【論文】
住民手づくり・まちおこし
~協働による地域の新たなる胎動~
福岡県本部/八女市職員労働組合
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1. はじめに
まちづくりがしっくり進まない地域やディストリクトは、住民同士がどこか疎外しあっているように感じられる。疎外しあう時代だからこそ、逆にふれあいを求める関係づくりがきわだっていく。強くかかわりあう肌と肌とのふれあいを通して何かを創り出していく。むしろそんな相互信頼と安堵感溢れるまちづくりが今だから必要ではないだろうか。
こうした時代のやり戻しとも言える他者との付き合い方が求められているように思える。
福岡県八女市八幡地域を概観すると、八女茶と電照菊を中心に農業も足腰がしっかりしている。しかし一方で静かな暮らしの裏側に、地域の後継者育成や過疎化の問題が隠れており、それらの現実からは逃げられない。すでに江戸後期の天保の頃から優良な農村だったと史料に記されており、歴史的には二百年もの米麦農業を持続していることになっている。
地域の南端を包み込むように流れる矢部川から、たくさんの用水路や小川が流生している。これらは江戸時代の遺産であり、暴れ川の矢部川を治めると同時に、豊かな稲作地を開拓してきた先人たちの努力の結晶である。
このような資源を財産と捉え、村社会のメリット、デメリット、そして人々の価値観を包含し、実践を積み重ねることによってまちおこしプランを提唱していく。
2. まちおこしの背景
福岡県八女市は福岡県の南部に位置し、矢部川を中心とした自然、八女丘陵の古墳群、伝統的まち並み、多様な伝統産業、豊かな農産物、さらには天然温泉など、他に誇れる個性的な資源が豊富にある総面積39.34平方キロメートル、人口約4万人の都市である。
集約型農業を推進した市の農産物は生産性が高く、平坦地では施設園芸が盛んで、電照菊、イチゴ、トマトなどが代表的な作物として生産されている。また、市の丘陵地で生産されるお茶は、八女と言えば"お茶"と言われるくらい「福岡の八女茶」として全国ブランドになっており、味・質において日本一を自負する代表的な八女の特産物である。
その南西部に位置する人口2,828人、747世帯とどちらも八女市8地域(校区)の中で最も少ない八幡地域(1954年合併後の旧八幡村)。しかも、高齢化率は22.6%(1999年4月現在)で市平均より3.2%高い。八幡小学校は1998年より全学年1クラスになり児童数150人強。人口減少と少子高齢化が進む状況を打開しようと各町内会長(自治区長)や、私たち勤労協を含め、各種団体の代表者、賛同する有志が集まり「八幡地域魅力ある地域づくり推進委員会」が組織された。
委員会では、藤原恵洋助教授(九州芸術工科大学:現在九州大学)の指導を受けながら、まず、上記のメンバーによるワークショップ形式で情報収集、地域の魅力と課題を明らかにし、地域をくまなく散策し課題を分析する。
さらに、住民参加型のまちづくりを進めるため、全世帯アンケートを行い2000年(平成12年)4月にまとめ上げる
その後、委員会の中心メンバーは、市民の手づくりによるまちおこしを継続するため、「めだか塾」(塾長:藤原恵洋氏)を組織し、活動を展開することとなる。
3. 八幡地域魅力ある地域づくり推進委員会
1998年(平成10年度)の一年間を通し、八幡地域魅力ある地域づくり推進委員会は、実に活発な活動を展開することとなった。はじめの段階は、藤原助教授より住民参加型まちづくりワークショップの手法を余すところなく進められた。
この結果、会議での対立を避けることもなく、可能な限り明るく朗らかに、難しい問題であろうが、政治的な発言であろうが、気持ちのいくまで議論を深めていく運営が可能となる。
数多くのワークショップ形式の話し合いを重ね、情報収集には歩くのが一番とみんなが笑って言った「むらさるき:村歩き」を行い、八幡再発見探訪を重ねた。
これらの結果、この八幡地域でのワークショップから、地元民でも未確認の慣わしや遺跡など、予想以上に多くの情報をもたらされることとなった。
こうした独自の魅力づくり活動も成果を重ね、市に対する提言書をまとめあげていく段階が近づいてきた。情報収集作業の最後の仕上げ、地域住民まちづくり意識のアンケート調査の企画が展開していく。これまでのやり方ならば、役所や専門の業者に委託したかもしれないが、委員会としては、自分たちの身近なことを自ら手間をかけ分析しようという声があがった。2,700人地域住民から、町内、年齢層、男女、職種などを考慮し、無作為に1,200人抽出しアンケート調査を進めていく。戻ってきた膨大なアンケート量の分析には、実際かなりの手間と時間がかかったが、分析整理作業のたびに、一枚のアンケートに込められた人々の本音や将来への意欲が見てとれた。
学生世代は、夜遅くまで開店し明るいコンビニエンスストアを欲しがっている。母親世代は病院がないことを不安に思っている。公共バスがないから自由に買い物や病院へ行けないことを恨めしく思う高齢者の意向が見える。早くこの地から出たい苦悩ぶりを記述した女性は、根強いコミュニケーションに縛られて、無責任な風評を言い合う村社会に疲れたと吐露していた。
しかし一方で、「雇用の場さえあるのなら都会に出た子どもが戻りたがっている」という声や、「競争には弱いかもしれないが気持ちの優しいおおらかな子どもを育てるには絶好の教育環境です」と喜ぶ親の気持ちも見えてきた。
アンケートの成果を丁寧に分析しまとめ上げることで、これからのあるべき八幡地域の暮らし方や生き方のイメージが浮上してくるようであった。
4. 親子三世代が仲良く暮らせるまちづくり
以上の活動の最終到達地点として、私たちの委員会は、誰もがどこかで懐かしく思い、どこかで心強く思う、この分かりやすい目標「親子三世代が仲良く暮らせるまちづくり」を掲げることとした。そして、そこから20年後30年後に及ぶ八幡地域の将来イメージをシナリオとして描いていく。
2000年(平成12年)6月、八女市長へ提言書を提出し、さらに概要版を全戸配布しながら、その秋小学校体育館にて開催した「まちづくりシンポジウム」を通し、地域の理解とその実現へ向けて私たちが具体的にどのような行動をしたらいいのかを、多くの人々と実践しだしている。
そしてなにより、こうした活動の牽引役として、有志によるまちづくり活動グループ新生「めだか塾」が登場することとなる。
5. めだか塾と八幡木鶏書院、その成立と展開
委員会の実働部隊として八幡のまちづくりに汗をかこうと、40代、50代のメンバーが中心となり、「めだか塾」と銘打った勉強会を立ち上げていた。
小川のメダカが群れをなしながら大きくなるように、ほ場整備事業やかんがい排水事業でコンクリート化された水路に、メダカが早く戻ってくるように、さまざまな願いを込めたネーミングである。
今までは官より用意された「魅力ある地域づくり推進委員会」、これより真の意味での自ら考えて自ら創る有志の非営利的な集まり「めだか塾」は「自立・連帯・自己解決型」のまちづくりをめざすこととなる。その後、地域の方の紹介により本拠地を空き屋敷に置き、メンバーの発案によりこの屋敷の通称を「八幡木鶏書院」と呼ぶことにした。
中国の壮子の故事に示された木鶏、すなわち真の存在感を有した者を目指そうという思いから命名されたものである。
のちのちこの「めだか塾」塾長に推された藤原助教授は、八幡に根をおろす(定住)こととなる。
6. めだか塾の成長
2000年(平成12年)6月以降、新生めだか塾は新たな活動を展開しだした。基本財源は会員による会費であり、広く会員を募ってきたことがひとつの特徴となっている。また活動にあたって、公的資金に頼らずに自らが汗を流すことを前提に活動資金を調達し、活動を進めていこうと意気盛んであった。以降、具体的な活動テーマは次の10点に集約される。
① 八幡地域の魅力資源、まちづくり資源の情報化
② 八幡地域の親子三世代が仲良く暮らせるまちづくりの啓発と実践
③ 町内会(自治会)を横断したまちづくりイベントやシンポジウムの企画と実施
④ まちづくり交流拠点としての八幡木鶏書院の有効活用
⑤ ふれあい朝市(ばさらか朝市と命名)の実行委員会形式での運営母体
⑥ 田園農村の魅力を生かした地域主体の国際化活動
⑦ 小学生の登校道路の安全点検と改善提案
⑧ 花いっぱい運動の提唱と実践
⑨ 町内案内看板の設置運動の提唱と実践
⑩ まちづくり人材資源の情報化及びまちづくり後継者育成活動
そしてさらに、こうしたひとつひとつの活動を大きく捉えながら結びつけるものが「善の循環によるまちづくり」の発想である。すなわち八幡地域の村人と相互の信頼関係、支援関係、友好関係、交流を基盤にしながら、一人だけではなく三人寄らば文殊の知恵といった段階的結集を構築し、そこから家族間交流、町内間交流を広く進め、さらには家族を越え、町内を越え、おおいに協働しあいながら、八幡全体の魅力を生かした循環系のまちづくりへ育てあっていこうというものである。
7. これまでの活動履歴
(1) 八幡の朝市
八幡の朝市は、対面販売を特徴に、1999年(平成11年度)より、地域の高齢者の生きがい対策と地域の基幹産業である農業を生かしたまちづくりの実践、そして地産地消の推進を図る意味からも、毎月第2、第4日曜日に開催している。
この朝市では、地元の新鮮な野菜、生花、手作り饅頭、コロッケ、魚介類、生み立てたまご等が出荷されており、また地元の酪農家(めだか塾塾生)が提供する無料配付の「朝しぼり牛乳」がなんともいえない絶品である。
この朝市は、開催を楽しみにしている人たちも多く、八幡地域はもちろんのこと、八幡以外の人たちとの交流の場(井戸端会議)となっており、たいへん好評である。
また、小中学生も参加し、品物をつくる、そして売るという大変さを通して、けっして学校教育では体験できない生きた学習をしており、出店者の児童・生徒に対する温かい指導、助言等により世代間交流の場ともなっている。
(2) まちづくり事業
① 福祉バス停留所、及び各町内の神社等へのベンチの寄贈
八幡地域は、八女市で唯一公共交通機関の無い地域で、この事を解決するために、主に高齢者を対象とした福祉バス「さちかぜ号」が1日に数回地域内を走る事になっている。しかし、このバス停にはベンチがなく、高齢者は長時間立ったままバスを待っていることが多い。この現状をどうかしたい、ということから、めだか塾の塾生の提案により、福祉バスの停留所にベンチを寄贈することにした。地域の老人クラブ、小中学校の児童・生徒、九州芸術工科大の生徒、めだか塾の塾生などで手作りのベンチを作成し寄贈した。
この取り組みはバス停のみならず、町内の高齢者のたまり場であるゲートボール場、町内の神社、公民館前へのベンチの設置へと発展することとなった。
また、これらの地域の高齢者をまちづくりの先輩として感謝する心は、現在では年末に実施している「一人暮らしのお年寄りへの正月用品の贈呈」として引き継がれていくことになる。
② お宝マップの作成
地域をくまなく散策することによって、地域の歴史、文化、遺跡、人材等を調査し、めだか塾の塾生、小学校の児童、九州芸術工科大の学生等により八幡マップを作成した。
今後は、今一度フィールドワークにより地域内を散策・調査し、八幡の情報をより多く掲載した地域マップにバージョンアップさせるという、「NEWやはたお宝マップ」を作成する予定である。
③ コンサート等の開催
八幡地域出身であるミュージシャンの野外コンサート、朝市2周年記念コンサートを始め、全国的に活躍しているミュージシャンを呼んでのコンサートを4回ほど開催した。
人も八幡地域の財産であるとの認識により開催してきたが、めだか塾の活動資金づくりにも大いに貢献することとなった。
また、八幡地域とゆかりのあるプロ野球選手に来ていただき、小学生を対象とした野球教室及び朝市会場でのサイン会等も取り組んだ。
④ 「まちは人が造った、むらは神が創りたもうた」八幡地域シンポジウム
このシンポジウムは、八幡地域の魅力に地域住民が気づいてもらい、地域に対する誇りと自信を持っていただくための取り組みである。
めだか塾は実行委員としてこの行事に主体的に取り組んでおり、唯一行政からの「生き生き交付金」を活用している。
⑤ 国際交流の取り組み
藤原先生の教室で学ばれている海外の方を招いて、いつしか国際交流に取り組むようになった。「中国語、英語教室」の開催、市内の人を対象とした「中国風手作り餃子教室」、佐賀大学生による鼓弓の演奏会等を実施した。
また、木鶏書院には、外国のミュージシャン、芸術家等の滞在も多く、めだか塾塾生や地域住民との交流も盛んである。
⑥ 九州芸術工科大学(現在九州大学)の木鶏書院を利用しての学外演習
九州芸術工科大学(現在の九州大学)の学外演習が藤原先生により木鶏書院で毎年開催されている。数多くの学生が八幡地域をおとづれ、八幡を舞台に地域住民とふれあいながらレポートを作成している。この学生たちは、朝市の改善点を指摘したり、地域のまちづくりビデオを作成したり、多くの財産をこの八幡に還元し続けてきた。
これらの学生は、八幡地域のまちづくりの方向性を提言するなど八幡地域のまちづくりにも大いに貢献している。
このような交流活動を通じて、めだか塾塾生一人ひとりの若さがみなぎり、活動の糧にもなっている。
⑦ 小中学生との交流(中学校生徒会による地雷撤去カンパ活動)
朝市やベンチの協働作業、お宝マップの作成を通じ、小中学生との交流も盛んになってきた。とくに昨年は、中学生が八幡の朝市に参加し、生徒とめだか塾塾生の協議により、国際貢献として環境にやさしい廃油石鹸づくりを実施した。
市民から提供された廃油を使い、朝市会場で廃油石鹸を生徒と一緒につくり、熟成期間を経て、会場で廃油石鹸を販売する。この石鹸の収益金は「地雷撤去資金」として運動団体に寄贈する事になる。
数名の中学生徒と一緒に始めたこの運動が、その後生徒会に呼びかけられ、大きなうねりとなり、中学校生徒会あげての運動となった。今も小中学生との協働作業を通じ、まちづくりの楽しさを共に学びあっている。
⑧ 会輔堂講座
八幡の新庄地区にその昔あった私学「会輔堂」より命名し、幅広く呼びかけながら公開講座を行ってきた。
現在までの主な内容は、「八幡村是にみる八幡の姿」「八女の電照菊の未来について」「八幡における住民が創るまちづくりについて」「市長と語ろう住民が創るまちづくり」「隈本繁吉の足跡と業績」「町は人が造った、村は神が創りたもうた、八幡地域の資源の視点から」「母なる矢部川の魅力発見」「コミュニティ・アートを生かしたアメリカのまちづくり」「江戸時代末期から伝わる国武絣(牛島ノシ氏の絣織・紋様)について」「市町村合併について」「中国のエコミュージアム資源調査報告」「朝市のアンケート結果分析」等である。
8. 今後の活動
めだか塾定例会は原則第2、第4木曜日、木鶏書院で20時から行い、その他は必要に応じて開催している。先日、2004年度(平成16年度)総会を行い、藤原塾長より「ふれあいと支えあいの結び目拠点八幡村将来構想」(レジュメ掲載)と題して、問題提起を受け、これまでの活動を振り返り、今後の活動計画をみんなで確認した。
また、今年の会輔堂講座では、めだか塾塾生の各自が研究テーマとしている「九州新幹線船小屋駅設置に伴う八幡地域への影響と今後のまちづくり」「市町村合併による今後の八幡地域の課題」「地産・地消による八幡地域の農業の未来について」「善の循環による3世代が仲良く暮らせる地域づくりの課題」等のテーマについて研究を行っていく。
9. 国土交通大臣表彰を受賞
新生めだか塾は、共生のまちづくりを創るための自由な団体で、そこには強制は存在しない。まさに「自由・連帯・創造」のNPOである。幸運なことに2004年度(平成16年度)第22回まちづくり月間の中央事業として「国土交通大臣表彰」を受賞した。私たちのねばり強い活動への評価だと受けとめておきたい。
また八女市においては、市全体の都市計画マスタープラン策定に係って、市民主体のまちづくりを進めていこうという模範活動として、これまでの八幡「めだか塾」の取り組みが参考事例として活用されている。(八女市公式ホームページ:市民参画のまちづくりで紹介。)
はずむ会話と生き活きとした笑顔、それはめだか塾が描いた理想のまち。「何もない」という言葉には、病院やスーパー・コンビニといった都会的要素が含まれているのかもしれない。しかし、八幡地域の「自然、歴史、産業、文化、人情」等地域の素材を生かし、「自ら考え、自ら行動する」ことにより、住みやすく、個性的で魅力あふれたまちづくりができることを確信している。今、忘れ去られようとしていた村文化の資源が採掘され、真の分権自治に基づく「新たなる胎動」が八幡の民の心に蘇っている。
2004年度 めだか塾総会 記念講話
~ふれあいと支えあいの結び目拠点「八幡村(地域)」将来構想~
1. 困難と波瀾の時代を超えて~八幡から見つめ直す人と村と国~
(1) 三位一体大改革、地方圏地方自治体の再編成、超高速鉄道基盤建設、
社会規範社会秩序の地滑り現象、ゆらぎデフレ化する人生観・価値観、
農業軽視化を深める迎合主義的国際化……困難と波瀾の四面楚歌
(2) 試練から生まれる人為、困難克服から生まれる創意工夫、仲間との協働から生まれるもやい力、あそびから生まれる創造性、ふれあいと支えあいから生まれる結ぶ目力
2. ひと世代30年かけて実現した4つの願い
(1) 親子三世代が仲良く暮らす定住の手法化と暮らしの場を構想すること
① 親子三世代の対話の場づくりと家庭間協働・集落間協働の手法化
② むら仕事の創出とむら育て活動による定住手法の構想
③ 持続可能な合意形成主義的田園村落協働体をめざしたコミュニティの再生
(2) 八幡の生活文化と暮らしの知恵を誇りとした村作法を再創造すること
① 生活文化の伝承と文脈をいかした地域ブランドの創出
② 暮らしの知恵の再認識と再評価
③ 地域の物語りづくりと暮らしのシナリオ創造
(3) 八幡の環境と資源を上手に案配(コントロール)しながらもむら育てをすること
① 環境保全と環境管理の再認識と管理手法の創出
② 農業空間資源の保全
③ 固有資源の発掘と情報化
(4) 八幡の魅力と個性を愛する仲間たち、応援団との交流と対流を促進すること
① 文化資源・地域資源の誇り化とお互いの魅力を認めあう対流活動
② 住んでよし、訪ねてよし、均衡とれた田園村落の交流拠点づくり
③ 新規施設に頼らず、おもてなし心(ホスピタリティ)と個性あふれる物産と知恵を生かした交流促進
3. 三世代100年かけて実現した4つの願い
(1) わが国を代表するまほろば田園村落協働体をめざした、むらのこし・むらそだてを推進
(2) 自然(じねん)飄々(ひょうひょう)おおらかをうたった桃源郷ライフスタイルを推進
(3) 都市化を遮断し、抑制の効いた田園緑地環境重要保全地域(グリーンハート)の先駆圏を実現
(4) 九州道の北部域「生命と魂の再生拠点」としての「よみがえりの里」筑後遺産圏を創出
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