【論文】
命を大切にするまちⅡ
奈良県本部/奈良県職労・磯城支部・ |
桜井保健所分会 獣医師 |
江端 資雄
|
|
内吉野保健所分会 |
藤井 敬子
|
|
奈良県職労 |
泉 幸宏
|
|
1. はじめに
近年、子どもたちが犠牲となる凄惨な事件が後を絶たない。しかもその犯人が小・中学生あるいは、いかにも未熟な青年であることが次々と明らかになり、我々の社会は凍りつくような恐怖と、底知れない絶望に沈んでしまった。それは「酒鬼薔薇」と名乗る少年の、神戸での連続児童殺人事件に象徴され、大阪教育大付属池田小学校での無差別殺傷事件、関東での幼女連続誘拐殺人事件、長崎での幼稚園児を駐車場ビルの屋上から突き落とした事件等々、あたかもエンドレスに連鎖するかのようである。
これらの事件には、いずれも信じられないような命の軽視と暴力があり、調べが進むにつれて、その前段に動物の虐待歴が存在するなど、その異質な共通性が気にかかる。しかしながら、問題の本質や背景が何で、一体どう向き合えばよいのか、マスコミの論調は表面的、短絡的で、社会的にも適切な対応は何もとられていないのではないか。
最近、“犯罪先進国”である欧米より、こうした不可解な事例の核心の部分を解き明かす重要なヒント、情報が相次ぎ提供され、国内の各関係学会からも、有力な分析、解析がなされだした。ここに来てようやく、孤立していた点と線がつながり出した感がある。
我々は自治体で働く公衆衛生獣医師として、2002年の第29回地方自治研究会において、子どもたちの心の異変とその背景にあるものについて、問題提起とその対応策として「命を大切にするまちづくり」の提案を行った。
自治労奈良県本部では、これを地方自治の重要な課題であると認識し、自治研セミナー「子どもの心の発達と動物」を2003年8月に開催。教育関係者・一般市民に参加を呼びかけた。このセミナーでは、地域社会の構成員である我々一人ひとりが、連鎖する社会暴力の重要な指標として動物虐待を認識するとともに、動物との共生社会の実現をつうじて「命を大切にするまちづくり」を目指すことを確認した。
我々はこうした動きや、職場での取り組みを踏まえた上で、改めて問題提起と提案を行いたいと考える。
2. 地域社会が抱える不安、悪い予感
平成16年7月、内閣府が安全や安心に関する国民の意識アンケート調査結果を発表した。
(1) 調査対象:全国の20歳以上の国民3,000人(調査期間:平成16年6月10日~20日)
(2) 有効回収:2,136人(回収率 71.2%)
(3) 調査項目:① 今の日本は安全・安心な国か
② 一般的な人間関係について
③ 身の回りで増えた、安全・安心にとっての懸念
(4) 調査結果:① 安全・安心と思う 39.1%・そう思わない 55.9%
そう思わない理由(複数回答、上位4位)
ア 少年犯罪、ひきこもり、自殺など社会問題が多発している 65.8%
イ 雇用や年金など経済的な見通しが立てにくい 65.6%
ウ 犯罪が多いなど治安が悪い 64.0%
エ 国際政治情勢、テロなどで平和が脅かされている 51.4%
② 一般的な人間関係が難しくなったと感じる 63.9%
一般的な人間関係が難しくなったと感じない 28.8%
難しくなった原因(複数回答、上位5位)
ア 人々のモラルの低下 55.6%
イ 地域のつながりの希薄化 54.3%
ウ 人間関係を作る力の低下 44.5%
エ 核家族化 41.8%
オ ビデオ、テレビゲームなどの普及 38.8%
③ 身の回りで増えた、安全・安心にとっての懸念(複数回答、上位3位)
ア 情緒不安定な人、すぐキレル人(怒りっぽい人) 41.0%
イ 少年少女の非行・深夜徘徊 32.5%
ウ 児童虐待、家庭内暴力 26.1%
このアンケート結果の①を見ると、いわゆる凶悪少年犯罪、及びそれに関連したことに対して、いかに多くの人々が不安を抱いているか良く分かる。同時に②・③を見ると、こうした問題の背景について相当深刻に受け止めているようだ。また、ここにあげられた項目を見ると、人の心の内面、家族・地域のつながりの脆弱化から崩壊までも危惧していることが窺われ、それがあながち、的はずれではなさそうな悪い予感をすら感じる。
これらのことからも、すでに現状は地域社会の安全保障面で危機的状況下にあるという共通認識の下で、我々大人がこれを克服するという覚悟を決める段階にあるのではないか。
3. 共感する心(Empathy)
米国オレゴン州、ウッドバーンにあるマクラーレン少年院では、極めて興味深い取り組みが実施されている。それは、青少年犯罪者の更正プログラムで、プロジェクト「プーチ」と呼ばれている。
(1) 対象者 窃盗、暴行、殺人などで収容された、14~24歳の若い男性
(2) 方 法 地元のドックシェルターから、無駄吠え・攻撃癖等の問題行動犬を引き受け、少年院の若者が1対1で世話し、譲渡できるまでの社会性を身につけさせる。訓練方法は動物行動学に基づく陽性強化法※に限る。力によるコントロールは用いない。これらは同時に、動物関係の就職のための技術の獲得につながる。
(3) 目的及び心の成長 社会的に排除された若者と犬が目的を持って共に暮らし、もの言わぬ犬の気持ちをくみ取る努力の中から、共感する心(Empathy)を育む。
自分が頼られていることを自覚し、責任感や自分を制御する忍耐を学ぶ。
生徒の中には犬とのつながりの中から、無条件の愛を初めて知る者もいる。
そして、犬の社会復帰の成功によって、大きな達成感と自信を得る。
(4) 成 果 施設を出た者の再犯率はゼロ。このプロジェクト、およびこの中心人物であるジョアン・K・ドルトンつにいてのドギュメント番組は日本のマスコミTVでも取り上げられ、大きな感動と反響を呼んでいる。
陽性強化法※:犬の訓練方法の一種、力や体罰でコントロールするのではなく、褒めてやることや、ごほうびで犬のヤル気を引き出してコントロールする手法。 |
冒頭に述べた一連の事件を含め、一般的に暴力的犯罪を犯す人には「他者の痛みを感じる力(共感=Empathy)」が欠けていると指摘される。プロジェクト「プーチ」は、逆の面からこれを証明したともいえる。また、そこに動物(処分されるべき犬)を用いることで、共感度の向上を一層効果的に図ったともいえ、この奇跡に近いような成功例が示すものを、冷静、的確に把握する必要がある。
ユタ州立大学心理学部教授のアシオーン博士は、「『共感』こそ自尊心や自発性を培い、判断力を高めて『生きる力』を養い、豊かな人格形成へと導くもので、社会生活を円滑に営む上での最も重要な力である。この共感の芽が育つ時期に暴力・残虐的行為により、その機会を取り上げられてしまうと、共感度の低い人間になる。」と述べている。
博士はまた、HSUS(全米人道協会)と共に小学校4年生を対象にした年間40時間の継続的な動物愛護・人道教育カリキュラム「ピープル・アンド・アニマルズ」を実験的に実施し、対照群との比較で共感度の著明な向上と持続を確認、報告されている。
4. 「共感」は暴力をコントロールする
(1) 「愛情」も「暴力」も同じ脳の働き
人は一体どんな心のメカニズムによって、愛したり、暴力を振ったりするのだろうか。唐木東京大学名誉教授はこう語っている。「愛情表現も暴力も大脳の働きによるもので、視床下部・辺縁系、いわゆる『快楽を求める脳』が支配している。人や動物に対する行動が成功した時には、報酬としてドーパミンが多く分泌され、快感を味わい、『さらにもう一度』と愛着を深めていく。一方、思い通りに行かない場合は、ドーパミンの分泌は少なく、不快感を味わい、『もう嫌だ!』という気持ちになる。このストレスが続くと、落ち込む、過食、切れる、そして暴力を振るうという行動につながる構図となる。」
ここで共感度の高い人は、相手や動物の気持ち、状態を思いやれるので、成功時にはさらに大きな快感を得ることができ、失敗時にもあまりストレスを感じずにすむ。つまり、「共感」は大脳内の潤滑油あるいはサスペンションとしての機能を果たしており、人が社会生活を円満に営む上での必要不可欠なものなのである。
ここまで来ると、我々大人のすべきことは、子どもたちが「共感」を育む環境を壊さないこと、必要に応じて整えることだということが見えてくる。そしてそれは、家庭、地域社会、学校でも同じであり、リスクを負った子どもたちの施設等でも同様である。
(2) 動物への対応は、人の生き方のロール・モデル
プロジェクト「プーチ」と「ピープル・アンド・アニマルズ」は、いずれも動物を介在させることで大きな成果を上げている。確かに、自分を信頼してすべてを委ねる動物たちに、どう向き合って、どう対応するかは、その人の生き方、人格を決定するものだろう。
しかしここで重要なことは、共感を育む段階では、動物との関わりが必ずうまくいってドーパミンの報酬を得なくてはならないということである。失敗して「もう嫌だ!」となったり、過剰なストレスから動物を虐待してしまっては絶対にならないのである。
5. “命を大切にするまち”
(1) 命を大切にするまちで、子どもたちの「共感」を育む
もちろん人間は不完全な存在なので失敗は避けられない。だからこそ、動物と関わるときには、そこに動物福祉が担保されていることが絶対条件であり、なおかつそこに誰もが納得できるルールと社会制度が必要となる。
我々のまちがそうした機能を備え、動物が意味のない死や不必要な虐待・苦痛から解放されていれば、子どもたちは動物との関わりの中から安心して「共感」を育むだろう。
そこでは親も教師も我々も「命の大切さ」を子どもたちに、自信を持って伝えることができるのではないだろうか。
① 動物行政の自己点検と動物愛護センターの整備
我々が所属する奈良県では平成19年度開設を目指して、動物愛護センターを現在計画中であるが、建設予定地周辺には「犬・猫の処分焼却場の建設反対」の看板が林立する。
このこと自体は、現在に至るまでの動物行政の評価として受け止めるにしても、こんなことで「命を大切にするまちづくり」のキー・ポジションを担えるのか不安を覚える。
センターでは以下の施策を柱として、動物行政への信頼の獲得を目指すこととなると思われるが、現段階からの積極的な情報発信と県民的議論が必要ではないかと考える。
ア アニマル・シェルター機能の整備
a 科学的で公明な飼育適性評価に基づく、社会復帰システムの構築
b 関連団体・ボランティアとのシェルター・ワークの協働ネットワーク化、およびアンチ動物虐待のセーフティネット化
イ 動物福祉の社会的担保、獣医療の充実
a 社会復帰不能動物の麻酔による安楽死 →「処分」を作業の領域から、獣医療へ
b 所有者不明の負傷動物の保護と治療の実施
ウ 「命を大切にするまちづくり」の啓発事業の展開
a 学校を支援する形での継続的な啓発事業の実施(動物介在教育モデル校等)
b センターを利用する形での、イベント型動物愛護啓発事業の実施
c センターを軸とした形での、関連団体、個人との連携
看板に対する我々の答えはこうしたセンターの姿であり、考え方としては社会的な動物福祉の担保である。しかし、財政事情の悪化を理由にその福祉レベルが心もとない状況に追いつめられている。反対されている方にぜひ、この部分での後押しをお願いしたい。
② 学校の飼育動物への対応と啓発の広がり
学校での動物の飼育は、まさに前述の失敗の許されない状況下にある。であるのに現実には、基礎知識の不足や予算措置の制限によって、動物の福祉が損なわれていたり、繁殖の放置によって意味のない死の氾濫が見られるケースが多数ある。学校自身が、動物との暮らしをつうじて、子どもたちの共感度の向上を目指すという目的をはっきりと認識し、それらの動物の福祉を担保する責任を明確に自覚する必要がある。
動物を飼育している学校には、担当の教師と子どもたちの飼育委員会がいる。奈良県でもようやく、これを獣医師会と行政機関が支援し、飼育委員会の活動を活性化する形で、学校全体に啓発の輪を広げていく方向にある。この支援型の事業は、センター化された後も保健所の地域活動の一つとして、継続発展させていく必要のある部分であろう。
③ 地域の動物への対応
地域社会の中で暮らすノラネコも野生動物ではなく、人が関わりを持っている以上、人がその福祉に責任を負わなくてはならない。しかし現状は、これを排除しようとする人と、守ろうとする人との対立があり、行政機関が積極的に関与しているケースはあまりない。近年ではノラ犬以上に深刻な問題となっており、この問題を放置することは、次第に大きなストレスの蓄積を招き、ついにとんでもない虐待事例を引き起こす可能性は十分にある。そんな環境で子どもたちの「共感」を果たして育てられるのだろうか。
担保すべき動物福祉と子どもたちへの配慮も含めて、誰もが納得できるスタンダードな考え方、スタンスの確立が急務である。この問題の克服に向けては、地域住民、自治会及び市町村、さらに動物愛護団体や獣医師、保健所等々が地域社会総がかりの協働作業で当たる以外にはないと考える。
|