【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第3分科会 自然災害に強いまちづくり~災害から見えた自治体の役割~

地域からの安全・安心を
──地域防災計画の拡充を──

宮城県本部/元仙台市議会議員 辻  隆一

1. 指定避難所のあり方の見直し

 東日本大震災において、仙台市では最大288カ所(3月14日時点)の避難所が開設され、12日時点では105,947人の方が避難しました。以前の仙台市の地域防災計画では、市内小中学校等の指定避難所が194カ所、宮城県沖地震単独の場合の想定避難者は約5万人でした。想定をはるかに超えた避難者が殺到し、その避難所の運営も想定を超えた様々な課題が突きつけられました。
 収容能力をオーバーしていて避難所に入れなかった方々が、避難所に指定されていない市・区役所などの行政施設や学校や市民センター等の市民利用施設、町内会集会所等に避難場所を求め、その運営等に多大な困難な課題が浮き彫りになりました。その中には、津波被災による避難者の多くが沿岸部近くの避難所に集中したことや、仙台駅周辺の避難所が、駅自体の被災により帰宅困難者であふれて、地域の方々が避難できなかったことなどの理由も挙げられます。
 これまで市主催や地域の自主的な防災訓練が行われてきましたが、今回の大震災では、避難所運営のあり方など、これまでの計画がほとんど役に立たなかったなどが指摘されました。
 この避難所のあり方は地域防災計画の見直しの大きな課題の一つとなっています。指定避難所については、小中学校に加え高校や市民センター、地域コミュニティセンターを加えるべきとの意見もあり、地域の実情に合わせたものにしていく必要があります。その際、支援物資をどう配分するのか、行政側の支援体制はどうなっていくのか、などの課題があります。
 そこで、市民センターや地域コミュニティセンター、町内会集会所等が避難所として開設された場合、指定避難所を核としてサテライト方式のような運営も検討されるべきです。そして当然指揮系統の整備が求められますし、人的支援体制の強化が問われていくものと考えます。実際、仙台市では「地域防災計画」の見直し作業の中で、本年10月を目途に「避難所運営マニュアル」についても見直すこととしており、その中で避難所の開設・運営主体と支援のあり方、指定避難所の見直しを柱にしています。

2. 避難所運営のための備蓄センターの整備を

 今回の大震災では、食糧や水、毛布等の生活に関わる必需品に加え、燃料不足が深刻な課題となりました。
 とくに燃料問題は、寒い時期であったために灯油が不足し、発電機も動かせない、情報収集にも事欠く状態で、携帯電話等の充電もできないなどの状況が続きました。ましてや、市職員の避難所運営員の交代や情報収集にも影響が出、学校教職員や町内会役員等の活動にも大きな影響を及ぼしました。
 これらの備蓄に当たっては、保管場所等の課題もあります。そこで、一定の地区を指定する(仙台市では少なくとも各区に)など、備蓄センターの整備が求められているところです。燃料に関しては、消防法をはじめ多くの制約がありますが、クリアできるシステムづくりが問われているところです。
 仙台市では各指定避難所に発電機を配備することとなりましたが、市民センターや町内会集会所等への配備のための行政の支援策もまた問われていると考えます。

3. 災害時要援護者・在宅被災者への支援策強化を  

 避難所運営にかかわって、避難所に行くことのできない、いわゆる在宅被災者(災害時要援護者)対策も大きな課題となりました。
 まず、在宅者の安否確認については、市は地域包括支援センターや民生委員に依頼しましたが、その連絡体制の不備(携帯も含め通信の大幅な制限)などにより、実際の取り組みは数日後となりました。しかし、地域的には各地区社会福祉協議会の小地域福祉ネットワーク活動として福祉委員による日常的な安心見守り活動の経験・蓄積から自主的に安否確認と生活上のニーズ把握(食料や水の不足がないかなど)が取り組まれています。また、「黄色いハンカチ」(自主的に家庭の安全を発信するために玄関等へ掲げる)などの取り組みも報告されています。
 私の住む地域でも、大震災時に地区社協の安否確認などの活動が取り組まれましたし、これは、これまで自主防災訓練における福祉委員による安否確認での参加などの経験が活かされた形となりました。また、今夏の防災訓練では新規に作製した「黄色いハチマキ」の掲出訓練も行いました。

4. 福祉避難所の充実

 障害をお持ちの方や介護の必要な方などは避難所での生活は困難です。そこで仙台市としては市内の特養ホームや障害者福祉施設、老人福祉センター等を「福祉避難所」として、計52カ所を指定してきました。その運営マニュアルでは、市の保健師等が避難所を訪問して、必要と判断された方を「福祉避難所」に移して生活していただくこととなっていました。しかし、実際には、保健師の派遣など及びもつかない事態となっている中で、その運営は極めて困難な課題を残しました。
福祉避難所の様子
 実際に運営されたのは、52カ所中40カ所、計288人の方を受け入れた結果となりましたが、実際には受け入れが遅れたり、1人や2人といった所も少なくありませんでした。その要因の一つに、日常的な受け入れ訓練の不足や毛布や食料等の備蓄の不足などが挙げられます。
 しかし、先進的に取り組んだ事例もありました。私の地域内にある特別養護老人ホームでは、入居者定員50人に加えショートステイ定員20人の70人の施設ですが、常日頃から30人分の受け入れ可能な「福祉避難所」としての位置づけと意識づけが行われてきました。地域の社会福祉協議会とは災害時には必要な方の受け入れについて協議を行ってきた経緯もあります。実際には、30人を受け入れ、施設内に設置されている地域包括支援センターからの受け入れもありましたが、内16人は民生委員や地区社協からの要請に応じて自主的に受け入れていただきました。
 このことからも、「福祉避難所」の運営については、位置づけの明確化と市民の認知度の高揚、災害時支援物資の備蓄、指定施設と地域(団体)との深い関わりなどが求められていると言えます。

5. 地域災害対策本部の設置を

 今回の大震災で私の地域で実践したことでもありましたが、今後の教訓として活かし、普遍化すべき課題として痛切に感じたことに、地域災害対策本部の設置の問題があります。
 私の地域での実践の際の意識は二つありました。一つは、指定避難所(小学校)に届けられた支援物資は避難所の運営(避難者)のためだけのものか、ということです。つまり、避難所運営委員会が管理すれば、在宅被災者へは届かないことになります。
 もう一つは、地域全体の被災状況の把握と被災者のニーズ把握などにいかに取り組むかということであります。
 実際には発災の翌日に、町内会連合会、地区社協、民生委員、小学校の合同で避難所運営委員会を設置しました。当然、避難者にも参加・協力をいただきました。その運営委員会で当日や翌日の食事提供等の議論を行いましたが、避難所には入らず、近くの公園で車の中で生活している方、自宅で避難している方(在宅被災者)も食料や水を求める方々への対応も議論となりました。
 そこで、地域の被災・避難状況に総合的に対応する必要があると判断し、地域災害対策本部を設置し、その下に避難所運営委員会を位置づけ、併せて地域の在宅被災者への対策を進めていくこととなりました。
 この教訓から、避難所の運営(避難者が多く、仮に町内会集会所等を臨時的に避難所として設置した場合に、そのサテライト式に統括運営することも含めて)や在宅被災者の支援、更には福祉的支援の必要な方への支援(福祉避難所)なども含めて考えるときに、地域防災計画の中に、地域災害対策本部の設置を位置づけていくべきではないだろうか。その際、町内会、地区社協、民生委員、小学校、福祉施設等の地域の各種団体の連携が大切になってくるだろうし、日常的にも意識化しておく必要があると考えます。

6. 学習施設としての市民防災センターの整備を

 仙台市の復興計画では、「教訓を未来に生かす」という位置づけの下に、「防災人」(防災リーダー)づくりをはじめ、「防災・仙台モデルをめざす」となっています。また、「震災の記憶を後世に伝える」ための震災メモリアルプロジェクトによる施設整備を計画しています。
 何よりも市民の防災意識の高揚が問われています。札幌市や福井市などには早い段階から市民防災センター整備されてきました。もちろん、恐ろしい津波被害や大地震の記憶をとどめること及び疑似体験も大切です。併せて防災や救命のための学習及び訓練の施設も求められています。
 これらの施設の整備は市民の間より整備は長年求められてきた課題でもあります。市民防災・訓練センターの早急な整備が必要と考えます。