはずであるが、それぞれを支持する2団体がお互いに批判をし合うネガティブキャンペーンが展開されていく……。連日、様々な事業費や事業計画が書かれたチラシが出回り、市民は判断に苦慮した。
 どちらの整備案も市議会で議論され、公開の場で協議し、纏められた案である。「あちらの案は全くのデタラメ」といった情報が飛び交い、自分たちで選出した市議会議員を全く信頼していないような空気が町中に流れた。街宣車が走り、終盤には市長の解職請求に発展させるような発言も飛び出した。
 また、今回の住民投票では、組合としても投票率を向上させるために、各種の呼びかけを行った。多額の税金を費やして執行する住民投票であり、投票率が低調であれば、まったく意味がないからである。
 様々な人・団体を巻き込んで展開された投票キャンペーンも終了し、投票日には「耐震改修案」が多くの得票数を得て、市執行部・市議会ともにこの結果を尊重することとなった。
 今回の住民投票によって、間違いなく市民と市議会、市執行部との間に溝ができた。市民・市議会を2分し、今後の議会運営にも不安を感じさせると言わざるを得ない。住民投票によって方針が固まった今、「雨降って地固まる」という言葉を心から願うものである。

5. 今回の住民投票で見えた課題

 今回の住民投票では、過剰なネガティブキャンペーンが展開されないように、情報提供の在り方(ルール)を構築することの必要性を強く感じたところである。
 公職選挙法で規制される選挙とは異なり、今回の住民投票は、投票を呼び掛ける手法等についてかなり自由度が高く、“なんでもあり”の状態であった。情報源も特定されないし、責任もないという問題が浮き彫りになった。今回、様々な情報に振り回され、市民だけではなく、自治体職員でも混乱してしまった面があり、投票行為自体を躊躇する者も見られた現実もある。
 また、大きなプロジェクト(ハード整備)では、市財政に大きな影響を及ぼす。失敗を犯してしまった首長・議員は任を解かれるという結末を迎えるだろうが、ハード整備の取り返しはつかず、ランニングコストや残される債務、その後のまちづくり……大きな負担は私たちや市民にのしかかってくる。目先のことではなく、本当に長期的な視野で物事を判断するために、情報源は公平・公正な組織が管理しつつ行うことが最も重要ではないだろうか。
 そのほか、課題を列挙すれば、
  ・取り組みの是非や大方針などを決する単純な形とする。
    (今回で言えば、耐震化でも複数案が考えられた。また、整備方針として『現在地で新築』、『耐震ではなく免震』など様々なケースが想定されたが、議論されないまま除外されたため、選択する側としては判断が難しくなった)
  ・住民投票自体に多額の経費がかかることを忘れない。
    (通常の選挙と同規模の経費(資料作成費、看板設置費、人件費、PR経費など)の税金が必要となる)
  ・マンパワーを費やし、他業務を停滞させることのリスクがある。
    (多くの行政職員が通常業務以外の“住民投票”に従事することとなった)
  ・議会は存在意義が問われることを認識し、選んだ有権者も責任を持つ。
    (市議会が政策を精査して、住民目線で決定できないのであれば、重要な議決は全て住民投票に付されることになる。これでは、市議会(議会制民主主義)の必要性や、市議会にかかる経費にも疑問符が付いてしまうため)
などが挙げられる。

6. 住民投票を終えて……政策決定のあり方とは?

 今でも感じているのは『本当にみんなが納得した進め方だったのか?』という点である。合併特例債の期限や東日本大震災などから市庁舎の耐震化は“待ったなし”の状況で議論の時間がなかったと言われる。しかし、何年も前から議論してきたことを踏まえると、健全な議論が展開されてきたとは思えない。
 住民投票による市民参画もあるだろうが、市民を巻き込んで十分な議論をする方が有意義ではないだろうか。市民参画を求めるのであれば、とことん議論すべきであったと思う。
 また、安易に多数決で決めると、少数派が間違いのように映るが、必ずしもそうでないと思う。少数派の意見を排除せず、しっかりと様々な意見も踏まえ、最良の政策を作り上げていくことが重要ではないだろうか。政策を決定する上で、やはり住民投票は最終手段である。
 そして、投票の運用基準等の検証が不十分な現段階において必要以上に実施すべきでないと感じている。
 今回の経験を踏まえたルール作りが必須でないだろうか。そのためにも今回の経験や課題を公表していくことが重要である。地方都市において地域主権や住民との協働がますます重要となっていくことを踏まえると、他の自治体の参考になることも必要なのではないだろうか。いい面も悪い面も全て。
 いずれにしても、鳥取市においては、今回の住民投票の結果を尊重し、これからのまちづくりを展開していかないといけない。市民と行政が協働し、どういったまちをめざすのか。鳥取市はモデルになること、いや、市民協働・住民参画の先進地になることが使命となったと言えるのではないだろうか。


耐震改修案のスケッチ