【自主レポート】
地方自治体における史跡整備事業の現状と将来像
『群馬県藤岡市を例として』
群馬県本部/藤岡市職 土屋 正臣
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1. 研究の目的
藤岡市地域を含む群馬県南部地域は、昭和40年代末頃から関越自動車道の建設や大規模土地改良事業などのインフラ整備に伴い、開発地域内に存在する埋蔵文化財の発掘調査事業が開始され、特に昭和50年代半ばからは、河川改修・都市計画道路整備などの事業に伴い発掘調査件数は爆発的に増加した。
この傾向はほぼ全国的規模で展開され、増加する行政発掘調査事業の結果、国内初の発見や国内最古・最大、極めて貴重ななどの形容詞がついた考古資料の発見が相次いだ。地方自治体や地域の人々は、こうした発見を町おこしの材料と捉え、「原人まんじゅう」や「埴輪最中」に始まり、国庫補助金や地方債などの財政措置を講じて○○の丘公園や△△古墳資料館など建設などの事業を企画・実施してきた。
ところがバブル経済が破綻し地方財政にも不況の影響が及ぶようになると、莫大な財政支出を必要とする史跡整備事業が行き詰まり、具体的な整備事業に大幅な変更が生じる状況も見られるようになった。
今回の取り組みは、文化財保護行政のあり方を確認し、地方自治体がすすめる史跡整備事業の将来的方向性を模索することにある。もとよりその具体的な例を示す用意はあるが、今回は紙面の都合上基本的な理念を中心に提示したい。
2. 史跡整備事業の経緯
昭和59年に群馬県の「はにわ公園建設構想」の中で候補地のひとつとして区域内の白石古墳群が指定されると、藤岡市は実施の意思表示を群馬県に対し行い、史跡の買収などへの県補助金支出を取り付け、白石古墳群内の国指定七輿山古墳や、白石稲荷山古墳・皇子塚古墳などを用地買収のための基礎データを得る目的で、範囲確認の行政発掘調査を実施した。並行して昭和63年11月に「藤岡市史跡整備プロジェクトチーム」を組織し、史跡整備について議論を重ね、平成元年度に「藤岡市はにわ公園構想」として市長に答申した。そして平成2年度からは伊勢塚古墳及びその周辺の1021.7m2を買収したのに始まり、別表のとおり用地買収の実施を行ってきた。
さらに市教育委員会では、史跡買収国庫補助を受けるため、昭和8年に学術調査され考古学史上極めて有名な白石稲荷山古墳について、範囲確認調査により確定された史跡範囲を、市指定から国指定の史跡に上位移行させた。また、既に国指定史跡であった七輿山古墳については、指定区域外であった周溝部分などについて追加指定を受けた。
一方で藤岡市は、白石古墳群周辺地域の30.1haを都市計画法上の特殊公園(史跡公園)として「毛野国白石丘陵公園」と命名し平成4年度に都市計画決定し、平成7年度には「毛野国白石丘陵公園」建設基本計画報告書を策定した。
これにより毛野国白石丘陵公園の史跡部分を担当する、教育委員会は平成6年度に「史跡整備専門委員会」を設置し、「白石古墳群の代表的な古墳について、学術的あるいは歴史的な価値や特徴を明らかにし、これを保存するために相応しい整備を検討し具体化する。」ことを骨子とした基本計画書を平成9年度に策定した。具体的には、(仮称)郷土博物館を核とし稲荷山古墳・皇子塚古墳・平井地区一号古墳・七輿山古墳などを市民の学習の場として活用することを目的としたものであった。
その後事業は、史跡公園の中核となるべき(仮称)郷土博物館建設を中心に進める状況となり、平成11年度からは国庫補助事業による埋蔵文化財センター建設事業が加わった。
しかし、自治体の財政事情の逼迫は藤岡市も例外ではなく、平成14年度には藤岡市の各種公共事業が見直しの俎上に上がることとなった。その結果史跡整備関係事業においては(仮称)郷土博物館の建設を当面延期し、基本計画において「七輿の門」と命名された、駐車場と周辺史跡ガイダンスの統合施設のみが建設された。なお、国庫補助金を受けて建設した埋蔵文化財収蔵庫は、発掘調査により出土した遺物の保管を主目的に、小規模な展示施設を有するものの、(仮称)郷土博物館に代わる施設とは位置づけていない。
3. 史跡整備の現状と問題点
(1) 範囲確認調査とその成果
藤岡市教育委員会は七輿山・白石稲荷山の両国指定古墳の範囲確認調査を実施してきたほか、皇子塚古墳・平井地区一号古墳・伊勢塚古墳などに対し、昭和60年度より同様の調査を行ってきた。この範囲確認調査の目的は、歴史的あるいは学術的な価値を明確にし、史跡整備を具体化させるための資料づくりにあった。これらの発掘調査の学術的な価値はともあれとして、銀装太刀の発見や、特異な墳丘形態の判明? など、集客力を謳う史跡整備の方向性と合致し、一般市民や市執行部に対するインパクトと言う意味では成果があったと言える。
(2) 用地の公有地化と管理
平成10年3月に策定された史跡整備基本計画書では、事業は段階的に整備を実施し、平成29年度をもって終了するとしている。この計画では史跡地の公有地化を行うと共に便益施設の設置、芝類などの植栽、案内板設置による導線整備を実施する計画である。
用地買収の状況は別表のとおりであるが、現在までに公有地化した箇所の整備は実施されておらず、除草作業等が行われるのみという状況である。除草作業の多くは地元の団体へ管理委託しているほか、財政難を理由に経常経費の削減を財政当局より強く要求され、平成15年度には委託していた作業を文化財保護課職員により直接施工に変更している。
公有地化した史跡地の管理委託費一覧(平成15年度)
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史跡名称
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管 理 団 体
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委託金額(円)
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白石稲荷山古墳 |
白石稲荷山古墳管理団体ほか |
549,000
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七輿山古墳 |
七輿山古墳保存会(国有文化財) |
509,000
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七輿山古墳 |
七輿山古墳管理団体(市有地) |
831,000
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伊勢塚古墳 |
上落合長寿会 |
40,000
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合 計
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1,929,000
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なお基本計画書には、史跡整備後の管理については「草刈り等の日常管理は、極力市民参加となるよう呼びかける。このことは、史跡が地域に根ざし、また、整備が育成されていくために有効である」としている。しかし、除草作業を請け負う一部の団体は高齢化のため、作業受託が限界状態にあることや、危機的財政状況の中で、未整備の公有地面積を拡大し続け、空き地の管理に多額の財政支出を行うという、問題が生じてきてのいるのが現状であると言える。
(3) 指定文化財管理の実態
一方で、藤岡市内各地域の指定文化財・文化財保護課行政財産の管理団体に対する財政支出を集計すると表のとおりとなる。この表から、毛野国白石丘陵公園建設予定地である美土里・平井地区の地元団体に、除草業務などの管理を委託しており、実に管理委託料の9割が集中している。
行政がまちづくりを行う上で、特定地域へ財政支出が集中している現状は望ましい姿とは言いがたい。未整備の公有地について漫然と除草作業を継続させている状況を改善すると共に、地域的なバランスに配慮した管理方法について検討する時期にきている。
(4) 小結
毛野国白石丘陵公園建設事業における範囲確認調査の成果やこの成果の周知を目指した博物館建設やガイダンス施設の建設は、集客力を高め、話題性を喚起した点で一定の目標を達成しつつある。しかし、これらの調査やハコモノ作りによる話題提供や人集め戦術は、あくまで地域作りを遂行するための道具の一つであり、行政経営上の戦略そのものではない。行政が直接史跡整備事業に携わる以上、まちづくりとしての文化財保護のあり方を明確化することを避けて「道具の使い道」をいくら議論しても無意味である。
では、文化財保護行政を運営する上での戦略とは何か? この問いに答えるためには、最も基本である「自治体が文化財を保護する理由」を探らなければならない。
地区名
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文 化 財 名
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金 額(円)
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比率(%)
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美 土 里
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七輿山古墳
伊勢塚古墳 |
1,380,000
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65.75
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平 井
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白石稲荷山古墳
平井城址
千部供養塔 |
569,000
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27.11
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神 流
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ヤリタナゴ・マツカサガイ・ホトケドジョウ |
40,000
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1.91
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藤 岡
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一丁目道標 |
10,000
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0.48
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小 野
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胴塚稲荷古墳 |
10,000
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0.48
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美 九 里
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天保ききんの碑
本郷埴輪窯跡他 |
60,000
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2.86
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日 野
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金山千体仏
伝 山内上杉顕定公愛用の碁盤他 |
30,000
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1.43
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合 計
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2,099,000
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4. 史跡整備事業の将来像
(1) なぜ自治体が文化財を保護するのか~文化財保護行政の基本的な理念~
文化財とは過去ないし現在における政治的、社会的あるいは文化的な活動の結果として有形・無形の別を問わず、遺され、伝え護られてきた全てのものを指す。したがって文化財が有する情報は、地域内における様々な事象の一端を指し示す。
文化財が持つ情報から垣間見ることのできる過去に起きた、あるいは現在発生している事象は、実証的に分析することにより地域社会の本質を捉えることができる。地域社会の本質とは、地域住民の思考形態や行動様式のみならず、住民を取り巻く社会環境や自然環境を含む風土そのものである。言い換えれば、一過性の要因では容易に変化することの無い、普遍的な地域像である。
このように地域社会が成り立ってきた必然性やその地域らしさを把握することは、将来的な地域のあるべき姿を展望することを可能にする。なぜなら、未来は常に現在までの地域社会のあり方の上にしか成立し得ないのだから。以上を踏まえると、文化財が持つ情報は、我々の将来像を映す鏡であると言える。
ところで行政とはまちづくりであり、ひとづくりである。このまちづくり、ひとづくりは、場当たり的な対処療法や他地域のやり方を模倣したステレオタイプの方法論が決して通用するようなものではなく、地域社会の正体を見極め、それに見合った解決策を導き出さなければならない。このように行政として地域の実状に沿ったまちづくりの在り方を模索する上で、地域内で起きた事象あるいは現在進行している状況を分析し、地域の本質を捉えることは最も重要な作業であり、この作業なくしては本来のまちづくり、ひとづくりは成り立たない。行政として文化財を保護することは、金銭的価値判断に基づく拝金主義の延長線上にあるものではなく、単に一部の好事家を満足させノスタルジーに浸るためでもない。あるべき地域社会の形成を目指す中で、その手掛かりを文化財が持つ情報から導き出し、行政運営における指針を提示することが文化財保護行政の根幹であり、文化財を保護することはその結果として発生する行為である。
(2) 文化財保護行政における史跡整備のあり方
史跡とは過去の様々な営為の結果として存在する不動産を指す。この史跡もまた文化財のひとつであり、地域の「らしさ」を示す情報を有しており、この情報は将来的な地域社会の方向性を模索する鍵となる。
これに対し、毛野国白石丘陵公園建設における古墳の史跡整備の目的は「歴史教育の場として実物に接する機会を作ることができ、研究者だけでなく、一般市民の学習や知的興味を満足させる「知的レクリエーション」の場として利用され、市民の文化意識の高揚や、文化環境の向上につながる礎となる」としている。実物に接することが即、歴史教育に結実するとは些か考えにくいが、ここで注目したいのは整備した公園が「知的レクリエーションの場」であると位置づけていることである。「知的レクリエーションの場」をどれだけの市民が利用するのか、また結果としてまちづくりとどう関係するのか、ここでは明確な答えは用意されていない。しかしながら、明言できることは、まちづくりとは特定の個人や団体を対象とするものではないということである。仮に特定の人々を対象にしたとしても、それが結果的に地域全体の利益につながるものでなければならない。特定の好事家の好奇心を満たすだけでは行政の仕事とはいえないのである。
重ねて言うが行政が史跡整備をすすめる正当性は、それがまちづくりと深く係わっていることでのみ成り立つ。毛野国白石丘陵公園建設事業における白石古墳群の整備もまた、藤岡地域におけるまちづくりと関連していなければならない。
たとえば白石古墳群が形成された当時の社会背景を概観すると、古代の国郡制では、藤岡地域を含む上毛野国は「大国」とされており、豊富な農業生産力を背景とした強力な支配者の存在が指摘されている。また、大和朝廷の地方支配の確立のため、有力豪族の支配地域に置いたとされる「屯倉」についても、白石地区を含む緑野郡に「緑野屯倉」が設置されたことが日本書紀に記されている。
こうした歴史事象を現在までに確認されている史跡を含む考古資料のみで仮説の提示は可能であっても、具体的に示すことは、現時点では極めて困難であるといわざるを得ない。しかし確かなことは、地域の人々に対し、史跡を取り巻いていた歴史的背景から地域の成り立ちを示し、さらにはその将来像を描き、提示することこそ地方自治体の進める史跡整備事業であるということである。
逼迫する地方財政の現状において、大規模な土木工事や用地買収による巨額な支出を伴う史跡整備は、常にその目的を明確化し、地域住民に対する説明責任を負う。危機的財政状況における行財政改革の本質は、原点に立ち返り、現状とのズレを確認し、必要に応じて修正することにある。今回我々が試みたのはまさにこのことを、史跡整備事業のあり方として具体化し、人づくり・まちづくりとしての行政を史跡整備事業をとおして行政としての文化財保護の原点に立ち返り、その本質に基づき将来のあるべき姿を理念として提示することであった。
5. 最後に
今回の取り組みでは限られた紙面の中で基本的な考え方を述べることに終始した。今後はこの理論を具現化した取り組みについて発表したいと考えている。また、本論は少なくとも現状の否定ではないが、説明の不十分な箇所や誤解を生むような言い方があるかも知れない。我々若輩に対し、ご助言・ご指導を賜れれば、幸いである。
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