藤前干潟埋立問題と地元自治労の対応

愛知県本部

 

1. はじめに

 10数年間、野鳥(渡り鳥)保護か、ごみの最終処分場の安定的確保かで野鳥保護市民グループと名古屋市との間で争われ、全国的にも注目を浴びることとなった「藤前干潟埋立問題」は、昨年1月26日の松原名古屋市長の事業断念声明により、いわゆる「自然保護派市民グループ」の勝利で一応の決着をみた。(資料1)
 一方、お膝元の自治労組織である自治労名古屋は、1989年秋の組合再建以来この問題を背負い、種々の取り組みを展開してきたものの、計画の「賛成」「反対」を含め明確な運動方針を提起できないまま、結果として組合員、市民そして市政運営に対し影響力を持つに至らなかった。
 そんな中、山形全国自治研集会の「環境エネルギー」分科会から、伊勢自治研集会で提起された「環境自治体をめざす」運動を改めて問い直す試みとして、自治労の仲間が各地で展開した環境運動の成功例だけでなく、不成功や不発に終った事例についても、分科会の問題提起の1つにしたいとの趣旨のもと、当該単組である自治労名古屋に対し、藤前問題についてのレポート要請がされることとなった。
 この要請に対し、自治労名古屋からは「趣旨は理解できるものの、当該単組として、この問題について客観的な立場からの報告は有り得ない」との判断がくだされたことから、当時、自治労名古屋で若干なりともこの問題に関わり、現在、愛知県本部で政策担当を担当している私個人として、このレポートをまとめ報告することとした。

2. 藤前干潟埋立問題の概要

(1) 背景となった名古屋市の廃棄物の状況
 名古屋市では、90年代に入っても、ごみ減量・資源分別リサイクルについては画期的な転換方策も出し得ないまま、世帯数の増加や事業系ごみの増加に伴い、ごみの処理量は、ここ10年間で10%も増加し、年間約100万トン・名古屋ドーム約6.5杯分に相当する量を処理する必要に迫られていた。
 市では、この膨大なごみの処分について、ここ数年、焼却、破砕、一部資源回収など事後処理的な減量化・減容化に努めて来たものの、なお年間約28万トン発生する最終処分廃棄物を岐阜県多治見市に設置する最終処分場(愛岐処分場)において埋立処分してきたが、この最終処分場が2000年度には満杯になるとの予測から、自区内(市域内)でかつ安定的に使える最終処分場の確保がごみ行政にとっての至上命題となっていた。
 このような状況のもとで最終処分場の候補地として白羽の矢があてられたのが名古屋港の最深部(最北部)に位置する藤前干潟であった。(資料2)
 一方、諫早湾埋立問題に象徴されるよう日本各地の干潟の急激な減少にともない、結果として藤前干潟が、日本有数の渡り鳥たちの貴重な中継地(餌場)となっていたことから、この計画は、野鳥保護、自然環境保護という側面から、大きく社会問題化することとなった。

(2) 藤前干潟埋立計画の変遷とその経緯

1981年7月: 港湾計画(運輪省所管)の中で、西1区(藤前干潟)105haを廃棄物処理用地等として位置づけられる。
1989年3月: 河川への影響を考慮し、港湾計画上の埋立面積が105haから70haに縮小される。
1989年4月: 名古屋市長選挙。反対派は候補者を立てて藤前問題を争点とする。
1992年3月: 自然環境の保全に配慮し、さらに埋立面積を52haに縮小する。
1993年7月: 名古屋市土地開発公社が事業用地として約118haを先行取得する。
1993年12月: さらに埋立面積を46.5haに縮小して事業実施を決定する。
1994年1月: 環境影響評価(アセスメント)の手続きを開始する。
1998年8月: 環境影響評価書を届出する。
1998年8月: 公有水面埋立を申請する。
1999年1月: 名古屋市長が事業断念を表明する。
1999年2月: 市長「ごみ非常事態宣言」を発表する。
1999年3月: 西1区(藤前干潟)代替地は高潮防波堤外側の港湾区域内で探すことを決定する。

 

(3) 藤前干潟埋立計画の概要
  経緯で見たように、埋立計画は反対運動の影響もあり、立案当初とは規模等においても変更を重ねてきたが、最終的なものは次のとおりであった。

@ 埋立面積: 約  46.5ha
A 埋立容積: 約 400万m3
B 埋立内訳: 一般廃棄物      約 272万m3
公共産業廃棄物   約 39万m
3
公共陸上発生残土  約 37万m
3
しゅんせつ土      約 52万m
3
C  構  造: 管理型
D 護岸建設: 1999年〜2004年
E 埋立期間: 2001年〜2010年
F 埋立跡地: 自然環境と調和のとれた緑地、スポーツ・レクリエーション施設の整備

 

3. 埋立反対派の主張と運動

 1981年、藤前干潟最終処分場利用計画が発表された頃から、渡り鳥の保護とそれを支える干潟の保全に関心を寄せていた市民グループは、名古屋市の不十分なごみ行政の尻拭いのために、そして、たった10年で使いきってしまう最終処分場確保のために、貴重な干潟を潰してしまうことの是非を訴え、反対運動を展開した。
 特に1989年4月の名古屋市長選挙には、この藤前干潟埋立て問題を争点として反対グループのリーダーが市長候補として出馬するなど活発な反対運動が展開され、かつ、ラムサール条約による日本国内の候補地批准問題にも絡み、この問題は全国的にも世界的にも言及される問題となっていった。

4. 自治労名古屋・県本部の対応

 約10年におよぶ藤前干潟埋立問題について、当該単組である自治労名古屋は、自然保護の観点からは少なからず関心を持ち、組合再建(1989年)当時から、環境自治体をめざす運動の一環としての学習会、現地見学会などの実施、毎年度行う予算政策要求行動での市長要請、単組自治研集会での問題の取り上げなど、一定の取り組みは続けてきたものの、名古屋市におけるごみ行政のあり方、そして藤前干潟における環境保全・環境保護のあり方など、十分な組織討議とそれに基づく方針の決定が出来ないまま、市長の干潟埋立断念声明(昨年1月26日)という形で一応の問題決着をむかえたという状況であった。

5. 自治労名古屋のこの問題に対応しきれなかった言い訳的理由

 自治労名古屋として、この問題に十分な対応が取りきれなかった背景には、多くの組合員の意識に「貴重な渡り鳥の中継地は何とか守りたいが、一方で藤前に代わる代替地は本当にあるのだろうか?」「ここまで綿々と続いてきた名古屋市のごみ行政のあり方が藤前問題を契機に急速に変わり大幅な減量が出来るものなのだろうか?」という疑問と諦めの気持ちがあったことを挙げることが出来ると思うが、更に当時、自治労名古屋でこの問題に関わった者として個人的な「言い訳」を挙げるならば、次の要点があったと思う。(不成功、不発に終わった運動の言い訳は、いずれも大同小異の内容で今更との思いはあるが、分科会の討議素材として参加者各位のご意見をいただき、愛知における今後の環境自治体をめざす運動の「肥し」としたい)
 @ 推薦首長や協力関係議会会派(政党)との関係配慮(遠慮)
 A 現場支部・組合員と客観的視点に立ち得る執行部・役員との事業遂行に対する意識差とその差を克服できなかったこと(しなかったこと)
 B 自区内処理の原則における市域内処分場の確保という行政的使命(自治労方針)と都市圏での自区内ごみ処理の原則の限界という疑問を整理しきれなかったこと
 C 市民運動に対する公務員組合としての違和感・アレルギー(共産党系市民運動グループとの共闘に対するアレルギー。ただし、藤前埋立反対運動を中心的に担った市民運動グループは共産党系市民運動とは直接的には関係はない。)
 D 代替地確保に関する情報等不足など市当局の市民への不十分な情報伝達

6. 藤前問題が私達に提起したこと

 5.の「言い訳」的理由を個人的に総括し、提起された課題を列記してみる。

(1) 自治労名古屋・県本部に提起された課題
 @ 推薦首長や協力関係議会会派との政策協議については形式的なものに止めることなく、結果として方向の違いが生じても安易な対応を取る事なく、組織としての立場の違いを認識し行動すること
 A 結論的ではあるが、廃棄物問題など自治体及び公務員組合が背負う課題については、自治労方針を基礎としながら可能な限り、職場自治研、単組自治研の過程と結果を基礎として運動の方向牲を見極めること
 B 自治研活動の活性化と充実を通じてこそ現場支部・組合員と執行部・役員との意識差が克服されること
 C 事業担当部局との政策的協議をキッチリと遂行すること
 D 運動を組織内の閉鎖的なものとせず、ダイナミックな展開とするためにも、市民運動に対する違和感を克服し(変な遠慮はせず)、連携・連帯を求めていくこと

(2) 環境・ごみ問題として市当局へ提起された課題
 @ 大胆なごみ減量施策、最終処分場のあり方等キッチリとした政策の方向づけ
 A 市民とのパートナーシップの確立(市民への勇気ある施策提案と協力要請)
 B 市民に対する情報公開の徹底と(名古屋市環境アセス制度など)世界的市民への対応の必要性
 C 愛知県を含み周辺市町村との真摯な連携・協力関係の構築

7. まとめ

 名古屋市では、@昨年5月からの全区での空きびん・空き缶回収開始、A10月からの指定ごみ袋制の導入、B今年4月からの事業系ごみの有料化とコンテナボックスによる収集の廃止、C市組織あげての6月3日の環境デーの実施、D8月7日からの容器包装リサイクル法による「プラスチック製容器包装」「紙製容器包装」の分別回収の開始、Eそれに伴う地元説明会やステーション指導への環境部局職員の大動員等々、昨年1月の藤前干潟埋立計画の断念と2月の「ごみ非常事態宣言」以降、ごみ行政が大きく動き始めており、現在も藤前干潟に代わる最終処分場の確保については予断を許さない状況にはあるものの、この約1年半の様々な動きの中で「ごみの減量」は着実に進められている。(資料3)
 この問題を機に自治労名古屋では、組合員と市民との連帯による資源ごみ回収組織「名古屋のごみを考える市民と職員の会」が誕生し、これまでには見られなかったダイナミックな活動が展開されるなど確かな変化が現れている。また、連合愛知もごみ問題には大きな関心を寄せ「9.10連合愛知・環境総行動」を提起するなど新たな運動を取り組んでいる。
 一方、愛知県では現在もなお、2005年万博開催問題、中部国際空港建設問題、中央リニア新幹線建設問題等々自治労としては環境問題、地方財政問題の面からも看過できない国家的プロジェクトが数多く進められようとしている。
 とりわけ、これらプロジェクトについては、連合愛知が推進の立場に立っていることから連合との関係も難しく、自治労名古屋の藤前干潟埋立問題と同様な構造で自治労愛知県本部もその対応に苦慮している現状である。
 いずれにしても、これら多くの環境課題については、藤前干潟問題での教訓を生かしながら、かつ、この山形全国自治研「環境エネルギー」分科会における議論を貴重な糧として、一歩でも二歩でも前進した運動を取り組んでいきたいと考えている。