【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第8分科会 都市(まち)と地方の再生とまちづくり

 日本の人口は減少を始めました。人口の減少は、日本経済にマイナスの影響を及ぼします。労働力や消費需要の減少による産業、経済の活力減退に加え、集落崩壊や地域コミュニティの機能不全を引き起こすなど、危機的な状況をもたらしかねない重要な問題となっています。
 交流人口の拡大で活力と潤い、賑わいのあるまちをめざしている熊野市の取り組みを報告します。



交流人口の拡大で活力と潤い、賑わいのまちをめざす
三重県熊野市のまちづくり

三重県本部/自治労熊野市職員労働組合・自治研究部

1. はじめに

 2005年、「日本の人口は減少を始めました。」とマスコミなどで取り上げられました。
 熊野市は三重県南部に位置している人口2万人弱の小さな市です。熊野市は戦後まもなく人口減少が始まり、現在も減少し続けています。人口減少に歯止めをかける必要がありますが、日本の総人口が減少し始めている今、人口を増加させることは容易ではありません。
 そこで、第1次熊野市総合計画では、「交流人口」に着目して2017年における将来人口の目標を「交流人口も含め20,000人」と定めています。人口減少を抑えつつ、交流人口を増やすことにより、まちに活気を出し、元気なまち、賑わいのあるまちをめざしています。
 このレポートでは、熊野市が取り組んでいる交流人口の拡大について報告します。

※交流人口とは、市外から訪れて滞在(宿泊)してくれる人。例えば年間宿泊者数が365万人であれば、1日あたり1万人が滞在(宿泊)していますので、交流人口は1万人と考えます。

2. 熊野市の人口及び高齢化率

 国勢調査の結果によると、1985年の27,474人から2010年の19,675人へと、25年間に7,799人(28.4%)減少しています。
 年齢別人口構成では、65歳以上の高齢者人口の比率が1985年には18.0%でしたが、2010年には36.8%に達しています。全国平均は22.7%ですから、熊野市の高齢化が著しく進行していることが分かります。

3. 熊野市の取り組み

(1) 熊野市のめざす将来像
 熊野市のまちづくりの基本理念は「市民が主役、地域が主体のまちづくり」です。「豊かな自然と歴史の中で人がかがやく、活力と潤いのあるまち」をめざしています。
 政策的な取り組みにおいては、若者をはじめとした定住促進により人口の減少を抑えるとともに、観光やスポーツ等における集客交流をさらに推進し、交流人口を含めた2017年における将来人口の目標を20,000人としています。

(2) 目標を達成させるための取り組み
 2000年と2005年の国勢調査人口を用いて、コーホート変化率法により目標年次である2017年の将来人口を推計すると熊野市は16,976人となります。目標人口である20,000人から推計人口16,976人を差し引いた「約3,000人」という数値が、私たちが克服しなければならないものになります(以下「政策的人口増加」と言います)。
 私たちはこの政策的人口増加3,000人を達成させる取り組みとして、雇用を創出することで定住促進し人口減少を抑制することと、交流人口の拡大を推し進めています。
 交流人口の拡大の取り組みとしては、豊かな自然や熊野古道をはじめとした歴史・文化、産業体験など、地域資源を最大限に活用した観光業の振興とスポーツの合宿・大会などによるさらなる集客交流を推進し、地域経済を活性化させるとともに熊野市を訪れ滞在する交流人口の拡大を図っています。

目標人口達成モデル

4. 交流人口の拡大

(1) 観 光
 熊野市の観光資源を代表するのが「熊野古道」です。2004年7月7日に「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産登録され、熊野古道が大きく取り上げられるようになりました。その他にも、吉野熊野国立公園の「鬼ヶ城」、「獅子巖」や「瀞峡」、日本の棚田百選に選ばれている「丸山千枚田」、日本の滝百選に選ばれている「布引の滝」、快水浴場百選に選ばれている「新鹿海水浴場」、日本の渚百選に選ばれている「七里御浜」、日本書紀にも記され日本最古の神社といわれている「花の窟」、三百余年の伝統を誇る「熊野大花火大会」など多くの観光資源があります。
 しかし、観光客数は2005年度の139万人に比べ2010年度は121万人と減少しています。
 交流人口拡大のためには、市内を循環しながら楽しんでもらえ、1年を通じて繰り返し訪れてもらえる滞在型の観光地をめざしていく必要があります。そのためには、観光施設・宿泊施設の整備、観光地としての魅力を知ってもらうためのインターネットを利用した情報発信力の強化、また、市全体で観光客に対した、心のこもったおもてなしを提供することが必要となっています。

※観光による交流人口増大の経済効果について、観光庁の試算によると、1人1回当りの国内旅行消費額は、宿泊を伴うもので5.4万円、日帰りで1.6万円となっています。また、1人当りの年間消費額は121万円と言われており、定住人口1人の減少分を補うには、国内宿泊者数22人増または国内日帰り旅行者77人増で補うことが可能です。

≪熊野古道(くまのこどう)≫
 熊野古道は、古くは平安時代から残る参詣道で、2004年7月7日「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。
 熊野市内を通る「熊野古道・伊勢路」はお伊勢参りを終えた旅人たちが「熊野三山(本宮・那智・速玉)」や「西国三十三所詣で」のために巡った巡礼の道です。当時の雰囲気が残る苔むした石畳や道端にたたずむ史跡や石仏などが、今もなお訪れる人々に癒しといにしえのロマンを与えてくれています。
≪花の窟(はなのいわや)≫
 世界遺産にも指定されている「花の窟」は、720年(奈良時代)に記された日本最初の歴史書である『日本書紀』の神代第一で「国産みの舞台」として登場しています。
 日本書紀では、伊弉冊尊(イザナミノミコト)が亡くなった後、ここに葬られたとされています。
 毎年2回(2月・10月)日本書紀に記されている事柄そのままに例大祭が行われています。
≪丸山千枚田(まるやませんまいだ)≫
 高低差100メートルを超える斜面に1,300余枚の水田が並ぶ日本最大規模の棚田です。
 また、1994年に美しい風景を後世に残そうと、「丸山千枚田条例」が制定され、市民が一体となってその保護に努めています。
 稲の成長とともに四季折々表情を変えるその美しい棚田の景観は、昔ながらの農村風景を思い出させてくれます。
≪熊野大花火大会≫
 三百余年の伝統を誇る熊野大花火大会は、世界遺産「鬼ヶ城」と「七里御浜海岸」を会場に毎年8月17日に開催され、約1万発の花火が夏の夜空を彩ります。
 雄大な自然をバックに繰り広げられる「三尺玉海上自爆」や「鬼ヶ城大仕掛」など見どころが多く、例年15万人以上の観衆が訪れます。

(2) スポーツ
 熊野市への宿泊者の内、スポーツ関係による宿泊者は約3割を占めています。2010年度では、年間宿泊者数約70,000人のうち、スポーツ合宿、大会等で宿泊された人は約21,000人になります。
 熊野市では、2000年に総合運動公園として山崎運動公園の整備を始めて以降、スポーツ集客に力を入れてきました。同運動公園内に、野球場、ソフトボール場、サッカー・ラグビー場、テニスコート等を整備し、各種目のスポーツ合宿や大会等が行われています。
 スポーツ合宿や大会等を誘致できた背景には、年間の平均気温が17℃前後と温かく恵まれた地域であると同時に、市民1人ひとりのあたたかい「おもてなし」とスポーツボランティアスタッフ等の支援が大きいと思われます。
 最初は女子のソフトボールの合宿の誘致から始まりました。そして実績を重ねて各世代の全国大会(実年・中学生女子)や実業団・大学の大会を開催できるようになりました。そしてそのことが、また大学・高校チームの合宿に結びついています。さらに、そうして築いたノウハウやネットワークが、野球、ラグビー、ソフトテニス、自転車と新しいスポーツに結びつき、新しいチャンスを創出しています。
 2000年度に6,000人だったスポーツによる宿泊者数は、2010年度には21,000人と3.5倍にまで増加しました。このことが熊野市に良い影響を与えています。つまり、宿泊者が市内で消費活動を行うことで市内の経済活動が活性化されています。さらに、労働集約型産業である宿泊業が活性化されることで雇用の場が確保されました。
 また、市民がスポーツボランティア等として関わることで市民1人ひとりに元気が生まれているように感じます。これは数値化できませんが、大切な財産となっています。

     宿泊客・観光者数
(単位:人)
年度
スポーツによる
宿泊者数
宿泊者数
観光者数
2000年度
6,000
 
1,215,000
2001年度
9,000
 
1,104,000
2002年度
10,000
 
1,093,000
2003年度
11,000
 
1,502,000
2004年度
17,000
 
1,403,000
2005年度
12,000
82,000
1,395,000
2006年度
16,000
78,000
1,226,000
2007年度
21,000
70,000
1,291,000
2008年度
20,000
73,000
1,209,000
2009年度
21,000
68,000
1,170,000
2010年度
21,000
70,000
1,211,000

5. 課 題

 熊野市には、たくさんの観光資源があるにもかかわらず、まだまだ活かしきれていないのが現状となっています。
 熊野地域は、伊勢志摩地域と南紀白浜・紀伊勝浦地域という全国的な観光地に挟まれた通過型の観光地であり、熊野市を訪れる観光客の滞在時間は短く、よって、その経済効果も大きいものではありません。熊野古道をはじめとする豊富な観光資源それぞれに対する集客の方向づけとハード・ソフト両面での観光地としての魅力づくりを通じて、旅行者の年代・性別などターゲットに応じた情報発信が必要となります。
 2007年度から2010年度までの4年間では、スポーツ集客による宿泊者数は2万人超で推移しており、宿泊施設やスポーツ施設の受入態勢が限界に達している現状があります。実際、熊野市で行われた大会でも宿泊施設の受入体制がまだ十分整備されていないために、市外への宿泊者の流出が2010年度には約1,600人余りにもなります。また、各競技の合宿等の時期が重なり、対応できるスポーツ施設の受入態勢が不足しているため合宿等を断らなければいけない状況もあります。熊野市の宿泊施設における収容可能人数は約1,100人であり、ホテル・民宿等の新規開業などの受入態勢の強化が必要となっています。

6. まとめ

 現在、日本の人口分布は都市部への一極集中型となり、三重県の人口分布は南北格差が顕著となっています。この人口変動の地域差すなわち人口が減少する地域と増加する地域との差は、出生率ではなく、人口の移動による部分が大きく、地域の経済力の格差が大きな壁となっています。このことから、日本の人口減少は都市部よりも農村部で顕著になっています。
 熊野市は小さな市です。そして私たちの前に人口減少という大きな壁が立ちはだかっています。私たちは、人口減少という現実に目を背けず立ち向かわなければなりません。
 そのために私たちは、小さな努力を積み重ねています。
 今後熊野市で起きる大きな変化は、2013年度に高速道路が開通することです。高速道路開通により、観光客の増加やスポーツ集客増加による市内への経済波及効果拡大などが期待されます。
 この最大のチャンスを活かし、観光とスポーツを通じた交流人口の拡大で宿泊客を増やし、市内の消費や購買力拡大を図り地域経済を活性化させて、さらには関連産業の進行による働く場の創出につなげていかなければなりません。