【自主レポート】

規 制 改 革 の 検 証
―学校給食調理業務の民間委託に対する考察―

 三重県本部/「規制改革の検証」ワーキンググループ

1. 公務職場を取り巻く情勢

 小泉構造改革は、中央・地方に関わらず公務部門を縮小して「小さな政府」を指向するなかで、徹底した規制改革や民間開放を追求しており、最重要法案と位置づけられた「行政改革推進法案」と「公共サービス改革(いわゆる市場化テスト)法案」が第164回通常国会へ提出され、5月26日に参院本会議で成立しました。「行政改革推進法案」では今後10年間の改革工程と数値目標を定めており、とりわけ公務員総人件費の削減については「今後5年間で、国家公務員を5%以上純減、地方公務員の4.6%以上の純減促進と定員関係基準の見直し、公営企業等の非公務員型地方独立法人化・民営化等の促進」を掲げています。
 これらは、市民ニーズに基づく公共サービスの役割を一顧だにせず、市場と経済活動を優先し国民の自己負担を増大させるものとして極めて問題であり、特に定数関係基準の見直しは、一方的・一律的な削減を強制し地方分権に逆行する措置であるといえます。
 また、2005年3月29日総務省が発表した「新地方行革指針」により地方自治体に対して一層の「事務・事業の再編・整理」と「民間委託の推進」が求められ、「指針」をもとに各自治体では「集中改革プラン」が策定されてきました。「民間委託」「PFI(注1)」「指定管理者制度(注2)」など、そしてさらに「市場化テスト(注3)」が導入されることにより「官から民へ」の動きが加速的に進んでいくことは明らかです。
 しかし、良質な公共サービスの提供と確保は、国・地方自治体が責任を負うべき重要な役割です。この責任までも民間に委ねることは認められるものではなく、公共サービスの質と地方自治体への信頼を損なうものであり、今後、「公正労働基準の確立」「総合評価方式による政策入札」の実現を目指す必要があり、自治体公契約条例の制定を求める取り組みや公共サービスの質の分析などを進めることが大切です。

2. 学校給食調理職場を取り巻く情勢

 学校給食職場においては、1954年に旧文部省は「学校給食法」を制定し、学校における児童・生徒の健全なる育成と地域社会の食生活の形成を担うため、学校給食を「教育の一環」として位置づけ、自治体などの設置者が運営の責任を果たすことを示しましたが、1981年に国が設置した「第二次臨時行政調査会」が民間活力の導入を強調して推し進めるなかで、1985年に旧文部省は「学校給食業務の運営の合理化」を通達し、一転して学校給食の民間委託や共同調理場の推進を打ち出しました。
 1996年に病原性大腸菌O-157による食中毒が大量に発生し、1997年9月に旧文部省保健体育審議会は学校給食の合理化と安全性が一体のものでないことを明確にし「学校給食の今日的意義」「調理体制の検討」「食に関する指導体制」について答申しました。しかし、地方自治体の多くは財政悪化を理由とした民間委託や、市町村合併による合理化を推進し、調理員の臨時・パート職員化を拡大している現状にあります。
 さらに2003年7月に文部科学省スポーツ・青年局学校健康教育課長から各都道府県教育委員会あてへ「学校給食の運営の合理化について」の事務連絡が出され、1985年に通達した合理化をさらに後押しするような国の姿勢が見られます。
 2005年6月に「食育基本法」が成立しました。「食育基本法」が成立した背景には「食を大切にするこころの欠如」「栄養バランスの偏った食事や不規則な生活」「肥満や生活習慣病(癌、糖尿病など)」「過度の痩身志向」など、個人の問題というだけでなく、社会全体の問題として捉え、抜本的な対策としての食育を推進するために制定されました。特に、第20条においては、学校、保育所等における食育の推進が掲げられています。また、国において食育推進会議の設置、食育推進基本計画の作成などを進めていますが、地方自治体においても食育推進会議の設置、食育推進基本計画の作成をするよう努めなければならないとしています。「食育基本法」の成立により、学校給食の持つ意味はますます重要となってきているといえますし、現場で学校給食に携わる調理員も自治体の食育推進会議のメンバーに加わるなど、食育推進に積極的に関わっていくことが重要です。

3. 学校給食の目的

 学校給食の調理業務はさしあたり二つに分けられます。一つは文字通り調理をする仕事、もう一つは調理した食べ物を子どもたちに配食する仕事です。調理では、その対象は食材で、配食の相手は児童・生徒です。したがって学校給食調理業務は、子どもたちに安全で安心な食べ物を提供するという点にありますから、献立の作成から調理まで給食調理員がその先にいる子どもたちの心身の発達などを思い浮かべながら食材に向かうことが要求されます。
 そう考えると、学校給食調理業務は子どもの発達を保障する労働であり、また食育を含めて考えると教育権の一部だと考えられます。
 学校給食の目的が子どもたちの発達を保障するものであれば、栄養職員(栄養教諭)と調理員がその目的に向けて、自ら判断して作業を進めるという自立性が保障されなければなりません。例えば、栄養職員(栄養教諭)が自分の判断で献立を作成することができる、その献立作成に調理員が参加をする、食材を選択・調達・保管したり、子どもたちにあった調理方法を考えたり、ということです。
 だがもし、民間委託が進み営利主義が優先されたり、現場を知らない行政の担当者に支配されたりすると、この自立性が失われていきます。ということは、学校給食の本来の姿がゆがめられてしまうことになります。
 大阪府堺市の学校給食で起きたO-157中毒事故では、普通の2tトラックで配送し、保冷設備がない下処理室に最長約2時間50分あまりも放置され、食材の保存状態が満足なものではなかったこと、また、大阪府学校給食係より「衛生的に取り扱い、汚染の心配のあるものは十分加熱してください」という内容の通達があり、大阪府教育長から堺市教育長宛の通達がなされていたにもかかわらず、堺市教育委員会はその通達に従いませんでした。つまり本庁の官僚主義的な対応が、事故の発生の原因となったのです。安全で安心な給食の提供という調理業務の目的のために何が考慮されなければならないのかについて、考えさせられる事件だったと思います。

4. 学校給食で大切なものは

 堺市のO-157中毒事故の教訓で明らかにされたように、給食を作るのにふさわしい設備や器具などが整備されることは重要なことであり、また自分たちの使用する設備や器具を自分たちである程度補修できるようになることは大切であり、それが目には見えにくいコスト削減につながります。
 ただし、現実の学校給食調理業務では設備・器具も大切ですが、より技能の方が重要です。技能にはまずマニュアル化されていて、誰でもマニュアルにしたがって作業すればよい技能があります。いま一つは、食材の見分け方、食材の種類・状態に応じた調理法の工夫、子どもたちにあわせた調味法といったマニュアル化できない技能があります。
 また、学校給食調理業務は家庭料理とは違って、大量生産でかつ味を落とさないために、固有の技・熟練が求められるということも重要です。この技・熟練が調理員の仕事に対する誇りの基礎になっているわけです。
 ここで重要となるのは、調理員の技・熟練は経験のなかで蓄積されるものであり、そのため給食を専門職として雇用し保障することが必要になります。また、食文化として地域の伝統食とか、独自の調理方法を継承することが大切であり、そういう部分も学校給食のなかで蓄積しておくことも大事になります。
 ところが給食調理業務が民間委託になると、コストダウンがメリットとされているわけですから、マニュアル化された調理業務になりがちです。そこでは、技・熟練はむしろ邪魔者あつかいされます。規格化された味の食べ物を大量に生産しようと思えば、某ファーストフードを見ればわかるとおり、現場で働く人たちの創意工夫は不要で、短時間のうちに大量に生産しなければならず、労働は規格化されます。
 しかし、学校給食の対象は個性を持った子どもであり、食生活が乱れた子どももいれば、アレルギーで苦しんでいる子どももいます。個性を持った子どもたちにあう食べ物を提供するには独自の工夫が求められますし、その場で判断しなければならないことも多くあります。そこには調理員の熟練が必要となるのです。
 東大阪市の保育所で、アトピーで卵が食べられない子どもがいるので、調理員がカボチャを使って黄色いオムレツを作ったそうです。アトピーの子どもが仲間外れにならないように、皆が食べるオムレツの色と同じように工夫をして、安心感をもたせるようにしたというのです。
 大阪市の保育所では、共働きで忙しいため、朝食を抜いて保育所へ連れてくる親がいるそうです。小・中学校でも朝食抜きの子どもたちが増えてきていますが、保育所の子どもとなると朝食抜きの影響は体にすぐあらわれてきます。そこで調理員がありあわせのもので朝食を作って食べさせたというのです。確かに、朝食の乱れそのものについては別に対策を考えなければならないわけですし、ありあわせのもので朝食を作ったことについては異論があるでしょうが、子どもの発達を担う現場では、こういう調理員の臨機応変な対応も大切ではないでしょうか。
 こういう知恵や工夫・配慮といったものは、食材の選択・調達でも問われることです。地場産の有機栽培の農産物を選ぶとか、食材の安全性を見抜くとか、メーカーによって異なる味を見極めるとかのことです。ある小学校では、総合学習で栽培した農作物を子どもたちが収穫後、それを使って調理をしたという話がありますが、これなどは自校方式のなかで、教師と連携して調理員が熟練した技を発揮した例だと思います。
 さて「団塊の世代」のベテラン社員が大量に定年を迎えるのをひかえ、ものづくりの現場では熟練者の技術をどうやって若い人たちに継承させていくかが切実な問題となっています。
 北九州市の建設会社では約1,000万円をかけて現場そっくりな模擬プラントを設置し、ベテランが若手に基本技術や技能を伝える訓練を行っており、こうした訓練を通して先輩から後輩へカンやコツが伝授されています。大分県でも造船関連会社9社が会社の垣根を越えて後継者育成を目指し、造船技術センターを設立しました。
 これは、学校給食でも同様で、いかに先輩がこれまでの経験で蓄積してきた技・熟練を後輩に継承していくかが大きな課題であるといえますし、この技・熟練により学校給食の安全と安心が守られてきたといえます。
 しかし、仮に民間委託になったとしたら、それを再び公共に戻すというのは、かなり困難なことだと考えられます。なぜなら、学校給食で大切とされてきた技・熟練というものが、その継承も含め一度でも途絶えてしまうからです。 
 学校給食は子どもたちを対象に食材を調理し、安全で安心な給食を提供することですが、そこで重要となるのは、給食調理業務の目的は子どもの発達の保障にあり、そのためにこそ調理員はその技・熟練を大切にしなければならない、ということでした。安易な給食の民間委託では、この肝心な点がおろそかになることが考えられます。

5. コスト論で進む学校給食調理業務の委託

 現在、学校給食調理業務は、自校方式にセンター方式、自校方式でも直営であったり民間委託であったり、さらには自校直営でも職員のほとんどが臨時・パート職員のところといった具合で、さまざまな形態に分かれています。
 給食そのものは、私たちの命を支える仕事ですから、その必要性については多くの人が認めていることと思います。そのうえで、その学校給食の業務をどこが担うのか、直営でやるのか、民間に委託するのかという問題ですが、この問題に対して、民間委託を推進する側は「民間委託のほうが安く上がるので委託がよい」というコスト比較論を展開してきました。これは、保育所でも清掃業務でも委託を推進する際に繰り返し行われてきた論法です。このコスト比較論から、自校直営方式を守ろうと思うと、コストだけではつくせない質の部分がより大切で、より重視する必要があることを論証していかなければなりません。この論証を住民が評価するときに、学校給食の自校直営式が守れることになります。

6. 委託会社は学校給食をどう見ているか

 では次に、学校給食の民間委託についてどのような問題点があるのか考えてみることにします。
 まず最初に、委託会社が学校をどのように見ているのかということです。日本給食サービス協会という団体が、東京の都立高校の給食委託の事例を引き合いに取り上げ、提言をしています。
 第一は、献立のマニュアル化の提唱です。提言では「他校より良い給食を、内容のある給食をとエスカレートすること自体は悪いことではないが、献立の複雑化のため配置人員では無理が生じる」、そこで「誰でも調理できる献立表のマニュアル化も考える必要がある」としています。つまり、良い給食のために苦労するほど余裕がない。献立はマニュアル化することにこしたことはない、ということです。
 第二は、食材の保存食品の利用と大量購入の提唱です。提言は「保存食品は各学校が別々に仕入れをしているのは今の時代には考えられない。大量仕入れによる利点が多くある」と給食のコストダウンを図るためには不可欠と断じています。
 第三は、栄養職員(栄養教諭)と調理員の関係をいかに調整するかという問題です。提言は「都庁職員としての栄養職員が献立作成と仕入業務、調理指示書を作成しながら、派遣法から指示、命令をする権限は栄養職員にはない。衛生問題、人事問題、調理技術、調理員の高齢化等、意に添わぬこともあることは事実で、われわれも努力をしているが、これらの問題から人間関係が壊れることが多くある」と述べて、途方にくれるという状況です。学校給食では栄養職員(栄養教諭)と調理員の協力・連携が不可欠ですが、給食調理業務が民間委託になると、これがなかなかうまくいきません。そこで栄養職員(栄養教諭)の献立作成という「頭の労働」を公共部門に残し、調理員の「手の労働」は民間委託にしてもかまわない、という理屈がここで破綻していることがわかります。
 第四は、陶器の食器はやめるべきだという提唱です。提言では「いつも食べる者のことだけを考え、作業を行う者のことは全然考えないことは反対である」というのです。学校給食が誰のためにあるのかということが、本末転倒、主客逆転の形で露呈しています。
 第五は、手作りはほどほどにということです。「手作りは決して悪くないが数量はほどほどにしないと完全に人手不足を誘発し、調理技術の低下した人の補充となり悪循環となる。数量その他を考えたうえで、献立を作るべきと思う」と提言しており、ここにいたると調理員の技・熟練などかまってはおられず、かまっていたら採算など取れるものではない、という本音部分が語られていることがわかります。
 委託会社の方から見れば、給食調理を採算原理にしたがって営まなければならないのですから、上のような学校給食の本質から外れたことを言わざるをえなかったのでしょう。責任はむしろ、こういうことを承知のうえで、安上がりをいいことに、ひたすら民間委託推進に走る側です。事実、委託現場では次のような報告がされています。
 まず第一は、安上がり、効率至上主義の問題については「契約金が安いことを口実にして、調理技術や衛生知識が不足している調理員を学校現場に配置する傾向がある」「全校委託になってから委託会社の代表が『人手不足で手作り給食を作るのは難しい』『学期末の調理室の清掃は二日程度におさえてほしい』等の発言をする」など声があがっています。
 第二に、給食の水準の問題については「だしの取り方やルウの作り方など基本を知らない」「ホウレン草などの茹で加減がわからない」「野菜の切り方の名称や切り方を知らない」
 「調理の仕上がりが給食時間に間に合わない」「調理の仕上がりが早すぎる」「調理業務責任者(チーフ)が一人で調理をし、他の人は補助的な仕事しか出来ないため、適温調理が出来ない」「年度途中における突然の調理員の変更がある」「事前の打ち合わせと指示書だけでは、これまで通りの給食はできない」という批判が寄せられています。

7. 委託は本当に安上がりなのか

 さて、学校給食に限らず他の分野でも同じですが、民間委託にあたっては公民間のコスト比較論が持ち出されます。しかし、その比較の基準となるコスト情報は学校給食でいえば一食について一人あたりいくらという個別的で、かつ短期的コスト情報にすぎません。給食のもつ長期的・総合的な効果を勘案したコスト情報を基準にしているわけではありません。つまり、かなり一面的なコスト情報を基準にして公民間を比較しているということです。学校給食の民間委託を推進する側の最大の問題点は、学校給食の内容・質にかかわる情報を切り捨てている点にあります。
 給食のあり方を判断するには、コスト情報以外のさまざまな判断材料が必要です。例えば、安全で安心かはもとより、おいしいかどうか、残さいは多いかどうか、子どもたちはどう感じているか、子どもの成長から見てどうか、教育的効果はどうか、といった大切にしなければならない情報がたくさんあります。コスト情報だけを基準に判断はあまりにも一面的すぎます。やはり基準として優先されるべきは学校給食の目的であった子どもの発達保障の視点だと思います。この視点から実際に、新潟県五泉市のように一回に何千食も作るセンター方式をやめて自校方式に戻す動きが出ています。コスト論から見るとセンター方式が安くついてよいと思われていたのが、給食の質の面でははるかに劣ることが明らかになってきたからです。センター方式は輸送コストもかかるし、早い時間に搬送せざるをえないために冷たくなってまずくなる、給食後の残さいも非常に多いという問題点が浮かび上がってきました。これらは民間委託を推進する側が切り捨ててきた情報にあたります。ここから自校方式の再評価が広がってきたのです。
 さらに、民間委託をしても長期的にみると経費は必ずしも安くはならないことが明らかにされつつあることです。委託会社は最初のうちは利益がでなくても委託事業を確保しようとしますが、委託が進んでいけば契約額について委託会社の交渉力が高まってきます。そうなれば市場の法則として契約金額が上げられていくわけです。
 例えば、1990年度から学校給食の調理業務委託を導入した埼玉県春日部市における学校別委託料の推移を見ると、児童・生徒数(給食数)が減少しても委託料は毎年着実に増加しています。児童・生徒一人当たりの委託料で見ると、児童・生徒数の減少が著しい市立A小学校では、1990年度の22,812円から1996年度は48,059円と6年間で2.1倍になっています。
 東京都内では委託料がさらに高くなっており、台東区の場合、区立中学校の一人当たりの年間委託料は、1987年度は24,000円台であったものが、10年後の1997年度には、低い業者で52,000円台、高い業者では75,000円以上になっています。
 コスト削減の手段として導入した民間委託ですが、逆に経費がアップしてしまい直営に戻すところも出てきています。千葉の木更津市ではたった2年で「直営の方が良い、今後は委託しない」との見解を出しましたし、神奈川県の相模湖町では民間企業が衛生基準をクリアできず導入後3ヶ月で委託休止になりました。また、東京都杉並区、千葉県市川市では民間委託の経費が直営を上回ってしまい、住民運動に発展している地域も出てきています。
 さらにコスト比較の問題点は、学校給食にせよ保育所にせよ清掃にせよ、結局のところ人件費の問題にいきつきます。民間ではパートタイマーの活用などによって賃金水準が低く抑えられ、年功序列型賃金ではありませんから、長く働いても賃金が上がらないところが多いわけです。公共と民間とでは労働条件、身分保障、処遇の格差があって、結局は弱いところに劣悪な形でのしわ寄せが来る結果を招いています。公民のコスト比較にあたっては、学校給食の場合にも、この点をしっかりと抑えておくことが必要です。

8. 正しい評価と判断

 学校給食をコスト情報だけで判断する背景には、現代の外食産業への依存が反映されていると思われます。家庭の団欒の希薄化と「孤食」の増加などコミュニケーションの衰退とあわせて、家庭における食に対する調理技能も衰退しており、そのことがコンビニやファミリーレストランなど外食産業への依存を生み出し、学校給食に対する軽視の風潮をつくり出しているということです。食という文字は「人を良くする」と書く、こういうことがよく言われてきましたが、学校給食は子どもたちの世界にコミュニケーションの場を取り戻す、その一環を担うことができるはずです。単なる食欲を満たすためでなく、人間的な団欒の場としての役割を正当に評価することが大切だと思います。
 現在進められている学校給食調理業務の民間委託は、コスト論のみを取り上げ、住民や議会に納得させるため「安くて、今までの給食と変わらない」をうたい文句に実施されている傾向があります。しかし、それは委託を前提とし、一方的な情報のみで判断されていることが多く、その背景には外部委託を強く推進する政府の方針や圧力があると考えられます。
 また、昨今東海地震を初めとする自然災害の危険性が叫ばれていますが、現在多くの自治体で小学校が緊急時の基幹避難場所となっています。自校方式でなおかつ直営正規であれば住民が学校に避難してきたとき、炊き出しをはじめ公務員として迅速に対応できます。それが、民間だと契約の範囲内の業務だけということで、そのような対応はできないのではでしょうか。こういう契約に縛られたり、利益を考えることなく、住民サービスのために適確にかつ迅速に対応できる、これも自校方式で直営正規ならではの利点であるといえます。
 ここまで述べてきたように、学校給食にかかわっては、コスト論のみでははかれないメリットがたくさんあり、それらも含めて住民や議会に広く情報を開示し、正しい判断を求めていくことが大切です。地方分権の時代に入り、自治体としての主体性をもって、食育を含めた将来の学校給食像をどうするのか、そのためには学校給食の業務形態をどのようにしたらいいのかなど責任を持って考え、住民や議会と十分に時間をかけ議論を尽くして決定していくスタンスが必要ではないかと思います。しかし、何よりもサービスを受ける側の子どもたちに将来にわたり影響や動揺を与えることがないよう、そして保護者の負担増にならないことを第一に考えることが大切ではないでしょうか。

9. 県内の学校給食調理委託の状況について

 名張市では2004年9月に小学校1校の給食調理業務が民間委託となり、2006年1月にはさらに小学校1校が委託され、名張市においては今後、給食調理業務の委託を栄養職員が配置されている大規模校に拡大していく方針を出しています。
 そこで県本部現評の学校部会を中心に三教組名賀支部の協力を得て、名張市の委託となった小学校の栄養職員との意見交換を2006年1月31日に行い、委託現場の状況を詳しく知ることができました。
 その中で「学校給食調理の衛生基準は民間と比較できないほど厳しく、民間のパート調理員では慣れるのに相当の日数がかかる」という報告が栄養職員側からあり、「慣れるまでの間、それが給食の味にも影響が出た」こと「調理主任(業者の責任者)だけに任せられず、栄養職員(学校の責任者)が調理作業中、現場で監督・説明せざるをえない状況であった」ことが、併せて出されました。また、配置される人員も「直営時は4人体制であったのを6人体制で業務している」とのことで、一見きめ細かい対応のため手厚い配置がされているように思われますが、もし民間業者のノウハウを活用することで効率が良くなるのであれば、4人体制のところであれば、3人の配置にするでしょう。結局、衛生基準の対応も含め、民間には学校給食調理業務を担えるだけのノウハウを持ち合わせていないことの裏づけといえます。それは、業者の調理員について学校給食2年以上経験者を雇用の条件としていることにも表れており、結果、「それまで直営校で業務をしていた臨時職員を引き抜いて雇用し配置する」という直営のノウハウが委託現場を支えているという、なんとも皮肉な実情が浮き彫りとなってきました。
 食育については「県は食育を進めるために拠点方式を示しているが、委託であると安心して栄養職員(栄養教諭)が学校を離れることができない」という意見が出されました。つまり「現在は、民間の調理員も安定しているが、入札で別の業者に変更になったり、委託校の拡大などで今の調理員が異動になると、また最初からやり直さなければならないので不安だ」というのです。委託により常に現場は不安定な状況にあるわけで、国が食育基本法を施行し、県が食育を推進するための計画を策定しても、このような状況では食育を進めることは現場では難しいということなのです。これについては、2003年の夏秋に農林中金総合研究所が、小学5、6年生と保護者1,500人ずつ、給食に携わる栄養士470人、生産者500人を対象に食意識調査を実施した結果で、給食に携わる栄養士の9割がセンター化や調理業務の委託など効率化が進むなか、指導機会が足りない、食材を吟味する権限がない、などを理由に「食育は困難」と回答しています。また、給食への期待感が高く、給食がなくなると「すごく困る」が73%、「少し困る」が20%、合計で9割を超え、前回1989年の調査の7割強を上回りました。さらに、4割の家庭で「食育に限界を感じている」と回答しました。調査を行った根岸久子副主任研究員は「家庭だけに食育を負わせるのは難しい。給食食材を地元で調達し、生産者と交流するなど一貫した食の教育をして、子どもを通して家庭も変えていく必要があるのでは」と話しています。
 2002年12月新潟県新津市が、これまで市が直接運営してきた学校給食を、全国でも例を見ない「PFI方式」による民間委託を計画した件について、2004年5月11日に開催された参議院文部科学委員会で、民主党の伊藤基隆議員の「学校給食をPFI方式で民間委託しようとする理由は、市の放漫財政のツケであって、新津市では、地元産の食材を使う、地産地消が行われている。さらに学校栄養職員はチームティーチング、家庭科の実習指導、給食便りの作成、試食界での親に対する指導などに携わってきており、職に関する指導については積極に取り組んできた実績があるが、来年度からはこれが困難となる状況となるのではないか。これから本格的に取り組もうとする政府の背策とあまりにも逆行する動きではないか」という内容の質問を受けて、河村建夫文部科学大臣は「全国的に展開しようとしている食育の方針とあまりにもかけ離れた問題であるとするならば、教育行政、食育を考える観点から充分意見を聞いたうえで、指導すべきところは指導する必要があるのではないか」と答弁をしています。
 食育を進めるのは、学校長の責任のもと、教員、栄養職員(栄養教諭)が行うもので、調理員は対象外とする考え方がありますが、現場の栄養職員(栄養教諭)と調理員が連携し、安全で安心な給食を安定的に提供できることで、不安なく栄養職員(栄養教諭)は食育推進に取り組めるのです。つまり、三重県の食育を支えるのは現場の調理員ということです。そしてまた、調理員が持つ技・熟練を食育に生かしていくことも大切なことですし、機会があれば調理員も積極的に食育にかかわっていくべきです。例えば、「給食だより」などの通信の作成や紙芝居など食育の授業で使用できる教材の製作、試食会や親子調理教室などで食材や調理法について参加者に対して説明したり、また栄養職員(栄養教諭)と連携して授業の補助を担当するといったように、調理員の顔が見える取り組みを進めていくということです。


(注1)
 PFIとは「民間の知恵と資金を活用してより効果的な社会資本整備を進めること」と定義され、制度を導入することによって行政が持つ問題点を解決することができる可能性を持っているとされています。計画・許認可・入札・建設・管理・運営といった全体のプロセスのなかで、部分的に自治体の負担軽減や効率的なサービス提供などメリットが生まれることもある、というのです。建物の補修・維持管理など特定の技術的専門知識が必要な分野は「その道のプロ」に委ねる。また、現在の財政危機は予算消化を前提とした執行形態が理由のひとつであり、財政的な負担能力に基づいた計画作りのために、民間の「採算がとれるのかどうか」を前提とした経営観念の導入が必要というわけです。
 PFIは、行政からの出資が必要とされず、通常業務や経営的失敗のリスクを負わなくても良いという第三セクターとの違いが言われていますが、現実に行われているものをみると、第三セクターと同様、責任の所在が不明確で、計画が赤字になったり、大規模災害が起きた場合には、やはり行政側の責任が問われると思います。また、事業の必要性の検討が公開・中立で行われる保障はありませんし、破綻したときの債務負担能力の問題など、実施するための体制について課題があると思います。そして何よりも、現状ではコスト論のみが重視され、最終的には民間委託と変わらない結果になると考えられます。

(注2)
 指定管理者制度とは、自治体で、これまで直営か自治体出資団体など(公社・事業団など)が行ってきた「公の施設」の管理について民間事業者やNPOの参入を可能にするもので、原則的に複数の公募から選ばれることになります。指定管理者制度については、税金でつくった施設を民間企業が利用し、利益を上乗せした使用料を徴収してもいいのかなど、問題視する議論もありましたが、「民にできることは民に」とする小泉路線により強引に進められてきた経緯があります。
 「公の施設」とは、主に福祉施設や病院、図書館、市民会館、保育所、公園など住民福祉を増進するための施設のことです。しかし、この「公の施設」の範囲について、総務省の見解では、清掃工場や給食センターなどは、自治体の庁舎と同様、指定管理者制度の対象とならないとされました。しかし、法律上はあくまでも「住民の福祉を増進する目的をもってその利用をするための施設」としか規定されていないため、自治体が総務省より広い解釈を行う可能性があります。
 すでに自治体では、地方独立行政法人制度やPFI事業など、さまざまな規制改革が進められてきました。しかし、三菱総研アンケートでは、指定管理者制度に関し、自治体が最も懸念する事項として「事業収支の悪化による指定管理者の破綻・撤退」とならび「公民の役割分担が整理されていない」ことが挙げられました。公共サービスを確保・提供することは自治体の責務ですが、それがこの制度の導入により曖昧になってしまう危険があります。

(注3)
 公共サービス改革法(市場化テスト)とは、公共分野のサービス提供について、官民による競争入札を行い、落札したものが、そのサービスを行う制度のことで、これにより公共分野への市場原理導入を果たそうとするものです。これまでも民間開放を進めるために、PFI制度、指定管理者制度、構造改革特区制度などが導入されてきたが、市場化テストは、より網羅的な民間開放の手段と位置付けられています。
 しかし、公共サービスは官が行うにしろ、民に委ねるにしろ提供する責任は最終的には国及び地方自治体にあります。そのことについて具体的内容を含め明確にする必要があります。また、「廃止の対象とする公共サービス」について、その決定は主権者・サービス利用者である国民に委ねられるべきものであり、サービス提供者が一方的に決めるべきではありません。公共サービスは住民の安心と信頼を確保するために設けられているものです。コスト面だけで安易に公共サービスを民に委ねることは、「安心・信頼」の放棄につながりかねません。徹底した情報開示を制度的に保障するとともに、官と民の公正な競争条件と人材の質や水準を重視し、公共サービスの質の維持向上に向けた措置を講じることが必要です。さらに、公共サービスの利用者となる国民・住民の意見を聴取する仕組みをつくる必要もあります。

 

資 料

鈴鹿市学校給食市民アンケート集計結果

給食試食会アンケート