【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第3分科会 自然災害に強いまちづくり~災害から見えた自治体の役割~

 神戸市職労は、17年前の阪神・淡路大震災において自治体職員をはじめ全国のみなさんに支援をいただきました。それ以降、神戸市職労は全国の災害被災地を支援しています。そして、支援に訪れた被災地のみなさんとの交流を積み重ね、全国初の「助け合い協定」を石川県穴水町職員互助会、山口市職労と締結しました。東日本大震災では、支援に訪れた仙台市立八軒中学校のみなさんと交流をすすめています。これらの活動を報告します。



神戸市職労被災地支援活動


兵庫県本部/神戸市職員労働組合 鹿田 嘉博

1. 被災地支援活動と「助け合い協定」

(1) 大切な出会いと心に残るできごと
 神戸は17年前の阪神・淡路大震災で全国のみなさんから支援をいただき復興を成し遂げることができました。私たち市職労は、そのことを忘れず、少しでも被災地の役にたちたいとの思いから、全国の災害被災地への支援を続けています。支援に訪れた被災地では、いつも大切な出会いと心に残るできごとがあります。
 2009年7月、山口県防府市役所に水害被害のお見舞いを届け、同じく被害を受けた山口市役所へむかう電車の中で、喪服を着た年配の女性が私たち二人(市職労本部役員)の前に座られました。私たちが、防災服を着、市職労の災害支援の腕章をしていたからだと思いますが、その女性の方は私たちに、災害関係のお仕事をされているのですかと聞かれました。そして、老人ホームに入っていた友人が今回の水害でホームごと流され亡くなったこと、今日はその方の葬儀の帰りであることを静かに話されました。しばらく言葉が出ませんでした。私たちは、お悔やみを言い、そして、神戸の大震災で全国のみなさんに支援を頂いたこと、それ以降全国の被災地に少しでも役にたちたいと支援を続けていること、今日は水害のお見舞いに来たことをお話ししました。女性の方は、あなたたちのやっていることは素晴らしいことです、みなさんは神さんのようですね、とおしゃって頂きました。
 また、2011年1月の霧島連山・新燃岳の噴火による降灰被害を受けた被災自治体にマスクを届けた時のことです。支援の申し出を行った宮崎県三股町役場職員労働組合のニュースに以下のような記事が載りました。「神戸市職労より温かい支援の手(新燃岳火山灰被害に対して)人の情けに感激 ありがたくて泣いちゃいました」「それは1月最後の日の午後のこと。書記局に一本の電話が……。その声はやさしく丁寧でしたが、聴きなれない関西弁に一瞬焦った書記(汗)。電話は神戸市職員労働組合からでした。しかし、なぜ神戸から? と思いお話を伺っていると『今回の新燃岳噴火による被害に、私どもの組合で何かお手伝いできる事はありませんか? 神戸の震災の時は全国の自治労の組合員の皆さんから支援をいただきましたので、是非そのお返しがしたいのです』との申し出がありました。神戸の大震災の現場に行かれた組合員さんの厚い支援……、神戸の皆さんはその時のことを決して忘れず、どこの組合よりも早く『被害へのお悔やみの言葉と応援』を申し出てくださいました。本当に自治労の仲間ってありがたいですね 受話器を置いても感動で手が震え、柄にもなく涙をこぼしちゃいました。」(2011年2月三股町職労「書記局だより」より)
 市職労は、私たちの支援活動が被災地の復旧や復興に少しでも役立ち、被災者や被災自治体の職員のみなさんを励ますことができれば本当にうれしく思います。

(2) 神戸市職労の被災地支援活動
2011.4.27 石巻市でガレキ撤去を行う市職労組合員
 被災地支援活動にあたって私たちが大切にしているのは、必ず実際に被災地を訪れ自分たちの目で現地を見、被災者や自治体職員のみなさんをお見舞いしお話を聞く、自分たちで被災の状況を把握することです。支援に入るのは、できる限り支援の手が届かない最も困難な地域と考えています。また、組合員の健康管理のため必ず看護師さんを同行してもらっています。もちろん、看護師さんたちも泥出しや瓦礫の撤去など他の組合員と一緒に活動もします。スコップや一輪車、バケツ、マスクなど作業道具も持参するなど全て自己完結で行うことを心がけています。そして、一過性の支援ではなく復興を含め息の長い支援活動をめざしています。
 また、私たちが被災地に行ったとき、役所の幹部の方や組合のみなさんに必ずお話しすることがあります。それは、職員の健康を守ってほしいということです。職員のみなさんは、いったん災害が発生すれば、自らが被災者であっても家族を残して、公務員としての役割を果たすため必死で頑張ります。しかし、そんな頑張りも長くは続かず、体を壊す職員も出てきます。そうならないように是非声を上げてほしい。職員が元気であればこそ、復旧、復興という長い道のりをすすめていくこともできます。そうしたお話をすると、必ず、「そんなことを言ってくれるのは神戸の方だけだ」「自分たちからはなかなか言い出せなかったが、その通りだと思う」とせきを切ったように言葉が返ってきます。
 神戸市では、17年が経過し大震災を経験していない職員が半数となっています。私たちは、被災地支援活動に神戸の大震災を経験していない若い組合員に参加してもらい、被災地支援の体験を通して、大震災の経験を風化させない、若い職員に経験を伝えていくことも大切にしています。

(3) 穴水町のみなさんを元気にした神戸の高校生
2007.7.15 穴水町の長谷部まつりでパレードする神戸の高校生
 石川県穴水町は能登半島の東南に位置する人口1万人の小さな町です。2007年3月25日に発生した能登半島地震では大きな被害を受けました。幸いにも犠牲になられた方がいなかったことから、マスコミの注目を受けず支援の手が届きませんでした。
 市職労は、こうした状況を実際に町にお見舞いに訪れる中で知り、被災直後から、組合員のカンパによる義捐金の贈呈、避難所への支援物資を持ってのお見舞い、仮設住宅でのお月見会開催など支援活動をすすめてきました。特に、町で長年夏に開催してきた地元のまつり「長谷部まつり」を、震災からの復旧中であり開催すべきかどうか悩んでいた町のみなさんと相談し、市職労も協力し復興まつりとして開催することとなりました。そして、市職労より、まつりを盛り上げ被災者のみなさんを励ますため、神戸市立兵庫商業高校龍獅團、神戸市立神戸西高校和太鼓部(現須磨翔風高校和太鼓部)のみなさんに参加をお願いし、60人の高校生とともにまつりに参加しました。まつりの前日には、仮設住宅のみなさんを招いて中学校体育館で激励会を行いました。まつりのパレードでは小さな町にこんなにたくさんの人がいるのかと思うほど多くのみなさんが沿道に並ばれ、その一人ひとりに高校生が声をかけながら進みました。初めて見る中国の獅子舞や龍舞、神戸の大震災もほとんど記憶にない神戸の高校生が町のみなさんを励まそうとの一生懸命な演技に、町のみなさんは涙を流し、口々に「神戸から応援に来てくれてありがとう」「高校生に励まされた」と喜ばれていました。震災で沈んでいた町の雰囲気がいっきに明るくなったように思います。それ以来、毎年の長谷部まつりには、神戸の高校生が参加して、まつりを盛り上げています。

(4) 広がる被災地の絆、「助け合い協定」の締結
2011.8.4 山口市職労との助け合い協定の締結
 当初は、町役場に労働組合がないことから、神戸市職労との交流に対して役場のみなさんに戸惑いがありました。しかし、何度も支援活動に訪れ、交流を深める中で信頼していただき、今では、穴水町で「神戸市職労」の名を多くの町民のみなさんに知っていただくまでになりました。こうした市職労の活動を穴水町のみなさんが評価していただき、2007年7月15日には長谷部まつりにおいて町のみなさんの前で、穴水町の石川町長より市職労に感謝状をいただきました。労働組合が町から感謝状をいただく、あまり聞いたことがない話ですが、私たち市職労にとっては大きな名誉なことでした。
 また、2007年7月に発生した新潟県中越地震の被災地、新潟県柏崎市西山町への支援ボランティアに、市職労からの呼びかけに応え穴水町役場から4人の職員が参加し、共同でボランティア活動を行いました。被災地が力を合わせ共同で新たな被災地を支援するという、新たな被災地間のネットワークができた瞬間です。そして、このような活動と交流を積み重ねるなかで、2008年1月26日、全国で初めて神戸市職労と穴水町職員互助会(労働組合がないため職員互助会と締結)との「助け合い協定」を結びました。
 「助け合い協定」は、災害が起これば相互に支援するとともに、共同で全国の被災地を支援しようとするものです。また、困難を乗り越え相互に励まし助け合い地域の発展のために協力するという“友好と連帯”のネットワークです。2008年1月に発生した新型インフルエンザでは、この「助け合い協定」が大きな力を発揮しました。神戸で最初に患者が発見されたこともあり、市内から「マスク」が姿を消し、二つの市民病院でもマスクが不足するという事態となりました。こうした状況を知った穴水町より、町で備蓄していたマスクを7,000枚、緊急に神戸の市民病院に届けていただきました。このマスクを受け取った市民病院では、同じ被災地である穴水町からの温かい支援に感激していました。
 また、2009年7月に中国地方を襲った集中豪雨による土砂災害に見舞われた山口市への支援をきっかけに、山口市職労のみなさんとも交流を深めてきました。2011年3月11日に発生した東日本大震災の支援ボランティアでは、神戸市職労の呼びかけに応えて17時間かけて5人のみなさんが山口から車で宮城県石巻市にきていただき、同じく穴水町から駆けつけた6人の役場職員のみなさんと共に瓦礫の撤去などの支援活動を行いました。さらに、2011年7月の集中豪雨の被害を受けた和歌山県新宮市への支援ボランティアにも5人の山口市職労の組合員のみなさんが私たち神戸市職労とともに支援活動を行いました。こうした取り組みを重ね交流を深め、穴水町職員互助会に続き、2011年8月4日、山口市職労との間で「助け合い協定」を結びました。

(5) 神戸市職員でよかった
 市職労の被災地支援は、支援に訪れた被災者のみなさんや自治体職員に喜んでいただいているだけではなく、支援活動に参加した組合員にとっても、人のために役にたっているというやりがいや達成感という財産を与えてくれます。被災者のみなさんからの“ありがとう”の一言が、疲れも忘れ、本当に頑張ってよかったと思える瞬間です。
 今、公務員をめぐって、嫌なことばかりが起こります。そんな中で、市職労の被災地支援活動は、公務員になってよかった、神戸市職員であることを誇りに思える場です。
 神戸市職労は、これからも大震災を経験した被災自治体労働組合として、全国の被災自治体労働組合との交流や連帯を強めながら被災地支援の活動を進めていきます。

2. 東日本大震災での神戸市職労の支援活動

(1) 感動の八軒中学校吹奏楽・合唱部のコンサート
2011.11.18 神戸での八軒中学校被災地支援コンサート
 「いま 生きていること いっしょうけんめい 生きること なんて なんて すばらしい あすという日が あるかぎり しあわせを信じて」(八軒中学校の生徒が歌う「あすという日が」より)
 2011年11月18日、神戸ポートアイランドにある国際会議場のホールは、700人の聴衆の感動に包まれました。仙台市立八軒中学校吹奏楽・合唱部のみなさんの「あすという日が」をはじめとした歌、演奏、歌と歌の合間に生徒が語る震災の時の恐怖と不安、ふるさとの復興への思い、避難所支援に訪れた神戸市職員への感謝の言葉に、多くの人が神戸の大震災を思いだし東北の被災地を思い、参加した全ての人が涙を流して聞き入りました。コンサートが終わり会場を去るどの顔も笑顔で、また、晴れ晴れとした顔で、口々に参加して良かったとの声が聞こえてきました。
 このコンサートは、八軒中学校に支援に訪れた神戸市職員有志で結成した「八軒中学校を応援する会」が、2011年11月20日開催の神戸マラソンに招待された八軒中学校吹奏楽・合唱部を招いて「がんばろう東北被災地支援コンサート」として開催したものです。

(2) 被災直後からの神戸市の支援活動
 2011年3月11日に宮城県沖で発生した地震と巨大津波によって、岩手、宮城、福島の東北3県を中心に壊滅的な被害を受けました。テレビに映し出される津波による惨状は、私たちがこれまで経験したことのない想像を絶するものでした。
 神戸市は、震災当日にいち早く危機管理室の職員を仙台市に派遣し、仙台市より避難所支援の要請を受け、3月14日より仙台市若林区を中心にした避難所の支援を1週間交代による24時間体制で行うため、40人の職員を派遣することとしました。
 市職労は、3月13日(日)に開催した緊急執行委員会において、未曾有の災害に対し市と一体で支援することを決定し、3月14日に出発する第一陣の派遣隊に本部役員2人を派遣することとしました。以降、仙台市の避難所支援としては最終となる第10次の派遣隊まで、本部役員、支部役員が率先して被災地支援活動に参加しました。また、この間、組合員に支援募金を訴え、これまでで最高の約900万円を集約、宮城、岩手、福島県、仙台市へ直接届け、また、自治労を通して被災地に届けました。風評被害で苦しむ福島県の物産品、喜多方ラーメンの斡旋販売も行いました。市職労独自のボランティアは、助け合い協定を締結する穴水町の職員と山口市職労のみなさんと共に5月に石巻市へ、また、7月に神戸市職労単独で同じく石巻市へ派遣し、泥かきや瓦礫撤去の支援活動を行いました。さらに、8月には岩手県山田町への自治労による避難所支援活動に参加しました。

(3) 八軒中学校との出会い
 3月14日からの避難所支援の職員派遣第一陣に参加した本部役員が支援に訪れたのは、若林区にある仙台市立八軒中学校でした。神戸市の職員が訪れた時、八軒中学校には中学校周辺に住み避難してきた地元のみなさん約100人、若林区や宮城野区の沿岸部で津波に襲われ自衛隊によって救助され着の身着のまま避難されてきた約110人のみなさんがいました。八軒中学校では、被災者のみなさんと地元の自治会、学校とで被災直後に避難所運営委員会が立ち上げられ、避難者への食事も学校の先生方と生徒によって調理され、提供されていました。神戸市の職員は、被災者のみなさん、学校の先生方、地元の自治会のみなさん、仙台市の職員などと共に、避難者名簿の整理、支援物資の管理など避難所の運営に奮闘しました。なかでも、学校の授業再開にむけた準備と被災者を中心にした避難所運営委員会の再構築には中心的な役割を果たしました。そして、このような活動を通して短期間の内に、避難している被災者のみなさんや地元自治会のみなさん、学校の先生方との信頼関係が深まりました。そうした中、震災のため全国大会出場を断念した八軒中学校吹奏楽・合唱部のミニコンサートが学校武道館で、生徒の父兄、被災者のみなさん、そして私たち神戸市の職員も参加して開催されました。そのコンサートの様子がニュースで全国に流され、生徒が歌った「あすという日が」という歌が感動を呼び起こしました。その後、この歌は、被災者への応援歌として被災地で唄われています。こうした場に私たち神戸市職員が立ち合えたことは、決して偶然ではないように思います。阪神・淡路大震災を経験し、全国の被災地を支援し続け被災地同士の絆を大切にする神戸市職員だからこそだと思います。こんな時、神戸市の職員でよかったと心から思います。

(4) ありがとう神戸市のみなさん
2012.3.6 八軒中学校長より市職労委員長へありがとうの旗の贈呈
 八軒中学校の生徒のみなさんは、歌によって被災者のみなさんを励まし、全国で演奏活動を行い震災からの復興支援を訴えています。避難所支援の後も八軒中学校と神戸市職員、神戸市職労との交流は続いています。2012年3月6日に神戸市職労が開催したボランティア交流会には、菅原八軒中学校校長先生(当時)に出席していただきました。校長先生より紹介された生徒からの感謝のメッセージ、“ありがとう神戸市のみなさん”と記した八軒中学校より神戸市職労にプレゼントされた記念の旗に参加者は、「こんなに喜んでもらって本当に嬉しい」「支援に行って良かった」との思いを強くしました。神戸からの支援は東北の被災地を励まし、勇気を与えています。
 ボランティア交流会で校長先生に読み上げられた生徒さんのメッセージを紹介します。
 「もうすぐ、あの大震災から一年がたとうとしています。私にとってこの一年は様々なことを学び、考えさせられる一年となりました。3月11日、体育館にいた私達は大きなゆれにおそわれました。立っていられず泣きだす子もたくさんいました。そのときは、大きなゆれにただおどろき、この先どうなるのだろう、と不安な気持ちでいっぱいでした。電気が復旧し始めて数日後、学校へ行くと『神戸市』と書かれた服を着た方々が避難所の運営をして下さっていました。あの時は、まだ交通も不便でそんな中、支援に来て下さったのだと思うと感謝の気持ちでいっぱいです。また、玉津中学校のみなさんがチャリティーコンサートを開いて下さりました。心温まるお手紙を頂き、とてもうれしかったのを覚えています。秋に神戸にお招き頂いた際、神戸のマラソン大会の開会式に出させて頂きました。阪神淡路大震災から復興を成しとげた神戸の街並みを見て私は、一日でも早く東北の街がこのように美しい街に戻ればいいなと思いました。今なお、辛い思いをされている被災者の方々もいます。私達が今、自分に出来ることは何かを考え、小さなことでも実行に移していきたいです。『あすという日がある限り幸せを信じて』みなさんから頂いた温かい気持ちを胸に、これからも強く生きていきたいと思います。」(八軒中学校を卒業する生徒さんから神戸へのメッセージ 2012年3月6日「市職労ボランティア・神戸市東日本大震災被災地支援派遣者交流会」で紹介)
 震災から1年たった2012年3月11日、八軒中学校において記念のコンサートが開催されました。参加した神戸市職労の代表より、学校に「がんばろう仙台」の横断幕をプレゼントし、校庭にさくらの記念植樹を行いました。私たち神戸市職労は、神戸がそうだったように、必ず東北の町が復興することを信じて、東北のみなさんと一緒に一日も早い復興のため支援を続けていきます。