【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第11分科会 地域から考える「人権」「平和」

 1990年の入管法改正から20年。日系ペルー人は出稼ぎから定住へ、そして永住へと姿を変えてきました。近年は教育問題だけでなく、貧困、医療や介護、無年金といった問題が顕在化してきましたが、それらに関して福祉的視点での外国人を対象とした支援はまだまだ少ないのが現状です。相談窓口からみた外国人相談の20年の移り変わりをみながらこれから10年に何をすべきかについて論じたいと思います。



日本へ帰ってきた日系ペルー人の20年
―― 相談窓口における定点観測

兵庫県本部/兵庫県国際交流協会労働組合・外国人県民インフォメーションセンター(西語)
村松 紀子

1. はじめに

 日本に南米からの出稼ぎ日系人が来日して、すでに20年以上が経過した。
 日系人とは、日本以外の国に移住し当該国の国籍または永住権を取得した日本人、およびその子孫のことで、現在約260万人存在すると推定されている。日系人のうち日本に居住する者を「在日日系人」、日本以外に居住する者を「海外日系人」と呼びわけることもある。在日日系人は約35万人存在するといわれている。
 ペルーへの集団移住第1号は1899年(明治32年)でブラジルへの集団移住開始より9年早い。しかし、1923年(大正12年)ペルーとの移民契約は廃止となりその後は個人の呼び寄せに限定されることになる。一方、ブラジルへの移民は1973年(昭和48年)船によるブラジル集団移住終了、1993年(平成5年)飛行機による移住終了まで続くこととなる。そのため、南米の日系人といわれると圧倒的に人数の多いブラジル人のイメージが強い。実際に来日している日系人の数も、ブラジル人はリーマンショックで多くの人が帰国したにも関わらず今でも23万人(一番多かったのは2006年~2008年31万人)であり、ペルー人の4倍程度である(表1)。同じ南米の日系出稼ぎとして来日したペルー人は現在5万4,000人で、リーマンショック以前(2007年~2008年)の5万9,000人からブラジル人ほど減少していない。両国の来日事情の違いは、社会・経済状況などの違いもあるが、ペルー人の多くが日本の治安のよさや生活のしやすさを来日の理由にあげていることから、雇用状況が悪くなってもすぐに帰国を考えることもなく、賃金が下がっても仕事を得るか、雇用保険や生活保護などのセーフティネットの助けを借りて永住していくことを選択している。
表1
 在日の日系人とその家族の在留資格は、日本国籍者の子ども(2世)もしくは孫(3世)とその家族であり、入管法別表2に分類される「日本人の配偶者等」もしくは「定住者」であることが多い。また、近年では日本で安定した生活を送るために「永住」許可をとる人々も増えている。多くが、日本人との家族関係に起因する在留資格であり、留学や国際業務と言った別表1に分類される在留資格と比較して就労制限がなく、単純労働といわれる仕事にも就くことができ、言葉ができなくても、不安定雇用ながら就労においてのチャンスは広い。
 筆者は1988年~1991年まで南米のパラグアイで青年海外協力隊員として農業指導(野菜栽培)の活動をしてきた。赴任先は南部のドイツ系パラグアイ人移住地の農業協同組合であったが、近隣に大きな日系移住地がいくつかあり、いつも日系人の方々にパラグアイの農業についての指導を仰いでいた。パラグアイの日系人の方々には公私ともにとてもお世話になった。パラグアイの日系移住地は日本語が残っており、盆踊りや日本食、お風呂などの習慣も残っている。地球の反対側にある南米の地で定着する日系人は、日本人の勤勉さと南米人のおおらかさを併せ持つとても魅力的な人々だった。1993年4月に兵庫県が外国人相談窓口を開設するとの話を聞いて、ぜひ日系人の人たちのサポートがしたいと思ったのもこの時お世話になった恩返しがしたいと思ったからだ。この仕事をはじめて20年がたった。日系ペルー人の在日状況は出稼ぎから定住、永住へと姿をかえつつある。このレポートでは今一度、これまでの20年を振り返り、これからの10年を考えたい。

2. 相談傾向の移り変わり

図1

 1990年の入管法改正で、日系3世と日系人の家族が来日し就労制限のない「定住者」の資格ができたため、南米からの日系の出稼ぎ者が急激に増えた(図1)。日本政府や産業界は日本語の話せる日本人に近いメンタリティをもった日系人を期待したかもしれないが、前述したように南米への移住の状況によって、戦後の集団移住が中心であった地域は比較的日本文化が残っているが、移住の歴史が古く、明治、大正が中心のペルーでは、ペルー人との混血や文化融合が進んでおり、必ずしも日本語を話す、いわゆる日本人っぽい日系人ばかりではなかった。
 実際に、出稼ぎ期である1990年代の相談傾向は、若年層の出稼ぎ労働者の問題が主なものであった。劣悪な労働条件での就労と言葉の問題による労災の多発、労働基準法違反や法律を無視した労働契約、賃金未払いや渡航費などの借金を背負わされパスポートを取り上げられての拘束など、ひどいものであった。当時、兵庫では武庫川ユニオンなどの労働組合が外国人労働者問題にいち早く取り組んでくれていたため、組合を通じて多くの問題解決に取り組んだ。また、出入国管理行政においての混乱もみられ、本物の日系人が在留資格不許可になるなどの問題も多く発生した。書類を整え再申請し、日系人であることを証明するのにも大変なエネルギーが必要であった。当時、言葉の問題は出稼ぎ感覚であったため仕事さえできれば特に問題ないとされたが、トラブル対応は困難を極めた。
 1995年には阪神・淡路大震災が起こる。すぐに帰国した人々も少なくなかったが、残った日系ペルー人たちは被災者に混じり、避難所のお世話になり、仮設住宅に住み、復興住宅に移っていった。そばで被災ペルー人の手伝いをしながら、日本社会が外国人被災者にも平等にサービスを提供したことには感銘を受けた(在留資格のない人々にはこの限りではなかったが)。しかし、地域がどんどん復興していく中で、外国人住民の復興は日本人の復興ほど歩みは早くなかったと思う。3年ほどたってから、結核などの感染症や不定愁訴、精神疾患、アルコール依存などのこころの問題がでてくる。医療現場での労災以外の通訳が増え始めたのもこの時期からである。
 2000年代は日系ペルー人定住化の時期である。それまでは働き手だけが来日して母国の家族に送金する純粋な出稼ぎであったが、仕事や生活が安定することによって、配偶者や子どもなどの家族を呼び寄せたり、日本での出産数も増えていった。それに伴い、子どもの教育問題や健康問題なども増加する。また、移住長期化に伴うストレスで夫婦間トラブルも少なくない。異国での夫婦関係は、母国以上にストレスがたまる。母国で暮らしていればでてくることのないすれ違いも、残念ながら厳しい労働、生活環境の中では離婚に至るほどの亀裂になる。また、定住化するということは生活の根拠が日本になるということである。住宅購入など夢を実現していく人々もでてくる一方で、消費者金融やクレジットカードを持つことで負債を抱えたり、自己破産に追い込まれるケースもでてきた。リーマンショック以降は、景気の低迷による解雇も増えている。特に、年齢が上の層から解雇の対象となるため、雇用保険の失業給付を受給すると即無職、無年金である。今でも多くの外国人労働者は雇用の調整弁として利用されている。


3. 兵庫県の日系ペルー人の在住状況
図2

 兵庫県は東海地方(愛知県、静岡県、岐阜県、三重県)や関東近県のような日系人集住地区ではない。兵庫県におけるペルー人の外国人登録者に占める割合は、0.9%程度である(図2)。仕事のある地域に集住する傾向にあり、県内では食品加工の神戸市東灘区や阪神間、明石市、姫路市、北播磨などに住んでいる人が多いが、必ずしも目立った集住の形態はとっていない。どちらかというと地域コミュニティの中で溶け込んで暮らしている人たちが多い。2000年以降、派遣会社の住宅が減ってきたため、市営住宅や県営住宅に住む人々が増え、仕事に左右されることのない住宅を確保した結果と言えるかもしれない。

4. スペイン語相談の状況について

 では、そんな中で兵庫県における日系ペルー人の生活相談の現状はどうなっているのか。まずは兵庫県の外国人県民インフォメーションセンターについて、まとめておきたい。
 兵庫県外国人県民インフォメーションセンターは、外国人県民に対して多言語による情報提供、生活相談等を実施するため、1994年(平成6年)度から兵庫県が(公財)兵庫県国際交流協会に委託し設置しており、県内の相談窓口の中核的役割を果たしている。開設場所は、JR神戸駅前の神戸クリスタルタワー兵庫県ハーバーランド庁舎内の兵庫県民総合相談センターで、開設時間は月曜~金曜 9:00~17:00である。外国語相談の場合、言語により相談できる曜日や時間が決まっている窓口が多い中、多言語相談で常設の相談窓口は珍しく先進的であると言える。平日、行政や病院の窓口があいている時間にいつでも電話ができるという利便性は、利用者には好評である。
表2 2010年度言語別相談件数
図3 スペイン語相談件数の推移
 組織体制は、センター長1人、相談員5人(英語1、中国語1、スペイン語2、ポルトガル語1)の6人体制(兵庫県産業労働部観光・国際局国際交流課 2011年5月17日記者発表資料より)。相談員は非常勤嘱託員である。
 表2は2010年のセンターの言語別相談件数である。スペイン語の相談が約4割をしめる。これはセンター開設当時からほぼ同じような形で推移しており(図3)、そのためスペイン語相談員のみ2人配置している。
 兵庫県でスペイン語相談が多い理由はいくつか考えられる。ただ、この現象は兵庫県のみのものではない。メキシコから南の中南米でブラジル、ジャマイカなど数か国を除くほとんどの地域でスペイン語がつかわれているが、前述したように、日本にすんでいるスペイン語圏の外国人は一番多いペルー人でも5万人程度であり、中国人やブラジル人、フィリピン人のコミュニティに比べると数としては多いとは言えない。ゆえに、相談窓口を開設する際に、地域性もあると思うが、まずは英語、それから中国語、ポルトガル語ときて、次に設置されるのが韓国語かスペイン語というのが現状ではないかと思う。ただ、スペイン語相談を開設している地域では、どこ もスペイン語相談は多い。これには、地域特性ではなく、移住の経緯も関係しているのではないかと思う。まず、ペルーは移住の歴史が古いため、コミュニティの中に若年層で日本語のできる人が少ない。日系ペルー人の中でも日本国籍を持つ人は第2次世界大戦以前に生まれた人に限られている。それ以降に生まれた人々は日系人というより、ペルー人としての教育を受け、日本語を使用する機会も限定されていた。一方、ブラジルやパラグアイなど都市ではなく農村の日系移住地に生まれ育った人々は祖父母である1世から日本語教育を受ける機会もあり、日本の文化を温存する環境の中で育ったため、日本語ができる人も少なくない。ゆえにペルーの場合、コミュニティの中での助け合いが、言語に限っては人材が少なく成り立ちにくい。相談窓口以外に、教会が重要な支援場所になっていることも言葉の支援ができる人材がいるためである。
 また、兵庫県の場合は、集住地区ではないため、分散して住んでいる人が多いので、同じ国の人と相談して解決する機会も少ない。食品加工や工場など、ブラジル国籍の人が多い職場では、通訳や責任者がブラジル人であり、少数のペルー人は職場内の不満、疑問を彼らに相談しにくいので、母国語で公の機関に相談を持ちかける傾向があることも考えられるだろう。
 次に、スペイン語は外国人登録者数が少ないということで広報や公共の場所での表記が少ないことも相談の多い理由のひとつだ。公共機関での多言語表示は近年では珍しくなくなってきたが、どうしてもあまり多くの言語を同時表記すると時間的にもスペース的にも問題があり、3言語程度までに絞り込む必要がある。神戸市の避難所には英語、中国語、韓国語での表記がされている。名古屋の地下鉄は、英語、中国語、ポルトガル語のアナウンスが流れる。スペイン語が上位3言語に入る可能性は高くない。今回の外国人登録法の廃止などの重要な件については多くの市町村がスペイン語など多言語での情報提供をしていたが、それも地域による偏りが大きい。大切なお知らせに関しては、日本語で相談窓口に持ち込んで翻訳してもらわなければいけないケースがでてくる。
 兵庫県の場合だが、2人配置されており毎日必ずスペイン語担当がいるので、都合の良い時間に情報が得られることも相談件数を伸ばしている一因であるし、同じフロアーに専門相談員(交通事故、住宅など)がいて、相談員が通訳してくれるので、専門相談が受けられる。また、同じ建物内に、兵庫労働基準監督署、法テラス、兵庫県弁護士会、男女共同参画センターなどの窓口があり、向かいの建物は神戸職業安定所という立地的にワンストップな環境に設置されているので、通訳を伴い相談や交渉が可能となることも相談の多い理由の一つである。

5. これからの日系ペルー人相談窓口のあり方

 これからの10年に向けて、日系ペルー人のスペイン語相談窓口はどのように変化すると予測されるか。これは図4図5をみればよくわかる。この図は国勢調査における1995年と2005年のペルー人の年齢別分布を並べたものである。1995年は働き盛りの20歳から40歳が全人口の65%をしめていた。これは働ける年齢層だけが来日し、家族を母国に残し送金をしていた出稼ぎの状況をしめす。それが2005年になると、20歳から40歳の比率は50%になる。そして1995年には9%にすぎなかった40歳以上人口が2005年には15%と増加している。
 今後の傾向として、日本人以上に日系ペルー人の高齢化が進んでいくことが予想される。実際に2010年以降、帰国せず日本で暮らすことを決めた年金受給世代の日系ペルー人が増えてきた。40歳で来日した人は20年経過して60歳になったのだ。当然のことながら、帰国を前提としていた彼らは年金をかけていないもしくは最近になって払い始めたため受け取り金額は少ない。彼らの多くは元気なうちは働きたいとの希望を持っている。しかし、こうした無年金・低年金外国人高齢者の増加は、雇用状況が改善されなければ、生活保護受給に結びつくことになるだろう。また、仕事ばかりをしてあまり日本語を学ぶ機会がなかったこの世代は、高齢化に伴い病院への受診、社会福祉関連の手続きが増加し、医療通訳や社会福祉の知識をもった通訳者の需要が増えていくことも考えられる。
 若い世代にも問題はある。リーマンショック以降の製造業不況により働き盛りであっても雇用が確保できず、貧困に陥る若年層世帯も増えているし、DVや離婚による母子世帯も増加している。これからの相談員には言語通訳、情報提供だけでなくより専門的なソーシャルワークの知識が必要となってくるのはあきらかだ。
 もちろん、同国人コミュニティにおける相互支援の強化は重要だ。しかし、コミュニティだけに頼るのではなく、コミュニティの育成については行政や地方自治体が支援するべきであり、また福祉や医療といった分野に関してはやはり外国人という区別なく、日本人と同じように直接サービス提供が受けられるような制度設計を行う必要がある。また、貧困や家族問題はコミュニティの中で相談しにくいという声もあるため、第3者である行政窓口の中での外国人相談の役割はますます重要になってくるだろう。
 まずは、すべての対人援助支援や相談窓口に外国人住民の視点を取り入れることを提案したい。在住外国人は税金を支払い、住民としての義務を果たしている人々であり、彼らが困った時に支援を受ける権利だけが阻害されるのは公正ではない。しかし、外国人支援には言葉の問題や文化の問題などがあり、あらかじめ知っておかなければ間違った指導をしてしまう可能性もある。
 今回は日系ペルー人の相談を通して近年の相談の移り変わりを見てきた。集住地区が抱える問題とは少し異なっているとは思うが、人数が多い少ないの問題ではないと思う。地域における外国人住民との共生は必須課題であり、今後も避けては通れない問題である。その一端として日系ペルー人の背景を考えてみることで、これからの相談窓口や地方自治体のあり方が見えてくるのではないだろうか。


図4
図5