【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第3分科会 自然災害に強いまちづくり~災害から見えた自治体の役割~

 自主防災組織と関わっている中で、行政が自主防災組織に期待することと、自主防災組織が行政に期待していることには乖離があり、「心の通った関係ではなくなりはじめているのかも」と感じるようになった。その他にもいくつかの不安材料を想像していたが、今回の東日本大震災を受けて気付いたことがあったので少し掘り下げて述べてみたい。



防災無意識社会の提唱
~日常のコミュニティこそが無意識に災害時の助けになる~

岩手県本部/宮古市職員労働組合 山崎 正幸

1. はじめに

(1) -accessibility-
 「情報」とは「情に報いる」と書く。「情」は、万葉集の時代から「心」の意味で使われてきたとされるが、「情報」として使われるようになったのは明治初期の陸軍からである。軍隊では、「命令」は上から下へ流され、「情報」は下から上へ伝達される。多くの現場情報を収集し作戦を判断し命令する点において、現代の災害時においても同様である。そして、情報収集次第では判断や命令を間違う可能性もある。
 さて、災害時の情報伝達としては、古くは火消組の火の見櫓の「半鐘」が代表的であろう。また、現代の地域防災計画においても「法螺貝」の記載がある自治体もあると聞く。防災行政無線の屋外拡声子局からの音声が届く範囲は、遠くて500m以内(避難距離の目安でもあり、概ね徒歩10分の範囲である。)とされている。これらから発せられる避難命令等が伝えられる対象は住民であるが、その範囲には複数の町内会等のコミュニティがあり、それぞれのコミュニティの中で住民が相互に情報伝達・情報交換を行い行動してきた。住民側の情報についても、自主防災組織等による平時からの活動が生かされ収集できていたと思っている。

(2) -not found-
 しかし、歩く早さで情報伝達されていた時代から、陸上交通網の時代に変わり、そしてあっという間に情報化社会となり、時間と距離が短縮され、さらには、地方分権・市町村合併により自治体の面積が拡がり、知らず知らずのうちにそれぞれの町内会とも疎遠がちになってきた(時間と距離の短縮は「忙しさ」の象徴でもある)。


2. 問題点

 我がまち岩手県宮古市は、過去にも大きな津波被害を受け続けてきた場所である。津波以外にも大きな災害はあったが、現在の宮古市を構成する旧田老町のそれは壊滅的であった。地域防災計画には自然災害全般について定められているが、このようなことから、以降は、遠景に津波防災をイメージしながら進めたい。また、たくさんの問題点が挙げられるが、ここでは次の2点に絞りたい。

(1) 自主防災組織はその機能を発揮できるか
① 組織化の推進
  阪神淡路大震災等々、あるいは今回の東日本大震災でもあらためて明らかになったように、広域大規模災害時の早期人命救助においては、地域住民の期待に反して公共機関の力は当てにならない。実際のところ、救助隊ではなく隣近所の人や通りがかりの人に助けられた人の方が多い。このようなことから、特に阪神淡路大震災後において「地域防災」が強く叫ばれ、町内会等の地域コミュニティを中心とした「自主防災組織」の組織化の推進が防災対策上の大命題となっている。事前の備えとしては建物の耐震化等が重要であるが、家庭単位では進まないので、自主防災組織と行政が連携して後押ししていこうというものである。
② 組織率と受け皿
  そこで、自主防災組織の組織率を上げることになるが、それは確かに地域防災力を高めるうえで最重要課題だと思う。しかし、実際はどうであろうか。町内会等と疎遠がちになるなか、(行政側の都合で)国の補助事業等による防災資機材の供給を受けるだけの単なる「受け皿」となっている組織もあるように感じている。一部には、役員以外には自主防災組織であることが認知されていない組織もある。このような場合、平時の行政において、単なる組織率の高さは「安全神話」となるが、もしそのまま有事となったらどうなるだろう。とにかく住民の大半は知らないのだから、自主防災組織があってもなくても同じでありその効果は期待できない。また、この「組織率」をもって防災意識の高低を言うことがあるが、前述のとおりであれば真実は隠れている。

(2) 住民は避難できるか
① てんでんこの悲劇
  地震や津波、台風等は自然現象である。一方で、それを災害にしているのは人間社会の側であるが、そのことは、やはり寺田寅彦氏の「天災は忘れた頃来る」という言葉に集約されているように思う。
  ここで、旧田老町には「津波のときは、てんでんこ」という言葉が伝承されていることを紹介したい。「津波の時は、他人のことは考えずに、一人ひとりで」というような意味であるが、明治三陸大津波の際に一家全滅が130戸にも上ったことから「家系を存続させるためにも、一人でも逃げ延びろ」という教訓でもある。このときは、避難の際に「親にすがり付く子どもを親自身が振り切って逃げた」という悲劇も起きたし、別の例でも「せっかく助かったのに、津波後の火災に発狂して入っていった」、何日も経ってから「地震もないのに蒸気船の音を津波の音と勘違いして大勢が山に逃げて狭い山道に集中し、そのあとに子どもの遺体が残った」といった具合に、パニックになり通常の精神状態ではなくなることもわかっている。このように「てんでんこに逃げる」ということは決して美化できる教訓ではなく、そうならないように普段から心の準備をして、落ちついて早めに避難しなくてはならない。今は災害時要援護者をいかに避難させるかが問われている時代であり、やはり「てんでんこ」に避難しなければならないような事態を招かないように準備すべきである。
② 人間社会が自ら災害を招いている
  群馬大の片田敏孝教授は「正常化の偏見」を説いている。2003年5月の宮城県沖地震の際の避難行動について、気仙沼市の津波浸水想定区域内で住民調査を行ったところ、避難したのは1.7%の住民であり、避難しない理由は「もともと避難する気がない」のほか、「自分にだけは危険は及ばない」という偏見からだった。一種のパニックのようなものと思われるが、類することは日常的にある。代表的なのは飲酒運転等の「自分だけは大丈夫」であろう。正常な判断力はなくなっている。他の理由としては「テレビや防災行政無線の放送を待った」、「防潮堤等があり大丈夫」のようにハードへの過剰な依存、「隣の人が避難しないから」等の状況依存が挙げられている。
  岩手県沿岸には防潮堤があり、消防団による水ひ門閉鎖活動も迅速に行われる。しかし、この宮城県沖地震の際の避難者のほとんどは80歳代の大津波経験者だけであった。ハード対策や消防団活動が完璧なほど、また、被災経験から世代的に離れるほど無意識に「正常化の偏見」が生じているようだ。今回の大震災でも同様のことが起こり、防潮堤に守られていた田老地区では181人が犠牲となったのに対し、防潮堤のない鍬ヶ崎地区では57人であった。それに、犠牲者が多く生じた場所では消防団員等の犠牲者も多かった。
  また、人間社会の進化とともに災害の起き方も変わるはずなのだが、そういうことを想像し対処していないまま、急に「その場」に遭遇するため、判断力を失いパニックに陥ることになる。避難しようと思わないのも一種のパニック状態ではないかと思われる。まさに「天災は忘れた頃来る」であり、忘れているのは人間の方なのである。


3. 考 察

(1) やはり組織化も大事
① 組織率が低くても防災意識は高い場合がある
  旧田老町には自主防災組織はなかった。組織はなくとも防災意識は高く、防災資機材等を受け入れるためだけの自主防災組織は必要なかったのである。また、人口5千人のうち3千人が一堂に会する地区対抗の大運動会では全世代別・男女別に選手を出すルールがあり、地域内で検討するため無意識なコミュニティの場となっている。他の自主防災組織にみられるような「年配者しか集まらない」ということはない。数ヶ月前から地区ごとに検討や練習が行われ、そのことにより清掃活動や避難路の草刈り・花壇造り等にも活気がある。
  しかし近年は、消防団員のサラリーマン化に伴い昼間の防災体制が手薄となってきており、各町内会が自主防災組織化に乗り出してきたところでもあった。これは、防災資機材の受け皿としての組織化ではなく、自主的に地域内の防災対策を行おうということなので本来の主旨に合致している。その他、自主的に防災士講座を受講する人がいたり、地域ごとの防災講座の自主開催を行うところもあったり、行政はそれらを技術的に支援してきた。
  また、旧田老町以外の地区でも、NPOの技術的支援を受けて自らハザードマップを作成した町内会もある。行政が一方的に作成した防災マップは、住民側にはなかなか認知されない。しかし、住民自身が自主防災組織の活動として作成した場合の認知度は90%にまで上がる。そして、既にマップを見なくても無意識に避難できる状態になっている。独自に避難路も造り、役割分担のうえ避難訓練も行っているが、自主防災組織については「全会員が賛同してから」ということで、組織化はされていない。しかし、単なる「受け皿」よりもこちらの方がよっぽど自主防災組織的である。自主性を大切にしたいので一定の距離感をもってお付き合いしている。
  そして、これらの町内会にはやはり熱意を持った誰かがいる。役員に限らず、それを支える技術やアイデアを持った人でありキーパーソンである。防災士講座もそうだが、このような核になる存在を見つけ、連携をとることが必要である。しかし、いわゆる「顔の見える」行政でなければそのような出会いもないだろう。
  また、「隣の人が避難しなかったから自分も避難しなかった」という状況依存があるならば、「率先して避難する人がいればそれにつられる人もいる」ということになり、キーパーソン作りも必要になってくる。
② 震災疎開パッケージ
  かつて、後藤新平は台湾を都市化することで現地ゲリラに仕事を与え平和的統治に成功した。また、「稲むらの火」の濱口梧陵(ヤマサ醤油社長)は津波被災農民に防潮堤を造らせた。これらは現代版の雇用対策とも言える。そして宮古市においても船と網を失った漁民等が防潮堤や港湾・道路等の建設に携わった。このように、復旧・復興工事を被災者自身が行うことは、下を向いていた被災者を復興者として立ち直らせるきっかけになる。しかし、避難所生活を見ていて気付くのは、肝心の働き手が介護等にとられて動けなくなっていることである。そこで、遠隔地の自主防災組織同士が震災疎開協定を結ぶ取り組みが考えられる。お互いに顔を知っていれば安心して家族を預けられ、復興活動すべき人がそれに専念できる。また、余震等によるPSTDの問題、避難所DV、性犯罪等の問題も回避できる。

(2) 無意識な伝承
① tradition and superstition
  災害時にパニックにならないようにするためには、災害の様々な想定をイメージできなければならない。想像力、観察力等が求められる。これについては、個人で培うもののほか、地域のコミュニティの中で一生を通して自然に伝承されていくものと考えている。例えば、昔は「カエルが鳴くと雨が降る」、「鳥が高く飛ぶと晴れる」といった言い伝えがあった。第一次産業は自然が相手であり、それを観察し感覚を磨くことで対処してきたが、そのような言い伝え等が今でも普通に伝承されていれば、緊急放送や避難指示等に頼るような姿勢もなくなるのではないだろうか(もともと個人の問題、個人の責任である)。特に、津波が想定される場合は、自宅ではなく避難場所で放送を聞くくらいの心構えが重要である。小さな地震でも「訓練」と思い行動してもよい。訓練していないことは本番ではできないのである。
② 人間とは、人と人との距離感のことである
  隣近所との付き合いは日常から大切だが、近年は「連帯意識の低下による町内会離れ」等も聞く。一方で、人間は「知らない」ことから「不安」の悪循環に陥ることが多く、自ら精神衛生の悪い循環に向いてしまうが、様々な犯罪の遠因ともなっているので、隣近所の人を「知る」ことにより「安心」の循環に好転するようにしたいものである。「安心安全」を掘り下げていくと「無意識な癒し」や「ホスピタリティ」に通じていくと感じている。
  また、「人間」とは「人との間」と書くが、私は「人と人との距離感」だと思っている。そして、周囲との距離感を調整し保ちながら自分の位相や位置を把握し、時には様々な選択を行うことが人生そのものだと思っている。つまり、(日常の他人との)距離が離れれば不安になり、逆に離れ過ぎなければ安心する。不安の状態では誰か(何か)に依存したいし、他人のせいにしたい。距離感が正しければ自分のことを他人に決めさせることもなく、自分の判断で行動できる。「心を亡くす」を縦に並べれば「忘」、横に並べれば「忙」である。

(3) 忘れないようにするための取り組みと忘れてもいいようにしておく取り組み
 一例だけハードの話をしたい。旧田老町では大防潮堤ばかりが目立つ存在だが、実は忘れがちな「隅切り」の方が、津波防災には効果があると私は考えている。これは、1933年の三陸大津波からの復興のため市街地を区画整理した際、交差点の四つ角を切って見通しを良くしたもので、まだ自動車が走っていない頃の整備であった。これは、気付かないほど無意識に安全に避難できるという効果が発揮されるものであり、このような都市計画技術を(関東大震災後の)帝都復興院から導入しようとした当時の知事・村長の先見性には驚かされる。
 災害の教訓等を忘れないよう伝承していく取り組みも大事だが、一方で「人は自ずと忘れる生きもの」でもあることから、このように、忘れてもいいように取り組む(日常化)視点も求められる。

(4) 職員の意識
① 危機管理
  「危機管理」の名が付く部署がそれぞれの自治体に増えている。この名が付くと「危機管理」的な業務はすべてその部署に集中させるべきではないかとの議論が起こる。しかし、災害時にそれぞれの業務をなるべく早く平時の状態に戻せるかどうかも危機管理であるから、すべての部署に共通して内在する業務である。また、平時の事務分担や権限が有事にだけ危機管理部署に集中することは考えにくいし、平時にない業務や急激に増える業務量を危機管理部署だけで行うことも不可能である。したがって、危機管理部署の役目は有事には全体のコントロール、平時にはコーディネーターとなり、危機管理は全庁的な日常業務である旨を認識して取り組まなければならない。
② 飲食店のノウハウ
  今回もそうだが、災害時に業務量の調整等がうまくいかず、縦割りの弊害や権限の問題が言われることがある。これには、飲食店等のサービス業のノウハウが参考になるのかもしれない。飲食店では出勤した順序で仕事に就く。一番に来た人はこれ、二番に来た人はこれ、といった具合に暗黙の了解で自動的に動き、開店後も阿吽の呼吸で接客は行われる。平常時に業務内容を打ち合わせるときに権限が発揮されていれば、その場で上司に伺うまでもなく、打ち合わせになく想像していなかったハイレベルなことだけを伺うことになる。そして、情報は一元化、共有化され、お勘定の際に担当が違っていたとしてもきちんと請求される。こういう仕事の流れは、情報の錯綜と瞬時に求められる判断に事前に備えている点において、実は災害対策本部の業務に似ていると思う。また、民間では事業継続計画(BCP)を策定しているところもあるし、企業評価にも防災会計を導入するところも出始めた。行政においても参考になりそうである。特にBCPは、危機管理意識の全庁化に効果がありそうである。
③ 地域活動への参加
  行政マンは、それ以前に地域の一員でもある。自主防災組織との連携や顔の見える行政において、一番自然に取り組めて、無意識に効果的なのが「自治体職員の地域活動への参加」である。それに、平時から地域で活動していれば地域のこともわかるし、有事の行政の役割や限界等について、地域の理解も得やすいのではないだろうか。


4. まとめ

 以上、地方自治の本旨に基づき、日常からそれぞれの立場で(防災すら意識せずに)情報交換し合ったり、心が通い合うような関係が築かれていれば、仮に取り組みをしていなかったとしても、無意識に災害時の助けになるのではないかということで、それが理想と思い、今の世の中の流れから見れば逆説的に「防災無意識社会の提唱」をタイトルとしてみた。おそらくそのような社会では、日常から無意識に情報が記憶されているので、個人情報を求めることもなく、そのような問題も起こらないのではないだろうか。(ボランティア等においては例外)。
 また、急速に移り変わる人間社会により情報交流の形態も激しく移り変わってきているが、人間自身は物質的現象であり時間と場所に束縛され変わらない。そして、情報交流の内容により安心したり不安になったりもする(個人の情報技術の扱いによっては、逆に地域内での情報交流が疎遠になることもある。)。地方自治や自治体の事情に関係なく、そのコミュニケーションの範囲はいつまでも変わらないのである。
 そして、はるか昔から人間は、森・川・海から恵みを受けてきた。その大自然は時として人間の想像を超えた動きをし、人間社会に被害をもたらす。それでも人間はそこで生きていかなければならない。人間社会には、地域がありコミュニティがある。そこでは、世代を越えた様々な伝承活動が自然に行われ、そこには災害文化や自然への畏敬の精神、自然の中で生活していく知恵や覚悟等も含まれている。
 このように、家庭内・地域内のコミュニケーション・情報交流によりそれらが引き継がれていれば、それが常に無意識な備えとなり、森も川も海も、いつまでも恵みの場所であり続けるのだろうと思う。