【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第8分科会 都市(まち)と地方の再生とまちづくり

 阪神淡路大震災の震災復興都市計画事業を進める中で、その経験から今後につながるいくつかの課題を考えた。さらに、阪神淡路大震災とは規模や地域的特性が大きく違う東日本大震災を目の当たりにして、大規模な自然災害を想定したまちづくりの課題にまで発展させてみた。



まちづくりの課題を考える
阪神・淡路大震災・震災復興都市計画事業が収束する中で

兵庫県本部/神戸市職員労働組合・都市計画支部 長久 武司

1. 震災復興都市計画事業(区画整理、再開発、街路)を踏まえて

(1) 経緯と概要
 1995年1月17日、日本でも有数の大都市部を直撃した阪神淡路大震災は、神戸市において最大震度7が観測され、既成市街地の大部分(震災復興促進区域5,887haは、六甲山系の南側すべてを含む。)に大きな被害を与えた。建物の倒壊に加えて、地震直後からの火災が木造家屋の密集する地域を襲った。
 多くの犠牲者(神戸市内死者4,571人)を出し、一時は約24万人が避難所生活を強いられた。阪神高速道路の高架が倒壊するなど、耐震設計を施した土木建築構造物も破壊された。交通網は寸断されライフラインも停止し、都市機能を喪失した。直接的被害総額は約7兆円といわれる。
 神戸市は、震災後2ヶ月で都市計画事業の実施区域を決定した。土地区画整理事業は①森南、②六甲道駅、③松本、④御菅、⑤新長田・鷹取の約143ha(後の追加編入を含む。)。再開発事業は①六甲道駅南、②新長田駅南約26haという広大な面積となった。これに対して①急ぎすぎた都市計画決定、②一方的な都市計画決定、③巨大な再開発、大きな都市公園、都市計画道路、④火事場泥棒、土地のただ取り、と批判された。
 同時期に市長が神戸空港推進を言明したこともあり、市民や住民だけではなく、マスコミも含めて日本国中から、市政批判があった。大きな被害に対するやり場のない怒りがあり、まちづくりに対しても誤解に基づく批判や行政不信があった。都市計画審議会には大勢の市民が抗議のために押しかけた。
 震災復興都市計画事業を進めるために、神戸市は①住民によるまちづくり協議会設立の支援、住民・権利者の要求の把握、集約、②専門家派遣によりまちづくり協議会の活動をサポートし、現地相談所の常設による事業の理解の促進、不安の払拭、③まちづくり協議会の「まちづくり提案」を反映する2段階の都市計画決定を行い「住民合意によるまちづくり」の強調、④事業着手後は、ごり押しをしない対応、⑤豊富な事業費(土地買収、補償金、共同化の補助の拡大、前倒しの補助金、受け皿住宅)、⑥現実的な対応から制度の改善、等を行ってきた。
 また、住民の発意から⑦密集市街地での組合施行土地区画整理事業(湊川町、神前町)を行った。組合施行であるが保留地を取らず、事業費すべてを補助金で行った。
 土地区画整理事業は、大きな被害があり公共施設の比率が低い地区という基準で、中央区を除く既成市街地(東灘区、灘区、兵庫区、長田区、須磨区)での施行となった。
 再開発は、六甲と新長田という東西の副都心と位置づけられている地区に、建物と公共施設を一体的に整備するために施行した。区役所を含む商業施設、分譲住宅、市営住宅の大量建設のために、これまでにない大規模な事業となった。
 街路事業は、防災を念頭に置いた緊急車両通行路、避難路、輸送路となる「啓開道路」ネットワークづくりをめざして、これまでいろいろな経緯で事業化を見送ってきた路線、箇所を含めて検討を行い、10路線13地区総延長約7kmを事業化した。
 2011年度の時点で、土地区画整理事業はすべての地区で換地処分を終えている。再開発事業も六甲道駅南は完了し、新長田駅南も8割が完了し、残りを「特定建築者制度」で進めている。街路事業も9割以上の進捗となっている。

(2) 震災復興事業の特徴と今後の課題
① 住民主体
  神戸市は1981年に「まちづくり条例」を作り、住民と行政が協力してまちづくりを進めてきた。それ以前から丸山地区や真野地区といった全国的に有名になった住民団体の自主的な活動があり、1972年板宿地区では住民の土地区画整理事業反対運動に対して、まちづくり協議会を設置して行政と住民が話し合って事業を進める方式を確立していた。
  これらによって、神戸におけるまちづくりの「住民参加」が形作られた。
  しかし震災復興事業では、短期間での都市計画決定を行ったため、これまでの「事前に、住民と十分に話し合って事業を立ち上げ、実施する」という「住民参加」方式が壊された。その修復のために、担当職員の非常な努力があった。事業を進める中で「住民参加」から「協働と参画」、「住民主体」へとまちづくりの意識が変わっていった。
  当初どこの地区の説明会でも罵声が浴びせかけられた。しかし粘り強い取り組みによって信頼関係が作られ、担当者の異動時に住民の送別会が行われた地区もあった。「10年での完了」という目標どおりには行かなかったものの、その信頼関係が既成市街地の面的事業を6年~16年というこれまでにない早いペースで進めた。
  これは「住民主体」というまちづくり協議会方式が力を発揮したもので、住民のみなさんの多大なる努力がある。また住民同士の意見の交換、行政と議論することを通じて、自分たちがまちの復興、生活の再建を進めているという意識が醸成された。
  また2段階都市計画決定という、住民のまちづくり案を都市計画に反映していく手法も確立された。(参照「神戸の震災復興事業-2段階都市計画とまちづくり提案」中山久憲)
  その一方で、街路事業で実施している西須磨地区は、主として通過交通をさばく主要幹線の整備という性格から、地域住民の要望と折り合っていくことが困難になっている。
  今後のまちづくりにおいて、まちづくり協議会等の地域住民との協働が非常に重要である。しかし問題は、そこに参加する人は高齢者が中心であり、しかも少数で限られていることである。地域活動に対する社会的認知度はまだ低い。女性も含めた幅広い現役世代がまちづくりに参加し、「わがまち」について民主的な話し合いをおこなうことは、自治意識の向上や地域への関心、住民相互の関係をつくり出し、今後の社会全体の有り様にとって非常に有意義である。
  そのためには、地域住民がまちづくり協議会等に参加できる社会的条件、生活や労働条件等を作り出さなければならない。行政側も住民組織に「自立・自助」の押し付けや、組織を「便利」に利用するのではなく、情報公開をすすめ、地域での自立的な活動を支援し、真の協働のパートナーとして全体的な成長を促す必要がある。
  自治体の労働組合は、その両方に働きかけることが出来る。そういう意識的な取り組みが求められる。
② 整備水準
  被災地の再生をめざして、神戸市長は「復旧ではなく復興」と一ランク高い街のイメージを提起した。実際に公共用地比率が、震災復興区画整理地区は40%(森南を除く)を超える。戦災復興地区は30%台であり、都市改造地区は地区特性により20%台から40%台と幅がある。単位面積当たりの事業費も高い。(物価水準の上昇もあるが、道路、公園の整備水準は高くなっている)
  歩道に高度処理水等を流す「せせらぎ」は、防火施設であると同時に、まちに潤いと連帯をもたらすものとして整備された。
  震災復興以後の既成市街地の整備水準は、公共空間の割合は40%以上というものが見えてくる。もちろんそれは住民主体のまちづくりという合意形成を図りながら進めるもので、地権者と行政の負担割合(区画整理事業の減歩率は引き下げられ(戦災復興25%⇒震災復興9%)減価補償金が増えている)も明らかにしながら検討しないといけない。
  広域的な大規模な防災公園や幹線道路を地区内に取り入れているが、その必要性と負担について、地域住民と意見交換をしながら、まちの将来図や公共施設の整備を共通の課題として進めた。
  またこれまで以上に、借家人の生活を保障する受け皿住宅や市営住宅(区画整理528戸、再開発800戸)を建設し、共同化住宅建設を支援している。特に再開発は、駅前などの利便地において市営住宅建設を先行させた。
③ 生活再建としてのまちづくり
  復旧・復興事業として莫大な公共投資が行われたが、これらすべてが地域経済を潤すものとして循環すれば、被災地に多くの仕事が生まれる。しかし競争原理によって東京や大阪の大手企業が受注する傾向があった。
  個人生活や中小企業の再建につながるような、経済活動の連鎖を作り出し、請負金額のたたきあいではなく、公契約条例など最低限の労働条件を底上げする制度が必要となる。
  組合施行の2地区は、公道4mが少なく、現状のままでは個別の再建が難しい地域において、地権者が協力して事業を立ち上げた。そして建設会社やコンサルタントが業務を受託し、担当者の献身的な努力で住民合意を図り、困難な中でも事業を完成させている。神戸市も、助成金の支出や事業執行の援助に加えて、公共施設の整備水準なども生活再建に焦点を絞った事業計画での認可を行った。
  また神戸市が都市計画決定を2ヶ月と短期間で行い、早期に事業着手したことの理由の一つは、被災地における事業用仮設住宅の建設や、土地の買取希望者に対する減価補償金による買収がある。これらは、土地所有者の自主的な生活再建に役立った。新長田では商店街の自立的な共同仮設店舗「復興げんき村パラール」の支援も行った。
  しかし新長田を西の副都心と位置づけたにもかかわらず、全市をあげた取り組みが不足した。震災前からインナーシティ問題を抱える地区であり、ケミカル産業など中小零細企業の街であったが、グローバル経済の進展から地場産業が衰退し、超高齢社会なども加わって、商店街は活力が低下していた。都市計画だけではなく、産業や福祉、医療、文化などを含めて支援が必要であった。
  古くからの下町を巨大なビル群へ、公共空間の広い整然とした街区へと大きく地域構造を変えていったが、それにともなって全市をあげた地域の活性化対策が必要であった。神戸市、兵庫県、国といった行政施設や若者が集まる教育施設の誘致など、地域に活気を呼び込む集客施設が求められた。現在は地域の企画による「鉄人プロジェクト」等が全国的な注目を浴びているが、地域全体の地盤低下に歯止めはかかっていない。
  再開発の事業採算としては、新長田駅南で結果的に大きな赤字を生じさせた。早期の生活再建のために、希望する地権者から先行して買収した土地の価格が、ビルの完成、保留床売却の段階で大きく下落したことが、その主因だ。しかも住宅は完売したが、店舗・業務床には空き室が目立っている。
  六甲道駅南では区役所の誘致などにより、採算をとっている。
  生活や営業の再建の状況を見ると、震災後の1998年の消費税引き上げが被災地を直撃したことは間違いない。自民党の構造改革によって、福祉切り捨てや賃金水準の切り下げが行われたが、それは被災地と被災者を一段と厳しい状況に追いやった。

(3) 密集市街地再生事業
 震災復興都市計画事業のめどが立った時期から、神戸のまちづくりは戦災や震災を免れてきた密集市街地整備が課題となった。
 人口の停滞・減少と財政危機、都市基盤の充足により、都市を拡張していく事業は縮小してきた。しかし公共施設が不足し老朽家屋が密集している地域(密集市街地)は、まだ多く残り、神戸市でも400haといわれている。その地域の防災や防火に対応した安全安心を向上させる密集市街地再生事業を進めようとしている。
 面的な整備の手法を、施行者の責任の重い区画整理や再開発から「住宅市街地総合整備事業」に軸足を移した。あるいは未整備の都市計画道路について、地域の住環境を改善する「生活幹線」は「一旦廃止」して道路網の密度を下げた。
 財政負担の大きい強制的な買収、建物移転をせず、整備目標は決めるが、事業期間を定めない整備計画を掲げている。
 しかし、これまで面的整備が出来なかった地域であることから考えると、①広域的公共施設が少なく、生活道路は特に不足している、②地形的に地域改善費用が高い、③地域の経済力やまとまりが弱い、などがあり、本来的には相当程度の公共投資を必要とする。
 このような制約から、震災復興事業で高められた市街地の整備水準を、密集市街地再生事業に適用することは非常に困難になっている。しかしそれを逆手にとって、公共施設整備にとらわれず憲法25条の生存権保障の立場から、住み続けられることと安全安心の水準を引き上げることを中心課題にして、住民や地権者の合意形成の上にまちづくりを進めるという、発想の切り替えも必要になっている。これまでの公共事業の「公共施設を整備する」という枠をはずし、住民の望むまちづくり、住まいづくりに応える柔軟な制度をつくり「現状よりも改善すること」を整備の指標にして、地域的な合意があれば私有財産的な部分にも公的な助成制度をするという、地域特性を生かした「修復型のまちづくり」という手法に切り替えることが出来る。

2. 東日本大震災後、検討するべき、まちづくりの課題

 国全体の基本的な政策(エネルギー、食料、税財政など)を見直すことが必然的に行われる情勢となっている。大規模災害や原発事故に対して、表面的な現状批判で終わらすのではなく、真相を明らかにして、国民の意識、生活文化を見直すまでの国民的な議論が求められている。
 そのことを通じて社会制度も大きく変わってくると思われる。これまでの中央集権と東京1極集中を廃して、権限と財源、人材も伴った地方自治と地域分散型産業構造がめざすべき方向となる。
 まちづくりについても、拡大する都市から人口減少社会への変化を踏まえた、諸法制度の見直しが早急に求められている。密集市街地再生などは都市計画法と建築基準法だけでは整備を進めることは出来ない。地域の活性化と生存権の保障という観点から、公的な支援を検討しなければならない。
 以下に項目だけ列挙し、引き続く課題としたい。
① 災害に強い、減災に配慮した安全安心のまちづくり
  ソフト、ハードの両面について検討する。
  地域の絆の再生、個別の建物の補強・強化、公共的基盤施設の整備。
  防災に配慮した土地利用計画(開発自由の原則から、想定される自然災害に対応した開発規制、誘導の制度、危険地域の公表)。
② 生物多様性、低炭素・低エネルギー、環境、景観、ユニバーサルデザインに配慮したまちづくり
  これまでの産業、経済活動を中心としたまちづくりではなく、市民生活の充実に重点を置いたまちづくりに転換していく。都市部に生物多様性空間を導入することで、大規模災害や異常気象を緩和する施設帯を作っていく。市街地の再整備に自然環境の回復、景観の創造、ユニバーサルデザインの視点を入れたまちづくりをすすめる。それは全体として都市の新たな魅力つくりにつながる。
③ 人口減少、縮退に対応した都市計画の諸制度づくり(都市計画法、建築基準法等の見直し)
  都市計画法をはじめとする都市整備、都市開発にかかわる法制度は、高度経済成長下における都市の膨張に対応するものとして整えられていった。人口減少が進む中で、都市開発の基本的な理念の見直しといった根本的な問題から、既得権の補償制度等まで、全面的な見直しが必要になっている。
④ 住民主体のまちづくりの推進
  大規模災害を想定した場合、平時から自治体と住民団体がまちづくりの協議を行っていることが、神戸の経験から見て決定的に重要である。減災のまちづくりの推進、被災直後の救助と避難、生活再建と復興のまちづくり等、自治体だけでその業務を請負的に進めていくことは出来ない。
  住民主体のまちづくりは、その協議の過程が被災からの再生の原動力となる。
  地域で生活する、幅広い世代やさまざまな職種からの参加によって、まちづくり活動が行われるような環境づくりが必要。地域住民同士、住民と自治体の対話の手法、住民団体が地域全体をカバーし、そこを代表する機能と責任ある活動など、課題は多い。まちづくり活動の社会的位置づけを向上させるために、行政からの適切な支援が必要である。
⑤ 公契約、ディーセント・ワーク、技術の継承の実現
  魅力的なまちづくりには、そこでの生活水準の向上や労働条件の向上が不可欠である。自治体レベルの公契約条例を早急に進め、公共事業を直接請け負う企業だけでなく、間接的にかかわる企業レベルでも、最低限度の労働条件の確保を義務付けていく。それが地域力の基礎になる。
  働きがいのある仕事、職場環境を整備し、民間事業者も含めたまちづくりの専門家育成、技術を研鑽し継承していく。
⑥ 国庫補助制度の見直し
  住民活動への支援、専門家の派遣費用や初期段階の調査費などを充実させる。