飲み会と政治の深~い関係

政治家の半分が女性になったら
10人が参加する飲み会で、女性が1人しかいなかった。
その女性は当たり前のように、男性たちにお酌をするだろう。
女性が2人だったら。
互いに出方をうかがいつつ「私がやるわ」と料理を取り分けるだろう。
3人だったら。
「それぞれ自分で取ればいいよね」という雰囲気が生まれるだろう。
5人だったら。
誰が取り分けるかなんて、もう誰も気にしないだろう。
4月10日、東京都内で「世界がパリテ男女平等になったら」という集会が開かれた。
「パリテ」とは、男女半々の議会をめざす、フランス発の考え方だ。

10女性参政権記念イベント「世界がパリテ男女均等になったら」(パリテ・キャンペーン実行委員会提供)
飲み会のたとえ話は、この集会でイラストとともに紹介された。多くの女性には思い当たることがあるだろう。

飲み会と女性の割合の関係を描いたイラスト
一方で男性たちは、女性があれこれ悩みつつサラダを取り分けているなんて気が付いていないかもしれない。
日本の女性議員は1割以下
たとえ話を政治の場に移して考えると、こうなる。
女性の比率が1割だと、強固な性役割の世界にはまりこんでしまう。
2割だと1割よりもいいようにも思えるが、既存の性役割を演じるか、演じないか、他の人はどう振る舞うか、様々な葛藤が生まれる。
集会でこのたとえ話を紹介した同志社大学院生の對馬果莉さんは「2割は地獄の割合。1割よりつらいかも」と苦笑した。

発言する登壇者
本当の変化が生まれるのは3割。
5割に達すれば、女性が自然体で力を発揮できる。
カナダのトルドー首相は男女15人ずつ、同数の大臣で内閣を作った。その世界である。
いまの日本は「飲み会に女性1人」の段階だ。
集会からちょうど71年前の1946年4月10日、日本で初めて女性が選挙権を行使した。
このとき誕生した女性の衆議院議員は39人、全議員の8.4%だった。
2017年のいまは44人(全体の9.3%)。71年かけてたった5人しか増えていない。
世界には、女性議員(下院議員)の割合が3割を超える国が47カ国ある。
日本の比率は、全世界193カ国中164位。
念のため書くと、人口の半分は女性である。
日本の現状はあまりにいびつだとしか言いようがない。
今も各地で公開中の「未来を花束にして」という映画(http://mirai-hanataba.com/index.php)がある。
原題はそのものずばり、「Suffragette(女性参政権論者)」。
まだ女性が投票に行けなかった1910年代のイギリスで、参政権を求めて戦った女性たちの物語だ。
政治が個人にとって持つ意味
主人公は洗濯工場で働く貧しい女性で、参政権を求める運動に足を踏み入れる。
議会の公聴会で彼女が語る身の上話は衝撃的だ。
夫と不仲になり離婚するが、母親は親権を持てない時代だった。
息子と引き裂かれた彼女は、女性を差別する法律をなくすには政治の場で発言権を得るしかないことを痛感する。
彼女たちは、今の私たちが驚くような暴力的な活動を繰り広げ、権力からこれもまたたいへん手荒な扱いを受ける。
イギリスで女性が男性と平等な選挙権を得るのは1928年のことである。
この映画を見ると、女性のみならず、政治が個人にとってどんな意味を持つかをよく理解することができる。
4月10日の集会では、登壇した与野党の女性国会議員が、自分がどんな思いで政治家を目指すようになったのかを具体的なエピソードをもとに熱く語った。
昨年の、「保育園落ちた日本死ね」という匿名ブログに端を発した急速な動きは記憶に新しい。
政治はどこか遠くで誰かが勝手に決めることではなく、人々がいま必要としている変化をもたらす手段なのだ。
いま政治の場から疎外されている様々な集団のうち最大のものは、女性たちである。
だとしたら、より多くの女性政治家が生まれ、意思決定の場に加わることこそが、政治を人々の手元に引き寄せる一番の近道なのではないか。

ジャーナリスト 林 美子(はやし よしこ)
2016年まで朝日新聞記者。労働やジェンダーの分野を中心に取材、執筆活動を続ける。早稲田大学ジャーナリズム研究所招聘研究員。
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