【要請レポート】
対馬における合併について
長崎県本部/対馬市職員労働組合・執行委員長 松本 政美
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1. 対馬市の概況
(1) 全体概況
対馬は九州最北端の日本海に浮かぶ一島一市の島で、北は朝鮮海峡を隔て朝鮮半島に、南は対馬海峡を隔て壱岐島、九州本土に面した国境の島でもあります。人口は約4万人余で基幹産業は、農林水産業を中心とする第1次産業となっています。
南北に約82km、東西が約18kmの細長い島で、海岸は沈降、隆起によるリアス式海岸となっています。特に対馬を南北に分断する浅茅湾は、おぼれ谷の様相を呈し、大小無数の入江と島からなるその姿は、対馬の最景勝地でもあります。
面積は708.61km2で、佐渡・奄美大島に次いで3番目の島であり、長崎県全体の面積の17.3%を占めています。
対馬市は平成16年3月1日に旧6町(厳原町・美津島町・豊玉町・峰町・上県町・上対馬町)が対等合併をして、新たな市として誕生致しました。
(2) 対馬の自然環境と歴史
対馬は位置的に博多(福岡市)まで138kmに対し、韓国の釜山までは49.5kmと近く、晴れた日には水平線に朝鮮半島を望むことができる国境の島であります。古代より大陸から石器文化をはじめ稲作・仏教・漢字などを伝える窓口としての役割を果たし、朝鮮半島との間では人的・物的交流が盛んに行われていました。元寇或いは豊臣秀吉による文禄・慶長の役という負の歴史もありますが、対馬藩宗家10万石は朝鮮貿易により栄え、対馬厳原で行われるアリラン祭りでは通信使行列の再現を行っており、現在においても、今後のその交流は重要なものとなっています。また、大陸系の生物も数多く生息しており、ツシマヤマネコは対馬でしか見ることのできない生物であり、渡り鳥の中継地でもあることからアカハラダカをはじめ世界有数の野鳥観測地でもあります。
(3) 人口と産業構造
対馬の総人口は、昭和35年の7万人をピークとして、減少を続けておりますが、世帯数は昭和55年以降は横ばい状態であり、核家族化が進んでいる事が推測されます。これに、高齢化率の増加を考えると高齢者独居、或いは高齢者世帯が増えていることが核家族化の一因と併せ大きな社会問題ともなっています。
産業構造は、第1次産業の割合が高く、漁業は第一次産業の82.6%を占める島の基幹産業であります。しかしながら、漁獲量は年々減少傾向にあり、これはイカ釣漁業の不振と真珠を中心とする海面養殖業の不振が大きな原因となっており、それに伴い若手漁業者を中心に就業者は減少をしています。次に、全島の89%を占める林業は、従来の木材生産主体からしいたけ栽培主体へと大きく転換していますが、就労者の減少・高齢化がすすんでいます。一方第2次産業は、公共工事が多いことから建設業の占める割合が高く、対馬の主要な産業の一つにもなっています。近年の公共土木工事の減少は、対馬島にとっては大きな死活問題でもあります。また、第3次産業では、飲食料品小売業を中心に厳原・美津島地区に集積し、観光については、対馬独自の豊かな観光資源により国際航路の開設等により観光客は増加傾向にあります。
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昭和50年
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昭和55年
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昭和60年
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平成2年
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平成7年
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平成12年
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総人口 |
52,472
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50,810
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48,875
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46,064
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43,513
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41,230
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年少人口
(0~14歳) |
14,449
27.5%
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12,845
25.3%
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11,615
23.8%
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10,050
21.8%
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8,352
19.2%
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6,834
16.6%
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生産年齢人口
(15~64歳) |
33,028
62.9%
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32,528
64.0%
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31,376
64.2%
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29,264
63.5%
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27,145
62.4%
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25,001
60.6%
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老年人口
(65歳以上) |
4,995
9.5%
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5,437
10.7%
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5,884
12.0%
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6,735
14.6%
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8,016
18.4%
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9,395
22.8%
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世帯数 |
14,760
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15,716
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15,232
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15,164
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15,169
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15,038
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昭和60年
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平成2年
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平成7年
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平成12年
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就業者数 |
22,192
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21,367
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21,292
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20,219
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第一次産業 |
7,454
33.60%
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6,190
29.00%
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5,621
26.40%
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4,832
23.90%
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第二次産業 |
3,709
16.70%
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4,130
19.30%
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4,398
20.70%
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3,978
19.70%
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第三次産業 |
11,016
49.60%
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11,043
51.70%
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11,263
52.90%
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11,409
56.40%
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2. 合併について
(1) 合併前の経過
対馬は、若年層人口の島外流出による人口減とそれに伴う高齢化率の伸び、平成12年度の介護保険制度の導入・ダイオキシンによる広域化ゴミ処理施設の建設とともに、一つの町では処理できない多くの諸課題が行政責任として浮き彫りとなってきました。また、バブル経済の崩壊による景気の低迷が国の財政を逼迫させ、補助金・地方交付税の削減により、もともと財源をそこに依存してきた6町の財政は厳しさ呈してきました。
平成11年6月に行政と議会で構成された「対馬島地方分権・市町村合併等調査研究会」が開催され、対馬における合併問題の議論が浮上し、ワーキンググループ会議が合併に対する住民アンケート、合併パンフレットの各戸配布、住民説明会行ってきました。
平成12年6月に各町の定例議会で合併協議会設置議案を可決し平成12年8月1日に、法定の「対馬6町合併協議会設置」の届出を6町長連名で長崎県知事に行いました。
(2) 対馬総支部の動き
対馬総支部は、この動きと連動し、平成12年3月27日の単組代表者会議で今後の取り組みの論議を行い、平成12年6月17日を基準に島内の自治労組合委員に対し、意識調査を行いました。又、法定合併協議会のメンバーに労働者代表を参加できるよう申し入れを行い、平成12年11月16日に「対馬6町合併問題設立準備会」を設置し、12月15日に「合併問題対策会議」と3部会(まちづくり部会・行政機構部会・賃金労働条件部会)を設立しました。平成14年中までに各部会毎に3回程度の専門部会を開催し、具体的な行動を進めてまいりました。一番最初に行ったことは、組合員に対する認識を深めるために県本部を招いて6町毎に合併説明会を開催し、住民に対しては「対馬6町合併を考える集い」を中央大学の辻山教授を招いて開催してきました。この頃の合併に対するスタンスは「合併の是非は問わない。しかし、住民に判断をしてもらう情報の提供を行っていく」ということでした。しかしながら、行政指導の合併であることから、議論がなかなか盛り上がらず、又、連合地協等の労働関係団体間においても議論の深まりがありませんでした。組合員においても、合併特例による身分保障もあって、合併についての無関心が見える状況で、県本部を招いて、200名規模の合併討論集会も島内で行いました。
長崎県下では、対馬は最初の合併であり組合としてどう対処するのか、そのことの試行錯誤の中ではありましたが、その様な中で特に成果のあった賃金労働条件部会に付いての経過を記述致します。
「合併問題対策会議」、これは各単組の責任者が全て委員として参加しておりますが、ここで、各町がもっている賃金を含めた全ての条件を出すことの確認が承認され、賃金労働条件部会は、その調査から行いました。その資料を基に6町での統一要求書を作成しました。これは、全ての職務給での在級年数まで入った将来一つの市になる上での賃金労働条件の要求書です。この要求書をそれぞれの首長に対して各闘争期に提出を行ってきました。賃金格差が最大4号ある中で、賃金レベルの低い町では、高い町と合併するわけですから、当初合併すれば賃金が高くなるとの認識の違いを単組代表者会議でその都度議論し、合併前までに調整するよう総支部として各単組に働きかけました。その戦略としては、合併するにあたり賃金の高いレベルの町の資料を参考にしても構わないとの共通の認識の元で各町の底上げが出来てきました。また、7級についても取れる単組から取っていくことで合併前までに全ての単組の7級到達が確認できました。
ここまでは、合併するに当たっての賃金部門で行けば、基礎的な整備段階です。次に、法定合併協議会、各町議会での合併決定により新市での賃金・労働条件モデルを作る必要が出てきました。当初、交渉相手を誰にするのかと云う問題が生じました。合併協・準備室ともに決定権がないとの事で、交渉相手にならざるを得ず。次に、対馬6町の町長に町村会長を交渉相手にするようキャラバンを組んで要求書を提出し、最終的には6町長が交渉相手に当たるとの回答を得ました。その窓口は自治連の事務局長が当たるとのことで窓口の一本化をしてきました。賃金労働条件部会で新市における要求書を作成し、自治連を通じて回答をいただきました。そして、総支部長・事務局長と自治連の事務局長間で事務レベル交渉を続けながら、各町長の参加は出来なかったものの、各町助役・総務課長と各町組合の執行委員長とで団体交渉を行い、その確認事項を各町長との確認の基、連名で新市への「申し送り事項」という形で最終案を合併前日の2月29日付けで締結致しました。
(3) 総支部における組織対策
対馬における恵まれていた点は、6町全てが自治労加盟単組であったことです。そして、総支部は平成12年に国立病院の移譲に伴う組織対策を皮切りに、一部事務組合の組織化・自治労加入を行い、又該当単組への直加盟と関係する組織全て100%に近い組織率を作り出しました。さらに加えて、消防についても自主組織を立ち上げ、協力組織としてきたことです。このことが総支部を一体化させた事でもあります。
また、養護施設の民営化問題が合併前にあったことから、6町長と6単組・一部事務組合とで県本部を含んだ団体交渉を行ってきました。このことが6町間に絡む問題について6町長で当たっていくことの道筋が理事者側と付いたことも大きな前進でもありました。
(4) 新組織への準備
6町がなくなり一つの市になることは、組合も一つの組合になることです。私達は2年間を掛けて新組織への準備を始めました。其れが「組織対策委員会」です。町が対等合併である以上、組合も対等合併となります。全ての組合財産・規約の調整をしていく必要がありました。新組織機構を検討し、それに伴う規約を整理し、新組織体制及び組閣を作らなければなりません。同時にこの時期は、合併準備室に多くの職員と業務を割かれ、新市の事務調整から条例まで同時に扱って行かなければならない時期でもありました。「組織対策委員会」は、各組合の執行委員長レベルの組織とし、その後各書記長レベルで「新市組合結成準備会」を発足し、結成大会までの準備を行ってきました。
(5) 合併後の状況
対馬は新市機構を1本庁6支所としています。また、合併移行に伴う協議の中で本庁機能を分散し、対馬独特の行政機構となっています。総括的な本庁は厳原に置き、福祉事務所と議会の本庁を豊玉に、農業委員会を上県に、教育委員会を上対馬に置いています。最も遠い支所から本庁(対馬南部)までは車で約2時間、電車・汽車等の公共交通機関がなく、異動に伴う通勤は不可能な状況のため、現在、対馬北部(上県・上対馬支所)からの本庁勤務はほとんどが単身赴任という状態です。
合併後の状況は、例えば自分達の町では、この事務はこういう処理の方法で行っていた或いは、ここはこうすべきということで合併後違和感を感じています。これは、事務事業の調整班会議・部会の中で充分に事務の見直しは行ったものの、その方法論まで論議できなかったことが大きな原因でもあります。又、事務量の把握が難しいため一局に集中し、業務量のアンバランスが出ている状況です。何れにしましても新たな事務のルールを模索している段階であり、適正な人事配置等が出来上がってくるものと思われます。
一方、財政状況では、16年度予算は基金取り崩しによる当初予算の作成とかなり厳しい状況でもあります。今後は10年間の合併に係る特例措置による交付税措置、或いは合併効果による人件費・物件費の削減等に加え、一般財源の節約に努めながら健全な財政運営を図っていくことが市としての自立となると考えています。しかしながら、合併のスケールメリットでもあります職員数の削減は、行政サービスの質の低下に繋がり兼ねなく、そこをどう対処していくか今後の大きな課題でもあります。又、対馬は一島一市であるため、その削減数は、島にとって一つの大きな企業の後退でもあります。そのことは、直接商工業を中心とした小売業に影響を及ぼし、過疎化に拍車がかかる原因ともなります。「新市建設計画」では、新市の将来像を「アジアに発信する歴史海道都市つしま」とし、古代から大陸との交流窓口としての役割を果たしていた対馬は、島全体が、日本と大陸を結ぶ「海の道」でもあります。国境、辺境における優位性・個性ある地域資源を活用し、自由な発想と想像力を培い、新しい文化や産業を開発していくことが今後の最重要課題でもあります。
最後に、平成の大合併は多くの市町村に大きな転機をもたらしています。地方交付税の削減による影響は、合併する市町村・合併を選ばなかった市町村、それぞれに自立の方向を模索することになります。対馬は島は一つということから6町合併を決定し、島全体が一つになって一定の方向を見いだそうと歩き始めたばかりです。まだまだ多くの想定できない難問があるやもしれません。しかしながら、その効果を最大限に生かすためには地域住民或いはそのお手伝いをする自治体職員が心を一つにして立ち向かうことが大切であると考えます。合併まで職員の身分を護ること、労働条件を新市に引き継ぐことを課題にさまざまな組織対策を行ってきましたが、細部の積み残しはあるものの現在一定の成果を得、市職全体として新市建設計画の一翼を担って行く決意であります。
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