【自主レポート】

第36回宮城自治研集会
第5分科会 まちムラの見方「見えているもの」と「見えていないもの」

 大分県玖珠町では、九州で唯一残された旧豊後森機関区の「豊後森機関庫」及び「豊後森機関庫転車台」の鉄道遺産としての保存・活用の取り組みを行っています。
 本レポートでは、これまでの活動を紹介し、この取り組みを通じた行政と住民が一体となった地域活性化に向けた取り組みを紹介します。



九州唯一の機関庫の歴史とまちづくり


大分県本部/玖珠町職員労働組合・自治研部

1. 玖珠町の概要

 

 玖珠町は、大分県の西部に位置し、総面積は286.51km2、人口約16,000人の町です。
 町内には、JR久大線(豊後森駅、北山田駅)が通り、主要幹線道路として東西に大分自動車道(玖珠IC)、国道210号線、南北には国道387号線が通り、福岡・北九州・熊本へ車で90分圏内、大分市には60分圏内に位置する交通の要衝となっています。
 九州では、第一の河川である筑後川の上流、玖珠川が東西に貫流し玖珠川や支流には「三日月の滝」「慈恩の滝」「清水瀑園」など、随所に滝や湧水地が見られます。
 また、万年山、伐株山、岩扇山、鏡山などの、全国でも珍しいメーサー台地の山々が、玖珠盆地を取り囲み、北は耶馬溪、南にくじゅう連山、東は約4,000haに及ぶ日出生台原野が広がり、豊かな山なみの懐に抱かれた、落ち着いた静かなたたずまいを醸し出しています。

 
 

 このような自然環境から、空気が澄み、九州でも有数の星の観測地とされています。
 地形条件の多様さに加えて気象もかなり特徴があり、夏期は高温多湿、冬期は霜の害が多いことにみられるように寒い土地柄であり、玖珠町の地形条件、気象条件は特徴的です。
 気象状況では寒暖の差が大きいことから、夏秋農産物の味が良く、美味しい米の産地として高い評価を受けており、今上天皇即位の儀式「大嘗祭」にも献上されました。また、「名牛の里」として大分豊後牛を代表する玖珠牛も自慢の一品です。
 また、玖珠町は、「日本のアンデルセン」と呼ばれ、全国各地を行脚した口演童話作家「久留島武彦」の生誕の地として、その精神を受け継ぎ『童話の里づくり』をめざしています。


2. 玖珠町の文化と歴史

 

 玖珠町には旧石器時代以前から人が住み始めたとされ、旧石器時代からの遺跡・出土品が多く発見されています。奈良時代に編纂された「風土記」のうち「豊後風土記」にも「球珠の郡」の記述があります。太古の昔より人が住み、はぐくまれた玖珠の地は神社仏閣などをはじめとした多くの文化財を残しています。30を越す神社では季節ごとのお祭りがそれぞれ開催されています。
 また、3つの庭園からなる旧久留島氏庭園の景観構成は変化に富んでおり、江戸時代後期にこの地方に伝播した庭園文化の豊かな様相を示しています。その芸術上の価値は高く史跡名勝記念物に指定されています。


3. 旧豊後森機関区

 

 豊後森機関区は、JR久大本線・豊後森駅の広大な構内の東側にありました。整備前は、機関庫であった、鉄筋コンクリート造陸屋根の半円形の建築物と、機関車を車庫に導く、大きな鋼製転車台だけを残していました。
 大戦中は、軍事輸送の拠点となったために、米軍の攻撃目標にされ、1945年8月艦載機グラマンの機銃掃射を受け、機関区・機関庫を損傷し、助役等3人の犠牲者がでる惨事があり、機関庫外壁には今も弾痕が生々しく残っています。
 最盛期は1948年ごろで、当時は機関車25両、250人の職員をかかえ、1日の運行本数40本、1日の乗降客数は約5,000人にものぼりました。また、豊後森駅~大分駅の区間は高低差が厳しかったので、日田方面からの機関車は豊後森駅で力の強いC11型機関車と交換する必要があり同時に、石炭・水等の給付基地としても、同機関区の位置づけは極めて重要でした。
 しかし、1970年9月の無煙化開始を受け、蒸気機関車の減車とディーゼル車の導入が行われ、1971年には蒸気機関車の廃止により、豊後森機関区車庫は使用されなくなり放置されました。1987年4月には大分運転所豊後森派出所(所員36人)と名称を変更し、1989年3月3日に所員24人を抱える豊後森機関区は廃止されるに至りました。1990年には台風により機関区の現事業所が崩壊し、豊後森機関区の貴重な資料等はほとんど紛失してしまいました。

 
 
 

 豊後森機関区の建物は、直径18.5mの転車台を中心に半径47.84mで放射状に広がり、間口4.24m・奥はり幅7.9m・長さ22mの台形の1台分の機関車庫が13個連なって扇状に配置されており、直径65cmの円柱が56本立つ、階高6.4m・床面積1,785.8m2の巨大なものでした。また両端部には、床面積51.4m2の技工長室・工具室などが設けられていました。
 1971年の蒸気機関車廃止のとき、運送会社への売却が持ち上がりましたが、道路との連絡の悪さから中止されました。整備前は倉庫として多少利用されているものの、放置されている状態でした。


4. 国の『登録有形文化財』『近代化産業遺産』としての旧豊後森機関庫・転車台

 1970年~1971年のディーゼル化に伴い、その後機関庫も昭和の歴史の盛衰を見届けて、その役目を終え、2009年2月に旧豊後森機関庫と旧豊後森機関庫転車台が経済産業省の近代産業遺産に登録、2012年8月13日に、国の登録有形文化財に指定されました。


5. 「豊後森機関庫活用推進協議会」

 

 1987年に国鉄が民営化され、それまで国鉄が所有していた土地や建物は、次々に売却されていきました。佐賀県鳥栖市にあった機関庫についても、解体され跡地は売却されました。
 そのような中、豊後森機関庫についても何度か売却の話が出ましたが、周りが田んぼに囲まれ、道路との連絡が悪いなどの理由から、JR九州も売ることができず、現在まで残ってきました。
 しかし2000年頃から、豊後森機関庫を処分するという話が聞かれるようになり、これまで生き延びてきた豊後森機関庫も、解体の危機に瀕することとなりました。
 これまでも、豊後森機関庫が使われなくなってから、保存の必要性を訴える声は、幾度となく起こってきましたが、具体的な活動はありませんでした。しかし2000年の解体の危機に直面したことから、2001年9月に住民による「機関庫保存委員会」が設立されました。同年11月には各団体に呼びかけ、10,000人の署名運動に向けて署名活動が始まりました。豊後森駅前から広がったこの署名活動は、大分県、さらにはマスコミ報道やインターネットで知った全国の方々から署名が寄せられ、最終的には、目標の2倍を上回る22,437人の署名が集まりました。
 そして2002年3月に玖珠町に渡され、鉄道遺産として、登録有形文化財になるように、JR九州と早急に協議してほしいとの要望がなされました。

 
 

 その後も「機関庫保存委員会」は、スケッチ大会、機関庫祭り、大分大学の学生による機関庫夢作品展、機関庫図面作成、機関庫シンポジウム、ビデオ「機関庫物語」作成など各団体を巻き込んでの積極的な活動を行いました。その活動を受け2003年に玖珠町は、機関庫とその周辺の敷地の買収について、JR九州と協議を始めました。
 そして2007年に機関庫と周囲の12,000m2を買収しました。また同年6月に、「機関庫保存委員会」と玖珠土木事務所、地元建築士会、建築士事務所協会、大分県防水協会、大分県外壁保守工事組合により現地調査が行われ、これ以上の老朽化を防ぐための調査報告書がまとめられました。
 2009年には、これまで機関庫の保存のために活動を行ってきた「機関庫保存委員会」は、一定の成果がでたこと、また、今後はこの機関庫を町民がどのように活用していくかが課題だということで、「豊後森機関庫活用推進協議会」として名前を変えました。
 2010年8月豊後森機関庫及び転車台が国の有形文化財に登録された後も、「豊後森機関庫活用推進協議会」はボランティアガイド、志免町から贈与をうけたSLの清掃活動などを行っています。


6. 玖珠町機関庫周辺整備計画

 

 現在の「豊後森機関庫活用推進協議会」(以下協議会)から署名を受け取った以降、機関庫及び敷地を買収したのみで、町として積極的な動きはしていませんでした。
 長年JR九州に対して、地域活性化のため機関庫の有効利用に向けた進入路整備、安全のための遮断機の設置や豊後森駅駅舎の改築等について要望してきたものの、協議が難航していました。
 しかし、協議会の積極的な活動に押されるように、町の事業により、照明を設置し外観のライトアップ、老朽化を防ぐための屋上防水改修工事の実施を行いました。
 さらに、2013年度に運行が始まった、JR九州がクルーズトレイン「ななつ星 in 九州」及び2015年度に運行が始まった「新観光列車(或る列車)」の取り組みがスタートしたことにより、JR九州との長年の協議事項であった、進入路整備、帆足踏切における遮断機の設置工事、豊後森駅前広場の改修など、多くの取り組みを町として行っています。またJR九州も、工業デザイナーの水戸岡鋭治氏による豊後森駅駅舎の改築を行っています。
 この町とJR九州の動きについては、これまで協議会等の方々の力により実施されてきた、機関庫周辺の草刈り、樹木管理など、地道な周辺環境整備を継続的に行ったこと、機関庫屋上防水工事が実施できたこと、全国ロードショーとなった「僕達急行A列車で行こう」の映画のロケ地となったこと、国の登録有形文化財となったこと、そして、2015年度に実施された全国的な観光客誘致事業、デスティネーションキャンペーンの時期が重なったことなど、多くの要因があったからです。

 
 

 また、玖珠町観光協会企画委員会の皆さんが原動力となった、消滅寸前であった福岡県志免町の蒸気機関車救済運動とそれを実施することができたのも大変幸運でした。
 たまたまその年度に、SL移転費用(本来は玖珠町内にあるSLを移転するための予算)が予算計上されていたこと、「移転保存して欲しい」という住民からの陳情書が、玖珠町議会全会一致で採択されたこと、それを取材するマスコミが「救世主、大分県玖珠町」と発信していったことなど、多くの要因があったことで実現することができました。
 また、福岡県志免町の南里(前)町長が玖珠町に訪れ、「福岡県志免町は、日本で人口密度が一番高い町として知られていますが、65歳以上の高齢者も1万人以上います。できれば、毎週この方たちを順番に玖珠町に送り届け、農業体験や温泉など、癒し体験ができる補助システムづくりをしたい」とのご提案を受けました。将来に向けた都市と農村の交流の道、経済効果のあるまちづくり施策も見えてきました。
 その後、福岡県志免町の産業文化祭において、ジャンボ鯉のぼりのくぐりぬけ、玖珠町の産物等を展示販売するなど、都市と農村の交流がスタートしました。
 今後は、協議会をはじめとする住民の方々の強い要望に基づいてJR九州から購入した貴重な鉄道遺産である機関庫周辺を利活用し、豊後森駅周辺(十字路から昭和町通りメルサンホールへの町並み)の活性化に向けて、住民の方々のご理解とご協力のもと、みんなで知恵をしぼり、最少経費で効果のあるまちづくりを模索していきたいと考えています。
 現在も、機関庫周辺の公園整備が進んでおり、西日本最大825mの常設ミニSL専用レールの設置、機関庫敷地内に豊後森機関庫ミュージアム ―― BUNGOMORI ROUNDHOUSE MUSEUM ―― の開設などを行っています。
 近代化産業遺産の登録を受けたためか、観光協会にガイド依頼した方と建物内に入る許可を出した方を合わせると、半年で約3,500人が訪れており、多い日ではバス5台が来る時もあるそうです。ガイドを依頼していない方も合わせると、さらに多くの方が訪れていると思われます。
 今後は、機関庫で「遊ぶ」「体験する」「学習する」を目的に整備、調査を行い観光及び資料的価値を高めていきたいと考えています。


7. 豊後森機関区と久大線の歴史

1914年 大分と湯平を結ぶ大湯鉄道(後の久大線)工事が始まる
1919年 久大線の建設計画が議会を通過
1922年 大湯鉄道を国鉄が買収 大分~小野屋間開通 
1923年 小野屋~湯平間開通
1925年 湯平~湯布院間開通
1926年 野矢駅開通(玖珠郡初の鉄道)
1928年 野矢~豊後中村駅開通
1929年 豊後森駅開通
1931年 北山田駅開通
1932年 久大線久留米~夜明間開通
1932年 久大線豊後森駅~北山田間開通
1933年 機関庫設置を玖珠の豊後森駅に決定
1933年 北山田~天瀬間開通
1934年 久大線最後の区間日田~天瀬間開通により久留米~大分間全線開通
1934年 豊後森機関庫落成
1934年 名称を久大線と改称
1936年 豊後森機関区に改称
1937年 恵良~宝泉寺間開通
1937年 久大本線と改称
1941年 第二次世界大戦勃発
1943年 戦時下で鉄道レールの供給命令が下がり恵良~宝泉寺間は休止となる
1945年 野矢駅付近で軍事物資を積んだ貨物列車が米軍戦闘機の攻撃を受け豊後森機関区の機関士が負傷
    米軍戦闘機からの攻撃で「豊後森機関区」に被害
    機関区助役従業員など3人が死亡
1945年 終戦
1948年 恵良~宝泉寺間営業再開
1953年 記録的な大雨で玖珠川が氾濫
    堤防や鉄橋等が決壊して久大線は一ヵ月間不通となる
1954年 国鉄宮原線が営業開始
    宮原線の復活もあり豊後森機関庫区内の配備車は25両
    職員は200人以上が勤務
    豊後森駅では多いときで一日5,000人以上の乗降客でにぎわった
1957年 宮原線に蒸気機関車にかわってキハ07型3両が導入される
1970年 ディーゼル車の導入で蒸気機関車は廃止され、豊後森機関庫は役目を終える
1970年 野矢駅無人化
    蒸気機関車の無煙化開始
1971年 蒸気機関車の廃止
1984年 国鉄合理化で同機関区乗務員は66人となる
    宮原線(恵良~肥後小国間)が廃止
1987年 日本国有鉄道は分割民営化でJR九州と改められる
1994年 旅行センター廃止、みどりのコーナー設置
2005年 駅舎内の販売店(キヨスク)廃止
2006年 玖珠町が機関庫と約12,000m2の土地を取得
2009年 旧豊後森機関区の関連遺産として、扇形機関庫と転車台が経済産業省「近代化産業遺産」に認定される
2012年 国の「登録有形文化財」となる
2015年 福岡県志免町から無償譲渡を受けた蒸気機関車29612号を移設
    豊後森機関庫ミュージアム ―― BUNGOMORI ROUNDHOUSE MUSEUM ―― 開設




≪参考文献≫
玖珠町史
『大分県の近代化遺産』大分県教育委員会 1994年3月発行