【自主レポート】

第38回地方自治研究全国集会
第11分科会 青森で探る「自治研のカタチ」

 2005年10月、旧柿木村と旧六日市町が合併し、吉賀町が発足。吉賀町職員労働組合が誕生しました。
 あれから十数年が経ちましたが、自治研部が先頭に立って組合全体をとりまとめ、自治研活動に取り組んだことは、一度もありませんでした。
 自治体職員に対する地域住民の目が日に日に厳しくなる中で、何の活動もせず、自分たちの組織について知ってもらう努力もせず、職場環境が勝手に改善されるほど、私たちの置かれている状況は甘くはありません。
 この状況を打破するために、今、私たちにできることは何か。
 吉賀町職員労働組合、はじめての自治研活動についての記録です。



はじめての自治研活動
―― 私たちの取り組み ――

島根県本部/吉賀町職員労働組合 濱田真由美

1. はじめに

 2018年12月、吉賀町職員労働組合に大きな衝撃が走りました。私たち組合員の耳に飛び込んできたのは、給与条例案否決の知らせでした。
 2018確定闘争時に「人事院勧告に準じて基本賃金を改定すること」「実施時期は4月1日に遡及適用すること」として労使合意したにもかかわらず、第4回吉賀町議会定例会において、人事院勧告に基づく給与条例案が反対多数で否決されたのです。
 私たちにとって人事院勧告は労働基本権の代償措置です。組合は強く抗議し、当局からは確認書の履行ができなかったことに対する謝罪がありました。結果としては、1月1日適用での改定となりましたが、このことで私たち組合員は改めて、住民や議会から自治体職員に対して厳しい目が向けられているという事実を痛感することとなったのです。
 議会に私たちの声を届けることができるよう、組織内議員を擁立することや、政治学習、政治闘争などの取り組みにより、組織を強化していくことの重要性を再認識しつつ、こうした現状を少しでも改善するためには、やはり自治研活動による地域貢献などを通じ、労働運動、組合活動に対し、住民の理解を得られる職員労働組合の姿を示していく必要があると感じました。
 2019年1月、新体制となって活動を開始した自治研部は部会を開催。地域との連携をめざした取り組みの実施を目標に、今、私たちにできることは何かを話し合いました。
 しかしながら、これまで自治研部として定期的に実施している活動はなく、どのような取り組みが地域貢献につながるのか、どうすれば私たちの自己満足にならず、地域の声を反映させた取り組みになるのか、さらに地域住民に職員労働組合の取り組みを知ってもらうためにはどのような方法が有効なのか、そんなことを考えれば考えるほど活動を絞り込むことができず、計画を立てられずにいました。

2. 大規模建物火災発生

ボランティア活動の様子
 5月、吉賀町七日市地区の家屋が連なる地域で大規模な建物火災が発生。住宅や倉庫など合計22棟・約2,300m2を焼失しました。全焼した民家は8棟にも及び、すぐに社会福祉協議会によるボランティアセンターが開設され、町内外からボランティアが集まり、復旧作業を進めることになりました。
 職員として休日返上で現場の作業にあたった者も多くいましたが、組合としてもボランティア活動への参加を決定。自治研部が中心となって参加者を募り、ボランティア登録を行いました。
 当日の作業はボランティアセンターがとりまとめ、ボランティアは数人を1グループとして各現場に派遣されました。
 火災から数日経ってもなお、物の焼け焦げた臭いが充満する現場では、100人を超えるボランティアや無償で産業廃棄物を運び出す運送業者が、真っ黒になって作業を進めていました。
 私たちはガラスや釘の散乱する足元の不安定な現場で、使用できなくなった家財道具の搬出や、瓦礫の撤去などの作業にあたりましたが、積もった灰が風で舞い上がり、ゴーグルやマスクの着用があっても呼吸がむずかしくなるほどでした。
 気温の高い日もあり、日差しをさえぎるもののない屋外では作業する者の体力もすぐに奪われるため、配布される飲み物やタオルでこまめに休息をとり、参加者同士、互いに声をかけあいながら、作業は少しずつ、少しずつ、進められていきました。

3. 通学路の見守り活動

 火災現場の近くには小・中学校、高等学校があり、火災を目の当たりにした子どもたちも多くいました。現場付近には通学路もあったため、産廃業者の大型車両の出入りが続く間、通学路には規制がかかり、子どもたちは通常とは異なる道を徒歩や自転車で通学することとなりました。火災発生の翌日は臨時休校となりましたが、火災について全国放送のTVニュースでもとりあげられたため、多くのマスコミがかけつけ、中には登校中の子どもたちに取材を試みる記者たちの姿も見受けられました。
 子どもたちの抱える不安が容易に想像される中で、火災現場での復旧作業のほかにも、何かできることはないものかと模索していた組合は各校へ連絡をとり、要望を聴取。すると、変更となった通学路は子どもたちが普段利用しない道であり、歩道の整備されていない箇所の通行や、交通量の多い国道の横断があるため非常に心配である、との話がありました。
 これをうけて、自治研部では通学路の見守り活動を実施することとし、早朝の子どもたちが登校する時間帯に組合員を配置。危険箇所の交通立哨、登校班への付き添いなどを行いました。
 部活動の早朝練習の有無などによって変更する登校時間にも対応し、朝7時頃から最大7人の組合員を配置。多くの組合員が積極的に参加し、通学路の規制が解除されるまでの約3週間、組合員延べ80人が交代で子どもたちの登校を見守りました。

見守り活動の様子

4. 美化活動

 見守り活動中、登校班に付き添った組合員が子どもたちから通学路に関しての話を聞く機会がありました。
 それは、「歩道の草が夏にむけてぐんぐんと成長し、自分たちの背丈に並ぶほどになる。草は通学路のあちこちでのびており、通行を邪魔している。」という内容のものでした。
 町は施政方針において、町道など生活に身近な道路の安心・安全な道路環境の確保を掲げており、とりわけ通学路においては関係機関が連携して安全点検を実施し、日々の交通に支障を及ぼすことがないよう維持管理に努めることとしています。
 しかしながら、子どもたちの話をうけて実際に町内の通学路を確認したところ、通行を妨げるには十分な背丈の草が、いたるところで歩道をふさいでいる現状がありました。
 6月、これをうけて自治研部では通学路の除草及び清掃作業に、自治研活動として取り組むことを決定。組合員に参加を呼びかけたところ、休日の活動であったにもかかわらず、組合員の半数近くが手をあげました。
 作業は、通学路の中でもより多くの児童が通行する国道187号線沿いの歩道を重点的に行うことに決めました。
 草刈機の使用も検討しましたが、石が飛んで通行中の車に傷をつけてしまうことが懸念されたため、
美化活動の様子
除草は手作業で行うこととしました。火災現場でのボランティア活動を参考に、私たちの美化活動も数人を1グループとし、ケガや事故のない取り組みになるよう各グループのリーダーと事前協議を重ねました。
 当日は小雨の降る中での作業となりましたが、国道187号線沿いの歩道で各グループが一斉に作業を開始。この日のためにつくった、背中に「吉賀町職員労働組合」と印字されたおそろいのポロシャツが、あちこちで真剣に作業に取り組む姿は見ていて本当に誇らしくありました。

5. 寄せられた声

 美化活動の最中、とても嬉しいことが起こりました。地域住民の方が作業中の組合員に声をかけ、「一緒に活動させてほしい」と、除草作業に加わってくれたのです。
 当日、国道を通行して作業を目撃した地域住民からの反響も大きく、「役場職員がボランティア活動をしているのを見た。良い取り組みだと思った。」というような声がたくさん組合に届きました。
 活動の様子は自分たちで撮影し、原稿をつくって地域のケーブルテレビに投稿。活動の翌週には放送してもらうことができました。放送をみた住民からは、「こうした取り組みはこれからも続けてほしい。」という要望もいただきました。
 また、参加した若年層組合員からも、「とても有意義な活動だった。はじめて自分たちの組合活動が意味のあるものだと思えた。」など、嬉しい感想が寄せられました。

6. 終わりに

 当初、自治研部会を開催して会議室で活動内容について話し合っていた時には、みんなで意見を出し合っても、これだという具体的な取り組みをみつけることができませんでした。何ひとつ活動計画を立てられないまま動きだした自治研部でしたが、こうして振り返ってみれば、結果的に自治研部が中心となって様々な自治研活動を展開することができていたように思います。
 今、私たちにできることは何か。
 結局、その答えを会議室でみつけることはできませんでした。
 火災現場でのボランティア活動に参加したことで、私たちは初めて組合として地域に入り、自分たちの目で地域の現状を見て、住民の声を聞きました。一日も早い復旧を望む被災者の想いや、子どもたちの不安な気持ちに寄り添うことで、私たちはようやく自分たちの取り組むべき活動をみつけることができたのです。
 会議室で頭を抱えているだけではなく、まずは地域に入り、住民の声を聞くこと。地域が抱える不安や課題に向き合い、それを活動に反映させること。活動そのものはおおげさなものでなくても、小さな取り組みを積み重ねていくこと。
 組合員ひとりひとりが、住民としての立場や視点で物事をとらえることを意識して日頃から地域のためにできることを探し、自分たちの活動を地域住民に知ってもらう努力をすること。
 そうした組合員の取り組みへの姿勢こそが、継続的な自治研活動の実現を可能にするのかもしれない、と強く感じました。
 私たちの自治研活動は、迷いながらの小さな一歩から始まりました。
 けれどその一歩が次の一歩へとつながり、新たな吉賀町職員労働組合の歩みになりつつあります。
 私たちはこれからもその歩みを止めることなく、少しずつでも、地域住民に理解される職員労働組合として、自分たちの道を切り開いていきたいと思っています。