【論文】

歴史的公文書と個人情報
―― 個人情報保護の盲点 ――

 群馬県本部/藤岡市職員組合 櫻井  孝

1. はじめに

 今日、多くの自治体では市町村史誌が発刊されており、その編さん作業過程で、管内の旧家など一般の家庭を対象に史料の調査・収集が行われ、実史料やその複写が自治体に保管・収蔵されている。また、これに加え明治期以降の公文書が、現代の行政文書と同様に主管部署の書庫などに保管されており、さらには公設の博物館や資料館・図書館等にも、近世以降の公・私の文書が展示・収蔵されている。
 これらの歴史的な文書は、自治体など公的な機関が直接的に発給したものは当然として、私的な文書も自治体が特定の行政目的をもって収集・保管しており、その管理責任を負っていることから、本稿で扱う歴史的公文書にあたる。そしてその中には、後述するように極めて重大な個人情報が含まれているものがある。
 本稿の目的は、ともすれば見落とされがちな、自治体の保管するこれらの歴史的公文書の取り扱いの実態を、筆者が所属する藤岡市を例に紹介し、個人情報保護との間に発生する問題点を指摘することにある。

2. 歴史的文書に見られる個人情報

(1) 市史編さん史料など

明治四年上野国緑埜郡立石新田当未人別改帳(藤岡市史史料より)
    藤岡市では、1982年~2000年の間で実施された「藤岡市史」編さん事業により、市内に現存する近世~近代・現代の文書類の大半を、所蔵者の了解を得てマイクロフィルム化し保管している。
    これらの史料の内容は、借金証文や田畑売渡証などの経済活動を示すものから、三行半や不倫制裁と言った生活に密接したものまで多種多様なものに及んでいる。例えば、三行半などは幕末以降のものについては、今日当事者の子孫が特定できるものなども存在している。そして、さらに重大な個人情報が記されたものとして、今日法務局において厳重に包封され、その存在をも否定されている「壬申戸籍」と同等の個人情報を含む、「人別改帳」などの戸籍関係の文書である。そしてさらに驚くべきことに行政文書として調整されたはずのこれらの文書が、現在の一般の市民の家に伝えられており、万一これらの個人情報が漏洩すれば、極めて重大な事態となることが危惧される。
   ここで、なぜこれらの公文書が個人の家に保管されるに至ったかその歴史的背景を若干説明しておきたい。

 

 

人別帳には、家族構成や旦那寺、職業・身分などが印されている。
    徳川幕府を倒し発足した明治新政府は、廃藩置県後の初の地方自治制度として大区小区制を導入した。これは、府県以下を大区小区に区分し、大庄屋・庄屋・名主・年寄などの近世的役職(身分)を廃し、大区長・小区長・戸長・副戸長を置き、これらの役職を全て官選の準官吏とした。
   大区長や小区長などは名誉職で無給とされており、今日の地方公務員法に定められる特別職にあたり、旧幕藩体制下の名主・地頭など地域の支配者層が任ぜられ、そしてその配下に一般職にあたる数人の吏員を配し業務にあたっていた。そして、区長や戸長などによる議会を、定期的に区域内の寺院などで開催し地方行政の運営にあたっていた。しかし、現在の市役所のような行政庁舎はなく、種々の通達や公文書などは、これらの官吏の家に保管されることとなり、そのまま一般市民の家庭に伝えられた。
受刑者名簿が図書館に開架されていたことを報じる新聞記事
   ところで、この制度の目的は、明治新政府が近代国家としての基礎体力の向上を図り、強力な中央集権国家を構築するため「戸籍法」を施行し、全国民を直接的に掌握するための戸籍の調製の制度であったとも言われている。このとき調製された戸籍は通称「壬申戸籍」と呼ばれ、その内容は徳川政権下で支配民を統治するために作成された「宗門人別改帳」の延長線上にあり、記載内容も、出生・死亡・家族構成はもちろん個人の犯歴や病歴・近世的身分・財産の状況などに及んでいる。
   また戸籍情報ではないものの、公立図書館などに保管されている行政文書の中に、明治年間~昭和期にかけての埋葬許可証や犯歴簿など、個人の出生・門地・経済状況・死亡(病歴などを含む)・犯歴などの情報が知り得るものも含まれている。
   こうした歴史的公文書は本来、自治体の個人情報保護条例等により第三者の閲覧から保護されるように明確な取扱いがなされるべきである。しかし、文書が毛筆の行書体で記されており、担当職員が容易に判読することはできない。また、市史編さん史料などは学術資料であるかの扱いで、一部のアマチュア研究者(歴史愛好家)などの閲覧の対象とされている。また、判読が困難で、記載内容の詳細が容易に理解できなかったためか、明治年間の犯歴簿などを公設図書館の開架書庫に陳列するなどの事故も発生している。

(2) 展示史料
   一方、自治体が設置する資料館などの施設においても、展示史資料の中に様々な形で個人情報の流出が危惧される状況が見られる。たとえば藤岡市においては、地域の住民から寄贈された人命救助の感謝状が、既に廃館となっている郷土資料館に展示されていたことがあった。これは、大正年間に緑野馬車鉄道の従業員が鬼石町地内の川で溺れる子供を助けたことについてのものである。当然この感謝状を受けた人物の子孫は、我が家の誉れとばかりにこの感謝状を郷土資料館に寄贈・あるいは寄託したものと思われるが、問題はその助けられた子供の氏名の前に「私生児」の文字が見受けられることである。
   これは当時の常識として、個人の名前には必ず職業や身分が肩書として併記されていたことによるもので、今日の人権意識との差は大きなものがある。しかし、年代的にもここに記された人物およびその子孫の特定が比較的容易であることから、現物その物を公衆の前に示すことは相応しくないものであることは間違いない。

3. 藤岡市における歴史的公文書の取扱実態と問題点

 1871年に調整された「壬申戸籍」は、個人の近世的身分や、職業など今日の戸籍では考えられない内容が含まれており、後に同和問題のみならず、就学や就職などの際の様々な差別や偏見の元となってしまったことは、直接戸籍を扱う公務員のみならず、一般市民の間でも周知のことである。そこで国はこの問題を重視し、遅ればせながら1968年に「壬申戸籍」を包封し法務局において保管するよう義務付け、公式には「壬申戸籍」は既に廃棄したものとして、近代史の学術的な研究のためも含め一切の閲覧を禁じている。

本稿に用いるための史料複製許可書

 しかし、筆者が指摘するように「壬申戸籍」の基ともなった「人別改帳」などは個人の家に保管されており、当市においてもいくつかの地域で確認されている。市では市史編さん事業を進める中で、他の史料も含めてこれらをマイクロフィルム撮影し、作業のための紙焼きを作成し、作業完了後はこの両者を保管している。また、最終的には将来的に取扱いの便宜を図るため、TIFファイルによりデジタル化しCD-ROM数枚に保管している。そして市史編さん事業が完了し、市史編さん部署の解散が決定した1999年度に、その収集史料の移管先が問題となった。結果的には「歴史史料である市史編さん史料については、地域の歴史文化を扱う文化財保護課へ主管を移す。」ことで調整が図られた。当時市史編さん事業担当であった筆者は、市史編さん史料の中に極めて高度な個人情報が含まれていること。複製とはいえ市史編さん事業と言う市の事業によって収集され、市が管理する公文書であることを主な理由として個人情報保護を第一に考え、文書公開基準を主管する総務部行政課に移管するのが適当との反対意見を主張した。しかし結局、旧町村役場の文書として各部署で保管していたものについては、市総務部行政課が公文書として管理し、市史編さん史料については「歴史史料」として文化財保護課で主管するという、歴史的公文書の二元的な管理体制とされてしまった。
 一方、市史編さん史料の移管を受けた文化財保護課においても、閲覧・複製作成などの基準を設定し史料閲覧希望者に対応することとしたが、市史編さん史料については、当面その内容が把握されるまでは原則非公開とした。つまり、現在藤岡市では行政文書として情報公開条例・個人情報保護条例などの規程に従い対応されるものと、歴史史料として文化財保護行政の立場で閲覧申請に対応されるものとが存在することとなってしまっている。

4. 理想的な公文書管理に向けて

 ここに紹介したように自治体が保管する歴史的公文書は、極めて高度な個人情報を含むものがあり、当然のことながら他人が自由にその情報を閲覧するようなものではない。しかし現実的には、市史編さん史料や・行政文書主管部署に存在する歴史的公文書は、その個人情報保護と言う点からは、完全に盲点とも言える状態となっている。
 幸いにして筆者が市史編さん業務完了後、当該史料を扱う際に原所蔵者に確認したところ、この人たちの大半は自分の家に伝わる歴史的公文書についての充分な認識をもっており、「研究者など史料閲覧などにも充分な注意を払ってもらいたい。」などの要望を寄せられている。しかし昨今、市民の行政に対する要求は多様化してきており、また同時に市民による行政監視も一般的となってきている。例えば市民の公文書公開請求などは、その殆どが現行文書で、行政の財政運営や行政処分などに関するものが殆どである。これらについては行政サイドで、情報公開条例などに基づき情報公開に当たっての様々な手続きが定められており、個人情報保護条例及び施行規則などで、情報公開についての一定の基準が設けられ、個人情報の漏洩に対する充分な用意がなされているところである。
 しかし、本稿で指摘したような歴史的公文書については、その特殊性などを理由として、多くの場合明確な公開規則の設定なされていないのが現実である。さらに言えば、市史編さん史料や資料館・図書館などの社会教育施設で保管する文書については、職員の間でもこれらは歴史史料であって、歴史的公文書であるとの認識がないかような現状もある。
 今後、歴史的公文書の管理については、①まず歴史的公文書は過去の行政文書であり、内容的には極めて重大な個人情報を含んでいる。従って学術的な歴史史料ではなく、あくまでも公文書であることを行政職員(特に管理職員)に対し啓発する。②同時に市史編さん史料や、近代の歴史的公文書の内容の完全把握を早急に行う。③歴史的公文書の二元管理を改め、随意の部署で一元的に管理するとともに、④市史編さん史料に対する市民や歴史研究者からの公開請求に、どのような対応するかの基準を明確化すること。⑤歴史的公文書(古文書)などの取扱いに精通した職員を関係部署に配置し、必要によってはアーキビストなど専門職員の養成や新規採用による補充などを行う。等の対応が必要となろう。特に、①で指摘した職員の歴史的公文書に対する意識の啓発は最も重要で、自治体における個人情報保護の徹底に向け緊急的な課題と言える。

5. おわりに

 個人情報保護法が完全施行されて以降、インターネットホームページや各種約款などに、個人情報保護に対する企業ポリシーの主張がなされていることや、企業の個人情報漏洩事件の報道が頻発などで、市民の個人情報に対する関心が高まってきている。
 しかし、地方公共団体においてはこのことについてはすでに条例や規則の運用がなされており、我が藤岡市においても1998年度より情報公開条例とあわせて、個人情報保護条例が施行され、実際に数件の情報公開請求がなされたと聞いている。
 幸いにもこの間当市においては個人情報の漏洩など、大きな事故もなく運用されている。しかし、地方自治体には極めて高度な個人情報を含む公文書が、現行行政文書と異なる形で、職員がそれとは意識しない(あるいはできない)状態で保管されている。特に、本稿で指摘したような市史編さん史料や、郷土史料、毛筆で記された過去の行政文書などの歴史的公文書については、いわば個人情報保護の盲点ともいえる存在で、その適切な管理体制の確立には一刻も早い対応が望まれる。それには、壬申戸籍同様国レベルでの対応が必要となることはもちろんであるが、当面の間自治体職員が、歴史的公文書の記載内容に充分な問題意識をもって対応することが、何よりも重要であることを指摘し本稿を閉じたい。