【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第3分科会 自然災害に強いまちづくり~災害から見えた自治体の役割~

災害対応にむけた提言づくり


北海道本部/津別町職員組合

1. 災害対策の必要性について

 2011年私たちは、東日本大震災において未曾有の被害を受け、2万人を超える尊い命を失いました。改めて、自然災害の恐ろしさを体験するとともに、今後の災害に備えなければなりません。
 東日本大震災では、阪神淡路大震災に次ぐ全国の自治体からの大規模な支援活動は、現在、規模は縮小しながらも長期的な行政支援や住民ボランティアによる復興活動が続いています。
 震災時、東北の太平洋沿岸地域の被災自治体では、地震や津波災害に対する十分な備えがされていたはずであったのだが、震災の対応としては「未曽有」(これまでに経験の無い)という言葉が示すように、100年に一度から1000年に一度と、予想の域を遥かに超え、これまでの防潮堤などの規模では防ぐことができない災害であったことから、すべての自治体において、根底から防災・減災についての計画見直しが迫られる事態になったのである。(北海道の太平洋沿岸でも津波の遡上高は、海抜40m程の値が予測されている。)
 私たち自治体の職員は、この貴重な体験を、今後の災害対策に生かすために検証を行う必要があるとの想いで今回のレポートの作成に至り、津別町役場職員組合として、それぞれの職種やその立場、当町における近年の災害対策について、その反省と課題、今後の取り組みについての提言をまとめたい。

(1) 津別町における近年の災害等
① 1992年9月「豪雨・洪水」
  9月10日大型で強い台風17号の影響を受け、北海道付近に停滞していた前線が活発となり、網走川流域の平均降雨量は130mmを記録。当町での被害は、氾濫面積626ha、被害家屋は34世帯に上った。
  網走川水系の各流量観測所では戦後最大の流量水位を観測、津別町の双葉、共和、最上、岩富地区では河川の屈折部で越水し氾濫決壊、蛇行部をショートカットした形で耕地を浸食し、収穫前の農作物が流失する被害を受けた。
② 1998年8月(1回)、9月(2回)「三度の豪雨・洪水」
  連続した台風4、5、7号により秋雨前線が活発化。この時の網走川の水位はいずれも海抜約70mを記録(通常時67m程)。耕地冠水・道路決壊・土砂崩れにより、国道・道々5路線、町道も各所で通行止め、道路というライフラインが寸断されるこれまでの記憶にない、一ヶ月の間に三度の災害対応、復旧作業に追われる事態であった。
③ 2001年9月「豪雨・洪水」
  9月10日から北海道に停滞していた秋雨前線が、台風15号の接近に伴って活動が活発になり雨が降り始め、前線と台風の影響により3日間に渡って雨が降り、降雨量は前回の124mmを大きく上回る216mmを記録。
  網走川に架かる唯一の木橋(石山橋)と達美のつり橋はこの時の洪水で流失した。

④ 2004年1月「豪雪」
  1月13日夜から16日早朝にかけオホーツク海側の北見地方では記録的な大雪となった。二つの低気圧が東の高気圧に行く手を阻まれ動きが遅くなり、北見地方を中心に3日間にわたって大雪の影響を及ぼした。
  オホーツク海側では14日未明から猛吹雪となり、当町では16日朝までに165cmの積雪を記録。
  これら大雪や暴風雪により、国道240号線が通行止め。動けなくなった車両が道路に列をなし、町内商店から食糧は無くなる事態。FFストーブの排気口が埋まることや灯油タンク下部の渦巻き配管が抜けるなどの被害があり、交通機関の麻痺状態により、道央圏との物資の流通が大きく滞ったため、住民の生活に大きな影響を及ぼした。

⑤ 2004年9月「強風」
  9月8日強烈な風台風の18号は、その風による高潮で国道229号線の神恵内町「大森大橋」をくの字に曲げる落橋を起こしたことで知られる。当町のアメダス観測地点の最大風速は14m/sを記録、瞬間風速は20m/sを超えていた。猛烈な砂ぼこりが町を襲い、住宅の屋根やビニールハウスが吹き飛び、高さ30m以上の樹木が根こそぎ倒れ、風倒木により電線が切られる影響が相次いだ。時速100キロで北海道を通過した強烈な記憶が残っている。
⑥ 2006年10月「豪雨・洪水」
  10月7日から9日、996hPaから964hPaに勢力を増した低気圧に南方海上の湿った空気が流入、浸水家屋2戸、浸水面積21haの被害が発生、平均降雨量は204mmであった。
⑦ 2012年3月「水道事故」
  3月7日深夜から8日にかけて、水道管本管が破裂したことにより市街地の全域で断水。1,500世帯の生活に影響が及んだ。大規模断水というライフラインの被害は、東日本大震災を教訓に、これに電気・ガスが止まっていたらなど災害への備え、災害は決して他人ごとではないということを再認識した当町における一大事であった。

(2) 自治体労働者の使命
 東日本大震災以後、東海地震・東南海地震・南海地震の被害規模などについて見直しされ始めたが、毎年発生する台風や豪雨、竜巻への備えは普段から必要であることを認識しなければならない。
 自然災害を完全に避けることは不可能としても、その被害を最小限に食い止める、「減災」への対応が求められる。河川氾濫には河道整備もあるが、避難所の確保、警報や避難勧告が出されればすぐに動ける(逃げる)準備をしておくということである。震災の教訓が、個々の住民の災害対応として生かされなければならないことと、行政はそれ以上に住民の生命と生活を守るための活動を展開し、これまでの災害経験から教訓として生かされなかった事案があれば、課題として対応を構築しなければならない。私たちは、自治体の労働者として、災害が発生すれば、その最前線で、救援・救護・復旧・復興に全力を挙げなければならないのである。行政の中枢部が被災する。また、その被害が当該自治体全域に及ぶことなど、最悪の事態を想定しておかなければならない。
 大規模災害が発生した場合、救援・復旧・復興の各段階において、被災自治体職員のみでは、対応できないことは明らかであり、道および他の市町、民間等の支援が不可欠となる。その際、被災自治体以外の自治体労働者は、自治体労働者でなければできない業務、自治体労働者が中心となって行う業務はきわめて多く、被災自治体職員を支援し、重要な役割を担わなければならない。その意味において、被災自治体以外の自治体労働者が災害支援を行う場合の第一の仕事は、「業務支援」である。業務支援は、住民が必要としている時期、内容、量などに対してできるだけ迅速かつ的確に対応しなければならない。

(3) 高齢化する津別町に求められる防災対策
 津別町の人口構成は、2012年5月末現在5,551人、その内65歳以上の人口は2,136人、高齢化率38.5%、平均年齢53.47歳となっており、統計データのある1995年の65歳以上の人口1,689人、高齢化率22.9%と比べると17年の間に、急速に高齢化が進んでいる状況がわかります。
 以前当町では、2006年8月、「自主自立のまちづくり構想」が練られ、この中で2035年には人口2,439人、その内65歳以上の人口は1,132人、高齢化率45.4%と超高齢化社会に向かっているとの予測がされています。就業人口が増加しない過疎地域にあって、産業や雇用が衰退していき、若年層の流出が進み、65歳以上の高齢者が更に年上の高齢者を支える状況、冠婚葬祭、地域清掃、除雪などの自治会活動、社会的な共同生活が介護する人の高齢化とともに、維持していけない状態が迫っているのです。小規模な自治体ほど担い手がいないなど問題は深刻である。
① 自主防災活動の必要性
  阪神・淡路大震災・東日本大震災の経験から、地域における防災活動の重要性、つまり「自主防災組織」の必要性について大きな教訓を得ました。交通網の遮断や火災の同時多発などで、警察や消防などの機関が対応しきれない状況のなか、多くの死傷者がありながら、地域住民の助け合いにより多くの命が救われました。災害時では、救助隊に救われるケースよりも住民独自の避難指示(呼び掛け)や救助が迅速といえるのです。阪神・淡路大震災直後「倒壊家屋の下敷きになった人たちの多くを助けたのは近隣住民であった」。
  高齢化の進む地域での助け合いのネットワークを進めることは、自主防災組織の結成として、災害対応の認識とともに、住民に協力を求めなければならないところにきているのです。「自分たちの地域は自分たちで守る」という自覚と連帯感に基づき、自主的に結成する組織で災害による被害を予防し、軽減するための活動を目的とするのです。そのために普段より地域の自治体労働者が中心となって、地域住民とのコミュニティづくりを進めることが必要なのです。

(4) 災害対応にむけた提言づくり
 当町には冒頭に列挙した災害から、どのような手順で対応策・マニュアル作りを進めるか整理してみたい。
 災害の規模を最大の大規模災害と見立てて、まずは以下の項目をあげてみる。
① 避難所のあり方について
  (長期の避難を想定し、二次避難所としても、耐震基準を満たした学校施設・公民館・集会所で、住民全ての収容を想定し、自家発電的な電気・水道・トイレが求められる。仮設住宅の建設に向け、町有地を確保しておく必要がある。)
② 要支援者の避難支援について
  (福祉マップ等で、要支援者の状況を近隣住民や町職員が知っていることが大切である。)
③ 道路の復旧について
  (主要な幹線からの復旧はもちろんであり、災害時民間では対応できない事態を想定し、重機は町の所有物、また初動作業に当たれる職員を養成することが必要である。)
④ 停電の対応について
  (行政全ての電算システムが滞ると想定し、バックアップ電源や発電機、紙台帳(道路・水道などの路線図)の保管は誰もがわかるように対応する。)
⑤ 他市町や民間との応援体制について
  (既に取り組まれているが、災害の応援協定や、物資購買の優先協定などを進める。)
⑥ 災害ごみの収集のあり方について
  (道路や空き地に堆積すると予想される瓦礫については、地域に1箇所広範囲な仮置き場を確保し、住民自らの対応やボランティア受け入れでの対応も考えなければならない。)
⑦ 町職員の現場慣れの対応について
  (人口減に伴い、町職員も減っており人事異動は膠着気味である。窓口業務では、住民と接する機会を大事にし、農業・建設では地域の地形(河川への流入や道路側溝・導水縁石など)を把握する。福祉部門では、高齢者や独居世帯の状況を知っておくなど、行政はいずれの部署でも住民と関わりを持っており、3~4年の早いサイクルでの異動を提案したい。職員として行政全般に関わり、何より現場に赴くのは住民との関係を構築できるプラスの機会といえる。)

(5) まとめ
 町は、いろいろな手法で地域の防災力を高めようとしています。まず、住民の大規模震災に対する意識を高めることです。阪神淡路大震災・東日本大震災等を受けてその重要性から数人の牽引者(自治会の指導者など)がいる地域を除き、全般的に震災に対する意識が低く、具体的な取り組みが低調となっています。このため、防災訓練、講演会やパンフレットの配布などを通じて住民に大規模震災に対する認識、震災への備えを求めています。自主防災組織の活動を促進するための取り組みは、備品整備、研修会への参加などがありました。大規模震災時に住民の避難方法・場所の確保を最重点に考えますが、財政が非常に厳しく、いかに効果的な対策を実施していくかということが求められます。
 防災対策を地域として取り組んでいるところの共通点は、リーダーが存在していることで、それも一人だけではなく、複数いることです。リーダー誕生の経緯は地域により異なりますが、リーダーの存在が地域の防災力を高めるには必要不可欠であり、さらに複数存在することで地域の取り組みは継続できてくるのです。このような防災先進地にも共通している今後の課題は、後継者をいかに育てるかということです。現在のリーダーが高齢化していく中で後継者の育成は引き続き地域として防災対策に取り組み続けることができるかどうかの必要不可欠な要件となっています。
 このような中、地域防災力を高める、あるいは維持し続けるために行政は何ができるのでしょうか。いざ大震災が起こった時に、行政をはじめとするさまざまな支援はすぐに間に合いません。家族はもちろんですが、地域住民が互いに助け合い、行政等の支援を待つしかありません。日頃から地域が自ら決めて地域住民がそれぞれの役割を担う「地域力」を熟成することは、いざという時の「地域防災力」の向上にもつながるのではないかと考えます。地域力を高める手法は全国の自治体で実践されており、創意工夫し、その市町に合う手法を試行し、地域力の向上につなげてもらいたいと考えます。また、地域力、地域防災力を確保する上でリーダーの育成は不可欠であり、そのために市町の支援を必要とする地域もあり、その際は地域の人づくりに向けて具体的な対策を行う必要があります。
 最後に行政として、これまで以上に国・道と各市町村の率直な意見交換等を通じた意思疎通を図る中で、地域にあった効果的な防災対策を検討・実施するとともに、災害時の初動、とりわけ災害情報の共有化と住民への情報提供のためのシステム作りに取り組む必要があると考えます。

※ 本レポート構成に当たり、災害対応に関する過去の自治研レポート2点を参考にさせていただきました。
 ・自然災害対策にむけた提言づくり  兵庫県本部/兵庫地方自治研究センター・理事長 小島 修二
 ・「災害対策」ワーキンググループ報告  三重県本部/自治研「災害対策」ワーキンググループ