【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第3分科会 自然災害に強いまちづくり~災害から見えた自治体の役割~

 阪神・淡路大震災の時に、自治労は述べ2万2,000人もの組合員を神戸へ動員し、被災地・被災地組合員を支援した。しかし、2月から3月末までの約2ヵ月間に及ぶ支援活動の正式な報告書は作成されていない。本研究では、支援活動に参加した組合員たちは、どのような「思い」を抱き、勤務地へ帰った後、考え方や業務にどのような影響があったのか等を調べるために17年後にアンケート調査を実施した。その中から抽出できた思いを記す。



阪神・淡路大震災自治労復興支援活動から芽生えたもの
17年後のアンケート調査を通じて

兵庫県本部/人・街・ながた震災資料室・研究員 林田 怜菜
(神戸学院大学大学院 人間文化学研究科博士後期課程在学)

はじめに ― 阪神・淡路大震災を支援する自治労 ―

 1995年1月17日震度7の激震に見舞われた神戸の街を支援するため、自治労は2月5日から3月末までの約2か月間、延べ2万2,000人もの組合員を神戸へ動員した。この支援活動は神戸市にとっても自治労にとっても初めての経験であった。長田区での避難所、物資配送センターの運営、東灘区をはじめとするり災証明書発行と義援金交付事務、倒壊危険家屋調査など、自治労としての特性を活かした行政支援を行い、多くの被災地職員や被災者を助けた。
 しかし、神戸市が作成した報告書、『阪神・淡路大震災―神戸市の記録 1995年―』には、「全日本自治団体労働組合等による応援活動」として、以下の記述しか残されていない(1)
 1月下旬から3月末までに全国の自治体労働団体から応援を受けた。全日本自治団体労働組合本部については、震災当初から現地対策本部を設け、全国の支援の受け入れや調整を行い、避難所管理や24時間体制での救援物資配送センターでの業務、また、区役所におけるり災証明書の受付事務、義援金の交付の事務等を中心に応援がなされた。
 また、自治労が『神戸へ! 阪神・淡路大震災自治労復興支援活動の記録』という参加者による感想文集しか残されていない(2)。初めての試みに対する正式な報告書が作成されていないなか、自治労復興支援活動とはどのような活動であったのか、参加者はどのような思いを抱いたのか、活動後にどのような影響を与えたのか等について調べてみたい。

1. 被災地組合員を支援し、街の復興を支援する ― 『神戸へ!』 ―

 『神戸へ! 阪神・淡路大震災自治労復興支援活動の記録』には、1週間の支援活動を終えた参加者たちの感想文集が記されている。まず、17年前に参加者たちはどのような「思い」を抱いたのか、調べてみた。
 東灘区で義援金交付補助の支援活動を行った青森県のE.Kは、「義援金申請書の記載指導を行ったのですが、被災者の方と話をしている時でも、私のネームプレートを見て『わざわざ青森から来てくれたんですね。ありがとう』という言葉をずいぶんかけてもらいました。どっちが被災者なのかわからないほど温かい声をかけてもらって本当に神戸へ来てよかったと思いました。」と書いている。他にも被災者から「ありがとう」と温かい声をかけてもらったことが良かったと書き残している参加者は多かった。
 また、同じく義援金交付補助に就いた群馬県のH.Nは、「70を過ぎたおじいちゃんで『頑張らねば気張っていけないな』と明るい人もいたのには心を洗われる思いがしたが、最後にはおじいちゃんも本音で『明日のお金がないので、義援金が欲しい』ともらすのを見たのはやはりつらかった」と被災者とのやりとりをありのままに書き記している。
 長田区で避難所支援業務にあたった東京都のT.Sは、「物品の支給に関しても、公平にと思いながら、数を配らなければならないというむずかしさ。本当に必要で物資を待っている人もいるのに、こんな古い物ならいらないと言われたり。……しかし、翌日……。『ごめんね』という言葉を聞き、避難所の生活の大変さやつらさを改めて感じたりしたのだった。いろんな人の話を聞き、『頑張って』とは言えなかった。相手の方の話にただうなずくだけしかできなかった」と書き残している。
写真1 『神戸へ! 阪神・淡路大震災自治労復興支援活動の記録』
参加者の感想文をまとめたもの。自治労により唯一残された資料。
  1週間の支援活動を終えた参加者たちは、「『ありがとう』という言葉をずいぶんかけてもらい……本当に神戸へ来てよかったと思いました」という思いや、「つらかった」や「『頑張って』とは言えなかった。相手の方の話にただうなずくだけしかできなかった」という生々しい思いを書き残していることがわかった。
 それでは、このような「思い」を抱いて、被災地神戸から勤務地に帰った参加者たちは、その後、どのような「思い」を抱いて現在に至っているのか。17年経った現在の記憶や、考え方や生活や仕事への影響を調べるために、参加者全員の住所を調べ、アンケート調査を実施した。
 2,021人(当時、参加者2,318人)へアンケートを送付したうち、492人から回答を得ることができた。次章以下にアンケートの内容に基づきながら、阪神・淡路大震災自治労復興支援活動がどのようなものであったのかについて考えていきたい。


2. 阪神・淡路大震災自治労復興支援活動が残したもの ― 17年後のアンケートは語る ―

 阪神・淡路大震災自治労復興支援活動に参加したことについて、参加者たちはどのような記憶・思いを17年後でも持ち続けているのだろうか。ここでは、492人もの回答の記述の中から、当時の記憶・思いを抽出してみたい。

(1) 阪神・淡路大震災自治労復興支援活動に参加する前の思い
 まず、自治労復興支援活動に参加するまでの経緯についてみていく。地震発生当時、多くの参加者は「連日、テレビ、新聞等で報道される悲惨な状態を見て」(N.T)いることしかできなかった。「現実のこととは思えなかったが、とにかく『何かしなくては』」(U.D)と感じていた。そのような「居てもたってもいられない状況」(N.K)であった時に、「自治労が人的支援の方針をいち早く打ち出したので」(U.D)、「すぐに行かなければと感じた」(N.K)。
 参加した動機について、「少しでも力になれればと思い参加した」(N.T)人が多く、現地の人々のため「少しでも役に立てれば」(K.M)という気持ちで参加を志願した人々がほとんどであった。また、「同じ自治体職員として何か手伝える事がないか」(I.M)、「自治労の仲間が大変な思いをしていたので、少しでも役に立てたら」(K.H)という、同じ自治体で働く仲間を助けたいという気持ちで参加した人も多かったことが分かる。
 なかには、「当時、書記長であり、大変劣悪な環境の中へ組合員を派遣することにためらい、まず、自分から参加することとした」(S.E)という、リーダーとしての責任感を持って参加した方もいた。「環境の職場にいたため、ごみ処理の様子を見たかった」(O.Y)という方や、「自治労として何ができるのか見たかった」(K.K)と活動に参加することに意義を見出した方もいたことが分かる。

(2) 阪神・淡路大震災自治労復興支援活動に参加した後の思い
 それでは、実際に現地で1週間の活動を終えた参加者たちは、どのような体験・経験・記憶を持って職場へ帰ったのだろうか。
① 被災者の気持ちがわかった
 「復興支援で得たものは多くあります。一番には被災者の苦しみ、悲しみが分かったこと。でも本当に理解するには非被災者の私ではごく一部のことでしょう……今回の東日本大震災でも少し痛み、苦しみ、悲しみをわが身として考えられました」(K.S)。また、東日本大震災で被災を受けた福島県の組合員も「被災者の気持ちが分かった」(S.H)と書いている。
② 役に立てた
 「1週間の支援だったが、現地の方々から本当に感謝されたことが本当に嬉しかった」(K.Y)。「現地にて『ありがとう』と何回となく言われて、来てよかったと思った」(Y.Y)。このように「被災された方々から感謝の意を感じたとき、大したことをできてなくてもわずかでも役に立てていると実感した」(S.S)場合も多かったことを記している。
 また、「自画自賛かもしれませんが、集配センターにただ詰め込まれていた救援物資を衣食住等に分別・集計できたため、要請のあった物資の有無や数量が把握でき、区の職員から喜ばれたこと」(Y.S)など、「現地職員は多忙を極め、疲労も重なっていた時期だったので……いくらかは現地職員の役に立てたかな」(I.H)と謙遜しながら書いている方もいた。
③ 被災者から元気をもらった
 「ある政党の議員が避難所に市に何かしてもらいたい事があったら言ってくれとのことがあったが、避難者(老人)たちが、市には十分してもらっている。あとは自分達が立ちあがらなければいけないと答えたと聞いて、逆に力をもらえたことに感動したこと。力をもらえたことに感謝しています」(K.S)。「2月15日~16日に都賀川公園にてり災証明発行について参加した。水もトイレも使えないなか、住民の皆さんが元気だったように思います。こちらが反対に元気づけられたように思います」(Y.M)と被災地支援をしていく中で逆に被災者から勇気づけられた方もいる。
④ 神戸の人との交流、仲間との交流
 「全国の自治労の仲間と知り合うことができた。その友は、今も年賀状の交換をしている」(O.K)。「いわき市(福島)の人と一緒に仕事して、ずっと年賀状のやりとりをしていたら東日本大震災で手伝いにいく機会があり、会い、16年ぶりに無事会えました。とても感動しました」(I.H)。「毎年1月17日になると、ボランティア活動をしなければいけないと痛感します。また、活動した事により当時自治会で頑張っていた人たちと仲良くなり年賀状のやりとり、訪問等親交を深めているからです」(T.N)。
 「被災した現場を見て、その避難所の人々と話をすることができたこと。同じ志をもつ全国の仲間と出会えたこと」(I.T)は、有意義だったことが分かる。
⑤ 自治労復興支援活動は有意義だった
 「見て、聴いて、経験したすべてが有意義でした。……何より現場をそのまま経験できる又はできたことが一番の意義だと思います。災害時に何が必要で不要か、何を求めているか、何の協力ができるか、何を気を付けるか等々、支援する側としても当然ですが、被災した際にも充分参考になる経験でした」(S.J)。「自治体の支援には、やはり自治体職員がいちばん効率的にできることがわかった」(M.J)。この支援活動に大きな意義を感じている記述も多い。
 しかし、なかには「たった1週間の活動では何の力にもなれていない」(O.K)、「どれほど役に立てたか心もとないです」(T.K)と述べ、より長期間の支援をすべきだったと感じている方もいる。
 このように17年を経てもさまざまな思いを持ち続けていることがわかった。17年前のわずか1週間の支援活動を振り返りながら、現在でも心の中に様々な思いを持ち続けているのは驚きであった。

3. 阪神・淡路大震災自治労復興支援活動が与えたもの ― 17年後の組合員の「思い」 ―

 ここでは、17年前の1週間の支援活動が、その後の組合員の考え方や生活などにどのような影響を与えたかを探ってみたい。
① 防災・福祉・まちづくりの仕事に就いた
 「復興支援に参加することによって、より以上に社会福祉を勉強しようとする気になり、現在、通信制大学で勉強している」(H.K)という方や、「消防・防災の担当部署へ移動を志願」(M.Y)した方、「防災関係の資格を取得し、現在その資格を活かせた業務に就かせて頂いています」(Y.N)という方など、社会に奉仕する活動に積極的に寄与しようとする方が多い。
② 神戸での経験が教訓となり、その後のボランティア活動へ参加するようになった
 「助け合い支え合う心は阪神・淡路大震災のボランティア活動時に植え付けられたと思います」(S.Y)。「東日本大震災や台風被害等々、最近でも大災害が発生しています。これらのことに阪神・淡路大震災の教訓が生かされていると思います」(O.J)。「自分自身は神戸の支援があったので、昨年も岩手の宮古の支援活動にも参加できたと思っています。」(U.A)。このように、17年前の支援活動が「教訓」となり、「その後、ボランティア活動に行くようになった」(H.H)方も多い。
 東日本大震災への支援活動に参加した方も多く存在しており、なかには「り災証明の発行に携わった経験が、今回の東日本大震災で役立った」(M.Y)と述懐している方もいる。また、宮城県の職員は、「神戸での経験が今回の東日本大震災の対応では大変参考になっています。すぐに行動する事の重要性と、思いのある方々のご支援に感謝しています。ありがとうございます」(O.S)と述べている。
③ 自分の生き方に自信がもてた
 「全国の仲間がこれほどたくさんあり、共通の思いを持ち、すぐに活動ができるという組織力は、すばらしいと思っています。行政への風当たりが強い世相ではありますが、行政という仕事に誇りを持つよい機会になりました」(M.J)。「神戸で被災した人々のために、少しでも役に立てたのだということがその後の自分の生き方に大変自信にもなり」(K.M)、「自分自身に誇りが持てるようになった」(K.M)、また「その後の職務に自信に」(S.Y)なった方もいる。
 このように、参加した多くの方は、「よくも悪くも人生で何度もないであろう人生の分岐点となった……価値観も変わり……視点も変わった」(S.J)ことを述べている。アンケートを総括して、回答した多くの方々が「参加した事が、いろいろな意味で財産となった」(O.Y)と総括している。

おわりに ― 自治労中央本部資料の価値 ―

 17年後にアンケート調査が実施できたのは、当時、自治労中央本部の役員や書記などが作成した資料が残されていたからである。この自治労中央本部資料は、現在長田区役所内にある「人・街・ながた震災資料室」に保管されている。
 資料のなかには、参加者名簿、参加者報告書、マニュアル、長田デスク関係書類、役員作成書類、書記作成書類、避難所日誌、メモ、行政関係書類等が残されている。これらの資料を整理・分析することにより、当時の活動を詳細に知ることができる。
 アンケートを通じて、参加者のなかには記憶も「思い」もまだまだ残されており、神戸での経験が教訓となり、現在では東日本大震災での支援活動にまで結びついていることがわかった。自治労にとっても「たぶん、当時は、このような支援は最初であったと思い、何もないところからの出発でしたが、ある程度その後に神戸のことが元になって、各種支援が行われていると思う」(H.T)という記憶があるように、神戸での経験が東日本大震災などの災害に対する支援活動の原点となっていることがわかった。
 阪神・淡路大震災自治労復興支援活動に関する報告書を作成することは、将来の大規模災害へ対峙する際の道標になると思われる。自治労中央本部資料、アンケート、聞き取り調査をもとに報告書を作成していきたい。


写真2 「人・街・ながた震災資料室」に保管されている「自治労中央本部資料」


(注)
(1) 阪神・淡路大震災神戸市災害対策本部『阪神・淡路大震災―神戸市の記録 1995年―』(阪神・淡路大震災神戸市災害対策本部,1996)595頁
(2) 『神戸へ! 阪神・淡路大震災自治労復興支援活動の記録』(全日本自治団体労働組合,1997)