【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第4分科会 自治体がリードする公正な雇用と労働

 2005年に当局からの一方的な雇用止めを阻止するため、相談員6人で組合を立ち上げました。たたかいを進めた結果、2007年9月に正式に雇用継続を勝ち取りました。それ以降、交通費・休暇制度・報酬・健康診断等の雇用条件の改善を求め、団体交渉を重ねてきましたが、交通費以外は、実質0回答でした。今回、突然交渉を拒否する文書を突き付けられ、労働委員会に救済を申し立てました。その経緯を報告します。



雇用継続の確認と、その後の交渉拒否とのたたかい
小さな組合でも負けられない

兵庫県本部/明石市消費生活相談員労働組合

1. 消費生活相談員とは

 私たち明相労はあかし消費生活センターで働く相談員5人(結成当時は6人)で構成されています。消費生活センターでは、原則火曜日から土曜日、数人ずつ交代で電話や来庁での相談に対応しています。組合を結成した当初は、悪質なリフォーム業者による被害の相談・はがきによる架空請求・高額な健康食品の電話勧誘などが多かったですが、最近は、未公開株や得体のしれない投資被害・出会い系サイト・貴金属買い取りなどの相談が多くなり、内容もますます複雑で巧妙になっております。消費生活相談は、時代とともに変化が大きく、常に新しい情報を得ることも必要ですし、トラブルの解決には経験が大きく影響してきます。
 2009年9月に消費者庁が発足し、消費者行政にも関心が寄せられるようになりました。消費生活相談員の待遇改善の声も上がるようになり、消費者庁が全国の消費生活相談員の処遇を調査しました。全国の自治体の消費生活相談員のほとんどが非常勤職員で、その8割が特別職非常勤職員です。雇用期間も9割以上が1年です。しかも更新回数に制限を設けている自治体も多く、せっかく培われてきた相談員の経験が無駄になってしまう状況にあります。報酬や時間外手当・社会保険加入状況も各自治体で非常にばらつきが大きく、決して良い職場環境ではないことが伺えます。そのような中で、各自治体の消費生活相談員を専門職として正当に評価し、待遇を改善に役立つようにと「消費生活相談員資格の法的位置付けの明確化等に関する検討会」の開催が重ねられています。

2. 組合結成の経緯

 2002年2月、当時の所属課長から、私たちの身分を『非常勤特別職』から『非常勤嘱託職員』に変更するという話がありました。理由は、職種が『非常勤特別職』という身分にそぐわないということと、かねてから望まれていた交通費が支給できる嘱託にするためとのことでした。
 その際に、雇用期限を設定するという話がありましたが、はっきりとした年数までは告げられませんでした。当時既に採用されていた組合員3人は「採用の際、60歳まで働けると言われていたので、納得できない」と激しく反論したところ、課長は「あんたら言い過ぎや」と言い置いて席を立ち、それ以降、何の説明もありませんでした。
 2002年4月に身分が変わりましたが、辞令交付の際にも、雇用期限についての説明はありませんでした。2002年以降に新たに3人の相談員が採用されましたが、募集時・面接時・採用決定時・辞令交付時のいずれの場でも、雇用期限について全く説明はありませんでした。
 相談員の間で、雇用継続への不安が生まれ、2005年7月11日に雇用継続を求めて、組合を結成しました。この時に初めて「雇用期限は5年」と知らされました。

3. 交渉と雇用継続の合意

 組合結成後は、何度も交渉を重ねました。
 当局の主張は、
① 非常勤に期限があるのは当たり前。
② 身分変更は、当時の課長から十分説明した。交通費の支給を相談員側が希望したので、非常勤嘱託に変更した。
③ 新たな制度(非常勤嘱託)で2002年以降に採用したものについては、募集要項に期限があるとは記載していないが、採用時に説明している。
④ 2006年度末に相談員6人のうち経験の長い4人が雇い止めになっても、相談業務に支障はない。
 それに対し、組合側は、
① 毎年の辞令交付時に説明を受けておらず、今までも勤続20年ほどの先輩相談員がいた。
② 交通費の支給と引き換えに、5年の雇用期限を選ぶわけがない。
③ 一度も説明を受けていない。
④ 経験のある相談員は、市民にとって必要である。
と訴えました。
 交渉の中で、当局は②については「説明が十分ではなかったと認めるが、雇用期限は変えない」、③については「短期の仕事だと思ってもらっては困るので、募集要項には期限は書かずに省かせてもらった」「雇用期限が切れた時点で再度公募試験を受けてもらったらよい。あなた方なら、そんなに高いハードルではないですやん」などと「5年」であることの具体的な理由・根拠のない、使用者側の勝手な主張を繰り返していました。交渉は2005年8月4日の第1回から、2006年12月22日までの間、8回行われましたが「市長まで諮っているが、5年の期限後の公募は外せない」と膠着状態が続いていました。この間も、庁舎前でのビラ行動、駅前での街頭行動、自治労としての市長申入れ行動など全力でたたかいを進めていました。
 2007年1月、連合明石の旗開きの会場で、たまたま出席していた当時の市長と一緒になりました。私たち組合員が「一度市長と話がしたい」と声をかけたところ、市長は「組合の交渉としては話しできないが、懇談という形で話をする機会を持ちましょう」と約束し、その場にいた秘書課長に段取りを指示しました。その後、懇談会の日程調整に、人事課も関わっていました。
 2007年7月12日に、ようやく市長との懇談が実現。当日は、私たち組合員6人のほか、私たち組合の特別執行委員、人事課長、所属課長をはじめ数人の職員も市長室の前に集まっていました。市長に入室を促され、全員が市長室に入ったところ、市長は「えらいさん方は出ていって。今日は、この方々(組合員6人)と私だけで話をします」と言われ、人払いをされました。
 その懇談の中で、私たちは「働き続けたいこと、情熱を持って仕事に取り組んでいること」等をしっかり伝えようと、かなり構えて臨んでいたのですが、市長の方から先に「皆さんは仕事を続けたいと思われているのですね。どうにかしましょう」とのお話があり、その後は、雑談をして和やかに終わりました。
 その後の人事課との交渉で「1年更新の非常勤特別職で更新の上限を5年とするが、再任は妨げない。60歳になる年度の3月31日をもって任期満了となる」と実質の継続雇用となり、2007年9月19日に正式に合意しました。

4. 不当労働行為(交渉拒否)の救済申し立ての経緯

 雇用継続の正式合意以降も、交通費・忌引き休暇・生理休暇(有給)・報酬・健康診断の実施などについて、7回の交渉を重ねてきました。
 この間、国の方でも消費者庁が発足し、消費者行政が注目されるようになりました。消費生活相談員の待遇の悪さも露見し、国からは「消費生活相談員の待遇改善に使ってもよい」とただし書きまでして、地方自治体に交付金が出されました。このような動きの中で、私たち組合も期待を膨らませ交渉に臨みました。しかし、交通費が費用弁償の形で出される以外は、何も勝ち取ることができませんでした。
 2011年11月4日に「正当に評価した賃金・正職員と同等の休暇制度・65歳までの雇用継続・健康診断」を求め人事課に『要求書』を提出し、異議なく受領されました。しかし、同日20時ごろに、人事課長が「受け取らない」と言って市職書記長に『要求書』を突き返してきました。
 12月21日に明相労が『交渉申し入れ書』を提出したところ、翌22日に人事課長名の明人号外で『交渉申し入れについて(回答)』との書面を受け取りました。そこには、
① 2007年人事課を無視するかのように、頭越しで市長と直接面談した。
② 当時(2007年)の要求通り雇用継続を合意しているにもかかわらず、どうしてそれ以外の要求が今になって出てくるのか。人事課長としては、要求書を出す前に、この2点について是非とも十分納得できる説明がほしい。
という、人事課長の個人的感情を理由に交渉を拒否する内容が書かれていました。
 ①については、前段でも説明したとおり、市長とは組合の交渉としてではなく「懇談」として会うものでした。さらに、この場の設定にも人事課がかかわり、人事課も承知のうえで2007年7月12日に市長との「懇談」が実現したのです。
 ②についても、前段のとおり2007年9月19日に、60歳まで雇用継続することを正式合意し、その合意文書にも「勤務条件等の変更に際しては、改めて協議する」と明記されています。また、労使の交渉課題は、時とともに変わることは当然で、ひとつのことで合意したからその後の交渉は不要などという主張自体が誤りです。
 2012年1月17日、明相労は「人事課長の①②の主張は事実に反する」と申し添えて、『要求書及び交渉申し入れ書』を再度提出しました。回答期限である同年1月31日、再び人事課長名の明人号外で『要求書及び交渉申し入れ書について(回答)』を受け取りました。そこには、要求している4項目は、2007年9月19日に労使合意した内容を基本とする。指摘した①②についての協議であれば、いつでもお会いする。
 という、やはり交渉を拒否する内容でした。
 このような経緯により、2012年2月8日に兵庫県労働委員会に、交渉拒否による不当労働行為の救済を申し立てました。

5. 労働委員会での調査

 2月8日の申し立て以降、3月5日に第2回、4月24日に第3回、6月18日に第4回の調査が行われました。次回の第5回は、7月30日の予定です。
 調査の方法は、毎回決められた期日までに、申立人(明相労)・被申立人(明石市)双方が書面を提出し、調査期日に労働委員会で、双方別々に委員会から質問を受けます。会の終わりに、双方に求釈明事項の書かれた書面を渡され、決められた期日までに書面で回答することになっています。
 現在(7月半ば)までに、3回の調査が終了していますが、当局は、私たち明相労に対してだけではなく、労働委員会に対しても、嘘の釈明をしたり、答えをはぐらかしたりと不誠実な対応を繰り返しています。説明のつじつまが合わないためか、労働委員会から出された第3回の求釈明事項の数が、私たち明相労に対しては、1項目なのに対し、当局へは、10項目も与えられています。また、第4回には、前回の釈明の内容では明らかではないので、明らかにせよと再度求められています。

 これまでの調査の中で出てきた驚きの内容は、
・2011年12月21日及び2012年1月31日づけの人事課長名で出された「明人号外」は交渉拒否ではないと述べている。
・労働委員会に申し立てた後の2012年5月10日に、突然、現人事課長名で明相労に交渉の申し入れがあった。(これまで人事課の方から交渉の申し入れがあったことは一度もないのに、なぜ今出してくるのか?)
・明相労が、5年前の交渉記録等の開示請求を申請したが、開示の期日を2か月後まで延期された。(「あるはず」の記録を開示するのに、なぜ2か月も必要なのか?)
・私たち明相労が、市長と懇談したことを、当時の人事課長は知らなかったと述べている。(懇談日時の設定等に人事課も関わっていたし、当日も市長室の前に待機していた)
・2007年以降、明相労から、実質的な交渉の申し入れがなされたのは、2011年であると回答している。(明相労は、2007年以降も、「要求書」「交渉申し入れ書」を提出し、7回もの団体交渉を行っている。この交渉はなんだったのか? 労働委員会からも「2007年以降の交渉は団体交渉ではないと考えているのか」と当然の指摘を受けています)

6. 最後に

 労働委員会に申し立てたころは、2回受け取った人事課長名の「明人号外」の撤回をし、団体交渉を行ってもらえれば、謝罪がなくても和解にも応じようと組合員同士で話していました。しかし、労働委員会の調査が進むたびに、嘘・詭弁・はぐらかしの釈明が重ねられ「このまま和解をして、団体交渉をしたところで、不誠実で、内容のない交渉にしかならないのではないか」と不安を抱くようになりました。
 私たちは、組合員5人だけの小さな組合です。当局(人事課長?)も、あの「明人号外」で事を終わらせることができ、まさかこんなにオオゴトにされるとは思っていなかったでしょう。私たちには、市・県・全国にたくさんの仲間がいて、ともに支えあっています。小さな労働組合であっても、労使対等で労働条件を決めるというごく当たり前のことを当局に認めさせ、「お上」意識を変えさせるためにも、中途半端な状態で終わらせたくありません。
 みなさまにこのレポートを読んでいただくころには、何らかの方向付けができていることを願っています。