【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第8分科会 都市(まち)と地方の再生とまちづくり

 1998年12月、改正合併特例法が国会を通過した。その年の4月、翌春(1999年4月)の合併について調印していた兵庫県多紀郡についても遡及して適用されることとなった。
 「合併特例法適用第1号」は、実は「昭和の合併」の最終ランナーであったともいえる。バブル崩壊後の中山間地域で、特例債をほぼ使い切った結果としての財政難。それが職場に何をもたらしたのかレポートしたい。



平成の大合併第1号 兵庫県篠山市の実相
合併時から現在に至る篠山市の職員数の増減、職場の変化

兵庫県本部/篠山市職員労働組合 麻田 英史

1. 合併に至る経過

 実は1999年合併を遡ること24年前、1975年(昭和50年)当時に多紀郡(当時6町)の大合併が頓挫。頓挫した原因は、「町名」「本庁舎の位置」で合意に至らなかったためである。しかし、一部事務組合としての「多紀郡教育委員会」が既に解散を予定しており、「単独での教委設置が困難」との理由もあって郡東部地区3町(篠山町、城東町、多紀町)のみが合併した。結果として多紀郡は4町体制となった。
 また、し尿処理、ごみ処理、常備消防組織といった広域的課題に対処するため、職員数60人規模の一部事務組合(多紀郡広域行政事務組合)もあり、実質は組織的に「5町体制」であった。
 その後、90年代半ばにごみ処理施設(清掃センター)の改築問題、社会情勢の変化による斎場(火葬場)新築問題、バブル期前後から阪神間のベッドタウン開発に伴う生活用水(水道水)確保の課題など、1町のみでは解決できない課題が山積した。「郡合併により広域課題に対処しよう」とする理事者・議員の気運が醸成され、任意組織としての「多紀郡合併研究会」が96年に発足した。
 過去の失敗の原因であった「町名」「庁舎の位置」「財産の持ち寄り」について先に合意を形成し、後は一気に合併へとことが進んでいった。
 合併そのものの(財政、職員数、人口動態、まちづくり等)の検証については、別途、兵庫地方自治研究センターが取りまとめた詳細な報告があるので参照されたい。
 本レポートでは、合併による職員数の増減や職場の変化について報告する。

2. 合併前の当局方針

◎兵庫県多紀郡4町(篠山、西紀、丹南、今田町)の合併……任意組織の「合併研究会」段階で、職員数100人減員が方針化される(→地方交付税の一本算定による減収分の原資として。「合併後10年間の新規採用者数は、退職者の1/3とする」……組合とは合意していない)。
◎法定合併協議会は、「1975年合併」を経験している篠山町城東支所(旧城東町)、多紀支所(旧多紀町)が、合併24年目の1998年には「配置職員数4人」という実態であったため、「支所機能の充実」を謳う。

3. 1999年4月合併

◎合併時職員数は686人。各支所に建設、水道、農林、環境整備(下水関係)、健康の「現地事務所」が配置される(旧城東・多紀は一部機能のみ)。合併時の新規職員採用は保育士を除いてゼロであった。
◎庁舎スペースの関係で、教育委員会事務局は丹南支所に配置される。
◎合併翌年(2000年)の市会議員選挙(4月)後、大幅な機構改革があり、現地事務所が水道を除いて廃止される。水道も経年で人員削減、統廃合がなされ、現地事務所が無くなる。

4. その後の変化

2000年 ◎当局の合併協議会と自治労の旧多紀郡連で確認した「職員の定数については、毎年度組合と協議します」の約束を反故。またも「行政職採用ゼロ」の翌年度(2001年H13)職員採用募集要項を一方的に発表。抗議するも再考せず。
    ◎この頃から、「管理運営事項」の一点張りで、「退職者数-新規採用数」については、「若干名」との発言をくり返す。職員数確保についても「意見として聞く」という態度に終始。要求書に対する回答も「適正に……」「適材適所で……」の美文が記載されるのみ。
    ◎現在においてもこの態度は変わらず、「新規採用・定数については『管理運営事項』であり、労使交渉はできない。但し、労使の『信頼関係』から、組合の主張・思いは意見として聞き、配慮する」という態度。
    ◎各旧町から継続雇用されていた「嘱託職員」「臨時職員」を地公法§3-③-(3)に統一、「非常勤嘱託員」「日々雇用員」に。「一時金も含めて12分割で『報酬』とし、通勤手当は『費用弁償』として支払う。実損は無い」との甘言を真に受け諒とした。勤務は正規職員の3/4で、「週4日」か「1日就労時間の短縮」となった。これも慢性的に各職場に「アナ」が空くため、その後の「プロビス=現ノオト」設立へとつながっていく。
2001年 名目上、「支所機能の充実」を謳っていたため、支所に「住民課」と「地域振興課」を配置、地域振興課が各旧町の「残存事業」を行う。配置職員は2~3人だった。
2002年 合併特例債事業の各施設が供用開始。新清掃センターに技能職4人が新規採用される。事実上、これが技能職(現業)採用の最後の年であった。
2003年 「行政サービスの補完・代行」を目的(実際は、3/4勤務の非常勤を週40時間働かせること。各施設の「低コスト化(定期昇給800円?)」、人事管理事務そのものをアウトソーシングすること。)に、市が100%出資し「プロビスささやま(現一般社団法人 ノオト)」を設立(2003年1月)。嘱託職員の転籍が問題となる(図書館、斎場、チルドレンズミュージアム、学校校務員など。給食センターは方針撤回)。当時は何らの自主事業もなく、単に市からの業務を受けるのみの「偽装請負」「違法派遣」の最たるものであった。
 「一般社団法人ノオトの経営審査に関する答申書(H24.3/24)」(プロビスから事業を受け継いだ経過に次のように記載されている。

 ~株式会社プロビスささやまから一般社団法人ノオトへ~
法人設立の経緯と目的
 篠山市発足前の多紀郡4町では、主に公共施設の維持管理や保育士などの専門職分野に非常勤嘱託員をはじめとする臨時職員(以下「臨時職員等」という。)を雇用しており、合併後も概ねその流れは継承され、多くの臨時職員等を雇用することとなった。
 臨時職員等一人ひとりは、その業務を真摯に遂行しており、市民サービスの面では問題無かったと思われる。しかしながら、数百人にも上る臨時職員等の雇用事務や旧町ごとの雇用条件において格差があり、内部的な問題を抱えていたことは事実である。さらには、臨時職員等のほとんどが単年以下の雇用契約であり、業務に対する最終責任の担保は非常に困難であった。
 そこで、篠山市では、2003年1月22日、公共施設の維持管理と低コスト化、また、定員適正化計画に基づく職員の削減に伴う公共サービスの低下防止、さらには臨時職員の整理などを目的として、株式会社プロビスささやま(以下「プロビス」という。)を設立した。法人の形態としては、将来的には行政サービスの補完・代行だけに留まらず、独自事業も展開させたいとの思いから、発展性のある株式会社を選択し、株主は篠山市が100%(2,000万円)を出資する1人株主とした。社員には篠山市職員は採用せず、市民のみを採用し市内のワークシェアリングを拡大することとした。
 また、賃金の算定においては、過去、臨時職員等に対して支給してきた賃金(年収)をベースに行ったため、決して高い賃金とは言えないものの、不安定であった臨時職員に定年制を採用した。さらに、毎年度の定期昇級、さらにすべての正社員を対象に退職金の支給を予定するなど、雇用条件面での向上を図った。
 プロビスは、篠山城大書院等歴史文化施設4館の指定管理、篠山市役所電話交換、学校園校務員などの行政サービスの補完・代行業務について、2009年4月1日、一般社団法人ノオトに継承した。
 ノオトでは、篠山市の指定管理業務に加え、農村の再生を目的として、空き家の活用、スローフード、暮らしのツーリズムなどの事業を一体的に展開しており、集落再生、地域再生のため自主事業を幅広く展開している。

(但し、2006年「偽装請負」の件についてはただの一言も触れられていない。消し去りたい過去なのでしょう)
2004年 「地域振興課」を廃止、住民課に一本化される。このころから支所人員は激減していく。
2007年 市長交代(2月)。支所長が部長級から課長級となり、総務部に置かれる。翌年(2008年)には、市民生活部内に置かれ、更に2009年には課長級ではなく係長職として「支所は係(3人)」のみになる。
  財政問題から「市民再生会議」を設置。マスコミリークで「職員数560人→400人」「給与削減20%」「57才退職勧奨」というとんでもない意見が出る。
2008年 職員数の1割:約60人の大量退職(3月)(50代の幹部職員から40代の中堅層まで)。機構改革と相まって職場は大混乱。時間外勤務が大幅に増加し、当局は7月に「時間外勤務に関する通達」を各部長に発出。単なる「超勤手当抑制」のみ通達に抗議。
 9月 「篠山市再生計画」に関して妥結(給与(20%→)10%カット、職員数(400人→)450人、57才退職勧奨は撤回)。
2009年~2011年 「条件(子どもの学費、家のローンetc)」の許す方から退職が相次ぐ。新規採用を行うも再生計画を上回る人員削減が「達成」される。この4年で更に60~70人が退職。
2012年 再生計画上の正規職員450人を達成。

5. その他特徴的なこと(統計資料、細かすぎて統計資料から読み取れないこと)

◎現業職が半減以下(48人→20人)……2002年(H14)以降、退職者不補充(採用ゼロ)が続いていること、また、2009年に「行政職への任用替試験」が制度化されたことによる。当然「民間委託(バス、校務員、清掃Cの多数のラインetc)」もある。
◎合併13年で、5割(300人以上)が職場を去る。
◎年齢別職員構成は、かつてはM字型であったが、現在はほぼ南米ピラミッド型(35~9歳がピークで、高年層にややウエイト)。若年退職は少ないが、食傷気味の中高年中途退職者が激増したためである。
◎「意思決定をスピーディに……」はいいが、人事構成が単線化し、職場にワンクッション置く余裕が削ぎ落とされた(かつての「部長-参事-次長-課長-課参事-副課長-課長補佐-係長-主任-主査・主事」体制から多くの職場で「部長-課長-係長-主査・主事」となっている)。
◎450人体制では絶対ムリ(非正規で何とかカバーしている体制)なのは、当局も(公式には認めないが……)認識している。「再生計画で450人」が打ち出され、「一旦は実施しないと……」とする立場か? 職場実態から増員を要求していく。
◎消防職場は逆に増員されている(広域な面積ゆえ、分署が配置されたため)。
◎幼稚園教諭、保育士職場の非正規率が激増。退職者補充が充分でなく(あっても年1~2人)、幼稚園では約半数、保育職場では7割近くが非正規である(2001年児童福祉法改悪後とくに顕著に)。
◎非正規職員の増大……昨年9月段階で、非常勤嘱託員250人、臨時的任用職員53人、任期付職員17人、日々雇用員13人、計333人である。過去の統計資料は無いが、感覚でいえば1.5倍と言える。
◎特に、本来趣旨が「育休代替」である臨時的任用が53人、期間限定の専門業務に任用される任期付職員17人と突出していることである。
 多くは、幼稚園・保育園職場と出先窓口部門(支所)である。幼保職場に配属される非正規職員は、非常勤嘱託員(週30h勤務)制度では困難である。ゆえにフルタイムで超勤発令できる臨任、任付職員を勝手使いに「活用」していると言える。
◎また、不安定就労(任用期間1年)の非正規では人材確保が困難な職種(保健師、幼稚園教諭)については、任期付(3年)制度を活用している(→人材確保が困難なら正規化すべきだが……)。幼稚園の場合、「クラス担任」である。3年で入れ替わることを前提として人員配置しているのは、もはや「員数合わせ」でしかなく、そこには「人材育成」の視点が無い。「人は育てるものではなく、『使うもの』」という資本・使用者の論理がむき出しである。
◎かつて企図された「窓口部門のアウトソーシング(民間委託)」は、2006年(H18)の「プロビスささやま 偽装請負」問題が影響してか(それともたたかいの成果か)、全く実施されていない(計画すら無くなった?)、ほぼ正規職でカバーしている。保育園民間委託も計画が無くなったと言える。

6. まとめ

 合併とは、自治体における究極のリストラであると思う。もちろん、住民自治の原則からすれば、合併を選択するのは住民であり、自治体職員はその意向に従うべきである。賛否はあるだろうが私はそう思う。
 しかし、合併前、「合併とは何をもたらすのか」の判断材料や情報を充分提供していたとは言い難い。一部地域では「合併の1年延長」を求め町長選が争われたり、住民投票を求めて署名活動が取り組まれたりした。しかし、合併を止めるほどの運動には至らなかった。
 支所の人員削減による支所機能の低下(窓口のみ)など、合併前は予想されていなかった。日本は人口減少社会に突入する。そんなことはわかりきっていたのに「合併によるイメージアップもあり10年で市内人口は45,000人から6万人に増加する。地方交付税の一本算定による減少分は人口増と税収増で賄える」としていた。まだ大型事業(ハコモノ)が残っていたため、合併後5年たっても下方修正しなかった。 特例債を使い切り、その他(下水道敷設事業)の問題で財政悪化を招くなど予想していなかった。「合併で夢がふくらむ」「支所機能は充実させる」「周辺地域の切り捨てはしない」とプラスのスローガンが喧伝されていた。まさか10年でこうなるとは誰が予測しえたであろうか。