【自主レポート】
「自立の道」を歩むこととした取り組みと住民との合意
北海道本部/西興部村役場職員組合・執行委員長 小崎 稔勝
|
西興部村役場職員組合から西興部村がこの間の市町村合併の問題において「自立の道」を歩むこととした経過と取り組み、住民との合意について紹介したいと思います。
まず、市町村合併問題においては、地域の事情が大きく違うという点が有りますので、ご承知とは思いますが簡単に西興部村の概要を紹介します。
位置は、オホーツク海のちょうど中間程度に位置する紋別市を中心とする西紋別地区に位置しており、今回合併の検討をした範囲ですが、当村と「興部町」「滝上町」「雄武町」「紋別市」の5市町村です。
本村からの距離と車の所要時間については、表1のとおりで、紋別市までは1時間です。
交通では、名寄本線が平成元年に廃止され、現在、紋別市或いは名寄市まで関係市町村がそれぞれ負担して代替バスを運行しています。
次に、人口と面積ですが、平成12年の国勢調査では、北海道で一番人口が少く、現在の住民基本台帳では下から4番目となっています。65歳以上の高齢者の割合も32%と高く、人口の推移については、表2のとおりで、平成2年~平成12年の人口が横ばいになっておりますが、これは福祉施設を開設した事や、第三セクターによる事業開始により施設入所者やそこに働く職員や家族などが増加し、一時的に人口の減少よりも増加の方が多かったためで、7月末の人口は1,238人と減少しています。
役場の職員数については、特別職3名を入れて、合計で54名ですが、消防(一部事務組合派遣)9名の他、病院、保育所などの施設を除くと、38名(教育委員会職員含む)の小さな役場です。
表2 人口の推移 |
 |
※16.7.31.現在 1,238人
|
面積は308.12km2ですが、ほとんどが山に囲まれておりまして、89%が山林で、その内82%を道有林が占めており、農用地は5%に満たない程です。
産業の状況ですが、基幹産業は農業で、酪農専業経営で16戸2法人の農業者で乳牛2,420頭を飼育しています。また、福祉の村づくりを村の柱の一つとして力を入れており、高齢者の為の特別養護老人ホーム、ケアハウス、障害者のための知的障害者更生施設、グループホームなど、それが人口の割合に多く、福祉施設の入所者、職員や家族などを含めると全人口の2割近い人達が福祉関連にいると言う事が特徴的な人口構成になっています。その他に、第三セクターによる事業もあり、ホテル森夢25人、楽器材工場(エレキギター)26人などが、人口の減少の歯止めになっているものと考えています。
就業人口の状況は、表3のとおりです。
表3 |
(人)H12国勢調査
|
 |
財政状況ですが、以下の通りです。
1. 予算規模 26億5千万円(H16当初予算)
2. 借入金残高 53億1千万円(一般会計H15年度末)
5億1千万円(特別会計H15年度末)
3. 基金残高 61億4千万円(H15年度末)
4. 各種財政指数
単位:千円、%
|
 |
以上が概要ですが、このように、典型的な高齢化が進む過疎の村で、当然ですが今回合併を検討した他の市町と比べても人口が一番小さく、合併してもマイナス要因の強い条件下にあることが言えます。唯、61億円の基金を積み立てており、急激な交付税等の減少がない限りは、何年かは分かりませんが単独でも行政を続けることが出来る可能性が有ると考えています。
さて、このような地域事情の中で、本格的に市町村合併問題に取り組んだのは平成14年度に入ってからです。国は平成11年から合併特例法の改正で「あめとムチ」と言われる合併特例債の創設などの優遇措置を行い平成17年3月31日までの期限を設け、地方分権の一方で国や地方の財政の悪化から強力に合併を推進することとしました。平成12年9月に北海道が合併パターン案を公表するなど市町村合併問題が全国的に浸透してきた中、村では平成13年6月定例村議会において市町村合併に対する考え方に対して一般質問が出されました。村は現時点においては「合併の意志はない」との答弁したところですが、財源の大部分を国に依存している中で、補助金や地方交付税が大幅に削減されてきているなどの背景があり、「合併するにしてもしないにしても行政は、住民が判断するためのより細かな情報を明らかにする義務があり、その作業を怠れば将来その重い責めを負わなければならない」との理念から村は、平成14年に助役を筆頭とする庁内組織として市町村合併検討会議を設け本格的に取り組みを始めました。当面は、議会や住民に公表するための情報の整理と将来の財政推計をはじめとする資料の作成などを行う事としました。
同年8月にこの時点での整理が概ね出来た段階で、職員の合併問題に対する認識を高めるとともに資料の精査を行うため職員を対象に勉強会を2回開催し、各課討議を行って資料の整理を行い、9月に議会との勉強会を開催し、10月には市町村合併に対する住民の意識を高めるとともに、合併することが本当に良いのかみんなで考える機会として、川村喜芳旭川大学教授(前北海道町村会専務理事)を迎えて市町村合併講演会を開催しました。
講演会開催後、11月には住民に対する詳しい説明と意見を聞くため住民懇談会を開催する事としました。ここでの村の市町村合併に対する姿勢は、合併しないで西興部村として行政を続けていけるなら、住民にとっても村にとっても良いことだろうと言うことと、一方では合併するにしても西興部村が有る程度の意見が言える規模との合併が望ましいと考えていました。これは、人口規模が一番小さな西興部村が合併すると言うことになると一つの小さな集落になり、これまで実施してきた村独自の政策が出来なくなると言うことと、人口も合併しないときに比べて合併後は著しく減少し、荒廃していくものと予想するからです。
この時点での財政推計は、平成16年度から赤字に成るものと推計されましたが、幸いにもこれまでに積み立ててきた基金の総額が約60億円で有り、当分の間は基金で対応できる事になりますが、このままではいつかは基金が底をつきます。持続可能な財政運営をするためには、約1億円の一般財源を削減し、合併しないとしても住民への説明は痛みが伴うというような主旨で説明することとしました。ただし、具体的な1億円の削減内容はこの時点では説明できない状況でした。
懇談会は例年実施している予算時期の懇談会と合わせて、国の動きや将来の財政推計、一般的な合併した場合のメリットデメリットを説明しましたが、初めての説明であることもあり、住民にとって合併問題への関心が低い事が感じられました。このままでは住民が判断できる状況にはほど遠く、合併問題に対する関心を深めるためには、合併しないのと合併した場合との村の行政は、どんなサービスが無くなりどのように住民の生活が変わるのかなど、より分かりやすく具体的な情報の提供が必要であることを感じましたし、住民からも「情報提供をもっとしてほしい」や「もっとたくさんの人の意見も聞くべきである」などの意見が出されました。
これを受けて住民に対して合併情報紙の発行を通して情報を提供し、商工或いは商工青年部、農業者或いは福祉施設、役場職員というような職域単位で個別に懇談会を開催しました。懇談会の中では、商工関係からの合併反対と言う強い要望をはじめ、他の懇談会でも「合併すべき」の声は有りませんでした。
この様な中で10月に入り、国は大きく動き出しました。3,200自治体を1,000に集約する目標が思うように進んでいない現状を踏まえ、自民党の地方行政調査会と地方制度調査会(地制調)は、合併しない小規模自治体(人口1万人未満)に対して強制合併ともとれる、「業務を窓口サービスに限定」、「地方交付税の優遇措置(段階補正)の縮小」などの検討に入った事が新聞紙上で公表されました。そして11月1日に、いわゆる西尾私案が公表され、内容は強制合併色の強いものでした。村のこれまでの姿勢から行くと当然理解できるものではなく、この内容は西興部村にとっては死活問題です。しかし、一方では強制合併も視野に入れながらこの合併問題を整理していかなければならない事も認識し、後の地制調の中間報告までこの動きがどうなるのかが最大の焦点でした。
一方、国の動きを受けて、11月に紋別市長の呼びかけで「近いうちに市町村合併について協議する機会を設けたい」とのことで西紋地区5市町村(紋別市、興部町、滝上町、西興部村、雄武町)の動きが始まりました。平成15年2月に初めての協議が行われ、紋別市より「合併特例法の期限までを考えると3月にも合併調査研究会(任意協議会)を立ち上げて、6月には法定協議会を作りたい。」との提案がありました。村は、国の小規模自治体の取り扱いが不明な段階で、強制合併も考慮すると参加せざるを得ないと判断し協議を進める事について了承しました。ただし、5月上旬にも出されるという地方制度調査会の中間報告の動向によって、法定協議会への参加を決めたい考えであり、その間は、住民の意見を少しでも多く聞くため先ほどお話しした懇談会や議会との勉強会などを開催しました。
また、北海道ニセコ・逢坂誠二町長、福島県矢祭町・根本良一町長、群馬県上野村・黒澤丈夫村長、福岡県大木町・石川隆文町長、長野県栄村・高橋彦芳村長の五人の呼びかけで、翌年2月に長野県栄村で「小さくても輝く自治体フォーラム」が開催されることとなりました。これは、西尾私案を受け、合併は自主的が原則で強制は許されなく、小規模自治体さえ認めない国の姿勢に反論するもので、西興部村と意を同じくする自治体との情報交換の場も大切であるとの認識から村長はこのフォーラムに参加することとしました。46首長、107自治体、総勢600人が集まり、長野県田中知事の基調講演や合併しない宣言をした福島県矢祭町長などの話を聞き、「国の方針はまだ決まっていない。これからがスタートだがんばろう。」と結びました。あらためて自立の方向への意志を強めてきたわけです。
さて、5月6日地制調の中間報告が出されたが、既に3月の段階で地方6団体からの反発が強く、西尾私案の強制合併部分については国は捨てるだろうと言う西尾副会長の話があったので特に大きな影響はありませんでした。むしろ、「合併しないで出来るのならば」と言う意向が強くなった程です。もちろん11月の最終答申までは分かりませんが、この時点で、合併しないで単独で行政を進める方向に進むことを前提に、自立計画である「行財政改革大綱」を住民の代表が組織する行財政改革推進委員会で検討し、何を削減し、何が住民にとって痛みなのかを具体的に住民自らが出す事とし、これらを考慮して財政推計も再試算しました。その上で、住民に説明し住民の理解を得ることが出来れば、当分の間合併はしない決断を最終的にする考えで進めることとしました。
その行財政改革の内容ですが、<資料1>行財政改革集計表の通りで、「最終年度削減計画C」欄のうち、小計欄39,019千円については、18年度までに削減する計画額を示しており、合計欄50,000千円と職員退職者不補充分24,000千円が平成20年度までに削減する計画額になっています。また、三位一体改革の動向により平成18年度にこの計画を見直すこととしております。内容は、特に住民生活を大きく揺るがすものではなく、「奨励的なものの廃止や少し我慢すれば」と言うようなことで、職員等の人件費についても人事院勧告以外の削減は平成18年度の計画見直し時に検討されることとなっております。「この程度の削減で良いのだろうか」と思われるでしょうが、検討段階ではこの他に「敬老祝い金」「エンゼル祝い金」の奨励的なものも廃止する提案などもありました。しかし、60億円という基金を積み立てており、「お金があるのにどうして削減するのか」と言う疑問もあることから、高齢者や少子化に配慮した内容で理解を求める内容となりました。また、平成18年度以降の約11,000千円の内容は具体的に決まっておらず、改めて計画見直しの段階で住民に理解を求めることとしています。また、これらを考慮した財政推計は<資料2>の通りです。
このようなことで、約4ヶ月程かけて行財政改革大綱をまとめ、11月上旬に4地区において住民懇談会を開催し意見を聞くこととしました。その間、長野県栄村の村長を迎えて講演会の開催、合併情報誌の発行などをしてきました。懇談会ではこれまでの経過と、行政改革の内容を具体的に何がどう変わるのかを説明し、理解が得られれば議会と相談し可能な限り自立の道を歩んでいきたいとの意志を伝えました。住民からはいくつかの質問は出ましたが、反対の声は上がりませんでした。中には「人口の減少や交付税の減少など状況を見て将来を考え悔いのない判断をしてほしい」との慎重な声もありましたが、「合併すべきである」「合併はやむを得ない」との声は一つもありませんでした。住民にとってもこれまでの経過から「出来ることなら合併はしたくない」と言う意向が強く感じられましたし、財政的にも多少の我慢で済む計画でしたから、住民投票などの要望も出ませんでしたし、住民との合意にあたってはそれほど大きな問題がなかったのが実態です。また、職員組合としても人事院勧告以外の削減は今後の検討事項に記載することで合意したところです。
村長は、これまで1年半にわたって、住民懇談会や職種別懇談会、書面や電子メールによる意見など延べ400人以上の村民との話し合いの結果、11月下旬に西紋5市町村合併調査研究会から脱退する旨を伝え、12月定例議会で正式に当分の間合併しないことを村の有線テレビで議会生放送を通じて村民に表明しました。その理由として、
1. 合併すると村は端っこの小さな集落となり、瞬く間に寂れていく恐れがある。
2. 議会への代表を1人しか遅れなく、住民の意思を伝えきれない。
3. 国が言う合併による行政の効率化や財政支援は、村には必ずしも当てはまらない。
4. 少し我慢すれば持続可能な財政推計が出来る。
などからなるものです。しかし、合併しないことを決定したが単独で行政を行うことは、地方分権、三位一体改革など国は様々な議論の中で先行きは不透明で、一段と厳しさを増してくると考えると簡単なものではありません。村民の意志を踏まえて決定した「合併せずに単独で行く道」が、今後においても誤りでなかったと言える村づくりを村は進めていかなければなりません。そうでなければ、本当の意味で住民との合意が出来たことにはならないからです。
したがって、「自立の村づくり」の基本姿勢に基づいて、新しい行政と村民の協同関係や村民の行政参画システムづくりなど具体的に進めていく課題はたくさんあります。市町村合併問題は、自立することを決めた事で解決したのではなく、自立を決めてから始まったとも言えるわけです。村は、「小さいから出来る」、「西興部村だから出来る」と言う行政を進めて行き「小さくても輝く村づくり」を実践することを誓ったわけで、最後までその責任を果たすことで最終的な問題の終結だと言えます。
最後に、市町村合併の問題は、地域の事情や財政事情、その時々の市町村が抱えている課題などがそれぞれ大きく異なりますので、「考え方に答えがない」という事で、西興部村が「自立の道」を選択しましたけれども、一事例であり、それぞれの市町村が行政と議会と住民とが十分に協議し、判断されるものとだと考えます。
<資料1> 第3次行財政改革集計表(H16当初予算時)
<資料2> 財政の将来推計
|