【自主レポート】自治研活動部門優秀賞
第32回北海道自治研集会
第Ⅴ-①分科会 自然環境保全と循環型社会

「まちの里山」東大農場が残った
――市民による東大農場存続運動の成果と求められる公務員像――

東京都本部/自治労西東京市職員労働組合 後藤 紀行
東大農場のみどりを残す市民の会 大森 拓郎

 都心に隣接し、宅地化が進む人口19万人の西東京市。その市内中央部に本稿の舞台となる「まちの里山」ともいえる東大農場がある。東京大学(以下「東大」という)がこの農場の移転を計画したのを機に、市民組織が、行政・議会との連携・協働が実現しない中で、単独で農場存続運動を展開、市民力が影響して農場移転中止が決定した。
 環境問題では稀有な市民運動の成功事例として、以下、市民活動の経緯と市民力の成果の背景を述べたあと、市職員としてこれに学び、求められる公務員像について述べたい。

1. 東大農場存続運動について

(1) 東大農場の移転計画発表と市民組織の結成
 2003年3月、東大評議会は、「まちの里山」として市民に親しまれてきた7万坪(東京ドーム約5個分に相当する22ha)の広大な農場を、柏キャンパス建設資金捻出のための処分を理由に、千葉市検見川への移転を発表。(東大農場とは→資料1.参照
 これを受けて、アースデイの共催団体(西東京市職員労働組合および市内21の環境団体)が結集して、2004年4月、「東大農場のみどりを残す市民の会」(以下、「残す会」という)を設立。発足会では、この運動を市民、行政、議会の協働のものにしたいとして、市長や多数の市議会議員を含む350人の参加者を得て盛大に開催した。(「残す会」の概要→資料2.(1)参照

(2) 「残す会」の活動の経緯と活動内容
 320人の会員で発足した「残す会」は、①会員拡大、②農場移転後の跡地活用案の検討、③行政を含む関係機関との協働、を施策の3本柱に掲げ行動を開始したが、その実現は容易ではなかった。その理由は、①西東京市が平成の合併市で、市民の多くが東大農場の存在そのものを知らなかったこと、②農場跡地活用案検討の過程で、自治体の財源難と、考え得る活用案の実現性が難しいこと、③東大側の農場移転等に関する公式情報がないまま、市民と行政・議会との間の農場のみどり保全に対する考え方に、ズレを生じていったこと、などが挙げられる。
 そこで「残す会」では、先ず、市民および関係筋に東大農場の存在と会活動への理解を求め、みどり派市民を増やす活動を地道に推進することが肝要と考え、①農場の価値を紹介した小冊子の発行とクールアイランド効果調査、②絵画展等各種イベントの開催、③幼児・児童を対象にした環境学習の実施、④東大農場との協働事業「東大農場塾」の開講、など矢継ぎ早に実施した。
 また、農場跡地活用案検討の結果、究極的な東大農場のみどりの保全策は、"農場そのものを残すこと"ということになり、農場移転計画実施の遅れもあって、2006年度の総会で「残す会」の運動方針を、これまでの「移転後における跡地のみどりの保全」から「農場の移転中止と存続」に転換。これを受けて、2007年3月以降、①東大総長および市長・市議会議長に「東大農場の移転中止と存続」を求める要望書・陳情書を提出、②3~5月にかけて、同趣旨の署名活動を展開、市内外から46,000余筆の署名を集め、6月に東大総長あてに提出した。(活動内容→資料2.(2)参照
 2007年8月8日、思いもかけず東大から「東大農場の移転中止決定」の連絡を受け市民は歓喜。2008年3月、農場存続運動をリードした「残す会」は運動方針が実現したことによりに解散した。

2. 市民運動の成果とその背景

 「残す会」の東大農場存続運動の成果を挙げれば3つある。
 第1に、当然のこととして東大農場が残ったこと。国(国立大学)が策定した農場移転計画を、国立大学法人化(2004.4)の動きがあったにせよ、4年余りで変更したことは東大の大英断ではあったが、市民の農場存続への強い願いが影響したものと確信している。第2に、この運動を通じて、"お上が決めたことも覆る"ことを学んだ市民の成功体験は、次の課題解決へ自信を深めたこと。第3に、運動に参加した人と人との交流から、運動を終えたあとも、運動への想いや環境、市民自治等の話題を糸口に、人びとの絆が拡がってきていること。
 運動の成果、なかでも多くの署名が集った背景には、次のようなことが考えられる。

(1) 運動目標の明確化と市民からの信頼
 多くの市民、市、東大等関係者が結束できる地域のシンボリックな存在である"東大農場"、その存続というシンプルなものに的を絞ったこと(東大農場を南北に分断する第3次都道整備計画は、関係者の立場により賛否両論あり、敢えて組織として関与しなかった。)。
 また、地道に多様な活動を積み上げてきたことにより、会活動への市民の理解が得られたこと。

(2) 「残す会」の効率的な組織運営
① 多様な組織の構成員と意識の柔軟性
  役員には、環境団体のコアとなる人材が集中、このうち、過半が現役引退の組織運営に慣れた企業出身の男性で、これに市民運動経験豊富な数人の女性が加わり組織力を強めたこと。
  また、運動の途中から「国が決めたことは覆らない」の意識を捨て、運動方針を転換したこと。
② 役割分担と責任の明確化
  組織の三役が、それぞれ情報(代表)、組織の管理運営(事務局長)、企画立案(副代表)の役割を分担、確固たるスクラムを組み、また、署名活動、イベント開催等では、運営委員、各種リーダーを中心に、指揮命令系統を1本化し、役割分担、責任の所在を明確にしたこと。
③ 情報の一元管理と共有化
  代表等があらゆる人脈を駆使して得た情報は、分析し一元管理するとともに、役員等関係者で共有化を進めたこと。これが互いの信頼感と結束を生み、活動に機動性をもたらしたこと。

(3) 東大との信頼関係構築
 今回移転問題が起こる遥か前から(1992年以降)、「残す会」代表を中心に、東大農場と隣接する演習林をフィールドとして自然観察会を続け、また、「残す会」発足後も、「東大農場塾」等農場との協働を通じて農場長・教授・職員に至るほとんどの関係者との間に強い信頼関係が築かれていったこと。これで、農場移転に絡む東大の考え方、動きについて感触を含め把握できたこと。

(4) 社会的背景の後押し
 近年、地球温暖化、生物多様性等グローバルな環境問題ヘの関心、物質中心主義の生活スタイル見直しへの意識等が市民に浸透してきている背景があったところに、東大農場存続はローカルとはいえ同じ質の環境問題に繋がったこと。特に、署名活動で顕著な動きがみられた。

3. 実現できなかった行政・議会との協働

(1) 農場存続運動で行政・議会はなぜ動かなかったのか
 農場存続運動の過程で、行政関係者の中には「個人的には農場を残したい」との気持ちを打ち明け、また多くの市議会議員も個人的には署名活動に関わったが、残念なことに行政・議会という組織としては動かなかった。
 その背景について、推測は出来ても真実を知る由もないため、ここでは事実の経過のみを述べるにとどめたい。
① 「残す会」で得られた主な情報・感触等は、少なくとも行政の担当部署には適宜報告し、また、市の「東大農場懇談会」(注)でも、「残す会」代表が個人参加者の立場から、東大から得た情報等を討議の過程で報告してきた。しかしながら、これらの情報等は、結果的に市民の「東大農場の移転中止と存続の要望」をサポートするには繋がらなかった。

  (注) 坂口市長のマニフェストに謳われた「東大農場のみどりを守るための市民検討委員会」として、2005年11月に設置。委員は学識経験者1人、市民3人、職員1人で構成。農場存続が決定したため、2008年3月に解散。
② 市長に対し「東大農場存続を東大へ働きかけて欲しい」旨の要望書を提出したが、提出してわずか半月後に「『東大農場懇談会』での答申を待って、2008年度を目途に市の方針を策定したい」との回答にとどまった。
③ 市議会に対しても、市と同趣旨の陳情書を提出。2007年の3月・6月の定例議会でともに実質審議されないまま継続審査となり、9月定例議会では、農場存続が決定したために「すでに陳情の願意が通っているので審査する必要がなくなった」として審議未了扱いにした。

(2) 市民から寄せられた市の協働に対する不満等
 農場存続運動を続ける中で、「残す会」役員、会員等が、常日頃、市民自治の実現を謳っている行政(市長・管理者・職員すべてを指す)と接して抱いた疑問点や不満等を、下記の通りごく一部列挙した。そこには、すでに言い尽くされている、行政の主体性、情報の公開・共有化、公的規制の問題等を含んでいるが、突き詰めれば、行政マンの視点(市民感覚・意識)、制度・組織の運用・運営に問題のポイントがあるように思う。
(市民の協働に対する不満等)
① 「東大農場問題解決は、議会が絡むから難しいよ」といわれた。
② 市民の寄せた情報・感触は、施策に反映されているのか。非公式な情報や感触は、上層部や市長にまで繋がるのか。
③ 「農場移転中止決定」の広報への掲載は、市が東大からの連絡(2007.8.10)を受けてから、3号あと(9/15号)となった。
④ 行政は、真に市民の目線・立場で協働を考えてくれているか。行政マン(公務員)は、一市民であることを忘れていないか。
⑤ 行政マンに、依然として市民を統治する意識(お上意識・おごり)はないか。
⑥ 市民の提案・情報を個人的には理解しながら組織として動けない(公務に繋げない)のはなぜか。組織の問題なのか、面倒なことに関わりたくないという個人の意識の問題か。
⑦ 審議会等に市民をメンバーに入れていても、アドバルーン効果とアリバイ作りにおわっていないか。
⑧ 施設利用等で、ルーズにならない範囲で、もう少し諸規則の弾力的運用はできないか。

4. 西東京市職員労働組合による市民との協働

(1) 東大農場存続運動に繋がったアースデイ行動
 この間、市職員労組は、西東京市が誕生して初の「アースデイin西東京」開催の協賛団体の一つとして、2004年の「残す会」発足に繋げ、同年開催の第2回「アースデイin西東京」では、多くの市民に東大農場の存在を呼びかけた。以降、毎年開催されるアースデイを通じて、労務・資材提供、資金協力の面で市民とともに積極的に環境問題に取り組み、今回の市民による農場存続運動でも署名活動に積極的に協力した。(市職員労組のアースデイ行動→資料3.参照
 地域のアースデイ行動(注)は、18年前、自治労産別運動として提起され始まったものであるが、今やアースデイは市民の力で地域に定着し、地域の最大の環境課題であった「東大農場の移転問題」解決の大きな原動力となったことは疑いない。市職員労組がアースデイ行動に参加し続け、歴史を刻んできたことに市民は高く評価してくれているが、これは、長きにわたって、自治意識をもつ市民との信頼関係が、築かれてきたからに他ならない。

  (注) アースデイは、旧田無市の市職員労組役員が公民館に配属され、公民館の環境講座を実施する中で自治意識を持つ市民と交流し、1990年に始めた運動。

(2) 市職員労組の目指すもの―求められる公務員像―
 市職員労組は「市民の多様なニーズに応える良質な公共サービス実現に向け、市民との協働を強めよう」という方針を確立し、組合運動の柱のひとつとして、これまで、アースデイ等の活動に取り組んできた。これは市民に依拠した自治体改革をすすめ「地域の公共の力」を維持、発展させるためには、自らが公務員であると同時に、市民の感覚と意識を持たなくてはいけないという問題意識によるものである。
 今回の市民による東大農場存続運動から受けた教訓は数多く、これを生かして、自治体で働くことの意味や市民との協働のあり方を理解しつつ、より一層市民の感覚と意識をもった"市民の目線で仕事のできる職員集団"を作り上げていく努力をしていきたい。そして、市民参加条例や協働の基本方針(注)に盛られた協働の精神を、具体的に実現していくことこそ、行政の信頼につながり、市職員労組の大きな財産になるものと思う。

  (注) 本年2月、西東京市では、2003年に職員向けに策定した協働の基本方針を見直し、新たに「市民活動団体との協働の基本方針」を策定した。

(結びにかえて)
 本年5月、移転を中止した東大農場において、西東京キャンパスの整備計画案の住民説明会が開催され、その中で、一部整備対象外地域の特定と地域連携・地域貢献に係わるゾーンの新設が発表された。今後のキャンパス整備の具体化に向けては、都道整備や処分予定地を含むハード面のまちづくりと、地域連携・地域貢献ゾーンを拠点とした市民・市・東大との協働、いわゆるソフト面のまちづくりをいかに進めていくかが重要であり、これに対応する行政内の所管は、教育、福祉、市民協働、産業振興、環境保全など多岐にわたる。
 行政としては、今回の東大農場存続運動や市民と東大農場との協働(「東大農場塾」、「農場博物館でのボランティア活動」)に学び、庁内横断的にこれまでとは違う発想で、取り組んでいく必要があると考えている。

以 上


資料1. 東大農場とは


正式名称: 東京大学大学院農学生命科学研究科附属
農場(旧多摩農場。現西東京キャンパス)
農場の位置: 西東京市緑町(田無駅から北に徒歩7分)
農場の歴史: 1935(昭和10)年 駒場から移転
2003年3月 検見川への移転決定
2007年8月 移転中止決定を発表
2008年5月 農場の整備計画発表
農場の目的・機能: 農学に関する教育・研究のほか、社会貢献も重要な役割。
また、環境・教育の場、広域避難場所、さらには雨水の地下水涵養、大気浄化等の機能をもつ。
農場の地勢・規模: 土壌は関東ローム層と呼ばれる火山灰土壌で、その表層は黒ぼく。
敷地面積:22.2ha(うち畑16.5 田1.5)
建物施設:本館事務棟、学生宿舎、作業棟等
1935(昭和10)年頃の建物群は、旧乳牛舎(現農場博物館)等20棟に及ぶ。
農場の現況: 2007年8月の移転中止により、神奈川県二宮の果樹園、検見川の緑地植物実験所の機能を、当農場に移し、教育・研究のフィールド拠点として整備に着手。一部の土地は、整備対象外地域として処分も検討。
新しく整備されれば、東大演習林―里地・里山―畑・水田と連続した環境が出来上がり、地域連携、社会貢献に係わる施設も整備される。
なお、農場博物館は2007.12から開館。

 
 
「まちの里山」東大農場には、畑・水田が広がる
   

資料2. 「東大農場のみどりを残す市民の会」

(1) 概 要
2004年4月  発足(西東京市民会館で発足会開催)
2008年3月  運動目的達成のため解散
会員数の推移:発足時(2004年4月) 320人
       解散時(2008年3月) 730人
役員:(解散時2008年3月) 運営委員17人(うち代表1人<宮崎啓子>、副代表2人<事務局長、企画担当>)、会計監査2人
目的:本会は、広く一般市民を対象として、「まちの里山」といえる歴史ある「東大農場」の良好な環境を、東大農場との共存を図りつつ、「農」を基本として保全しながら、環境・教育・文化の発展と福祉の増進をめざす、市民交流の場とすることを目的に活動を行い、自然と人間が共生できる持続可能な社会の実現に寄与する。

「東大農場絵画展」、2,500人の入場者でにぎわう
「東大農場塾」のヒマワリ畑、5,000本が咲きそろう
東大農場での「東大農場存続」を求める署名活動

(2) 主な活動内容
① PR誌等の発行と調査の実施
 ア 小冊子「まちの里山」の発行(2005.1)……東大農場の存在価値・意義についてまとめ、関係筋に配布(3,000部)
 イ クールアイランド効果調査(2006.8)……「東大農場・演習林」の緑が近隣の気温を低下させることの実証調査(33人が参加)
 ウ 会報の発行(毎月)、東大農場絵はがきの発売、ビデオ制作、チラシ等配布等
② 各種イベントの開催
 ア 「まちの里山フェスティバル」(2005.1)……音楽朗読劇、東大出身のボーカリスト鈴木重子さんと歌う など(入場者660人)
 イ 「東大農場のみどりを残す市民の集い」(2006.2)……交流会等(120人参加)
 ウ 「東大農場絵画展」(2007.2)……画題を東大農場・演習林に限定、油絵等190点を展示(入場者は市内外から2,500人。NHK等でも放映)
③ 環境学習等の実施
 ア 「東大農場見学会」(毎月、第1金曜日)
 イ 幼児・児童、ジュニアを対象とした自然観察学習(年平均4回程度)
 ウ 「西東京市環境サポーター養成講座」(2007.1~2)……市の企画提案事業として46人の環境サポーターを送りだす。
④ 東大農場との協働事業「東大農場塾」の開講(2005年度~3期・3年実施)
  「残す会」および東大農場(共催)、西東京市(後援)の3者がタイアップし、相互発展に寄与しつつ、東大農場の教育・研究・文化等の知的財産と資源を活用して、資源循環型地域社会のモデル作りを行うことを目標に掲げ実施。内容は、講演の開催とナタネ・ヒマワリの栽培から加工までの一環実習。総受講生は延べ192人に達した。
  受講生の一部が、「東大農場ボランティア会」を結成(2007.11)、現在、「農場博物館」の管理運営に協力している。
⑤ 署名活動の実施(2007年)
3. 6   東大総長に「農場の移転中止と存続」を要望
3. 8   市、議会に同趣旨の要望書・陳情書提出
3.19   目標30,000筆を掲げ署名活動開始
5.31   署名活動締め切り、目標30,000筆突破
6. 1~  署名済み用紙続々回収
6.21   東大総長に46,133筆の署名提出
8. 8   東大農場本部から「移転中止決定」の連絡を受ける。


資料3. 西東京市職員労働組合のアースデイ行動

「ラオスの子どもたちに絵本を贈る運動」のパネル
と物販(市職員労働組合コーナー) 
「残す会」のジュニア向けコーナー
(左から東大農場首脳〈農学部長、農場長〉、
市民組織「残す会」代表、西東京市長)

第1回アースデイ 1990.4.28 (自治労産別として方針提起されたアースデイ行動)市内の雑木林である「自然公園」で自然観察会。組合員30人参加

第2回アースデイ 1991.5.18 「東大演習林」の自然観察会と「石神井川」の水質調査を実施。組合員のほか、市民20人が参加

第3回アースデイ 1992.4.18 (実行委員会方式で取り組み。市職員労組の中にアースデイ推進委員会〈自治研推進委員会へ繋がる〉を立ち上げ。)自然公園観察会、フリーマーケット、その他イベント、パネルディスカッション「田無の環境を考える市民の集い」を開催。現在の原型となる。

第4回(1993年)~第11回(2000年) 市民中心に実行委員会方式で開催。市職員労組は独自のイベント開催や事務局を担当。労務提供(約200人~約70人)、資材貸与、財政的な面で協力。

(2001年1月、保谷市と田無市が合併。西東京市誕生3年目にアースデイin西東京実行委員会〈21団体〉が復活(それまでは旧田無市で開催))

第1回「アースデイin西東京」 2003.9.27 初めて東大農場で開催。前夜、講演会を開催(テーマ「地球環境と農業」)。
市民参加約4,000人

第2回「アースデイin西東京」 2004.10.2「楽しもう。身近なみどり、東大農場へ」というキャッチフレーズで、市民への東大農場PRを主目的に開催。
市民参加約5,000人

第3回「アースデイin西東京」 2005.10.15 4月開園の「西東京いこいの森公園」で開催。
市民参加約5,000人

(市職員労組と市民との協働で定着したアースデイは、2006年から2年間、東大農場の収穫祭と共同開催した)

第4回「西東京アースデイ&収穫祭2006」 2006.11.23 初の東大農場と同時開催。
市民参加約6,000人

第5回「西東京アースデイ&収穫祭2007」 2007.11.23 東大農場移転中止後初の開催。
市民参加約7,000人

以 上