【要請レポート】

基礎自治体の政策評価
― 現場主義の提起 ―

東京都本部/昭島市職員労働組合

 本研究は、基礎自治体の政策評価における自治の現場の戦略論を提起するものである。
 自治体において「評価」というとき、一般的に次のような姿を想像することができるだろう。すなわち、自治体の企画ないし財務部門が中心となり、財政逼迫への対応や広報の一環との位置付けの上で行う経営改革のツールというイメージがこれである。財政逼迫への対応を中心とするとき、自治体評価は事務事業評価によるムリ・ムダ・ムラの発見のツールとなる。他方、広報、さらに踏み込んで住民との問題意識の共有を中心とするとき―この方法論はまだ完成されているとは思われないが―、基本構想等の自治体計画と評価との連動が想定されることになる。
 本研究が中心に据えているのは上記いずれのスタイルでもなく、財政逼迫に直面している現在を見据え、これを不可避とした上で、行政職員が、ひとりの責任ある市民として、どのように地域社会とのコミュニケーションを図っていくべきかという実践的な問いである。いうまでもなく、この問いは、決して一筋縄で解決できるものではない。本研究は政策評価の実践と経験の中から方法論をつむぎだし、議論の素材を提供するものである。

1. 公共サービスの変容:自治体が置かれている「現状」

 財政逼迫を背景とし、自治体改革の潮流はいっそう強まりつつある。自治の現場の視点からいえば、分権改革の理念であった住民の自己決定権の拡充はひとまず棚上げされ、これまでの国や都道府県の「補助メニュー」に代えて、さながら「改革メニュー」が立ち並ぶ状況が出現している。こうした今日的状況に自治体の多くは追従せざるを得ず、またこの自治体の動向に自治の現場も引きずられ危機感を募らせている状況にある。
 確かに、国・地方合わせて700兆円ともいわれる長期債務残高を突きつけられるとき、あるいは個々の自治体の投資的経費の逼迫状況に直面にするとき、自治体の現場のマネジメントについては、数多くの反省すべき点があろう。ただし、いくら反省を重ねようとも、現状を踏まえた新しい自治の構想を持ち得ないかぎり、住民の自己決定権の拡充という理想に近づくことはできない。分権下の自治体職員には、状況の的確な認識、そして自治の課題として現実と正面から向かい合うことが、そして洞察力と良識とこれらに基づく戦略・構想を打ちたてていくことが、強く求められているのである。
 このとき、我々は特に以下の点を警戒しておくべきである。これまで自治体の行政活動は個別具体的な地域社会のニーズに基づいて形成され、変容し、発展してきた。この自治行政について、現在、いっそうの再編と縮減とが見込まれている。重要なのは、環境行政、教育行政、福祉行政の至るところで民間委託や民営化が公然と議論され、地域社会の自助努力が強調される事態を我々は10年前に想像できなかったという点である。同時に、今日ほどのボランタリー・セクターの成長と公民協働の展開、あるいは社会自身の自助努力を、我々は10年前に洞察できなかったのである。想像をはるかに超える社会変容が起きている点を、我々は素直に認めておかなくてはならないのである。

2. 公共サービスの視点:自治の「危機」?

 さて、自治の現場の視点から考えるというが、このとき我々は何を中心的な論点とするべきなのだろうか。端的に本稿の主張をいえば、それは「公共サービス」の視点を見失わないようにするべきであるというものである。公共サービスは具体的かつ社会的なサービスであり、私達の生活の基盤を提供してくれる不可欠の存在である。特に社会経済的弱者に対し公共サービスは大きな意味を持っている。そして限られた行政活動によって提供されている「行政サービス」と、この公共サービスとは異なる概念であることに注意するべきである。
 先に述べたとおり、行政サービスは縮減傾向にある。人口のピークアウトは2006年といわれ、団塊の世代は早晩、退職期に入る。景気は低迷し、税収は減り、他方で財政規模は社会保障費を中心としてさらなる拡大を不可避とする状況にある。この現実を前に、「行政サービスの自由度が今後ポジティヴに高まるはずだ」と考えるのは、また「これまでのサービス水準が維持できるはずだ」と考えるのは、甘い幻想といわざるを得ない。
 その一方で、公共サービスの「需要」は、特にその質的な面をめぐっていっそう拡大していくことが見込まれる状況にある。公共サービスの需要は、そもそも家庭やコミュニティの機能の外部化、ついで市民生活水準の上昇から派生しているのである。社会の成熟化は、それに応じた財政圧力となって、しばしば我々の政府の「自治」と強い緊張関係を生み出してきたのである。
 行政の縮小均衡の模索が始まっている今日、基礎自治体においてはより積極的に公共サービスの質を確保するための方法論と戦略設計に取り組むことが急務となっている。「スクラップ、スクラップ、スクラップ・アンド・ビルド」と表現されるように、自治体の「評価」において不要な事務事業のカットバックが第一義的に要請され、多くの自治体がこのことを課題として行政評価の看板としているのはこのためである。

3. 政策評価の戦略:政策評価を巡る「合意の形成」

 以上の現状認識に基づき、自治の現場からの戦略論として「政策評価」を構想することはできまいか。本稿における最大の論点はこの点に求められる。
 政策評価とは、政策の策定もしくは、実施の前段階に織り込まれたある一定の基準に照らし、政策の実施後に行政の活動の見直しをはかるものである。しかし、一般にこの基準の中には、「緑豊かなまちの実現」といったような行政活動を測定するのに不適合な曖昧としたものも存在している。
 また、実際に政策の策定段階等において、この基準が設定されていることはほとんどない。むしろ評価を実施する段階になって初めて、後追い的に基準設定を行う場合が大半を占める。このような状況では評価に先立って、「新しい価値の創造」に立ち戻らなければならない。というのは、この政策として実現すべき価値が見いだせないかぎりは、その価値の実現のための方策を議論し、それをはかる基準を設定し、さらに現実に行われている方策との乖離の有無を認識することなどできないからである。
 さて、この新しい価値の創造と基準の設定はどのようにして行われるのであろうか。自治の現場の視点からいえば、ここで重要なのは、「合意の形成」である。この合意の形成の局面では、合意の結果が何であるかということと同時に、そのプロセスがどのようなものであったか問われなければならない。今少し詳細にいうならば、合意の形成のプロセスに参集した個々人が対等・並列の関係で議論をし、その中である一定の基準を定めていくことが重要ということである。具体的には、学校給食や上水道といったと長期にわたり行政の担うべきサービスとされてきたものの、今日的目的を再設定し、それに基づいた行政活動の評価基準を作成する過程及びそこで決定した目的及び基準が「合意の形成」ということの意味である。
 この合意の形成によって生まれた新しい価値に基づき、自治の現場での評価活動は行われる必要がある。その結果としての評価表ないし評価レポートは、今述べてきたように、評価を始める段階で、その評価に参加した個々人が議論によって「同意」した価値に基づいて判定を行い、それを集約したものとなるべきといえる。ただしこの価値は、この段階では、あくまで行政サービスの影響を受ける住民すべての総意というわけではない。住民に対しては別途、「支持の調達」が必要となるのである。

4. 政策評価のパブリシティ:「支持の調達」へ

 支持の調達とは、別の言い方をすれば、評価の主体である評価者に対して、評価の主体とはならないものの、その評価を通じて、またはその政策を通じて影響を直接・間接に受ける住民の、評価結果、引いては評価対象政策に対する同意を得ることであるといえる。このうち「支持」については、大別して「積極的支持」と「消極的支持」とがあるだろう。前者は、その評価結果また政策に対して自分の意思を積極的行動によって示そうとするものであり、後者は、前者のような積極的行動による意思表示は行わないものの、評価結果で示された内容に対してその逆のベクトルの意思表示も行わないものである。
 現在、自治の現場が調達を期待できる支持は、後者の消極的支持しかない。なぜならば、財政的に逼迫している今、本来利害の異なる様々な住民の要望を一手に実現することは困難であって、そのような制約下で実施されている政策を評価することは、やはり住民の積極的支持を得るものとは必ずしもなり得ないからである。
 以上の二つの論点、「合意の形成」及び「支持の調達」から政策評価の戦略が導き出されよう。すなわち、前者からは、職員の政策に対する理解を深めること、後者からは、住民に対する説明を行い支持を得ることである。この二つは、いわば行政活動の両輪であり、この両輪のうち一つでも欠けてしまえば、行政という車は前には進まない。地方分権により継続がおぼつかない行政活動の洗い直しが進む一方、行政活動に対する理解が不十分な職員は厳しい局面に立たされなければならない。例えば住民に冷たい目で見られることがあり得ようし、住民に説明し支持を得られないサービスは早晩廃止となるべきであろう。

5. むすび:自治体における「説明責任」の課題

 2004年7月2日に看板を下ろした地方分権改革推進会議は、その最終意見の「地方公共団体の行財政改革」の章において、次のような指摘を行っていた。すなわち、住民が相互に情報を提供し合う「情報共有」の実現と、住民に対する説明責任の徹底である。特に基礎自治体の説明責任については、「国と都道府県に対しての説明責任よりも重視すべき」と強調されていた点が、ことさら目を引くものであったと思われる。
 政策評価は、しばしば説明責任や情報の共有を重視していると言われる。しかし地域社会の公共サービスの水準を踏まえ、住民との情報の共有の論点に踏み込んだ政策評価論はほとんど見受けられない。このとき、説明の主体はあくまで政策の「現場」でなければならない。そして、この「現場」には、自治の責任を引き受けた上での、自治型の政策形成が期待される。このとき、現場からの情報発信のための戦略を持つことは、いくら強調してもしすぎることはないだろう。