【自主レポート】

鹿嶋市の合併10年を検証する

茨城県本部/鹿嶋市職員組合・自治研推進委員会

1. 合併はなぜ必要か

 なぜ市町村合併が必要なのでしょうか。合併を検証するためにはまずここから考えなければなりません。
 総務省のホームページをみると、5つほど理由が挙げられています。

(1) 地方分権の推進
   1999年の地方分権一括法施行から地方公共団体の自己決定・自己責任のルールに基づく行政システムを確立する必要がある。その際、地方の自主性に基づく地域間競争が生まれる。このなかで個性ある多様な行政政策を展開するためには、一定の規模・能力(権限、財源、人材)が必要であるというもの

(2) 少子高齢化の進展
   今後、本格的な少子高齢化社会の到来は必然。市町村が提供するサービスの水準を確保するためにはある程度の人口集積が必要というもの

(3) 広域的な行政需要が増大
   人々の日常生活圏が拡大するに従い、市町村の区域を越えた行政需要が増大しており、新たな市町村経営の単位が求められている、というもの

(4) 行政改革の推進
   国・地方を通じて、極めて厳しい財政状況にあるなか、国・地方とも、より一層簡素で効率的な行財政運営が求められており、公務員の総人件費等、更なる行政改革の推進が必要であるというもの

(5) 昭和の大合併(1955年前後)から50年が経過
   大きな時代の節目にあって、交通、通信手段の飛躍的発展に対応して新たな市町村経営の単位が求められているというもの
 以上が、国の立場での市町村合併の必要性です。理論的には納得できる内容だと思います。
 実際の現場である市町村の立場ではどうでしょう。正直広域的な行政施策の必要性云々よりは、財政の行き詰まりによる行政改革の色合いが濃い合併がほとんどだと思います。合併のあるべき姿がここに来て財源的な考え方に偏り、あらぬ方向に向いている合併が多いと思われます。最終的に「合併してよかった事は何か」というのが住民に問われる事業であることを忘れてはならないと思います。

2. 鹿嶋市の合併の背景

 鹿島地域は、茨城県の南東部に位置し、1961年に策定された「鹿島臨海工業地帯造成計画(マスタープラン)」に基づき始まった鹿島開発によって、鹿島地域はもとより茨城県の飛躍的な発展と県民福祉の向上に大きな貢献をしながら、工業都市として著しい発展を遂げてきました。
 この間、特に鹿島開発の中心となったのが鹿島町、神栖町、波崎町の3町でありました。茨城県と鹿島3町は、鹿島臨海工業地帯開発組合を設立して、用地取得を行うとともに、県が工業団地、住宅団地、道路等の整備や企業誘致を、鹿島3町が学校等の生活環境の整備を分担して行ってきました。
 近年では当時の潮来町、大野村を含めた鹿島地域5町村と進出企業が共同出資して、サッカーチームである株式会社鹿島アントラーズFCの設立にも取り組みました。
 鹿島地域においては、鹿島3町合併によって、港湾や工業集積を生かし、引き続き地域経済をリードする産業都市としての役割を求められており、住民が潤いや楽しさを享受できる都市機能の充実した県東南部の中核都市づくりをめざしています。このような状況の中で、当時合併に向けての熟度が高まっていた鹿島町と大野村について先行的に実現を図ることになりました。これが鹿嶋市誕生の背景です。
 鹿嶋市は1995年9月に当時の鹿島町と大野村が合併して誕生しました。

表1 旧鹿島町と大野村の比較

1994年度データ
鹿島町
大野村
歳入額
16,968,995千円
4,793,339千円
歳出額
16,286,724千円
4,542,869千円
積立金(財政調整基金)
1,063,651千円
517,395千円
地方債現在高
7,579,856千円
3,562,960千円
財政力指数
1.34
0.40
公債費比率
8.20
12.70
面 積
53.55km2
40.52km2
人 口
46,035人
15,217人

 表1に、鹿島町、大野村の比較を表記いたしました。面積はお互いにさほど差が無いものの、人口は鹿島町が大野村の約3倍、財政の規模も2倍から3倍程度の差があることが分かると思います。
 この2つの町村は鹿島の文化圏として、古くから相互に深く関わりながら発展してきており、今日でも通勤、通学、商圏等の日常生活圏において一体の地域を形成していました。また、このような結びつきに加え、大野村は、鹿島臨海工業地帯の後背地として工業整備特別地域に指定されるなど、地域の振興にあたっては、鹿島3町と共通の理念のもとにとらえられるものでありました。

3. 鹿嶋市がめざした合併の目的

 合併の前段階として、合併建設計画を策定します。「鹿島町・大野村合併建設計画」には合併の目的として次の4点が掲げられています。
① 一体的、計画的な行政施策の展開と行政の総合的な力量の強化
② 茨城県東南部の中核都市の形成
③ 地方分権化、自立型まちづくりへの対応
④ 地域のイメージアップ
  上記の合併目的から派生する「建設の基本方針」に基づき、具体的な「建設計画」が策定されました。

表2 建設計画内容

1. 都市基盤の整備 事業費 22,685百万円
  交通体系の整備 幹線道路の整備、生活道路の整備
市街地の整備 北鹿島地区整備、土地区画整理事業推進等
港湾及び後背地の整備 鹿島港北埠頭、ハイアメニティービーチ整備等
2. 生活環境の整備 事業費 36,056百万円
  消防・防災体制の充実 防災行政無線施設整備、消防・防災施設の整備等
交通事故防止対策の推進 交通安全啓発事業、歩道整備等
公害防止対策の推進 環境調査、公害監視機器保守等
防犯体制の充実 防犯灯整備等
住宅等の整備 公営住宅建設、住宅取得利子補給等
公園墓地・火葬場の整備 公園墓地整備、火葬場建設
公園緑地の整備 児童公園、多目的森林公園整備等
ゴミ処理体系の確立 ゴミ処理施設の建設等
し尿処理体制の充実 浄化センター維持等
上水道事業の促進 上水道の幹線・枝線の布設、老朽管の更新等
下水道及び農業集落排水事業の推進 公共下水道の整備、農業集落排水事業推進等
3. 教育・文化の振興 事業費 8,360百万円
  学校教育の充実 小・中学校の大規模改造、教育用コンピューターの導入等
生涯学習の振興 地区公民館の建設、図書館の充実
地域文化の振興 文化財の保護、文化・スポーツ事業支援等
スポーツ文化の振興 ト伝の郷運動公園整備、体育施設整備等
4. 保健・医療と福祉の充実 事業費 11,765百万円
  保健予防の充実 各種検診の実施、予防接種委託等
健康づくりの推進 機能訓練、健康教育・相談等
地域福祉の向上 社会福祉協議会、民生委員協議会補助等
児童福祉の向上 民間保育所児童措置委託等
高齢者福祉の向上 特別養護老人ホーム整備、シルバー人材センター補助等
障がい者福祉の向上 援護施設の建設、施設入所措置等
低所得者福祉の向上 生活保護措置等
年金事業の推進 国民年金の適用及び収納
5. 産業の振興 事業費 2,545百万円
  農業の振興 農業公社支援、土地基盤整備等
水産業の振興 北浦船だまり整備
商工業の振興 鹿島神宮駅前広場整備、商工業活性化事業等
観光・レクリエーションの振興 長者ヶ浜海岸整備、鹿島ハイツ施設整備補助等
6. 市民参加と国際交流の推進 事業費 250百万円
  市民参加の推進 広報・広聴活動等
国際交流等の推進 国際交流団体への支援等
7. 行財政の効率化 事業費 1,979百万円
  行政運営の効率化 事務改善、職員研修、庁舎増築等
財政運営の効率化 土地地番図作成、固定資産税現況調査等

4. 建設計画を支える財政計画

 建設計画を推進する基盤となるのが財政計画となります。この財政計画を作成されたころの時代背景は、現在とは大きく状況が異なっていました。計画は1994年ころ作成されました。景気動向でいうとバブルといわれた上昇機運がかげりを見せた頃でした。この頃の財政計画はまず収入が減るような見込みをつくることはありませんでしたので、右肩上がりの財政計画をつくるのが定石でありました。(グラフ1「収入決算額と財政計画との比較」を参照)

グラフ1

 当然グラフから見ても分かるとおり、3年後には歳入決算額が財政計画額を割り込み、自ずと建設計画も縮小せざるを得ない状況になりました。

5. 建設計画の進捗

 鹿嶋市の収入の45%近くが地方税、市税でありました。(グラフ2参照)

グラフ2

 景気動向の大幅な下落は市税収入に大きく影を落としました。建設計画の推進どころではなく、経常的な経費確保に追われるまでになってしまいました。
 ここで計画推進に大きく追い風になったのが2002年のワールドカップ誘致でありました。数少ないワールドカップ開催地枠に鹿嶋市が該当になったことにより、ワールドカップ開催に必要な交通アクセスの整備が大きく進むことになりました。東京都地域を結ぶ高速道路、東関東自動車道路からのアクセス道路、主要道路の整備が一気に整備されました。

【参考】表2で示した建設計画の進捗状況検証

(1) 都市基盤の整備
  ① 交通体系の整備:ワールドカップ開催を契機に幹線道路整備はほぼ終了。ただし大野地域の生活道路の整備が遅れています。
  ② 市街地の整備:新市街地としての北鹿島地区整備は中止となり、土地区画整理事業も保留地処分の問題が残っています。また、大野区域の市街地整備基本計画は都市計画の線引きの議論中です。
  ③ 港湾及び後背地の整備:北公共埠頭の一部供用開始。ハイアメニティビーチ整備は進行中です。

(2) 生活環境の整備
  ① 消防・防災体制の充実をはじめとした地域防災計画の策定は実施されました。人口の増加を見込んだ住宅等の整備では、鹿島区域の保留地処分が進まない中で、大野地区の戸建て住宅の建設が多くなり、人口の伸びも大野地区に集中しています。しかし、都市計画の線引きがされていない状況での開発が進んでいる状態であります。
  ② 公園墓地・火葬場の建設は実現しました。
  ③ 津賀森林公園は事業費を半減し建設中であり、一部供用開始しています。
  ④ ゴミ処理に関しては広域的な取り組みとしてRDFセンターが稼働しています。
  ⑤ 上水・下水道事業では処理場の増設が行われ、鹿行広域水道供給事業に対応した配水管布設も事業も進んでいます。

(3) 教育文化の振興
   学校教育の充実として、小中学校の施設改修は遅れています。教育用コンピューターの導入は完了。地区公民館は鉢形公民館を新設、ただし、維持補修が進んでいません。

(4) 保健・医療と福祉の充実
(5) 産業の振興
(6) 市民参加と国際交流の推進
(7) 行財政の効率化
   合併事業として整理ができるのは(1)、(2)のみであり、(3)以降の項目は主に経常経費で吸収されてしまうため、実際の検証は難しいです。
   ただし、都市基盤、生活環境の整備は後に問題を残しつつも、ある一定の成果を残していると評価できると思います。ただし、正しい財政計画に基づくものではなく、たまたま舞い込んできたワールドカップという外的要因によって穴埋めできたということを忘れてはいけません。

6. 鹿嶋市がめざした合併の目的の検証

 「鹿島町・大野村合併建設計画」に掲げられていた合併の4つの目的を検証してみたいと思います。

(1) 一体的、計画的な行政施策の展開と行政の総合的な力量の強化
   鹿島町と大野村は鹿島の文化圏として、古くから相互に深く関わりがあったため、両地区の一体化は合併と同時に図られたと考えていいと思います。しかし、行政ニーズの高度化に対応する企画力の向上、人員の確保、行財政基盤の強化という点ではまだ課題を残しています。

(2) 茨城県東南部の中核都市の形成
   中核都市の形成は当時の主要3町である鹿島町、神栖町、波崎町によるものであり、先行合併による合併気運の促進が目的でありましたが、実際は神栖町と波崎町合併による神栖市が誕生し、鹿嶋市と神栖市という区分けがついてしまいました。

(3) 地方分権化、自立型まちづくりへの対応
   中央から地方への権限の委譲は実施されましたが、必要な財源が伴わす、経済の低迷も影響して、自立した自治体としての行財政基盤は、逆に低下していると言わざるを得ません。

(4) 地域のイメージアップ
   2002年ワールドカップ開催やインターハイの開催は、新生鹿嶋市にとってイメージアップに多大な効果をもたらしました。合併がこれらの誘致実現に貢献したことは確実であり、このイベント実現のために都市基盤整備が飛躍的に進みました。

7. まとめ

 「平成の大合併」と言われる、今回の国主導の合併推進において、合併のメリットばかりが強調され、「合併に乗り遅れるな」とばかりに合併に突き進んでいる自治体が多くなかったでしょうか。合併はまちづくりのための手段であってそれ自体が最終目的ではないはずです。何のための合併か、誰のためにあるのか。合併してどのような地方自治体を形成し、住民の生活がどうなるのか等を中長期的な理念と目的を住民に示さなくてはなりません。そして、「平成の大合併」で合併した市町村は、その合併の功罪を検証し、それを将来の「まちづくり」及び今後の新たなる合併に活かすことが重要だと思われます。
 今後更なる国主導による合併が進むとすると、そのアメ(財政優遇策:特別交付税措置、合併特例債、合併補助金、合併市町村補助金等)とムチ(国及び都道府県による支援という名の「勧告」)に惑わされることなく、国の顔色を伺うのではなく、住民側を見た合併が不可欠となります。何のための合併か、今一度原則に立ち返った見方が大切だと思います。