【論文】

第36回宮城自治研集会
第6分科会 復興・再興・新興!! ~消滅でも創生でもない地域づくり~

 全国各地で廃校が増え続けている。その結果、地域のシンボルが消えることに加え、少子高齢化が一層進むことが懸念される。どのようにすれば廃校の利活用が進むかについて調査したところ、行政が地域住民と向き合い、廃校の利活用を様々な方たちと、真摯に話し合ったところに、魅力がある施設が生まれていることが確認できた。



廃校を核に地域の元気を創る


香川県本部/香川県・かがわ元気ぷろじぇくと

1. はじめに

 私たち香川県自治研センターのメンバーは、これまで「地方分権改革」や「地方財政」の問題、「税と社会保障の一体改革」などについて議論をしてきた。その勉強会での雑談の中、メンバーの一人が絵画の作成を趣味としており、その作品を展示するスペースとして、さぬき市の旧天王中学校を考えているという話を語りかけてくれた。
 廃校については、「平成の大合併」以降、県内の自治体数が8市9町に減少したこともあり、増加している。その一方、高松市の男木島では、瀬戸内国際芸術祭により島への移住者が生まれ、休校だった小学校が2014年4月に復活している。
 廃校について調べてみると、全国各地でユニークな取り組みがあり、非常に興味深く覚えた。一例を上げると、2014年5月24日付の日経新聞では「廃校活用ランキング」の特集が組まれ、自然と触れ合う分野の1位は高知県四万十市の「四万十楽舎」で、写真からも、特色ある施設として「リノベーション」されていることが伝わってきた。
 その記事に井上弘司さん(地域再生診療所所長・元飯田市職員)が、「魅力ある廃校には必ず地域に誇りを持っている人たちの存在がある」とコメントを寄せられていた。その井上さんから、廃校という「負の遺産」を再生することは単なる施設の再利用だけに留まらずに、地域に誇りをもたらすこと、また地域に活力があるかどうかの「リトマス試験紙」の意味があることを、その後参加したシンポジウムで教えられた。
 一方、香川県での状況はどうかを少し調べてみると、高知県の「四万十楽舎」のように、全国的に注目を集める事例は少なく、廃校になった以降、門を閉めて、立ち入ることすら許されない小学校が結構あることが分かった。そういった状況を踏まえ、香川県の廃校をどう利活用していくかについて、自治研として取り組むことになった。


2. 休・廃校施設に対する国・県の取り組み動向

(1) 文部科学省の取り組み
 文部科学省では、「~未来につなごう~『みんなの廃校』プロジェクト」というサイトを立ち上げ、自治体が活用方法や利用者を募集している1,081校ある未活用の廃校施設等の情報について、「活用用途募集廃校施設等一覧」として集約・公表し、積極的に利活用を促そうとしている。
 ところで、活用が決まっていない1,081校について調べたところ、活用が決まらない理由として「地域からの要望がない」が512校(47%)と最も多く、次に施設の老朽化が続いている。その背景には「財源が確保できない」という理由が大きく影響していると考えられる。
 一方で、利用に関して住民から意見をヒアリングしたところは少なく「実施していない」が848校(56%)と過半数を占めている。
 このように地域住民からの意向聴取を実施しない自治体が多い中、「地域からの要望がない」と判断した自治体が少なからずあると思われ、回答内容の整合性に首を傾げたくなる。
 一般的に廃校に至るまでのプロセスは、教育委員会から統廃合の提案があって初めて具体的なものとして住民に認知される。その後、議会や地域で議論されて廃校が決定される訳で、「突然に」廃校が一方的に決まるものではない。通常2・3年、場合によっては10年近くかかっている場合も珍しくない。そのようなプロセスを経て、決定されるにもかかわらず、廃校になった後の施設をどう利用するかという議論が、余りなされていない。
 斎尾直子東京工業大学准教授は、「公立小中学校の統廃合プロセスと廃校者利活用に関する研究」(2008年)において、茨城県内の過去30年間の事例を調査し、分析・考察している。
 論文では「『廃校舎利活用プロセス』を早い段階で『統廃合プロセス』と同時並行的に進めた事例の場合、閉校直後、あるいは数年の準備期間や改築・増築期間を経て新しい施設として転用されている」としている。非常に興味深い分析である。

(2) 香川県内の取り組み
 香川県内の自治体の学校再編に対する考え方は、小中学校の適正規模は、40人学級を想定し、小学校は1学年2~4学級、中学校は1学年4~8学級とし、小中学校とも12~24学級と定めている。また、この中で学校の適正規模を踏まえ、通学距離(小学校4km以内、中学校6km以内)と設定するなど、概ね文部科学省の基準に従った内容となっている。
 香川県は2002年3月に5市38町あった自治体数が、わずか4年後の2006年3月末に8市9町に減少している。その中でも7町と多くの町が合併して誕生した三豊市が、再編にどう取り組んでいるかを取り上げることにする。
① 三豊市における学校統廃合のプロセスについて
 香川県三豊市は、香川県西部に位置する人口6万8千人、面積222km2の自治体で、2006年に旧三豊郡7町が対等合併して誕生した。合併直後の学校数は、小学校26校、中学校8校あった。合併直後は合併支援策として「合併特例債」、「地方交付税の合併算定替え」など地方行財政上の様々な優遇策を受けることができていた。しかし、10年間の特例期間が終了すると地方交付税一本算定により、大幅に歳入が減少することになる。それに対応するため、三豊市では「三豊市公共施設再配置計画」を策定し、計画的に公共施設の統廃合を進めることとした。
 三豊市立学校適正規模・適正配置検討委員会では、大学の教授、自治会代表、保育所・幼稚園・小学校・中学校(校長及びPTA代表)、公民館長、公募委員で構成されている。同委員会では学校の適正規模や適正配置の基本的な考え方を取りまとめ、具体的な統合に向けた取り組みについて審議した。
 その後策定した「三豊市立学校再編整備基本方針及び今後の進め方」を、保護者及び地域住民に向けて、説明会を開催した。
② 学校再編整備地域協議会について
 地域住民や保護者の同意が得られたことから、学校の統合は統合新設校の位置や開校の時期、通学距離が遠くなるためのスクールバス等による通学支援策などの具体的な内容について、議論が移ることになる。その協議をするために設置されたのが「学校再編整備地域協議会」である。その内容について、財田地区を見てみることにする。
 ア 財田地区について
 財田地区の協議会のメンバーは各小学校の保護者の代表11人、地域の代表5人の16人で、議員や学識経験者、公募委員が含まれていない。完全に地域マターという認識で選定している。このことは協議会の冒頭で教育長が「協議会で話をしていただいたことを、教育委員会ほか、市長、議会へも説明していきたい」という議事録からも理解できる。
 「基本方針」が2011年5月に決定され、最初の協議会は翌年(2012年)3月に開催されている。財田地区では新設統合のため新しく学校予定地を取得する必要があるにもかかわらず、その予定地の位置図まで協議会に示されている。非常にスピード感を持って作業が進められたのが窺われる。
 また、統合小学校の位置決定において、既存の小学校のうちの一つに統合することではなく、「新設」を選択した。旧財田地区では2校を1校に統合すれば廃校は1校に留まる。しかし、新設統合では既存の2校ともに廃校になってしまう。配布資料によると、その理由を「財田町の地理的条件・児童分布を勘案し、両校から均等な距離にある所を新設校の候補地としたいと考えています」と簡単に触れられているだけである。既存の小学校を統合校に選択しなかった理由については、協議会でも質問が出ており「この前の保護者説明会では、現在ある財田上、もしくは財田中小学校に子どもをまとめるという案も出ていました。しかし、今日の説明では総合運動公園内か支所付近ということですが、前回の保護者説明会の後、周りの保護者の声を聞いていると、新しい校舎を建てるのはもったいないのではないかという声が多くありました」という保護者からの質問に対して、教育委員会からは①旧小学校の敷地には借地が多くあること、②いずれの校舎も耐用年数の期限が2013年と2015年で、建替えの必要があること、③建替える場合、用地買収には周辺がすべて宅地であり、県道や河川が隣接して拡張が難しいことを説明して理解を求めている。
 三豊市では、この協議会に限らず、様々な審議会の議事録をホームページで公開しており、非常にオープンな形で、意思決定を進めていることが多い。新設校を新しく設置するような地域の利害が相反する場合にも、情報公開に努めている姿勢は評価できる。
 なお、三豊市では詫間町の旧箱浦小学校が、植物工場として利活用されている。


3. 三好市の取り組み

 三好市は、徳島県西部に位置する市で、2005年に4町2村が合併して誕生した。人口26,653人、面積は721.42km2と四国4県の市町村の中では最も面積が大きい。したがって、本庁がある池田町から一番遠い東祖谷総合支所までは45kmも離れている。しかも、国道32号を離れると離合が困難な山道が続き、1時間30分近くかかる。合併後も過疎化が進み、その結果廃校が生まれている。そこで、28校の休廃校が存在することに危機感を抱いた当時の市長から、安藤彰浩課長補佐に特命事項として、廃校の利活用に取り組むようにと2012年度に指示があった。
 安藤補佐は、まず三好市内の廃校の現状把握から始め、廃校の利用状況、施設状況、管理状況をつぶさに確認した。更に、各施設の国庫補助の状況、三好市の財産処分の手続き、起債償還なども調査した。
 また、各地域の休廃校等の報告書、全国の活用事例、募集方法などの資料収集も行った。全国の活用事例調査では、熊本など8県、15校の現地視察をするとともに、「まちむら交流きこう」の廃校活用セミナーにも3回参加している。
 実際に安藤補佐のお話を伺って感心するのは、地域住民からのヒアリングである。東祖谷総合支所までは45kmも離れているといった地理的困難な状況下でも、積極的に地域に足を運び、地域との意見交換会を開催している。各地域で利活用についての意見があるのか、現在使っている機能を維持して欲しいのか、また公募による外部からの活用についてどう考えるのかヒアリングした。
 以上のプロセスを経て、「休廃校等活用推進委員会」を市役所内に設置し、活用の進め方、公募・廃校の手続や廃校後の管理などを各課と調整し、基本方針及び募集要項の策定を行った。
 基本方針では、雇用の創出や地域の活性化に結びつく活用をめざし、広く活用のアイデアや提案を募集した。一方、活用にあたっては地域の理解を得ることも求めている。
 その結果、募集していた22校中9校の活用が図れた。また、利活用が進んだ結果、41人の雇用創出と、移住者9人という素晴らしい成果が生まれた。
 特に出合小学校の利活用は、新聞、雑誌などに何回も取り上げられており、注目度が高い。
 東京の広告会社でデザインを担当していた植本修子さんは、三好市の廃校の利活用を募集している情報を聞きつけて、三好市を訪問し、担当の安藤補佐から色々な廃校の案内を受けた。その中でも出合小学校のロケーションが良いことから移住を決断し、地域の人が気軽に集まれる場所を作ろうとカフェとデザインの仕事をする「ハレとケデザイン舎」を設立して、2014年に開業した。最初はカフェを中心に、週のうち土日を中心にお店を開けていた。最近では音楽などのイベントやワークショップも開催するため、遠くから訪れる人のため用に簡易宿泊施設も整備した。出合小学校に代表される廃校の利活用を進めた結果、「過疎と少子化が進んであきらめムードだった地域が、自信と元気を取り戻している」と安藤補佐も評価している。
 今後の展望について安藤補佐は、活用主体の連絡協議会を立ち上げ、移住者の横の繋がりや新しいビジネスの展開が必要である。また、廃校に限らず合併で生まれた重複する施設は三豊市と同様に多いと思われるので、その他の公共施設への広がりにも取り組む必要があると述べられている。


4. 廃校活用シンポジウムについて

 2013年12月から取り組んでいる「かがわ元気ぷろじぇくと」では、現地視察を中心に、関係者からヒアリングしながら勉強会を進めてきた。その結果を一般市民の方や廃校活用に取り組む関係者に情報提供し、参加者からの意見を今後の「かがわ元気ぷろじぇくと」の活動に生かすため、「廃校活用のシンポジウム」を2015年6月20日に開催した。
 基調講演は、劇作家として有名な平田オリザさんにお願いした。平田オリザさんから、最近の著書で取り上げられている「新しい広場をつくる」というテーマを基に、全国各地の事例を踏まえて、廃校活用における理念について、ご講演いただいた。
 基調講演を要約すると、次のとおりである。経済のグローバル化、むき出しの市場原理、商店街の衰退に伴って、地域のコミュニティが崩壊しつつある、その結果、青少年の非行やホームレス、生活困窮者の増加、引きこもりの人などの社会問題が発生している。しかも様々な問題は、都市部より地方に大きな爪痕を残している。
 更に地方と都市部では文化格差が大きくなり、貧困という垂直方法と地域という水平方向という両方によって引き裂かれている。この結果、弱者の居場所がない街が次々と生まれている。
 そういった中、人々を孤立させない「社会的包摂」が必要であり、その「社会的包摂」には劇場、音楽ホール、図書館など市民の居場所が大きな役割を果たす。つまり、引きこもりの人やホームレスの人に、居場所を作って、社会への出番を作る。そして、その居場所を拠点に、緩やかなネットワークがある社会、誰かが誰かを知っている社会をめざしていく。そのためには、文化資産を蓄積し、東京資本やグローバル資本に対抗できるような人材を育成するとともに、「文化の自己決定能力」を高める必要がある。
 地域のシンボルであった廃校は、文化、芸能、音楽などの人材育成の場としての「新しい広場」、また人々が孤立しないための居場所として役割を果たしてほしいと平田さんから提言があった。
 それを受け、参加者がグループに分かれて、報告があった三好市の事例や自分たちが住む地域の実情を踏まえ、廃校の利活用に何が求められるかを議論して、発表した。具体的には学校は地域のシンボルであり、そこに以前の賑わいを取り戻すためには、地域住民との話し合いの場を設けること、そういった場所が「居場所と出番」づくりにもつながり、新しいネットワークも生まれてくるという意見が示された。


5. 地域コミュニティと廃校の利活用

(1) 音楽フェスティバルによる地域活性化(廃校グルーヴ)
① 経 緯
 主催者の波多信治さんが、秋田県での廃校でのイベントに参加したことがきっかけである。波多さんご自身が以前から暖めていた音楽フェスティバルのプランを、2014年に「高松市まちづくり学校実行委員会」という地域で、地域活動をしたい人達が集まって、講師や仲間とともに「マイプラン」を作る「塾」に参加して、具体化した。
 そこで生まれた「廃校グルーヴ」の基本コンセプトは、香川県内にある廃校を使って地域の人と若者が、一緒になって遊び、学べる「場」を作り、地域に根づいた継続性あるイベントを作るとしている。
② 奥塩江交流ボランティア協会との出会い
 波多さんは、「廃校グルーヴ」実現に向け、適当な廃校について、教育委員会に相談したところ、営利目的で貸せないという回答があった。色々探していると、高松市の南部にある旧塩江町の上西地区で活動されている大西祐二さんと出会ったことが実現できた大きな要因である。
 大西さんは県庁を退職後、自宅がある上西地区でコミュニティ活動に取り組まれている。NPO奥塩江交流ボランティア協会(以下「協会」という。)を組織し、100人ほどのメンバーと活動している。
 協会では、建物がある一帯を「モモの広場」と呼び、地域の交流の場として活用している。具体的なイベントとしては、まんぷく会(食事会と演奏鑑賞等を伴った交流会)、登山・山里ハイキング、うたごえ喫茶などを、地域住民はもとより地域外の人も参加して、毎週のように開かれている。
 協会の支援を得て、「廃校グルーヴ」は2015年3月22日に、アーティスト15組が参加して、大きな木の下と体育館の2つのステージで賑やかに開催された。音楽フェスティバルは、多くの若者の参加が見込めるイベントで、廃校がある過疎地域での地域活性化の大きな起爆剤になりうるものである。一方、集客を優先すると市内中心部での開催が望ましいが、廃校を使用するとなると、騒音問題などで地域住民からクレームが行政にあることが予想される。したがって、教育委員会としては許可を出すことに、二の足を踏みがちであろう。
 波多さんも当初は高松市内での開催を念頭に、教育委員会と交渉していたが了解が得られず、奥塩江の「モモの広場」での開催に至った。しかし、これは結果的に、様々な地域活動に取り組まれている大西さんとの出会いつながったわけで、新しい価値の創造が生まれたのではないだろうか。
 波多さんは「廃校グルーヴ」を今後も続けていく計画とお聞きしている。より多くの人が参加して、音楽フェスティバルの成功とともに、奥塩江の活性化にもつながることを期待したい。


6. 未来につなごう~「みんなで廃校」を考える

(1) 廃校の利用を進めていくには
 利用計画がない廃校数が2011年時点で1,000校あり、その理由は多い順に①地域等からの要望がない、②建物自体が老朽化している、③地域住民等と検討中、④立地条件が悪い、⑤財源が確保できないとなっている。
 また、利用に関して検討に関わっている者は、教育委員会で、首長部局、他部局と続き、地域住民は4番目となっている。
 一方、実際のところ利用に関する地域住民からの意向聴取は、2.で示したとおり実施していない。廃校の利活用があまり進まないのは、このような取り組みの不十分さに原因があるように思える。
 3.で紹介した三好市の取り組みでは、安藤補佐が地域に何度も足を運び、その意見を十分聞き取りしてきたこととは、この点において非常に対照的である。

(2) 住民参加による廃校の利活用
 (一財)地方自治研究機構が2014年に「市町村における廃校施設の有効活用に関する調査研究」を実施している。その報告書の102ページで廃校施設に係る住民参加の取り組みのうち、効果が見られた取り組み事例を紹介している。例えば、秋田県鹿角市の「鹿角市中滝ふるさと学舎」では、廃校活用のためのワークショップを開催し、ワークショップ参加住民が主体となって発展し、NPO法人を設立、その廃校の指定管理者となったという。また、兵庫県篠山市の「篠山チルドレンズミュージアム」では、多紀中学校跡地利用検討委員会や篠山チルドレンズミュージアムを組織している。
 結局、懇談会、委員会、ワークショップなど、様々な手法を用いて、地域住民が参加し、意見・移行などを行政に直接伝える機会を確保した取り組みに、成果が生まれていると結論づけている。この論文では触れられなかったが、廃校のリノベーションに対する国からの支援など様々な制度が設けられている。そのような制度を上手く活用するとともに、多様な住民参加の手法を導入することが求められる。


7. 終わりに

 廃校の利活用については、様々な問題があるのは事実である。このため、県内はもとより全国各地で新たに生まれる廃校を、すべて利活用し、昔のような賑わいを取り戻すことを目的とすることは、現実的ではない。
 しかし、廃校の利活用を進める手法は、これまで示したようにいくつもあって、その取り組み次第で、地域に賑わいが戻ってきている事例はいくらでもある。
 そのためには、廃校が抱える問題に真摯に向き合って、地域住民、利活用を検討する者など、様々なステークホルダーと話し合うことを、行政自らが取り組まなければならない。そして話し合った結果、三好市の植本さんのように東京から移住を決断し、廃校を利活用する人が出て来る。
 また、奥塩江の大西さんのNPO活動には、1時間近くかけて足を運び、旧上西中学校でのイベントに積極的に参加して、地域活動に取り組まれている方もおられる。このように様々な人が集う活動こそ、地域活性化の原点だと再確認した。
 奥塩江や三好市の例のように、廃校が地域の住民と地域以外の住民を巻き込んで、開かれた施設になり、新しい姿に生まれ変わる姿は、今後の廃校の利活用の方向性を示している。
 また2例とも、「カフェ」や「まんぷく会」といった小さなイベントを継続して実施している。このことは、平田オリザさんが基調講演でもおっしゃっていた「成功のポイントは、大規模集客に頼らず、小さなものを地道に積み重ねていく。そして、複合施設として子育てや介護、観光など、いろんな機能を集めて、何となくそこへ行けば、何かおもしろいものがあるという施設を作った」八戸市の「はっち」に重なるものがある。地域コミュニティの再構築が求められる今、廃校をベースに様々な人の「居場所」を作り、そこで小さなイベントといった「出番」を設けることによって、地域住民の間につながりが生まれてくると確信している。
 このレポートは、色々な方々からヒアリングした内容を中心に、まとめたものである。そして、廃校の問題とその解決につながる様々な視点を提供して、県民を始め多くの方々に廃校に関心を持っていただければと思う。その結果、いくつかの廃校に、昔のような「にぎわい」が戻ってきて、「新しい広場」が生まれれば幸いである。