モンゴルに対する農業技術協力について

青森県本部/車力村職員組合

 

1. 車力村の概要

 当村は、青森県の西北に位置し、面積62.17km、人ロ6,148人で一般会計の年間予算総額が約55億円です。
 これまで、1,144haの水田園場整備を実施したほか、かつての採草放牧地の国営事業の導入により619haの畑を造成、くわえて畑作振興を図るため野菜集出荷施設、農産物加工施設、野菜予冷施設、氷温貯蔵施設、だいこん洗浄選別機の導入等により産業基盤の整備を図るため下水道整備事業を重点に取り組んでおります。さらに企業誘致に働きかけ、これまで5社の企業を誘致し約400人の雇用の場を確保しております。
 主な産業は1,600haの稲作と662haの畑作野菜の栽培です。現在、日本海に車力漁港の整備をすすめているほか、牛肉の生産を目的に畜産基地建設事業を導入して、稲作と畑作に畜産を加えた複合経営により足腰の強い農業を目指しております。

2. モンゴルとの交流のきっかけ

 当村の成田佐太郎現村長は、昭和40年、38歳の若さで初当選以来、現在で連続9期36年目を迎えており、青森県の市町村長の中では、現職で一番目に長い任期となっております。
 この成田村長がモンゴル国に大変関心をもち、1990年8月に新潟から直行便ではじめてモンゴル国を訪問し、滞在中に訪問地の県知事をはじめとする代表団から、農業技術を高めたいので、研修生を受け入れてくれるよう強く要望されました。
 成田村長は、牧畜業が主産業であるモンゴル国を見て、耕種農業を定着させることによって安定した食料を確保し、それがモンゴルの発展にもつながると考えました。
 帰国後、議員全員協議会を開催し、農業研修生を受け入れてくれるよう強く要望されたことを説明したところ、日本でも米が余っているときに受け入れるべきではないとの意見や戦後日本も食糧難で困ったときもあり、研修生の受け入れぐらいはいいのではないか等の意見が出され、これらの意見を踏まえて村として研修生の受け入れを進めることになりました。

3. モンゴル国の概要

 モンゴル国は、ロシア及び中国と国境を接し、中央アジアの東部に位置し、日本の約4倍の面積(155万5千km)で人口は約242万人、そのうち首都のウランバートル(赤い英雄)には4分の1の人が住んでいます。
 行政上は18県に分かれており、気候は典型的な厳しい大陸性の気候で日照時間は長いものの、日中と夜の寒暖の差が厳しいところで年間降水量は大変少ない国であります。
 産業は、羊、ヤギ、牛、馬、ラクダの5畜からなる牧畜を主体にした農牧業が盛んで、1人当たりの畜産頭数では世界一を誇り、肉、乳製品、皮製品等はモンゴル経済の支えとなっております。主食では、小麦と肉、乳製品です。米も食べていますが野菜と同じ副食として食べられております。農業では、小麦、じゃがいも、キャベツ、玉ねぎ等が中心に栽培されており、米は栽培されず、北朝鮮、中国、タイやロシア等から輸入していると聞いております。輸入が安定しないため、不足するような状態が続いている現状であり、今後、米の消費量はますます増えるものと予想されております。また、当村が試験地を設けているドルノド県は、モンゴル国の東端にあり、面積12万2千km、人口約9万人で、県都チョイバルサン地区は、およそ北緯48度、東経115度に位置し、標高は560mで国内では低い地域であります。

4. 研修生の受け入れ

 モンゴル国は、厳しい土地環境ではありますが現代の日本の農業技術でモンゴル国に耕す種農業を少しでも広め、食料を自給し国が経済力をつけることによってモンゴル国が発展すると成田村長は考えて、第一にモンゴル国から農業研修生を受け入れることとしました。
 1991年に、南ゴビ県(オムノゴビ県)から受け入れを始め、これまでに55名の農業研修生が来村、稲作や畑作野菜の技術指導を実施したところです。
 @ 受け入れは初めてであり、不馴れなこともあり書類の整備や手続きに時間がかかりました。特に、モンゴル側に説明して書類を置いてきても中々進まず、モンゴルで通訳と一緒になって書類整備しました。
 A 研修生の宿泊場所は、中学校の隣に用途廃止した寄宿舎があり、それを改築して利用しております。
 B 食事には、特に気を配り、炊事婦を配置、調理したところ、たいていの料理は食べてくれましたがモンゴルでは海がないため、あまり魚を食べる習慣がなく、刺身はほとんど食べてくれませんでした。はしを上手に使って食事をしたのには驚きました。現在は研修生自らが準備しております。
 C 言葉については、練習生の中に通訳が一緒に来ていたので私達は、特に不便は感じませんでした。研修生には、日本語の時間を設けて、日常の会話ができるよう指導し、帰国するころには、熱心な研修生は日本語で挨拶できるようになり、村民を驚かせました。
 D モンゴルは、湿度が低いため、日本に着いたときの蒸し暑さには一番困ったそうです。
 E 夜間の事故防止のため寄宿舎に管理人を配置し、緊急時の連絡体制をとりました。近くに外出するときも必ず管理人に行く先を連絡し外出させました。
 F 研修生を病気やケガの治療のため海外旅行傷害保険に加入させました。滞在中に、この保険のお世話になった研修生もありましたが、比較的軽い病気で2〜3回の通院で完治し関係者をホッとさせました。

5. モンゴルに初めて稲実る

 研修生の学んだ技術が生かしやすいようにオムノゴビ(南ゴビ)県とドルノド県に稲作と野菜の試験圃を設け、年数回現地を訪問して指導をしてきました。この結果、オムノゴビ県では、地下水を利用せざるを得なかったこと、水が冷たすぎること、水量が十分でなかったこと、土地条件の悪かったこと等により稲作は大失敗に終わりましたが、野菜についてはピート等立派に生育している作目もありました。
 稲作については、1993年、モンゴル国ドルノド県に試験圃を設けて、現地に年数回訪問して指導したところ、モンゴル史上初めて稲が実りました。これも、当村で農業技術を身につけた研修生が、当村の農業技術指導員の指示どおり寒冷地における稲作栽培技術の基本を良く守り、寒いときには深水潅漑を徹底した結果だと思います。
 1993年は、日本では冷夏冷害の影響により全国的に不作の年となり、特に青森県の稲作は作況指数が「28」という大正2年以来の大凶作にみまわれ、飯米さえ確保できない農家もありました。
 モンゴルの気象条件もかなり厳しいものがあり、このような状況のなかで稲作が実を結んだことは、私たちの農業村においても参考になる点もあるのではないかと考えているところです。

6. 村民との交流

 モンゴルからの研修生は、滞在期間中、村内の農業者や農業団体からは農業実務、農業に対する意見交換、その他様々な団体とスポーツや学芸発表等の交流会に参加し、多くの村民と友好のきずなを深めました。
 昭和63年度以降、アメリカから中学校の英語指導助手が来村し、保育所等を訪問していたが、なかなか子供たちはなじまなかったそうです。しかし、モンゴルの研修生が保育所を訪問したときは、一緒に遊技をしたり、だっこされたり、大変子供たちから好かれました。
 モンゴル人は、顔が日本人にそっくりなので案外親しみを感じているのではないかと思います。
 特に、農協の青年達と農業について語り合い、日本の野菜のすばらしさを見て、私達もモンゴルに帰って立派な野菜作りに頑張ると強い決意を語ってくれ、中学校生徒には、ギターをひきながらモンゴルの歌を唄い、生徒から喝采を浴び、アンコールの大声援でさらに唄うなど大変有意義な交流でありました。
 モンゴル人との交流によって、外国を経験したことがない村民も、片言語で話す研修生と身振り、手振りを交えて会話をし、少しもためらいは感じられないようになったことは大きな成果と思っております。

7. 研修生の感想

 これまで55人の研修生が約4ヵ月〜6ヵ月来村したところですが、言葉、生活習慣、文化・音楽、宗教等の違いに大変な苦労があったものと理解しております。
 それぞれの研修生の感想の中には、
 @ モンゴルの気候は大変厳しいので作物の品種選定に気をつける。
 A 農家に1泊2日の実務研修に参加し、日本人の勤勉さに驚いた。
 B 本県の農業試験場の設備、研究部門等仕事の充実ぶりに感動した。
 C モンゴルは風が強いので、車力村のように防風林や防風ネットの必要性を感じた。
 D 小麦の栽培方法(秋に播種して翌年の夏に収穫)がモンゴル(春に播種して翌年の秋に収穫)と違い、収穫も多い。
 E 日本人は、仕事と休みを考えて、時間を守る。ちなみに、モンゴルでは、時間の遅れについてはあまり気にかけない国柄のようである。
 F 野菜の収穫から選別、市場への発送が短時間に行われているシステムはモンゴルにも必要である。
 G 農業青年、中学校生徒、農家の人達との交流が一番うれしかった。
 H 村の農業祭でモンゴル料理を村民に食べてもらいおいしかったといわれたこと。
 等が感想文に残されていました。

8. 帰国後の研修生

 今回8月20日から9月2日までモンゴルを訪問して参りました。
 昨年、首都ウランバートル近郊に車力村で研修を終えた農業研修生自らが土地を確保し、そこを拠点として本格的な農業に取り組み始めています。このことは、これまで地道に支援をしてきた村にとっても大変歓迎すべきことであると同時に、非常に貴重な第一歩であると思います。彼らの自立への行動がモンゴル国の農業振興の大きな起爆剤となり、新たな軌跡を記していくのは間違いないものと考えています。

9. 今後の交流

 当村に於いて、モンゴル国との交流については、今日の国際化社会の中で、利益にとらわれず技術協力ぐらいの交流は進めるべきとの意見やそれに使うお金があれば、もっと村民のために使うべきとの意見等賛否両論があることも事実であります。
 しかし、物資の援助はその場限りのものですが、技術協力は一端身につけると、その成果が継続されるものであり、将来にわたり効果があると理解しております。
 今後においては、これらの研修生の自立を強力にサポートすべく、専門家派遣等を積極的に行い、モンゴル国に早い時期での農業定着を目指し、事業を展開していきたいと思うと同時に、車力村とモンゴル国がお互いに交流を図りながら地域の活性化に結びつけて参りたいと考えております。