【自主レポート】

第36回宮城自治研集会
第6分科会 復興・再興・新興!! ~消滅でも創生でもない地域づくり~

 地方創生の総合戦略について、策定にむけて取り組んでいる自治体も多いと思います。地方創生の主たるテーマである人口減少について、地方の視点からみた考え方や、取り組み方について考察しました。地方版総合戦略策定の参考になる事を目的としています。



地方創生について「地方視点」の総合戦略考察
~人口減少は、課題ではありません~

島根県本部/江津市職員労働組合 植田 圭介

1. はじめに

 数学と物理学の違いは何になるでしょうか? 色々な言い方がありますが、私は次のとおり説明するようにしています。数学は定義、公理から始まる厳密な論理体系です。あいまいな部分はありません。対して、物理学について、論理体系こそありますが、実際のモノに対しての近似計算でしかありません。現実と理屈はあくまで別物ですが、現実の結果に近い値を、計算(理屈)によって出せると言う事です。現在人類が手にしている、現実をいちばん正確に計算する物理学でさえ、近似理論にすぎませんから、未来を正確に予測する事は不可能です。しかし、ある程度の確度でなら、「こうなる」と断言する事はできます。私たちが生活する未来についても同様に、正確な予測はできませんが、近似的に予測する「方法」や、ある確度では「こうなります」と断言できる部分があります。この点に注目し、地元(地方)の実態を踏まえて地方創生の地方版総合政策について考察しました。
 「地方創生(まち・ひと・しごと創生)」の目標は何でしょうか? 首相官邸ホームページ(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sousei/)によると、①「人口減少問題の克服」、②「成長力(GDP)の確保」が目標と書かれています。しかし、結論から言いましたら、実際に地方(田舎)で生活している人にとって、この目標は目標にならない。と考えます。この事について、詳しく述べようと思います。


2. 人口減少問題について

 地方創生の中心的な話題が「人口減少問題」です。しかし、素朴な疑問として、人口減少はそもそも問題になるのでしょうか? 私の住む山間では、人口が半分近く減少しました。その結果何が起こったかというと、川の水がきれいになりました。下水道が整備された地区にお住まいの方は信じられないかと思いますが、家庭から出る排水がそのまま川に流される地区も多いのです。私が小学生のころは常に洗剤の泡や油膜のようなものが漂う川でしたが、最近は少なくなりました。川で遊んでいたので分かるのですが、集落から川へ接続されている排水溝より、昔は常に排水が流れていました。しかし今は排水そのものが無いのです。
 人口減少に伴って地域の担い手が居なくなるとの話も聞きます。極論で言いましたら、本質的な問題にはならないと考えます。例えば、担い手不足で毎年行っていた地域の祭りが開催できなくなる事もあります。当然、今まで在ったものが無くなる事は寂しいですし、不便になる部分もあります。でも、よくよく考えてみるとそれだけです。よく、地域の自治会、お祭り、お寺の清掃、消防団、と一人で多くの役を抱えて負担になっているケースがあります。これは人口減少が原因という言い方もできますが、必要以上に役が多い事が原因とも言えます。現に私の地域では、神社の取り壊しも検討に挙がっています。担い手が居なくなる前に、ちゃんと取り壊す事をすれば、維持管理のために経費や、役を持つ必要がなくなります。
 人口減少が進むと、日本そのものが消滅してしまう。という不安もあるようです。現在合計特殊出生率は1.4台で推移していますから、この出生率が未来永劫変わらないのであれば、必ず消滅します。裏を返すと、出生率が上昇すれば消滅を免れると言う事です(厚生労働省によると、人口を維持するのに必要な出生率は2.08)。そうなると次の疑問として、なぜ出生率は低いのか? となりますが、この問いについて言える事は「分からない」が結論です。「分からない」という意味合いについてもう少し述べますと、原因と「推測する」されるものはありますが、あくまで推測の範囲を超えず、また原因が複合的になる可能性もあるため、「こうすれば、こうなる」という論法が成り立たない、という事です。待機児童を解消する取り組みや、養育費負担を減らす取り組み等、様々な取り組みについて、意味がないと言う事ではありません。具体的な取り組みは大いに意味があると考えています。ただ、そういった取り組みが出生率に対してどの程度影響があるかは分かりません。
 例えば、次の人口推移モデルはどうでしょう。

子 : 子ども。世代が1経過すると成人になる
成 : 成人。世代が1経過すると子ども2人産んで自身は老人になる
老 : 老人。世代が1経過すると亡くなる

 簡単に考えるため、男女の区別はせず、成人1人が必ず2人の子どもを産むモデルです。これだけの条件では、世代が経過する毎に人口は無限に増えていきます。これだけではモデルになりませんので、次の条件を加えてみます。

条件①:人口には飽和状態がある(今回は同世代で最大12人までとしてみる)
条件②:飽和状態になった時、すでに生まれている人を差し置いて子どもは産まれない

 食糧、エネルギー、経済構造、社会構造、様々な要因によって、「日本列島ではこれ以上人口を増やすことができない」限界値が必ずあるはずです。実際の飽和人数は分からなくても、飽和状態になる数は必ずあります(条件①)。この時、親を殺してまで生きるという選択肢を除く(条件②)と、ある初期値(成人1人、子ども4人)では次のような人口推移となります。



 飽和状態があるという条件を課すだけで、子どもの数が激減(ピーク時の1/3)する世代が繰り返し現れます。子どもだけでなく、成人、老人も世代間で人数が安定しません。
 また、初期値を成人1人で始めると次のようになります。



 このケースでは、一度人口の飽和状態まで行き着いたにもかかわらず、次の世代では全体の人口までも1/3まで減少しています。
 単純極まりないモデルですので、現実と大いに違いますが、定性的な部分で次の結論を得ます。それは「生物的には常に倍増する繁殖能力があっても、人口の飽和状態があると仮定するだけで、人口減少となる世代が現れる」と言う事です。この時、飽和状態の要因は問題になりません。経済的に安定し、子育て環境も完備され、生物的にも十分繁殖可能な条件がととのっていても、食料の量が限られているだけで人口の飽和状態が発生します。さらに言えば食料が十分に満たされても、エネルギーの供給限界を迎えると、やはり飽和状態が発生します。どんな状況であっても、必ず人口の飽和状態になるのです。そして、生物的な繁殖能力は十分あるにもかかわらず人口減少世代が生じるのです。
 最後に、初期値を成人1人、子ども1人で始めると次のようになります。



 子ども、成人、老人の数が一定になったら、世代が進んでも人口構造が変わりません。ある種の「安定」を目標にするのであれば、各世代の人数が同値になれば良い、という事になります(人間の寿命を100歳とすると、0歳~33歳、34歳~66歳、67歳以上~に分けた時の人口が同じ値)。ただし、人口の飽和状態数が一定(あまり変化しない)である事が要件です。


3. 成長力(GDP)の確保について

 このことについて、私にとっては驚くべき点がいくつかあります。まず、GDPの具体的な算出方法は公表されていません。さらには、GDPの算出方法は年によっては見直されて(変わって)いるようです。そのためGDPが何なのかよく分かりません。GDPがよく分からないのに、「GDPを確保するようにしなさい」と言われてもさらによく分かりません。よく分からないものを推測で考えますので、もはや冗談のようにしか聞こえないかも知れません。
 私が推測するに、GDPとはある種の平均値を出したものではないかと考えています。そうであるならば、ある会社や、ある家庭、ある個人など、具体的に経済の影響を受ける人々を考えるときには、特に役に立たないと結論します。全校生徒が2人の学校のテスト平均点を考えてみてください。あるテストで、1人が0点、もう1人が100点を取ったとしましょう。この時の平均点は50点です。平均点は50点ですが、実際に50点を取った生徒は存在しません。さらに言えば、0点を取った生徒が、平均点を参考にして、次回のテストは最低でも平均の50点を取れるようにしよう、と目標にしたとしましょう。そして50点を取ったとします。しかし、平均値は75点に上がっている訳です。この生徒にとっては100点を取らない限り平均点には到達しません。
 GDPは「お金」のシステムを前提とした指標であると考えます。そもそも、私は「お金」というシステムについて、細かくは言いませんが、「よく分からない、しっくりしない」と感じている始末ですので、これ以上は本当に何も言えなくなります。私が不勉強であるという事でもあります。
 ただ、私自身の生活で考えたら、GDPとは関係なしに、ある程度のお金が必要と考えますし、ある程度貯蓄していればとりあえず安心だと感じます。そんな中、出される結論としては、GDPの数字を見ていちいち振り回される必要はないだろう、という事です。


4. 人口減少は問題にせず、GDPも気にしない

 以上の事から、地方創生で言われている①「人口減少問題の克服」については、そもそも問題にする必要はない。②「成長力(GDP)の確保」については気にしなくても良い。と結論します。身もふたもない話ですが、地方創生でかかげる目標は、地方にとっての目標にならないと言う事になります。もちろん、国の立場で見たときには、地方創生の目標には意味があります。地方に住む人を主体にして考えた場合には、あまり意味が無いと言う事です。


5. 大切な「あの人の幸せ」

 実際に地方に住む人にとって、問題は常に具体的、個別的なものです。極論で言えば、自分が住んでいる自治体が消滅しても、人やモノが消滅するわけではありませんので、本質的な問題になりません。地方の人にとって、本当の課題は主に衣食住・子育て・介護のいずれかに関連する具体的問題です。私たちは経済システムを大きくしていますので、衣食住・子育て・介護のいずれに対しても、お金の問題が発生します。現在の経済の理屈でいえば、どうしても都市部へお金が集まるため、お金をモノサシにした判断をすると、地方はジリ貧となる傾向にあります。だからと言って、都市部からお金をもらったり、都市部を否定したりしても、継続的に有効な方法になるとは思えません。都市ではできないが、地方ならできる事を模索した方が良いような気がします。
 地方ならできる方法の一つとして、「自治会」を軸にして考える方法に注目してはどうでしょうか。市や町の単位では、同じ地区と言われても、お互い顔も名前も知らない人だらけの共同体になります。しかし地方の自治会規模になりましたら、基本的にお互い知っている共同体になります。この「知っている」人の集まりである事が重要です。知っているからこそ、個人や家族単位で問題をとらえるのではなく、自治会の単位で問題をとらえる事ができるのです。知らない誰かではなく、知っているあの人との助け合いができるのです。この時の「自治会」とは、行政的に把握している自治会とは少し範囲も違うかも知れません。ただ、近似的には、「行政で把握している自治会」と、「知っている者同士の共同体」とが同じになるのではと思います。
 実際に、私の住んでいる市内において、自治会内で助け合っている例は数多くあります。例えば、通常の所得基準で考えると生活保護に相当する、一人暮らしの高齢者が居ます。しかし生活保護は受けていません。毎日、近所の人たちが食べ物を持ち寄り、簡単な洗い物も手伝っているので、保護を受けなくても生活が成り立っているのです。田んぼを耕耘機で耕した後は、泥を落とすために機械を水洗いしなければなりませんが、近くの家の方から、水道を借りて洗っています。お礼にお米や野菜を渡したりします。また、子どもと一緒に散歩すると、イチジク、ブドウ、クリ、カキ……色々な果物を分けてもらいながら、話をして過ごします。自治会のお祭りに、女の子は巫女として参加し、皆さんに舞いを披露します。子どもはいるだけで皆を明るくさせます。自治会で課題解決するようにした方が良いと言う事ではありません。自治会がうまく機能して、個々の課題を解決しているケースがあるという事です。新たにシステムをつくる訳ではありません。すでにある自治会というシステムは、大切にする価値があるのだと思うのです。


6. 江津市での分析、取り組みについて

 私の住む江津市の人口は、かつて3万6千人居ましたが、50年経過した2015年現在、2万3千人程度にまで減少しています。また、国立社会保障・人口問題研究所の公表データによると、20年後は1万7千人程度まで減少すると推測されています。
 江津市の年齢別人口の変遷は次のようになっています。







 2035(平成47)年は国立社会保障・人口問題研究所公表データによる推測値です。先に述べました人口推移モデルによると、ある条件では人口が1/3まで減少しますので、この先場合によっては1万2千人程度まで減少が続くと考えられます。そこまで減少すると、その次の世代は人口増加世代となります。飽和人数に変化が無いと仮定すれば3万人規模まで増える事になります。しかし今後の飽和人数がどのように推移するかは分かりません。モデルでは一定にしていましたが、実際は変化するものと考えなければなりません。およそこんなふうに未来を予測したとして、この予測を元に、実際住んでいる人へいったいどんな具体案を示す事ができるのでしょうか?
 2015年度現在の江津市総人口(約2万3千人)に対し、市内自治会はおよそ270組あります。そのうち、構成人数が100人以下の自治会が約200組(75%)になります。自治会ごとに年齢別人口を確認すると、多種多様です。例えば以下のようになります。



 自治会Aではある年代が突出して多く、その他の年代はほとんどいません。自治会Bでは波のように分布しています。自治会Cは、構成人数も少なく、子どもが居ません。
 10年後、20年後を考えると、自治会Cは消滅してしまう可能性が高いです。この時、自治会C内で、自助により解決していた課題が、解決できなくなる場合が考えられます。例えば、道の草刈りを近所の動ける人でやっていた場合、20年後はできなくなるかも知れません。しかし、20年後になっても住んでいる人はいます。このとき、草刈りは誰がするのでしょうか? 自治会が消滅しても、そこに住んでいる人がいる限り課題が残るのです。
 自治会ベースで年齢別人口分布をグラフにすると、10年後、20年後の自治会の状況が予測できます。この時、「今現在解決している課題は引き続き解決できるか?」の予測ができます。この年齢別人口分布について、お互いに顔を知っている者同士の自治会内では、数字を言われなくても、状況を分かっているのでは? と思われる方もいらっしゃると思います。私も最初はそう考えていました。しかし、実際に自治会の会合でデータを出すと、自治会の現状に驚かれる人も多いです。自治会で行っている一斉清掃についても、今は30人でやっているが、20年後は10人程度になりそうだと分かると、問題が具体的になります。また、人が少なくなる話だけではなく、人が入ってきたらどうなるかも推論できます。先ほどの自治会Cですが、子育て世代が2組入ったとしたら、様相が激変します。母数が少ないため、若い人が数人入ってくるだけで維持できるようになるのです。


7. おわりに(まとめ)

 冒頭で述べました通り、全ては近似的な推量であり、実際はどのようになっていくか分からない部分が多いですが、推量の方法や、ある確度での予測は述べる事ができます。
 行政だけでは地域の課題を解決できない事は周知のとおりです。かといって、住んでいる人が地域の課題を考えようとしても足掛かりが無く、具体的に考える事が難しい場合もあると思います。しかし、自治会内の年齢別人口分布を提示する事で、自治会自身で今後をどうしていくか、ある程度の確度で考える事ができます。市町村関係者ならば、自治会の年齢別人口集計は可能です。集計結果を各自治会へ提示し、自治会の今後を考えるひとつの材料にしてもらう事ができると考えています。
 同じ課題であっても、様々な視点を持つことが重要だと思います。その様々な視点の一つとして、人口推移モデルで飽和状態を仮定するだけで人口減少世代が発生する(何らかの負の要因が無くても、人口減少は必ず発生する)という考え方や、自治会の年齢別人口グラフを見て自治会の今後を具体的に考える方法について述べました。視点を変えると目標も変わる事があります。国が策定した地方創生戦略にはちゃんと理念や意義があります。しかし、地方は「同時に別の」理念や意義をもっても良いのではないでしょうか。私が伝えたい事は、常に複数の視点をもっていた方が便利だという事です。ここで述べた事も、場合によっては役に立つときがあると期待しています。そしてこの考え方が誤りだったとしても、誤りだと分かった事で一歩前進するものだと期待します。