昭和型おじさんと末人とダイバーシティー

先日、夫と息子の3人で新幹線に乗ったときのことである。
予約した3人掛け指定席のところに行くと、60代くらいの男性2人が座っている。
1人は携帯電話で大声で話しており、もう1人はビクッとしてこちらを見上げた。慌ててチケットを見直した。
「すいません、その席は私たちの指定席ですが?」
チケットを見せて説明したが、携帯電話の男性は、こちらに一瞥もくれず、話し続けている。
もう1人の男性はバツが悪そうににやにや笑うと、小さくうなずいて席を立った。
件の携帯男性は、大声で電話で話したまま、新幹線のデッキ部分に去って行った。
「社長、今日は……」云々言っているので、おそらく商談なのだろう。
残された方の男性は、これも黙って斜め前の席に移動した。
……あ、席を間違えたのではなく、あえて3人掛けシートの方が広いからと、勝手に座っていたのか。
彼らの飲みかけのお茶のペットボトルが背もたれの物入れに残されていた。
引き抜いて、にやにやしていた方の男性に手渡した。
「こちら、お忘れですか?」
ああ、と小さく口の中で言って受け取る男性。笑顔は消え、目は完全に泳いでいる。
話しかけられて、驚いてしまったようだ。見たところ、携帯男性は会社の上司で、残された男性はその部下といったところか。
2人ともねずみ色とも黄土色ともつかない類別の難しい色のジャケットに、ノーネクタイ。ビジネス仕様でもなさそうだと、ふと思う。
携帯男性は、デッキからも聞こえるほどの大声で話し続け、ようやく終わったらしく、席に戻って来た。
私たちは子どもを窓際の席に座らせ、夫は真ん中、私は通路側の席につき、ノートパソコンを開いた。2人とも、原稿の締め切り前である。
しばらくキーボードを打っていると、ふいに先ほどの携帯男性が私の横に立ち、言った。
「パンフレット」
「はい?」
携帯男性は、夫の席の前の物入れに入った旅行のパンフレットを指さした。
「これですか?」
夫が聞いたが、携帯男性は無言である。
夫はパンフレットを引き抜いたが、開いたパソコンを避けながらだったので、運悪く手が子どもの前の飲み物の容器に当たり、ひっくり返って中身がこぼれ出た。携帯男性は、そんな我が家の惨状を見ながら顔色一つ変えず、パンフレットを引き取って自分の席に戻った。
原稿を書き、しばらく経ってふと見ると、車掌が携帯男性に呼ばれて床を拭かされている。
見ると、携帯男性が席の前の物入れに入れていたコーヒーがこぼれ、床を汚していたのだ。
「こちら、お客様のですか?」
とコーヒー容器を指して聞く車掌に、
「知らん」
と携帯男性。いや、それはあなたのでは……と思うが、彼は腕を組んだまま微動だにしない。
そのうち、彼はその姿勢のままいびきをかいて眠ってしまった。
ああ、典型的な「旧型・日本の駄目なおじさん」だ……。私は、しみじみ思った。特徴としては、
1 仕事先の相手には饒舌だが、それ以外の人間には単語かそれに準ずる最小限の発話しかしない。
2 仕事関係以外の人に迷惑をかけても、謝らない。感謝もしない。
3 他人にケアをされるのが、当たり前だと思っている。
4 1〜3までの特性のせいで威張っているように見えるが、本人はそれが当たり前なので、とくに威張っている意識はない。
男性学が専門の社会学者、田中俊之によれば、日本の40代以上の男性に見られる特徴に、「乱暴・不真面目・大雑把」の3点があるという。
これらは典型的な「昭和型男性」の特徴だが、かつてこれは「男らしさ」と一定の評価を得てきた。
だが現在は、旧来女性にばかり求められてきた、「やさしい、真面目、細かいことに気づける」が、男性にも求められるようになってきたと、田中は指摘する。
背景にあるのは、社会の構造的変化であろう。
戦後の高度成長期の牽引車となったのは、何といっても製造業や建設業などの第2次産業である。
全就業者に占める第2次産業従事者割合は、高度成長期末期の1970年代初頭からバブル期の90年代前半まで34%前後で推移していた。
これがバブル崩壊後の90年代前半から2000年代前半までのたった10年間で、2割まで低下してしまったのである。
第2次産業に代わって伸びてきたのが、周知のようにサービス・医療・福祉などの第3次産業従事者だ。
現在は、この第3次産業従事者が全産業のうち7割を占める。この変化は、望ましい人材像も変化させたといえる。
簡潔に言えば製造業など「ものを相手にする仕事」から、ケアワークなど「対人コミュニケーションを重視する仕事」へと産業の中心が移行したため、男性もそれに応じて変化を余儀なくされているのである。
今、大学生の就職活動などでも、とにかく求められるのは男子も女子も「コミュニケーション・スキル」だ。
かつて高度成長華やかなりし時は、そうではなかった。
とりわけ年率平均9%を超える高い経済成長期には、製造業をはじめとして、若年男性の筋肉量を必要とするような仕事が全国にあった。
だが現在、生産拠点はどんどん安い人件費等を求めて、海外に委譲されるようになってきている。
件の昭和型おじさんを見ていて、しみじみ思った。
おそらく彼らは、最後の「黄金のおじさん世代」なのかもしれない。
おじさんがおじさんでいられるには、周囲も同じくおじさんだらけでおじさん的価値観が準拠枠組となる、「おじさんサークル」環境が必要である。
昭和型おじさんは、「外部非おじさん」人材や環境は視界に入らないし、入れなくても良かった。
おじさんたちはおじさん同士で仕事さえしていれば良かったので、おじさん以外の人たちからのケアを必要とする人種でもあった。
このためバブル崩壊期くらいまで、日本社会はほぼ単語しか発しない、コミュニケーション・スキルに乏しいおじさんであっても、先回って気遣いをしてくれる体勢が整っていた。
だが現在、たとえば管理職世代の「出来る上司」に求められるのは、育休取得する部下への配慮ができる「育ボス」に代表されるような、理解力や度量の大きさである。
そこでは、「外部非おじさん」への想像力やコミュニケーション・スキルも必要とされる。
「外部非おじさん」な人たちとは、いわば「ダイバーシティー(多様な人材)」である。
これが近年重視されてきているのは、生産年齢人口の減少や、産業構成費の変化、それにグローバル化などの社会の構造的変化により、多様な背景を持つ人たちとの協業が必要な時代となったことの証左でもある。
考えてみれば、もともと社会は多様な条件をもつ人々であふれているというのに、これまで日本の雇用環境は「おじさん」か「おじさん的価値観を持つ人」しか職場の主流メンバーとはみなしてこなかった。
これこそが、特異な「ガラパゴス」だったのではないだろうか。
仕事さえしていれば、その他の難点はすべて見逃してもらえる(はずだ)というおじさん的志向は、やはり人間としてはいびつである。
社会学者のマックス・ウェーバーは、近代人はより多くのカネを儲けるための特殊な「専門人」にならざるを得ないが、それにより(仕事の)目的を果たすために合理的手段をとる以外のことに目がむかなくなる「末人たち(Letzte Menschen)」と化すだろう、と論じた。
「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、とうぬぼれるだろう」と。
してみてば、仕事「だけ」に最適化し、その他の人間としての得や他者への配慮をどこかに置いてきてしまった、(駄目な)「昭和型おじさん」とは、ウェーバーのいう「末人」なのか。そして彼の大きないびきは、末人のいびきなのか……。
そんなことを考えながら、新幹線口を後にした。

詩人・社会学者 水無田 気流(みなした きりう)
早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程単位取得満期退学。國學院大學経済学部教授。著書に『シングルマザーの貧困』(光文社新書)、『「居場所」のない男、「時間」がない女』(日本経済新聞出版社)ほか。最新刊で上野千鶴子との対談「非婚ですが、それが何か! ? 結婚リスク時代を生きる」がビジネス社から絶賛発売中。
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