【自主レポート】

第36回宮城自治研集会
第6分科会 復興・再興・新興!! ~消滅でも創生でもない地域づくり~

 昨今、農村の人口減少、地方への移住・定住促進をはじめ全国一斉に地方創生が叫ばれている。自治体はまち・ひと・しごと創生「人口ビジョン」及び「総合戦略」の策定に追われる中、戦略計画の具体的取り組みへの期待も高まっている。いわば"平成の世直し"の大合唱の中で人口5,147人(2015.5.1現在)の中山間地域に暮らす一住民として、単組組合員としてこれまでの自らの仕事や地域環境を振り返り、地域づくりを問う。



“身の丈”の地域づくりと地方創生
―― 全ての答えは現場にある ――

島根県本部/美郷町職員組合 安田  亮

1. はじめに

(1) 自らの過去の仕事を振り返る
① 「過去に担当した自分の仕事は今、どう地域に息づいていますか?」
 「皆さん、これまでやってこられた職場の仕事の5~10年前を振り返ってみて下さい。今、どのような形で地域に息づいていますか?」一方、「組合活動による職場環境が改善されていく中で私たちの暮らす集落の自治、地域の暮らしは活性化していますか?」私自身、企画の仕事から産業畑の仕事に異動になった10数年前、過去のルーティンワークを除く自らの仕事に疑問を持ちました。仕事に忙殺される中での組織内での評価と自己満足度とは裏腹に地域に目を向けたときに暮らしに何も根付いていないという現実を感じ取ったからです。唯一残っていたのは行政に対する住民の不満と補助金依存体質、さらには箱モノ整備後の維持管理の経費くらいなものです。当時を振り返り、今を見つめたとき、脈々と地域に息づいているものが何もなかったのです。
② 画一化した地域づくり……地域づくりに流行がある?
 私が長年携わる鳥獣行政では国の交付金対象となる農林作物被害防止の対策手法がコロコロ変わります。例えば、イノシシやシカの侵入防止柵を何十キロも張り巡らす取り組みが流行れば、サルを追い払う調教犬いわゆる"モンキードッグ"が注目を浴び、今はイノシシやシカの捕獲が増えるため未利用資源と位置付けて「食べて減らす」という考えの下で食肉加工施設が乱立するなど、異なる自治体で時を同じくして画一化した取り組みの流行り廃りが巻き起こっています。この現象は鳥獣行政に限らず、地域づくりでも起こっている珍現象だと思っています。
 ではなぜこうした現象が起こり得るのか? その珍現象になってしまう要因が何かを自らの経験から次のように感じています。

【鳥獣対策(地域づくり)などの画一化した流行の要因】
① 国の官僚の仕事は予算を沢山確保することが最優先され、新たな事業メニューが次々と作り出されること
② 自治体の財政事情が厳しく、有利な補助金・交付金で事業を運用しないとやっていけないこと
  短期成果主義の取り組みへの傾倒になりやすいこと
③ 視聴者受けする面白おかしな取り組みを取り上げるマスメディアの影響を受けやすいこと
④ 職員の短期異動による"アイデアなき模倣"が繰り返されること
⑤ 自治体組織の合理化による住民の対話による合意形成が希薄になり、ニーズをマスメディア等の情報をもとに把握する場合があること
⑥ 自治体は他の自治体の取り組みの良い点を見て、苦慮している点を見ないこと
⑦ 長年の行政主導の地域づくりによる地域の依存体質が定着してしまっていること

 こうした流行に乗っかる取り組みに共通して言えることは長続きしないということです。また、その要因はどこも同じです。ちょうどゴルフ場の広いグリーンに白球をのせるより、なぜか狭いバンカーに吸い込まれるように設計されているようなものです。いやむしろ、設計というよりは利害関係による取り組み心理がそうさせているのだと考えられます。国のお金を上手に使ったということでしょうか? 国の示す「全国○○百選」や「優良事例集」が5年10年経っても持続的あるいは時代とともに変化しつつも取り組まれているかといえば、私の知る限り見当たりません。むしろ、住民自治から生まれた葉っぱビジネスや屋根谷集落(やねだん)のような取り組みが持続的な活動として評価されていることに学ぶべき点が多いと思います。要するに公共インフラ事業や財政・福祉分野などルーティンワーク等を除く、創造性を求められる行政主導の地域づくりには限界があるように思うのです。

(2) 行政と民間企業の"持続的"活動の意味の違い
① 「金の切れ目は縁の切れ目」
 私自身が補助金なしでは活動できないという事業をこれまで数多く、そして今も抱えています。産業分野においてはお金を生み出すシステムを構築していない、つまり出口(販売・売れる)から糸を手繰り入口(誰がやるのか? 責任所在は?)が不明瞭な中で行政が中間どころに関与する事業展開があるように思います。例えば、モノづくりはするが、売り先は? 施設の維持管理運営費は賄えるの? とか、昨今のジビエブームでいえば、狩猟者が「食品衛生法に基づいた食肉加工施設さえあれば売れる。だから市町村に施設建設してほしい。」というニーズを受けていざ施設が建設され稼働するとたちまち肉が在庫となって施設運営費を市町村が助成しなければならない事例を当町に視察に来られる関係者から異口同音に聞きます。民間企業であれば倒産または資金繰りにあえぐ状況に陥ってしまうわけです。当然ながら行政担当課では新たな産業振興の推進のつもりが主人公不在の新たな重荷に成り変わるわけですが、かといって自らの腹を痛める人は誰も存在しません。ここに行政主導の取り組みでは持続可能な取り組みが困難な理由があるのです。
② ある老舗料理店の社長の言葉
 「安田君、行政ではなぜ上手いこと地域づくり(産業振興ほか)がいかないのか知っとるか? わし(自分)らは自らの財産を担保に資金を作り、必死で40数年間もやってきた。その間、お店の周囲にあるファストフードのチェーン店などとも営業面で戦ってきた……でも生き残っている」と。公私に親交のある社長の長年老舗の料理店として名を馳せてきた自負に、耳の痛い思いがします。民間企業と行政では役割が違うといえばそれまでですが、お金を動かす意味でも人を動かす意味(サービス)においても参考にすべき点は多々あるように思います。この社長は貴重な週1回の休日の多くを島根県はもちろんのこと、鳥取県、岡山県の産直市場を回り、こだわりの食材を探して常に料理メニューの創作を考えておられます。特に誰もが価値を見出さない食の端材を加工により付加価値をつけて、最大限の利益効果を上げられています。長年の地道な食への探求心とその姿勢は、私たち行政職に携わる者にとって大いに見習う余地があると常日頃感じています。
③ 地域づくりのもつ"持続的"な活動の意味とは
 自分の仕事を振り返り、さらに地域づくりを振り返った場合、テレビ番組でよくある「あの人は今……」と同じように、「マスコミを賑わしたあの町は今どうなっている?」2、3年後には活動や取り組みが継続していないことが多いのは前述した流行の要因に起因することは言うまでもありません。私たちの行政で使う活動の持続的と本来の持続的の意味、すなわち民間企業でいうところの持続的活動とは質が異なるものだということに最近気づきました。民間企業は投資したものを最大限膨らまし成長させながら継続していくものであるのに対して、行政は持続的活動をしていくために、何度も新たな事業を組み合わせて自転車操業のように地域づくり活動を維持継続しているように見受けられます。行政は次々と新たに有利な事業を繰り返し導入し活動の持続性を図るため、活動が3年毎に目先を変える傾向にあります。私は持続的な地域づくりとは、後者の民間企業的な考えで、補助金を上手く使うのではなく、補助金を活き金にしていくものだと思います。一つの事業でいくつもの波及効果があるもの、例えば私の担当の林務の業務を通じて福祉・環境・雇用定住・教育……と「一粒でいくつもの味があじわえる」もの、「わらしべ長者」の話のような小さな物々交換から最終的にお金持ちになるという結末、つまり投資は少なく、効果は大きくかつ永続的な活動につながることを理想として仕事に携っていました。行政は「補助金をいかに上手く使うか」、民間は「補助金をいかに活き金にするか」により持続的活動の意味合いが異なるのだという認識のもと、世論というより行政の世界で地方創生が先行して叫ばれる中で、地域づくりにおける持続的活動の意味合いをもう一度確認しておく必要があるように思います。


2. 「地方創生」という言葉に踊らされない地域づくりとは

(1) 全ての答えは現場にある
① 歴史は繰り返される……
 地方創生の名のもとに国が地方に交付金を配るシステムはこれまでと変わらない中で、「1. はじめに」で記述したことがそっくりそのまま当てはまれば平成の世直しどころか、さらなる地方の疲弊と行政に対する失望に変わる諸刃の剣のように見えます。大きなポイントは、私たち自身がこれまでまかり通ってきた行政の価値観とは異なる認識、視点、そして立ち位置で活動していくことが求められているように思います。労組では職場環境や労働条件の改善、単組の独自課題への解決という従来の活動の枠組みではなく、一組合員の前に集落の一住民としての草の根的な地域づくり活動が重要のように思います。一歩踏み込んでいえば「地方創生」という言葉に踊らされないためにも職場目線ではなく、「答えがあるのは現場のみ」という姿勢で一住民として暮らしている集落・地域目線での課題の解決に関わりをもつことが、私自身が過去の仕事を振り返って同じ轍を踏まないことにつながるのではないかと考えます。個々の集落、地域とそこに暮らす人々の個性(潜在能力)を引き出すのは、東京霞ヶ関ではなく、生まれ親しみ育った地域の実態を一番よく知っている私たちなのですから。
② ある新聞のコラム
 「日本人は国に従属的で、命令を受けると一斉に動く傾向がある。地方の疲弊も国策に従順に従った結果。ならば「地方創生、何するものぞ」と逆に進んでみる道もある。画一化されない。多様な地方の姿を考えたい。(平)」この一文は2015年5月5日付け山陰中央新報のコラムです。このコラムを読むと一行政職員として従順にまちの運営、まちづくりという大きな船を操る一方で、一組合員としては労組の活動で労働条件、賃金のベースアップの運動を叫んでも虚しく聞こえるばかりのような気がしてなりません。また、労組活動を取り巻く地域の暮らしは疲弊し続けている中で、画一化されていく地方の姿に従順な行政職であるがために一致団結とは別な意味での画一化されない労組の地域活動が求められているような気がします。つまり、組合員として、行政職員としての前に一住民として小さな集落・地域課題の解決や補助金に左右されない民間的意味合いでの持続可能な地域づくりの活動をしていくことが華美な報道とは一線を画した地についた地方創生につながり、職場環境を守ることができるのではないでしょうか。


3. 身の丈の地域づくり

(1) 地域個性「らしさ」を引き出す診断書と草の根運動
① 地域づくりの診断書
 では画一化されることのない地域個性を見つけるにはどういう方法があるのでしょうか?これまで私自身、鳥獣行政をはじめ、一住民として地域づくりをしている中で次のような診断書に当てはめて取り組み活動の判断材料にしています。
【診断書】

 診断書の自助活動に労組は活動の枠を広げていくことが、行政及び組合活動の理解と質を高めることにつながると確信しています。
② 草の根運動のエッセンス
 持続的活動につながらない要因は先に述べましたが、もう一つ重要な要素があります。行政に携わる私たちは利害関係を調整することが苦手です。狭い町内ですからお役所心理が働くということや、補助金の依存体質の強い地域や個人に対しては、物事を起こすあるいは進めることにモノ(お金・技術・もの)を潤滑油にしてしまう場合がほとんどです。地域の自助"コト(人の動き)"を育むための潤滑油にはコミュニケーションが必要不可欠になります。とするならば、職場あるいは組合活動の場を現地にシフトして一住民として地域活動をけん引していくことなど共発的な役割が一人ひとりに求められるのではないでしょうか? もし、こうした取り組みができない場合は、職場において住民の顔が見えない「何のために、誰のためのサービスなのか?」その本質が見失われるとともに仕事や労組活動への住民の理解は得られないだけでなく、事業または活動が組織の一人よがりのものに陥ること、形骸化していくことが推測されます。合併して10年を過ぎる自治体が多い中、当初あった庁舎の出先機能が人員削減や閉所、臨時職員への代替など低下し合理化されていく時勢だからこそ、従来の人員確保闘争だけでなく、組合員の地域とのコミュニケーション能力の重要性が日々重要になると思います。


4. まとめ

 私自身の過去の仕事を振り返り、また行政の巻き起こす事業の流行のからくりなどを私なりにレポート作成を通じて検証してみました。時と場所を同じくしてはじまった人口減少対策・定住対策は待ったなし!しかし、地方創生の大合唱に踊らされることなく、今一度足元を行政職員として労組組合員としてまずは職場の前に地域に暮らす住民として何ができるのかを問いただし、地域でまた職場において組合員同士で行動・実践を前提とした意見交換の場をもつことが大切だと思います。
 「自助から共助、そして公助」という流れは、頭では理解しても行政組織では思うように構築できません。私たちが住民として自助を促していくことが、真の平成の世直しの一歩につながるのではないかと思います。今の地方を悲観することなく、集落・地域に根のはった活動を推進し全ては自らの身の丈の活動から個性ある地域が創造されることを確信しています。