【自主レポート】

第36回宮城自治研集会
第3分科会 石巻に虹を架けよう~被災地の今を見る、知る、触れる、考える~

 東日本大震災によって被災された人々や自治体は今もなお復興を続けている。
 私達ができることは何か。復興支援を続けていく中で見えてきたもの。
 何よりもかけがえの無いもの。それは「縁~えん~」なのではないか。



女川町・南三陸町との福幸支援
~被災地に寄り添う支援が「縁」へとつながる~

愛知県本部/豊田市職員労働組合連合会 小川 真司・高橋 啓太・近藤 邦博

南三陸町防災庁舎で手を合わせる
組合員

1. 活動のきっかけ

(1) 私たちは何ができるのか。何を学ぶべきか。
 2011年3月11日。東日本大震災が発生しTVや新聞など報道を通じて状況を知る中、時間の経過につれ想像を遥かに上回る被災状況が判明していった。一人の人間として、一瞬にして平穏な日々が奪われてしまう状況に涙し、痛切な想いに駆られた。
 一方、本市では、被災直後から多くの職員が現地職員とともに現在も復興の最前線で働いている。震災を風化させないだけでなく、地方自治を預かる市職員(地方公務員)として住民を守るため、被災時にどのような対応が必要かを学び、東南海地震に備えなければならない。ボランティア活動を通じ、見聞を広め、以って業務に役立てるため、「被災地に寄り添う支援事業」を実施した。


2. 自治体としての支援

(1) 今も続く職員派遣
 本市でも地震直後から今も復興支援のために職員派遣を行っている。2014年度以降は主に高台への集団移転事業や災害公営住宅の建設、市街地の区画整理事業など新たな街づくりの基盤となる業務に従事しており、土木職が中心に派遣されている。

期  間 職員派遣
延べ人数
派遣内容・派遣自治体 ( )内は派遣人数 備考
地震発生後~2011年度 210人 緊急消防援助、応急給水、下水道管路復旧、保健業務支援、避難所支援、住宅応急修理制度受付・審査等、支援物資輸送、り災証明関係業務、県議選一般選挙事務 うち消防職154人
2012年度 15人 学校教育施設復旧、道路等公共施設復旧、土地区画整理事業及び防災集団移転促進、国民健康保険・後期高齢者医療等医療保険事務等、確定申告処理事務・市税賦課事務、下水道災害復旧、配水管敷設替え等災害復旧業務の設計・積算・監督等  
2013年度 12人 宮城県:七ヶ浜町(1)、女川町(3)、
東松島市(4)、亘理町(1)
福島県:矢吹町(1)
 
2014年度 6人 宮城県:七ヶ浜町(1)、女川町(3)、
東松島市(1)、亘理町(1)
 
2015年度 6人 宮城県:七ヶ浜町(1)、女川町(3)、
東松島市(1)、亘理町(1)
 
2016年度 5人 宮城県:七ヶ浜町(1)、女川町(3)、
亘理町(1)
 
合  計 254人    


3. 労働組合としての支援

(1) 2013被災地に寄り添う支援(講話・ボランティア・現地視察)
① 被災地を知る。

切々と話す三浦勝美委員長

 取り組みが遅くなってしまったが、2013年度から「被災地に寄り添う支援事業」として被災地支援を開始。自治労のネットワークを活かし、宮城県本部にご協力いただき、津波に流されながらも生還した南三陸町職員労働組合三浦勝美委員長による講話とボランティア活動を実施。
 三浦委員長からは、「とにかく家族や職場の仲間のために、自分自身が生き残ること。」「震災後で一番つらかったのは亡くなった仲間の家族に会うこと。あわせる顔が無かった。」など、凄まじい体験を吐露いただき、参加者は真剣な表情で聞き入っていた。
 翌日は職員派遣で交流のできた女川町へ。高台にある女川町立病院の1階が津波に襲われた傷跡(海抜約17m)や無残に残された建物などを見ながら女川町に派遣されていた職員が被災状況や復興計画について語った。

 

2班がれき撤去作業
写真右が高橋 啓太さん

② 刻々と変わるボランティア活動
 3班編成延べ62人が今回の活動に参加。ボランティア活動は住民ニーズによって日々刻々と変わっており、全ての班で作業内容が異なっていた。ボランティア活動は社会福祉協議会が中心を担っており、自治体との連携も重要だと感じた。

1班 2013年8月8日~10日 20人
 農地整備(コンクリート片、岩石の撤去、除草活動)
2班 2013年8月22日~24日 19人
 宅地整備(がれき撤去、木材、タイヤ、衣料品、冷凍食品などが出土)
3班 2013年11月28日~30日 23人
 漁業支援(養殖ホタテの準備作業、貝の穴あけ、紐をつなげるなど)

 
 

農地整備作業後の達成感あふれる1班参加者

  養殖ホタテの連結作業をする3班参加者

(2) 2014被災地に寄り添う支援(豊田市社協とシンポジウム開催)

講演する千葉泰広さん

① 住民への普及・啓発
 2014年度は、本市の住民に被災地の当時の状況や現状を知ってもらい、防災対策意識や非常持ち出し袋などの備えを促すため、豊田市社会福祉協議会に協力いただき、福祉健康フェスティバル2014の企画としてシンポジウム「被災地の"今"」を開催した。雨の中ではあったが、多くの来場者が被災地の当時と今の状況に耳を傾けていた。


日 時 2014年11月9日(日)
場 所 豊田市福祉センター駐車場内
内 容 講演&シンポジウム
     女川町役場職員  千葉泰広氏
 ・震災発生後、女川町災害対策本部の運営などに尽力。
     南三陸町役場職員 三浦勝美氏
 ・南三陸町防災対策庁舎に避難し、35人の職員とともに津波に流されるも、畳に乗り、生還する。流された職員の中で唯一の生還者。
     豊田市社会福祉協議会 栗本氏
 ・豊田市からのボランティア派遣団を取りまとめ、陸前高田市への復興支援に従事。

② 女川サンマ600本の振る舞い
 女川町の特産品であるサンマを取り寄せ、組合員有志30人が炭火で焼き、来場者に振る舞い義捐金を募った。義捐金額42,516円(女川町と南三陸町へ寄付)

シンポジウムの様子 津波の映像を見る参加者 サンマの振る舞いブース サンマを焼くボランティア
スタッフ
旬の女川サンマは本当にウマイ
抜群の塩ふり技術とステキな笑顔

(3) 2015被災地に寄り添う支援「女川さんま感謝祭 in 豊田市」
① 労働組合の取り組みから自治体間の取り組みへ
 2014年3月8日、本市は女川町を含む東北5市町と防災協定を締結。女川町は、これまで職員派遣を行ってきた本市に対し、御礼として特産品のサンマ2,000本を無償提供。主管課の防災対策課から、労働組合が持つノウハウを活かしてボランティアの募集と当日の運営をお願いしたいと一任された。
 「女川さんま感謝祭 in 豊田市」と銘打ち募集。防災対策課と協力し、中学生ボランティアや自治労愛知県本部三河ブロックの仲間も協力していただき総勢108人で市民に旬サンマの塩焼きを振る舞った。集客力のあるガーデニングフェスタの1ブースとして豊田スタジアムの屋外テントで実施。当初義捐金を集める予定はなかったが、市民の要望で急きょ実施。義捐金総額130,879円(女川町へ寄付)

<ボランティアスタッフ>総勢108人
 組合員有志42人、防災対策課職員3人、女川町副町長始め職員14人、竜神中学校ボランティア34人、岡崎市労連11人、女川町派遣OB4人

 
 

サンマが焼けたところは手をあげて呼び込みます

  長蛇・長蛇・長蛇の列

 

公務員組合だけあって、保健所の許可に従いテントに
囲いをして調理。テント内はすごい煙です。

  高橋啓太さんデザインのオリジナルTシャツ。 
ボランティアに御礼のあいさつをする女川町副町長

4. ご縁がつなぐ。ご縁でつながる。

(1) 復興から福幸へ
 本市派遣職員と女川町職員との絆は深い。簡単に言ってしまえば「困難を乗り越えた同志」ということだと思うが、こうして被災自治体職員との交流を継続的に進めていくと、派遣職員ではない者も被災自治体職員との再会は表現し難い喜びであり、復興支援や公務員としての自覚を呼び覚ます「原点」に返る気持ちになる。
 震災前の状況になるには、まだまだ道のりは長いが、新しい街がつくられていく姿を長い目で見て、被災地を忘れないことが重要だ。
 今後は、町の活性化のため、仲間に逢いに行き、美味しい物を食べ、買い物をすることが、自分も仲間も幸せにつながる「福幸支援」だと感じている。
 心温まる話を1つ述べたい。本市職員で本事業に多大なる貢献を頂いた高橋啓太さんは、派遣先の女川町で現在の伴侶と巡り合い結婚。まさに福幸の象徴だ。

(2) ご縁が熊本支援へとつながる
① 豊田市社協との連携
 2016年4月14日から発生した熊本地震。現在、復旧・復興が進められているが、本市においても4月22日から職員を派遣。救援物資については22~23日に市民から募り23日夜に出発。現地へ送った。救援物資の輸送については、豊田市社協が中心に実施したが、その輸送トラックの手配の陰には豊田市職労連が関与し、結果として早期対応につながったことは述べておきたい。このことを通じてこれまで社協と連携したことが次への支援へと活かされていく、つながっていくことを感じた。今年度は熊本支援に向け、豊田市社協と連携した取り組みを進めたい。
② おわりに
 豊田市職労連は、今後も労働組合の原点である「助け合い」の精神を忘れずに取り組みを進め、併せて自治労の仲間作りも進めていきたい。