【自主レポート】

第33回愛知自治研集会
第5分科会 医療と介護の連携による安心のまちづくり

 2008年7月7日、岡野俊昭市長(当時)が突如として銚子市立総合病院の休止を記者会見で発表しました。市民の病院存続を求める運動は大きく盛り上がりましたが、病院は同年9月末で休止させられ、その後、岡野市長のリコール成立、出直し市長選挙と混乱が続きました。病院は2010年5月1日に暫定的に再開しましたが、問題は山積しています。この間の病院の休止から再開の経緯、今後の課題・教訓についてレポートします。



銚子市立総合病院の休止から再開にむけた
経緯と課題について

千葉県本部/政策部

1. 地域の拠点病院としての銚子市立総合病院

 1951年に設立された「銚子市立総合病院」は、診療科目は内科、外科をはじめ16科に及び、総合病院としての責務を果たしていました。病床数は、一般223床、結核20床、精神神経150床、計393床を有し、日本大学ならびに千葉大学との医師派遣による協力関係を築き、この銚子の地において高度な医療の提供を実現していました。
 「愛と科学」を理念に患者さんと同じ視点に立った心かよう医療として、銚子市立総合病院は、精神、小児、がん、糖尿病、二次救急等の政策医療を担う地域の拠点病院として多くの入院・外来患者さんを受け入れ、大きな役割を果たし、地域医療の中心を担ってきました。また、2008年4月に改定された「千葉県保健医療計画」の「香取海匝医療圏」の中に、銚子市立総合病院は位置づけられています。
 職員数については、2008年5月末で医師常勤17人(うち2人旭中央病院から派遣)、看護職員124人、医療技術者38人(薬剤師7人・PT8人・OT3人 等)・事務職14人・その他15人の総数208人となっています。

2. 病院休止から市長リコールそして出直し選挙へ

(1) 突然の休止発表と短期間で5万人の反対署名
 岡野俊昭市長は、2008年7月7日、記者会見を行い、千葉県の支援がうけられない等を理由に、銚子市立総合病院を2008年9月30日で休止し、事務職員を除く、189人の職員を分限免職すると発表しました。病院開設者としての責任を放棄した市長に対し、多くの市民が反対運動に立ち上がり、2008年7月19日に、第1回「公的医療を守る市民の集い」が700人の参加で開催されました。この間、銚子市民73,000人(有権者60,000人)に対して「病院休止撤回を求める署名」が実施されていましたが、8月5日には、近隣住民や労働組合の協力も得て短期間に5万人の署名を集め市長に提出しました。
 また、市長の言う「市財政が持たない」「夕張のようになってしまう」という口実に対し、急遽研究者を入れて、自治体議員も含めた財政分析学習会を行い、銚子市が自治体財政健全化法によるイエローカードにも該当しない財政状況であることを確認しました。市財政の危機というより、政策選択の結果であることが明確になりました。

(2) 病院の休止と病院職員の分限免職
① 分限免職回避努力を放棄する病院当局
  7月7日と14日に「銚子市立総合病院の9月末での休止」について、職員説明会が開催されました。当局の説明に対して、医師から多数の抗議や意見が出されました。
  7月11日、連合千葉は「地域医療の確保、銚子市立病院問題」に関して、市民の生命や健康はもとより、千葉県の地域医療全体にも影響を与え、地域医療の崩壊につながりかねないこと、また、この間病院を懸命に支えてきた多くの職員が職を失い路頭に迷うことが懸念されること、さらに、病院関連の産業を中心とした地域経済等への影響を及ぼすことなど、深刻かつ重要な問題として受け止め、県知事と銚子市長に要請書を提出しました。
  銚子病院労組と自治労千葉県本部は、市民とも連携して病院存続にむけた取り組みを進めるとともに、8月11日までに、計6回の団体交渉を病院当局と行ってきました。
  しかし、病院当局が分限免職を回避する努力を放棄し、分限免職後の再就職斡旋に終始し、また、市当局(市長)が交渉参加せず、問題解決への前向きな姿勢がみられないため、銚子病院労組は、8月18日に千葉県地方労働委員会へ不当労働行為の救済を申し立てました。
② 臨時議会で病院の休止を1票差で決定
  岡野市長は、9月定例議会を前に急遽2008年8月18日から22日の臨時議会を招集し、市立病院の定数条例の変更、病院にかかる減額補正予算案を提出しました。多数の市民が議員(定数26人)に働きかけ、市議会を傍聴し、市民と労働組合が協力し超党派による多数派形成に全力を尽くしました。当初の市長提案での賛成16、反対10の力関係を少しずつ転換させ、教育民生委員会では賛成3、反対6で賛成派を制しました。論理では労働組合と市民の主張が勝っていましたが、22日の本会議では、無記名投票の動議が出されるなど紛糾の結果、賛成13、反対12、棄権1で、市長提案が採択される結果となりました。
  「市財政逼迫」の回避策を地域医療切捨てによって乗り切ろうとする市長と半数の議員の判断に、地域住民の反発は強く、マスコミも批判的で、自治体病院関係団体など多くの関係者が不信の色を隠しませんでした。この間、県本部・単組は、連合千葉や自治労本部とも連携し、取りうる限りの対策に取り組んできました。しかし、病院定数廃止条例が成立したことで、銚子市立総合病院の9月末の休止が決定し、病院職員の分限免職が避けられない状況に至ったことから、獲得目標を「全組合員が10月1日までに再就職先・市への任用替えを含め確保すること、より有利な退職条件を確保すること」に切り換え、取り組んできました。
  9月25日に行われた、市議会において、分限免職に伴う4億5千万円の事務組合への特別負担金、千葉大学が運営する精神科診療所と夜間小児救急診療所の開設など、病院休止関連7議案が可決しました。
③ 千葉県労働委員会 第1回審問で和解勧告
  千葉県労働委員会は、9月1日に第1回審問を行いました。その結果、①銚子市は、銚子市立総合病院の休止にあたり、銚子市立病院労組組合員の雇用の確保を含む労働条件変更に関する具体的な内容について、同病院設置者と管理者とが十分に協議したうえで、銚子病院労組に対し、2008年9月6日までに、書面をもって提示し、かつ、その趣旨を説明する、②銚子市は、同月末日までに円満な解決が達成されるよう努める、③銚子病院労組及び銚子市は、真剣かつ誠実に団体交渉を継続する、以上の和解内容を、病院当局と病院労組に対して勧告しました。
  勧告は、6回の団体交渉が不誠実交渉であるという認識のもとに、市長と病院当局に対して「組合員の雇用の確保を含む労働条件変更に関する具体的な内容」を文書で提示することを求めている等、病院労組の主張に沿った内容となっていること、また、9月末病院休止という時間的制約がかけられていることなどを勘案し、和解勧告を受け入れることとしました。
  9月5日に病院当局は、和解勧告に基づき、「雇用の確保を含む労働条件変更に関する提案」を行い、9月19日には銚子市長との交渉がようやく行われましたが、市長部局へ9人を任用替えすること、全職員の就職先確保に最大限努力し、10月以降も相談窓口を設けることなどは回答されました。しかし、財政状況が厳しいことも理由として、整理解雇に対する解決慰労金としての上乗せ支給はできないとの回答に終始しました。
④ 病院職員の雇用確保に全力傾注
  銚子市立病院は2008年9月30日、最後の外来患者の診療を行い、実質上の閉院につながりかねない「休止」となり、58年の歴史に一旦幕を閉じました。そして、市長部局に任用替えとなった4人を除く、職員185人が分限免職(整理解雇)となりました(医師12人、看護師91人、准看護師30人、医療技術者37人、看護助手等15人)。
  組合員の再就職の状況は、9月30日現在、医師を除く177人のうち、就職見込みを含む再就職先の確定者が110人(看護師64人、准看護師20人、医療技術者18人、看護補助等6人)、自宅待機者が49人(看護師26人、准看護師7人、医療技術者11人、看護補助等5人)、就職先が確定していない職員が18人(看護師1人、准看護師4人、医療技術者9人、看護補助等4人)となっています。
  市長部局への任用替えについては9人の募集でしたが、選考の結果4人しか採用されなかったことから、10月10日に再度、市長部局への採用試験を行い、5人の採用を確実に行うよう求めました。その結果、3人が合格し11月1日から市に採用となりました。また、しばらく自宅で待機・休憩することを選択した人もあり、結果として、10月1日からの全職員の雇用確保とはならず、銚子市および銚子病院当局の対応には大変不満が残るものとなりました。

(3) 休止撤回から市長リコールへ
  2008年9月30日に病院は休止しましたが、市民グループは同日集会を開催し、「何とかしよう銚子市政」市民の会として、岡野市長のリコールを行うことを決定しました。
  10月23日、「『何とかしよう銚子市政』市民の会」が岡野市長リコール(解職請求)運動に向けた決起集会を開催し、署名を集める受任者を1,000人近く確保しました。これを受け、市民団体「何とかしよう銚子市政・市民の会」が2008年11月下旬から署名活動を展開。有効署名2万3,405人で確定し、手続きに必要な有権者数の3分の1(2万229人)を超えました。
  銚子市立総合病院の診療休止問題を巡り、市民団体が提起した岡野俊昭市長の解職請求(リコール)の是非を問う住民投票が2009年3月29日、投開票されました。賛成2万958票に対し、反対1万1,590票で、賛成が有効投票総数の過半数を超え、失職が決まりました(当日有権者数は5万9,804人、投票率は56.32%)。
  自治体が運営する大規模な病院が医師不足や財政難で経営に行き詰まるケースは全国的に発生していますが、首長が責任を問われるのは異例のことでした。
  市長選は2009年5月10日告示・17日投開票で行われ、出直し選挙においては銚子市職員の調整手当を専決処分で削減した元職の野平匡邦氏、病院休止を決定した岡野氏ほか、リコールした市民団体の代表や市議会議員など6氏が出馬表明し、乱立する状況となりましたが、元職の野平匡邦氏が当選しました。

3. 難航する病院再開

(1) 市立病院再開を銚子市立病院再生準備機構に委任
① 銚子市立病院再生準備機構を立ち上げ
  2009年5月17日の出直し市長選挙で「公設民営の市民病院の再生」を掲げて当選した野平市長は、「数千人の医師を抱えて全国の公立病院の再建を請け負っている実績のある団体」との積極的な連携による病院再生という構想を選挙中から公言していました。しかし、市長就任後、数ヶ月でその団体との交渉が不調に終わり、当初の構想は断念せざるを得なくなりました。やはり、休止した段階で医師、看護師など医療スタッフを解雇した代償は大きく、医療スタッフをどう集めるかという大きな壁に突き当たっているといえます。
  次に市長が打ち出したのは、「市立病院の再開は超難問」とした上で、高度な専門家集団である「銚子市立病院再生準備機構(以下、「再生準備機構」という)に「市立病院のあり方と再生までの計画」「医師、看護師、職員の確保」「経営主体の確保」「開設後の経営管理」について2009年7月23日に委任契約を締結し、2010年4月の暫定再開を目指すとしました。銚子市と再生準備機構は、2009年8月から3月末まで3,150万円で委任契約を結んでいます。
② 市民報告会(2009年9月30日) 「市立病院再生に向けて」 
  参加者から病院再開について様々な質問が寄せられました。「市長の病院再生の理念は素晴らしいと思うが、市民は結果を求めている。市長は成果があがるという確信のもと、3,150万円の公金を使って再生準備機構に委任したのだろうが、病院の再開を市民に約束できるのか」という市民の質問に対して、野平市長は、「委任契約は、簡単に言うと裁判を弁護士に頼む契約であり、必ずどちらかが勝って、どちらかが負けるという性質のものである。今回の病院再開についても絶対にできるとは言わないが、そういうことを目指しているということをご理解いただきたい。市民、議会に納得してもらえなければ、来年度の予算は市議会で否決されることになるだろう」と答えるに留まっています。
③ 市民報告会(2009年12月25日) 「市政の現状と課題について」
  参加者からの「市立病院が、いつどういう形で再開できるのかという展望を聞きたくて、この報告会に参加している」という発言に対して、野平市長は「私は終始一貫、病院再生は『超難問』と申し上げている。議会でも『あきらめてはいないが、非常に難しい』という言い方で通している。しかし、笠井医師に来ていただいたことで、明らかに第2ステージに入った。もう少しお待ちいただけないか。県庁も千葉大学も旭中央病院もいろいろな動きが出てきた。本当に難問だが、あきらめてはいない。必死に努力しているので、ご理解いただきたい」と一歩前進していることを強調しました。
④ 医療法人財団 銚子市立病院再生機構の設立
  2009年12月1日付で、医師の笠井源吾氏が、東京で再生準備機構と一体的に医師の招聘などの仕事にあたることを理由に、銚子市非常勤特別職参与という肩書で採用されました。翌2010年1月28日の記者会見で、野平市長は、現在休止中の市立総合病院の再開について今年4月の暫定開業を目指すとしたうえで、常勤の医師数について1人(笠井参与)+α(非常勤の医師も何人か想定)、経営形態は「公設民営」(現在、指定管理者制度を軸に複数の案を検討中)と表明しました。
  2010年2月23日、笠井源吾氏を理事長とする医療法人財団 銚子市立病院再生機構の設立総会が開催され、銚子市が計画している市立病院の指定管理業務を請けるなど、地域医療への貢献を目指す、とした設立趣旨書が採択されました。
⑤ 銚子市立病院再生事業計画
  2010年3月11日、再生準備機構は銚子市立病院再生事業計画を発表しました。病院の再開について本年5月開業を目指すとし、また、経営主体について、(ア)公設民営方式の採用、(イ)新設した医療法人財団が指定管理者となり、経営と診療にあたる、(ウ)再生準備機構は指定管理者となる医療法人財団と連携して、必要となる医師、看護師その他の職員の確保、病院再開後における病院運営に関する事項の管理を行う、こととされました。

(2) 病院の暫定スタートとその後の状況
 2008年9月末で休止になっていた銚子市立総合病院は、銚子市から指定管理者として委託を受けた医療法人財団 銚子市立病院再生機構が名前も新しく銚子市立病院として2010年5月1日に再スタートしました。当面は、診療科目は内科外来(常勤医師1人、非常勤医師9人体制、看護師3人、薬剤師1人、検査技師1人)のみの船出となりました。
 銚子市病院再生室によると、銚子市立病院の診療を再開した本年5月から8月末までの1日平均の患者数は5月が10.9人、6月が13.4人、7月が19.5人、8月が23.4人と、徐々には増えているものの当然のことながら厳しい数字に留まっています。
 銚子市立病院再生事業計画で、公的病院としての使命として、(ア)民間医療機関による提供が困難な医療、すなわち救急・小児・周産期・災害・精神などの不採算・特殊部門の医療の提供を将来的に取り入れていく、(イ)千葉県地域医療再生計画に基づき、基幹外来の強化、人間ドック・2次検診の強化を図る、の2点を掲げ、2014年度に10診療科、常勤医師30人、200床の体制で黒字を目指す、としています。今後、再生事業計画に沿って医師をはじめとする医療スタッフを確保できるかどうかが、病院再生の鍵といえます。

4. 病院休止そして再開から見えてくるもの

 岡野前市長の言う「市財政が持たない」「夕張のようになってしまう」という休止の理由は、研究者の指摘からも根拠のないことが明らかとなりました。小泉構造改革下での新自由主義的な国の施策に原因はあるものの、前市長をはじめとする市幹部に病院経営という視点が欠けていたこと、そして、香取海匝保健医療圏の中での銚子市立病院の役割を十分踏まえて、銚子市民の健康増進をはかるという施策の展開が不十分であったことが休止に至った大きな原因である、と思われます。
 市立病院の存続・再開をこの間積極的に取り組んできた銚子市議会議員の加瀬庫蔵氏は、(ア)銚子市民の平均寿命が千葉県内最低となっていること、特に人口10万人あたりのガンの死亡者数(2007年)が、全国266.7人、千葉県232.2人と比べ、銚子市の387.9人がダントツに高いこと、(イ)急激な人口減少と高齢化の進行の中で、同居世帯が減って低収入の単身世帯・夫婦世帯が増加していること、(ウ)介護認定者で特別養護老人ホーム待機者286人(2010年5月現在)のうち要介護度3以上が60%を占め、その内50%が在宅介護であること、(エ)介護予防事業に参加している高齢者は高齢者人口の5%とわずかであること、などから銚子市が「土建自治体」から脱却し、行政が責任を持って医療・福祉政策を軸とした健康な街づくりを推進することを主張しています。そして、その中で市立病院の役割を明確にして全国の医療関係者へ呼びかけることの重要性を指摘しています。
 病院休止という大きな代償を払いましたが、加瀬庫蔵氏のような行政任せではない問題提起が出されてきたことが極めて意味あることであり、銚子市の中で医療福祉政策の充実と病院再生にむけた腰を落ち着けた議論が深まることが期待されます。そして、そのことが「急がば回れ」で、病院再生の近道なのかもしれません。

5. まとめ

 自治労千葉県本部は、岡野前市長の突然の銚子市立総合病院の休止発表に対して、病院存続を求めるとともに病院で働く職員の解雇撤回と雇用確保をめざして取り組みを進めてきました。しかし、結果として職員の分限免職を回避できなかったことは、県本部・単組の取り組みの弱さといえます。
 すなわち、医療崩壊といわれている中で、県本部・単組の日常的な活動として、公立病院の機能と役割の再評価、医師・看護師確保対策、財源確保対策など病院の経営的な観点から市民、地方連合会、医療関係者等と連携した広範な取り組みが必要だということです。
 銚子市立病院の再生は端緒についたところです。地域主権改革が進められようとしている中で、銚子市民のニーズを踏まえ、銚子市のおかれている状況を十分に考慮した政策を検討・作成し、実行に移していくことが重要となっています。銚子病院労組の解散大会で「やはり銚子で働きたい」という銚子市外で働くことを余儀なくされた組合員の思いを大切して、地域の拠点病院として再生できるように、取り組む決意を述べて、まとめとします。