【自主レポート】

第38回地方自治研究全国集会
第5分科会 下北半島で考える「原子力政策と自治・財政」の未来

 福島県大熊町は、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響により、町内全域が避難指示区域となりました。その後、国直轄の除染により2019年4月に町内一部区域の避難指示が解除され、2022年中には中心市街地の一部も避難指示が解除される予定です。一方で、汚染廃棄物を30年にわたって保管する中間貯蔵施設と、40年以上かかると言われている原発の廃炉作業という大きな課題に向き合う苦悩について報告します。



東日本大震災と原発事故からの復興と課題
―― 震災から10年を迎えて ――

福島県本部/大熊町職員労働組合・書記長 愛場  学

1. 全町避難から8年振りの避難指示解除


現在の大熊町の避難指示区域等の状況
役場新庁舎の開庁式
 私のふるさとである福島県大熊町は、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故により、町内全域が避難指示区域となり、町民全員の避難を余儀なくされ、役場機能も会津若松市に移転しました。
 その後、町内の除染作業が進められ、全町避難から8年が経過した2019年4月に、町内の一部が避難指示解除され、翌5月からは避難指示解除区域内の大川原地区内に新たに建設された役場新庁舎にて業務を再開しました。
 元の庁舎は立ち入りが制限されている帰還困難区域内にあり今も利用することはできませんが、それでも8年振りに町内で業務ができることになったことは本当に嬉しく、涙が出る思いでした。
 しかし、避難指示が解除になったのは、事故前は町民の約4パーセントしか住んでいなかった大川原地区と山間部の中屋敷地区のみで、未だ町内のほとんどが立ち入り規制されている帰還困難区域のままです。

2. 本格的な復興に伴う職員の苦悩

公営住宅等の建設が進められる復興拠点
 そのため、職員のほとんどが、多くの町民が今の避難生活を続けているいわき市内から1時間ほどかけて通勤しています。中には、家庭の事情で、事故発生後の最初の大熊町の避難先だった会津若松市から自家用車で2時間以上かけて通勤している職員もいます。
 町は、通勤の負担軽減を図るために新庁舎の近くに職員専用のアパートを建設し、今は20人ほどの職員が住んでいます。私もそのアパートに住んでおり、通勤は非常にラクになりましたが、長距離通勤をしている職員には疲労が蓄積しています。さらに、町内の復興業務が本格化して慢性的な残業が続いており、多くの職員は夜遅くまで残業して1時間以上かけて帰宅する日々を送っています。
 避難指示が解除になった大川原地区は復興拠点と位置づけられ、新庁舎をはじめ復興公営住宅や認知症の高齢者のためのグループホームが建設され、少しずつ町民の帰還がはじまっています。しかし、2020年10月現在で帰還した町民は、震災前の人口11,500人に対し、3パーセントの約300人という状況です。
 今後、大川原地区には、商業施設や交流施設、宿泊施設等の建設が予定されており、さらには、認定こども園と小中一貫の教育施設の建設も予定されています。
 また、帰還困難区域となっている町の中心部も特定復興再生拠点区域として国直轄の除染が進められ、2022年度中には避難指示解除が予定されています。様々な施設整備と避難指示解除は明るい話題ではありますが、町民からは「復興が遅い」という意見があり、議員からも「スピード感を持った対応を」と注文が出されています。
 職員はもちろん頑張っていますが、あまりに多くの復興業務が重くのしかかかり、個々の職員の能力を超えていると私自身も感じています。
 現在は、経済産業省や環境省などの国の職員をはじめ、県や他自治体の職員の応援を受けながら復興業務を進めています。しかし、それでも重い負担感が払しょくできず、昨年中途退職者が出てしまいました。また、新入職員を募集しても思うように応募がない中、昨年度採用の新入職員7人のうち、2人が辞めてしまうという危機的な事態になっています。
 避難指示が解除されたことと、町内での業務が再開できたことは嬉しいことです。それでも職員が辞めてしまうのはどこに問題があるのでしょうか。それは、震災後ずっと続いている先の見えない復興業務、それに加えて、町が今後どのようになるのかという不安が、心の余裕を奪ってしまっているのではと感じています。

3. 中間貯蔵施設と原発廃炉という二重の課題

 大熊町が復興に向けて前進している一方で大きな二つの課題が、県内で発生した汚染廃棄物を30年にわたって保管する中間貯蔵施設と、40年以上かかると言われている東京電力福島第一原子力発電所の廃炉作業です。
中間貯蔵施設へ運ばれる汚染廃棄物 40年以上かかる原発の廃炉作業

 中間貯蔵施設は、町内を縦断する国道6号線の東側全域に位置しており、2,000人以上の地権者が先祖代々守ってきた土地を手放すという苦渋の決断のもと、町土の7分の1にあたる約12平方キロメートルという広大な敷地に、県内から運ばれた汚染廃棄物が30年間保管される予定です。
 福島第一原子力発電所の廃炉作業には、町内外から6,000人以上の作業員が従事しており、技術開発を前提に40年後の廃炉完了をめざしています。
 この中間貯蔵施設と原発の廃炉という二つの大きな課題と向き合いながら、大熊町の復興に取り組まなくてはいけません。

4. 今後の町の復興に向けて

 原発事故は、町の様相を一変させました。全町避難から10年が経過しようとしておりますが、一部避難指示が解除になったものの、ふるさとの街並みはなくなり、町民もバラバラになってしまいました。
 時間と共に原発事故は人の記憶から薄れていき、もう落ち着いていると思われがちですが、未だ事故は収束していない状況です。
 私は、町の状況を理解してもらうため多くの方々に大熊町まで足を運んでほしいと思っています。そして、町の復興に力を貸してほしいと思っています。
 以前は、震災と原発事故が発生する前の大熊町に戻したい、そのために町民に避難先から戻ってほしいという思いがありましたが、今は町民だけでなく、新しい住民や大熊町に関わりたいという人々とともに新しい町づくりをすることが必要だと思っています。
 これからも、町の復興には様々な苦難が続くと思いますが、いろいろな方々の協力を得ながら、お互いを励まし合いながら、前向きに頑張っていきたいと思います。
 そして、私が定年退職するころには、「大震災と原発事故から復興を果たした町」として、世界に誇れるようになっていればと思っています。