【要請レポート】

里山の再生とNPO活動

滋賀県本部/八日市市役所・花と緑の推進室 横山 義孝

1. はじめに

 現在、全国で取り組みが見られる里山保全活動については一種のブームの様相を呈してきているようにも思います。
 かつては日本全国各地に普通に見られた里山も現在では少なくなっています。これは人々が燃料の供給源として薪や柴を使わなくなり森に依存した生活ではなくなったためです。特に人里に近い森は、水田や畑地、工場、スポーツ施設用地、資材置場などに転用され、その姿を消しました。
 残った森も生活に利用されなくなってからは竹が繁茂し、うす暗い不法投棄場所になってしまい、ますます人々を遠ざける結果となりました。
 これらの荒れた山の管理に手を焼き「手軽で安価な整備方法」として里山保全活動が見られる様では一時のブームだけで終わります。貴重で身近な自然を守ることの重要性といかに継続しながらその活動に価値を見いせるかがカギになってきます。そこで1995年から八日市市で始まった里山保全活動を紹介します。

2. 八日市を緑の湖に

 八日市市では1995年度、市長が「緑の湖(うみ)づくり」を提唱し「花と緑の推進室」を新設しました。これは、滋賀県内の市としては、琵琶湖に面していない唯一の市であったため、周囲の山並みや内陸独特の自然が織りなす緑を湖に見立てて、大事に守り育て、潤いのあるまちづくりを行っていこうというものです。
 しかしながら人口5万人に満たない自治体が「花と緑の街づくり」のためだけに人員を割くためには市長の強いリーダーシップと志があってこそ実現したのです。
 推進室では、緑の街づくり補助金として自治会単位での花いっぱい運動や個人宅を対象とした生垣設置補助制度等を実施し住民主導による地域環境の美化や保護樹木・保護樹林を指定し身近な自然保護意識の醸成をめざし、自然との共生を次代に伝えるまちづくりを推進しました。学校等の公共施設へ緑化工事を率先して進め、歴史のある布施の溜の改修後を再整備し水鳥や生き物が快適に過ごすことができる公園へと取り組みを進めていきました。

3. 河辺いきものの森の取り組み

 1995年、市政の重点目標として「緑の湖づくり」が始まった頃、市内建部北町にある市内で最も大きな里山の一部で砂利採取が行われました。ここは鈴鹿山脈に端を発する愛知川の河辺林で地下に良質の砂利があります。その砂利が建設資材として売却されるため木が切られ、地面が掘られたのです。さらに市街地に近い平地であることから工場の進出計画も持ちあがり、森の存続が危機にさらされました。
 花と緑の推進室を設け自然保護や良質な生活環境の保全を目標に動き始めた矢先のことでした。「工場を誘致を積極的に進める時代ではない」との市長の決断から森を残そうとの議論が湧き起こりました。
 かつて森では、愛知川の豊富な伏流水が湧きだし、年間を通して冷涼な気候と湿度が保たれてきたため、ワサビやキクザキイチゲ、イタヤカエデ、シナノキなどの植物が生息し、標高が100メートル余りの森にもかかわらず奥山と里山の動植物が混在して生息していました。早くから貴重な生態系が保たれていると研究者の間では注目されていた森なのです。
 1972年に愛知川の上流にダムが完成した事や過剰な地下水の利用によると考えられる伏流水位の低下は森の湧水を止め乾燥化を進め奥山の種(キクザキイチゲ、イチリンソウ、ワサビ等)を減少させました。自生していたエビネやシュンランが乱獲にさらされました。また樹木の管理に人が関わらなくなり、限られた樹種(アラカシ、ネズミモチ、アオキ等)だけの暗い常緑樹の森へと遷移が進みました。用材や食料としての利用が少なくなった竹林の凄まじい拡大にもさらされ、森の豊かな自然は危機的な状況になっていました。
 市において森の現在の状況を把握するため本格的な生態系調査を行いました。
 調査では、貴重で独自の生態系が辛うじて残されている事が確認されました。
 調査結果を地権者の方達へ説明するとともに里山の保全に関する先駆的な取り組みを考える「河辺林シンポジウム」を開催(1996年度)し、将来の保全方法について考えることになったのです。
 生態系調査の結果から建部の森の保存が決まり、里山の自然を保全し環境教育の拠点として活用する「河辺いきものの森整備基本計画」が策定されました。計画を実現するための準備を進めながらも荒廃が進む森を「出来ることから始めよう」と1998年からボランティア活動で保全し始めたのが里山保全活動団体“遊林会”です。
 施設整備の工事は1999年からはじまり、生態系へ配慮しながら3年をかけて、ネイチャーセンターやビオトープ、林冠トレイル、木道を備えた「河辺いきものの森」が完成しました。
 センター等の施設の整備方針は、必要最低限の建物だけと限っています。ネイチャーセンター内の展示もさほど多くありません。「展示物を目的にして森へ何度も足を運ぶ人はいない」と考えたからです。実際に体験する屋外フィールドの活動を中心に据え重点をおいたのです。同種の施設から比べると貧弱ではありますが施設の整備コストは格安に押さえられています。
 しかしながら森内に大きな遊具やキャンプ場的な宿泊や炊事施設の類はありません。植物の植え付けやペットの出入りも禁止していますので、地元の自然だけを利用した施設が利用者のニーズに合うのかがポイントでした。

4. NPO 里山保全活動団体遊林会

(1) 定例活動
   1998年4月、建部北町での施設整備を前にして里山の保全活動を行う事を目指し、里山保全に関する講演会を市立図書館で行いました。講演会には30名程の参加者があり市民のみなさんの中にも保全活動への興味を感じ取る事ができました。
   市といっても八日市市は大都市から離れた人口45,000人の町です。周辺には田園が広がり近隣の町には大きな山もあります。こんな田舎町で里山保全活動といって人が集まるものか一種の賭であったのかもしれません。
   講演会から2ヶ月後の1998年6月の第2土曜日に里山保全活動団体遊林会は初回の活動を始めました。参加者は5人。全員が知り合いで知り合いの集まりという程度で期待とは裏腹な結果でした。
   地元の自治会に依頼したり、市職員を割り当てたりして強制的な動員をせずに始めた結果から当然といえるかもしれません。2回目以降、現在まで自主的な参加者で実施するという基本姿勢を貫いています。参加者が少なくて活動が立ち消えになる心配もあるのですが、里山保全のように絶え間なく続けていく必要のある活動には、自主的な参加者でなければ、続かないし参加者に無理強いしても意味がないと考えたからです。第2回目の活動日は、8月の第2土曜日という酷暑の悪条件の中でしたが20名の参加がありました。
   2回目の活動に向けて「森に入って楽しもうという」レクレーション的な部分をアピールし、生涯学習講座の参加者等の興味を持てば参加してくれそうな人々の掘り起こしを行っていたのです。
   活動する場所も、初めは理解のある地権者が所有している森のほんの一部を借りていましたが、地道な活動が地権者の理解を深め借りられる面積も広がっていきました。作業を始めると鬱蒼とした森が明るくなってきました。すると変化が見え始め、土の中に眠っていた種が発芽しオカトラノオやホタルブクロの花がたくさん咲くようになりました。虫が集まり鳥も増え豊かな生態系が復元したのです。こうしたちょっとしたニュースを市の広報を通じて根気よくマスコミに情報提供すると各社が取り上げ保全活動が伝えられ徐々に参加者が増えていきました。
   現在では、月2回の定例活動日を設けています。第2土曜日は50人、第4水曜日は15名ほどの参加があります。メンバーは固定せず色々な人が訪れています。第2土曜の前の水曜日の夜には作戦会議を開いて作業内容を決めています。
   遊林会の特徴はというと、正式な会員名簿がない事がこの会の不思議なところです。緩やかな連帯とでも言うのでしょうか。名簿は河辺林通信というA4印刷の通信を送る宛先400件ほどがあるだけです。通信の内容は、その月に森での出来事を書き綴って月末に送ります。特に案内はしなくても第2土曜日・第4水曜日には、参加者が自然に集まって来るのです。遅刻、早退が自由で強制力の無い一見ダラリとした活動ですが、活動は月2回必ず行います。台風が来ても雪が降ってもです。これは小回りの効く連絡網を拒否している裏返しでもあります。急に中止と決めても誰が来るかわから無いので連絡のしようがありません。「作業を絶対にする。」と決めていると妙な安心感もあるもので通信を郵送していなくとも毎回参加されている人もおられます。名簿が無いのは「身内だけの集まりにしない」「来る人は拒まない」と言う姿勢の表れなのです。
   活動日は、9時頃から始まります。はじめにみんなで自然観察会を行い森での発見や喜びを共有しています。自然の回復具合を目で感じ楽しんでいます。
   観察会の後は準備体操を行い、作業内容の説明です。作業内容は5つ程の種類に分けて参加者自らが希望して選べるようにしています。
   初めて参加された方でもなじめるようにと作業内容は草引きから樹木の伐採、炭焼きや竹林管理などの中から選ぶことができます。昼食づくりも作業の内で、ボランティアで50人あまりの昼食を作っているのです。
   森の管理の方針は、樹木は自然の遷移に任せるのではなくエリアを決めて伐採しながら萌芽更新しています。ヤマザクラやイロハモミジなど人々の目を楽しませてくれる木が多い林では、そうした樹木が元気に育つように除伐作業をしています。伐った太い幹は薪ストーブ、焼き芋、ピザ窯の燃料として燃やしたり炭にしています。細い枝は柴や細かく砕いてチップにして遊歩道に蒔いています。竹はクラフト材料や炭に、落ち葉は集めてカブトムシの幼虫の堆肥として利用するとともに草花が咲きやすい環境のために下草刈りや落ち葉かきも実施し林床の管理を心掛けています。
   12時になると参加者の一番の楽しみお昼ご飯です。季節を感じられるメニューで薪を使って美味しいご飯をみんなが集まってワイワイと食べるのです。年齢や興味の異なる参加者が歓談しながら楽しく昼食をとっています。食後には初めての参加者のスピーチなど時間をたっぷり設けて親睦を深めています。
   充分な休養の後、午後も3時頃までは保全活動をしています。
   15ヘクタールの森の保全管理は、ほぼこの活動だけ足りています。

(2) 環境学習への取り組み
   遊林会では、市から環境教育の委託を受けています。森の楽しさを多くの人に知って欲しいからです。遊林会のスタッフはこの委託料で4名を雇用しています。最近では森を使った環境学習・総合学習の希望者を多く受け入れています。森には、保育園・幼稚園から高校・大学生まで市内外から多くの生徒が訪れてきます。
   子どもに向けてはドングリ拾いや工作、ネイチャーゲーム。大人には保全活動の意味と体験を取り入れ学んで頂いています。内容は年齢や学習状況にあわせて指導者と相談して内容を考えています。クイズラリーはこの森でよく行うメニューですが来る団体毎に作り替えて森の中に配置します。自然は1日毎にその姿を変えていきます。その事を理解する内容でないと現実感がなくおもしろみに欠けますしリピーターへの対応も出来ません。なにより自然の森で学習する意味がありません。
   中学生以上の生徒から里山保全活動の体験希望が寄せられます。
   「木を切ってはいけない」という信仰にも似た考えには「生きた木を切る」という体験は新鮮で強烈です。いきものの森では「平地林の雑木を切る」という面白みがアドバンテージとなって来場者の支持を得ていると思われます。もちろん切るだけでは無く萌芽で更新するという里山の生命力と合理性を理解していただく事も重要です。
   また里山保全活動を始めたいと考えている団体や行政の研修を受け入れています。
   他の活動団体との交流も行っていて里山保全活動普及の一翼を担っていると自負しています。
   会ではホームページの充実にも力を入れていて最新情報をリアルタイムで伝えるために週1回以上更新を心掛けています。森から遠く離れていても最新情報に触れることが出来るように運営しています。森を活用した環境学習の実施状況をつぶさに見て取れて、ホームページから探し当てて森へ来場された団体も多数あります。

(3) 行政とNPOの役割分担
   行政は、活動の場となる森の地主と借地契約を締結するとともに、環境教育や世代間・地域間交流の場となる諸施設の建設を行うなどハード面をはじめとした公的機関の信用力により事業がスムーズに進む分野を担っています。遊林会では、定例里山保全作業や人的・組織的な交流、環境教育の実践を担当していて、相互の補完関係と対等のパートナーシップを構築し両者の協業により「河辺いきものの森」を運営しています。河辺いきものの森のネイチャーセンターには、市役所の「花と緑の推進室」の事務所と「遊林会のスタッフ」が常駐するレンジャールームがあります。河辺いきものの森は2002年3月正式にオープンし、翌4月から「花と緑の推進室」が河辺いきものの森内へ移転しました。本来なら市の公共施設はコミュニティー振興事業団という外郭団体が管理するのがルールです。また教育委員会の管轄で環境教育を行うことも考えられたのですが「花と緑の推進室」が市役所内の機能を森の事務所へ持ち出し執務しています。もちろん環境教育の担当という仕事も担当として実施する事になりました。これは森の保全活動に深く関わってきた者の強い思いや、それまでの遊林会との強い結びつきを考えると妥当な判断でした。森を利用したイベントでは参加人数が一定する物ではありませんし訪問する団体も一様ではありません。一度に多くの利用がある時には遊林会のスタッフと花と緑の推進室の職員が協力して弾力的な運用で充実した運営をすることができます。中学生の作業体験の様な鎌やノコギリを使う場合には、スタッフ以外にも協力いただけるボランティアに来ていただいて実施しています。
   行政とNPOが両者の長所を生かしながら活動していくことは今後ますます重要視される課題であり理想的なモデルケースとなる様に協調関係を模索し活動しています。

(4) 活動の広がり
   遊林会の活動に理解を示し参加されている方には特技を持っておられる方も多くおられます。そういった人達が新たな活動やつながりへと会を面白い方向へと引きずっていきます。遊林会は「取りあえずやってみよう」という団体です。炭焼窯やピザ窯を手作りし除伐した木を有効に利用するために役立てていますし、会の運営資金の足しにしようと森のツルなどを使った販売物を工作して持ち込んでおられます。
   2004年3月には森の近くに「河辺の森駅」が出来ました。これは遊林会が要望し設計時点から関わりました。駅は太陽光や風力発電を利用し雨水も利用しています。駅前にはビオトープを整備し森の入り口として意識されるように計画しています。このビオトープは遊林会の手作りで整備中です。計画に口を出したら施工にも手も出すと言う合い言葉で力を合わせて作っています。
   近隣の自治会にはサツマイモの植え付けをお願いして子ども達と一緒に芋掘りをして森林管理で生じた材を使った焼き芋を楽しんでいます。自然の中で食べる美味しいサツマイモは木が燃料になる直接的で貴重な経験となっているに違いありません。また企業の寄付金を得て森のコンサートと題した弦楽四重奏のコンサートを実施し木から奏でられる音の魅力を楽しみながら裾野の広い参加者の獲得をめざして工夫をしています。
   一般の方に向けては、連続講座やコンサートなどの里山を知って頂くための講座やコンサートを行い里山保全に対する活動の理解と支援をもとめています。

5. これからの活動

 経済的な合理性が優先され時間やお金で物事を推し量る時代が来ているのかも知れません。ガスや電気、石油という便利な生活を手に入れた私たちにとっては、里山は絶えず保全活動を行わなければ荒れ果ててしまう効率の悪いものです。公園の様に自然を押さえ込み人間が都合の良くコントロール出来るほど甘いものではありません。
 しかし保全活動に目的意識を持って参加する人を上手く見つけ生きがいを持って活動出来る仕組みをつくれば効率を求めて事業を実施する必要もありません。参加者の健康的な汗と充実感で、すばらしい自然が守れるのです。
 保全活動に参加している方が「小さな箱庭の様な場所で自己満足の活動では…」とおっしゃった事があり心に引っかかっていました。考えてみると、日本で有数の大自然を守る活動にこそ意味があるのか?という事です。一生のうちで何度も足を運ぶ事が出来ない様な大自然に思いを馳せる事に異論はありませんし、そういう自然は大切だと思います。しかし、そこから比べると取るに足らない小さな自然であっても、自由に出入り出来て何度も足を運べる様な近い距離の自然がどれほど大きな意味を持っているかという事をです。
 この事は、河辺いきものの森の在り方にも通じます。森を訪ねてくる人の中には「何もないつまらない所」という評価も多くあるかもしれません。森に訪れても入り口を見るだけで直ぐに出て行く人も見受けられます。動物園や植物園の様な珍しい生き物を飼ってもいませんし乗り物などの解りやすい遊びがある訳でも無い、ただの森では当然かも知れません。自然の中をゆっくりと歩くゆとりと、日常の中の何気ない大切な物を見つけられる目を養うためのお手伝いが出来るようにと願っています。
 自然の中には人智の及ばない営みがあり人々の心を癒します。人類は便利な生活を追い求め効率や快適性を求めてきましたが、それだけでは生きてはいけない事を思い出しつつある時代になったのだと思います。