【論文】
平成合併と小規模自治体
長野県本部/長野県地方自治研究センター 和田 蔵次
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平成大合併は、明治、昭和に次ぐ第三の市町村区域再編として、近代地方自治史に記される規模と内容を持って第一幕が終わり、合併新法により第二幕が始まっている。第二幕の焦点は自立を決めた町村、とりわけ小規模自治体の整理にある。本稿は、平成合併の全体状況を概観しながら、小規模自治体がとりわけ多く残った長野県における動向に焦点をあて、今後の地方自治(制度)と運動のあり方に言及してみたい。
1. 平成合併の本質と現状の検証
3,232から1,821へ。いうまでもなく平成合併第一幕による自治体数の変化である。日本列島から1,411の町や村が消滅した。削減率は44%ちかい。長野県では120から81、削減率32.5%となった。広島、愛媛、長崎県では7割台の町村がなくなった。また、村がひとつもない県が石川県から佐賀県にいたる10県に達した。
市町村別に見ると政令・中核市等を含む市は777(長野県19)、町は846(同25)、村は198(同37)となる。長野県の村数は全国最多である。
合併後の市町村の平均人口は、3万8千人から6万5千人、二倍近くとなった。また平均面積は117平方キロから204平方キロとなった。10市町村が合併した高山市は香川県より大きく、東京都に匹敵する2,179平方キロの巨大化した自治体が生まれた。
列島全体を俯瞰的に見れば、いわゆる「西高東低」とか「農高都低」などといわれるように、減少数は府県や地域ごとに異なる。地域差があるのは、歴史的、社会的条件などの違いから当然の帰結といえるが、いずれにせよ政府自身や関係者のおおかたの予想を越えて合併が進んだといえる見方が一般的だ。このような平成合併は、現場では特例法にもとづく合併協議会を舞台に推進された。直接・間接であれ、中心都市が呼びかけたもの、周辺町村が申し入れたものなど、協議会の作られ方はいくつかあるが、その推進過程では、離脱、破綻と解散、再協議などドラマのような展開がなされた。平成合併の初期段階、長野県では当初「飯田・下伊那郡1市」「木曽郡1市」構想など、いわゆる郡市ぐるみの合併構想が浮上したが、実現には至らなかった。結果的には次ぎの二つの性格の合併が実現した。
① 都市併合型=長野市(4町村)、松本市(4村)、中野市(1村)、佐久市(3町村)、大町市(2村)、上田市(3町村)、伊那市(2町村)、飯田市(2村)
② 農山村同盟型(町村連合型)=安曇野市(5町村)、飯綱町(2村)、長和町(2町村)、木曽町(4町村)、佐久穂町(2町村)、筑北村(3村)、阿智村(2村)
①の例は都市化をめざす平成合併のいわば本流を形成するもので、都市とはいえ周辺地帯の旧町村は過疎化している点は変わりない。過疎という新たな問題を抱え込んだ都市となった。
②は地方中心都市に併合せず、仲間同士の連携で平成合併を乗り切ろうとするタイプで合併しても小規模自立型の性格をもつというケースがある。
諏訪地方6市町村は、戦後3度、「諏訪はひとつ」の名のもとに、今回も合併運動が展開されたが住民投票などの結果を受け、ひとつも合併は実現しなかった。引き金を引いたのは、原村と富士見町の二つの周辺町村であった。
このほか、村を二分する論争を経て、全国唯一岐阜県中津川市にいった島崎藤村ゆかりの木曽郡山口村がある。
長野県では二つの性格の合併が進んだが、しかし、依然として多くの小規模自治体が残った。小規模自治体とはなにかという論議があるが、本稿では、人口・面積の大小にかかわらず、平成合併で自立や合併できなかった町村を総称する事とする。このような小規模自治体のうち、人口1万人以下の町村は全国で480団体、うち長野県は42団体と全国最多だ。これは決して少ない数ではなく、平成合併の本質をあらわす性質をもつ。この1万人以下の町村をどうするのかが、第二幕の焦点のひとつに据えられつつある。
小規模自治体の性格は、純農山村地帯であるという共通性を持つ。ゆえに、小規模自治体問題には、合併政策による行政区域の再編以上に、日本の農山村問題をどうするのかという重い課題が根底にある。それはどのような国と未来社会をこの国に作るのかという超長期的課題に連結してもいる。
平成合併の推移の中で、住民自治の発達という側面からみて、大きな前進が見られた。合併問題を契機に、そもそも地方自治・自治体とは何か、わがまちむらの将来はどうあるべきかという学習や調査活動が、長野県内でも旺盛に展開された。このような住民運動 は、住民投票条例の制定を求めたり、財政シミュレーションやまちむらの基本計画を独自に研究し、合併の可否を決める世論形成に影響を与えた。住民投票は、自治法に基づく直接請求が6町村で、首長・議員提案によるものは19町村で実施された。このような運動は、合併・非合併を問わず、喬木村に代表されるように、自立型市町村の長期計画・地域政策作りへの実質的な住民参画・協働という住民自治の一里塚を築く貴重な前進をもたらした。計画と政策策定のため、コンサル依存や従来型の委員会構成を廃し、「公募住民」が必ず入る例が大半であり、計画に住民が責務を負うこととなり、平成合併の大きな特徴となった。これは直接民主主義の一形態、その萌芽とも言える。
「地域自治区」「合併特例区」も平成合併がもたらした重要な制度化である。これは合併をスムーズに推進する政治目的で制度化されたものではあるが、今後の運用次第、とりわけコミュニティ社会の再生と地域の自律にとって新たな役割を果たす可能性がある反面、新しい「集権統合型の自治体再編」(大森彌氏)につながる可能性もあり、現時点ではその評価はきわめて難しいといえる。一方、合併を機に「まちづくり条例」(自治基本条例)を制定した木曽町の自治組織は首長や議会権限に匹敵する全国に例がない「政策諮問会議」を制度化した。小規模自治体に議会が要るのかという議論が始まっているが、政策諮問会議は議会に代わる直接民主主義制度導入の可能性を含んでいる。阿智村はあえて地域自治区はとらず、村内7地区に住民運動を背景とした真の自治区を再編し、村と対等な組織と位置づけ、旧自然村の自治力の徹底的強化をめざし注目したい。
本稿が主題とする小規模自治体は、この間どのような経緯をたどったのか。その主な経過と特徴を見てみよう。第一は、青木村、山形村、栄村などに代表される自主・独立型自治体である。第二は、木島平村、信濃町、小谷村、大桑村、原村、喬木村など合併協議会に入るなどしながら住民投票や意向調査結果を踏まえて、自立を選んだタイプであり、県下で最も多く30団体に達する。第三は、特殊なケースで、王滝村のように合併したくても多額な債務を抱え、合併協議会から除外されたもの、そして平谷村のようにいち早く合併を決めたものの相手がいないケースである。自立型市町村には共通して、首長の理念と指導力、住民の意識水準の二つが相互作用して自律を選択したという特徴がある。長野県でなぜ多くの町村が残ったのか。また少数ではあるが、都市の論理とは違う小規模自立型合併の道を選んだのか。それは①厳しい自然的条件、②自治と民主主義の伝統と運動の蓄積にみる社会的条件、③独自の支援策をもった県(知事)の姿勢と首長のリーダーシップなど政治的条件、④独自個性的施策による自立型自治体づくりの成果と財産、⑤住民の意識と自治力などが相互作用したといえよう。一方、アメとムチ政策に抗し切れず、仕方なく駆け込み的に都市に編入していった町村も多い。平成合併の主目的は、分権の受け皿として総合行政を担える自治体づくりが掲げられ、昭和合併と同じく、合併特例法が作られ強力に推進された。合併は「自主的」にとうたわれたが特例債や地方交付税削減というアメとムチによる強制が貫かれた。1万人以下の自治体を半人前とする「西尾私案」まで周到に作られ、小規模自治体を淘汰し全国を都市化する戦略が貫かれた。そして府県を無用にし、より集権的性格が強い「日本的道州制」へのレールが敷かれる段階に来た。明治以来の一世紀の間、3回の大規模合併で、日本の村はほぼ消滅される情勢の中にある。明治、昭和の合併には小・中学校建設という大義名分があり、平成合併には分権という旗が掲げられたが、実態は小規模自治体とりわけ村(社会)を抹殺する政策理念が働いている。歴史の教訓として合併の政治的・経済的性格を見れば、明治合併は軍国日本建設のため、昭和合併は富国日本建設のため、今回は憲法を中心とする戦後システムを精算し覇権国家建設に真の目的があるといえよう。
2. 小規模自治体-自立型市町村の果たす役割
小規模自治体なる呼称は、平成合併の中で意識的にないしは必然的に用いられるようになった。平成合併第二幕では1万人以下の自治体の代名詞的意味をもってきた。面積がいくら広くても、人口が少なければそれは小規模自治体だとされている。小規模自治体は平成合併の中で、経過は異なっても自立型町村として残り今後、短期か長期か別として存続しなくてはならない。いま政府、財界は平成合併が予想以上に進んだことを背景に、残っている小規模自治体をこの際なくすか機能を剥奪ないしは低下させる方向に(急速に)シフトしている。果たして、そんなに小規模自治体はじゃまで無用なのか。
分権時代の幕開けが射程距離に入ってきた1999年、全国町村会は『21世紀の日本にとって、農山村がなぜ大切なのか-国民的合意にむけて』なる提言を出した。以来、平成合併が実質的な強制力をもって推進される度に、『町村の訴え』や『提言』を6回にわたり繰り返してきた。ここには、未曾有の危機にある現代日本の情勢分析と再生・改革の方 向、農山村の価値と再生の役割、都市との連携、小規模自治体のかけがえのない役割などが体系的に提示され、小泉型構造改革とは別な価値観・視点と改革の道が示されている。全国町村会が言うまでもなく、農山村には都市の論理や経済的価値だけでは測れない固有の価値と役割がある。山や川、緑に代表される「自然空間」をはじめ、「食料生産・生存の基盤」「国土保全」「日本文化の基層」「新産業創出」にいたるまで、時代と社会を支える安全装置が巧みに連関し機能している地域であり、それは大半が小規模自治体など農山村自治体が担っている。その農山村は、集落社会そのものがなくなる「限界集落」化に見られる平成版過疎とも言える危機と苦悩の中にある。これはたとえ合併して都市となった旧過疎町村といえどもその性格は変わらない。ちなみにフランスでは1975年以降、過疎を脱して農山村は人口増加地帯に変わっているという。根本政策の違いの表れだ。
このような全体状況の中で、小規模自治体や農山村自治体は輝きを増している。新たな集権体制めざす平成合併政策の中で、経過はともあれ自立(律)を選択したこと自体が、戦後地方自治史に記される意味をもつ。矢祭町の「合併しない宣言」は、自治権を中心に平成合併の政策理念そのものに対抗したものだ。小規模自治体には小さいが故に可能なわがまちむらの独自政策が競うように展開され出している。その政策は「村独自の小規模基盤整備」(栄村)などに代表される①行財政改革はもとより、②少子化対策、③地域振興対策、④情報化、⑤福祉・健康・環境、⑥教育・文化・歴史などほぼ全分野に及ぶ。
紙幅の都合で個別の紹介はできないが、それぞれ小規模自治体としての自治体運営の理念をもち、地域資源に依拠した個性あふれる施策が築かれている。いずれもそこの地域社会独自の自然や産業、歴史や文化を活かし地域建設に反映させているもので、小規模自治体の特性があればこそである。アメとムチによる強権的な合併政策や、深刻な過疎問題の悪条件の中で、したたかな生きざまを見ることができる。国が何を言おうと「地域が活き活きしている」といえる。「小さくても輝く自治体」運動の広がりは、小さいから輝く実践と理論の交流と創造の場だ。しかも、小規模自治体は平成合併政策という嵐の中で、住民ともども苦悩し、より一層鍛えられた。そこには日本では成長過程にあるいわゆる「本物の自治」の萌芽と胎動を見ることができる。十分な学習や議論・試練を経ずに、都市に合併していった自治体とは本質的な違いがあり、これは今後自治体の人格の違いとなってあらわれるであろう。
このような小規模自治体・自立型市町村にはいくつか共通するものがある。たとえば「農山村である」「過疎地帯である」「自主財源が少なく依存財源主体の財政構造」「歴史・文化まで含む固有の地域資源を活かしている」「首長と職員集団が確かな理念と力量を持つ」「役場と住民の信頼・協調」「健全なコミュニティ社会がある」などにくくることができる。さらに小規模自治体は、平成合併政策の中で、まちむらの自治の単位・基盤を残しながら、多様な事務事業の連合と地方政府を模索するなど、自治制度の自主的設計に乗り出し、「九州地区自立市町村ネットワーク」「美しい村連合」あるいは「十勝地方政府構想」「南信州モデル」など新たなうねりにみるように、中央政府主動型の合併とは異質な道を拓きつつある。
小規模自治体はもとより、すべて自治体は、財政論という枠の中だけで見ると、現在も今後も厳しく多難だ。しかし困難な中で小規模自治体に展開されている実践は21世紀の治のありようを先駆的に拓いているのではないか。
分権改革が未完のままの中で、平成合併が強行された今、合併して区域が拡大した都 市、とりわけ過疎地帯を抱えた都市自治体は、自立の道を行く小規模自治体から、多くを学ぶことになろう。このような小規模自治体の生き方は、市場経済至上主義に基づく構造改革とは異なるもうひとつの道があることを教えている。
3. 地方交付税改革と自治制度解体
ここ7年間の交付税削減の推移を見れば、1万人以下の小規模自治体に集中していることがわかる。1996年から2003年の間に1万人未満の1市町村あたり交付額は89%に落ち込み、逆に5万人を超えると増え、10万~50万人自治体は144%近く増えている(荒木田岳氏)。小規模自治体への削減は今後さらに強まる。これは都市と農村の分断、農山村淘汰の恣意的政策のあらわれである。国家財政が赤字だから交付税を削減するのは当然だという論理そのものに矛盾がある。合併を促進させるために、財源保障機能をなくせば良いのだ。我々自身政府がしかけた土俵に乗せられ、仕方なし無理な駆け込み合併にいき、自立しても歳出削減の苦境に立たされている。
交付税総体が削減され、新型交付税が具体化されていく中で、今後、合併自治体財政がどのような経緯をたどるのか。今回同様、昭和大合併も財政再建が柱に据えられたが、反対に合併後急激に悪化、赤字団体が続出した。かくして「地財再建法」が作られた。合併は必ずしも財政再建にはつながらない。この歴史を繰り返さないか。
不発の三位一体改革路線の中で、地方交付税改革が重要な焦点となってきた。財源保障と調整機能など地方交付税の根本機能が変えられ、制度自体の廃止論まで浮上しつつある。対して地方六団体は「共有税」構想を提起している。面積と人口を基準とする新型地方交付税は、小規模自治体財政を更に窮地に追い込む可能性がつよい。それは1万人以下の小規模自治体をつぶす平成合併第二幕の最も主要な手段となる。現制度が万能だとは言わないが、共有税構想にも欠陥があるといわれる。新型交付税は、政府と地方六団体の政治力などにより、どのような推移をたどるか未知な部分があるが、小規模自治体を解体する方向に進むとすれば、事態はただ事ではない。それは小規模自治体を越えて、戦後地方自治制度総体に少なからぬ影響を及ぼす。六団体に任せるだけではない運動の構築が問われている。
4. 農山村の位置付けと地域産業政策
いま農山村を見る目が変わり始めている。平成合併が「村つぶし政策」である本質に気付いて、農山村とその自治体が農山村の価値をアピールしたこともあるが、都市化した社会全体が、その行きづまりと弊害に苦悩し、新しい道を捜しだしたことが根底にある。農山村の復権が始まっている。しかし、見てきたように平成合併は小規模自治体を整理することにより、そのよって立つ第一次産業地帯の自然と社会を荒廃と解体に向かわせるもので、時代と社会全体の要請とは逆の方向に動いている。70年代以降の国土政策としての重化学工業化は、農林業の犠牲の上に成り立った。経済がグローバル化した今日、WTO体制にくみする農林業政策は、日本農業・農山村自治体をさらに苦境に追い込みつつある。30年前すでに過疎化をのりこえたフランスはもとより、西欧全体に見られる農山村社会の安定と美しさは、国や地方政府の根本政策と無数の小さな自治体がそこにあるからだ。産業構造の骨格が、重化学工業型から知識集約型に変わっても、農山村とその自治体固有の価値は不変で逆に一層重要性をもつと思える。地球環境や食糧問題から見ても農村再生は現代が直面している世界共通課題である。農村なしで都市は存在できない。
苦境のさなかにあるが、いまその農山村自治体・小規模自治体の現場では、見てきたように果敢で独創的な地域政策が開発され、永田町や霞が関の論理をのりこえ広まっている。個々の政策は個別分散的ではあるが、「内発的発展論」や「地域内循環経済論」などを連結させ、地域産業を中心とする"政策の総合化"が進めば、それは大きな社会的力をもち自治の未来を拓くだろう。その際、明治合併でなくなったかつての「自然村」の機能見直しが指摘(保母武彦氏)されている。自治の基礎単位としてのコミュニティの復権である。地域自治組織なども実はこの自然村段階で組み立てるべきであろう。事実、筆者が住む山間僻地の村には、明治合併でなくなり、昭和合併で大長野市に編入されたあと今日にいたるも江戸時代そのままの6集落115戸で構成する実質的な自然村としての「区行政」が生きているし、公民館の基礎単位になっている。かつては小学校分校があつた。山や谷で隔てられているがみんな顔見知りだ。この規模のところに新たな自治組織が創られ、「本物の自治」の基礎単位として位置づけるべきではないか。
5. おわりに
自治労の自治研は、昭和大合併がもたらした地方財政危機の中で生まれ、自治体労働運動に新しい生命力を与えた。平成大合併は、遠大な戦略と緻密な手法をもって、強権的に実施されてきた。そして第二幕では今後の政治情勢や都道府県の対応ともかかわるが、残った町村を屈服、降参させ「夜逃げ合併」に追い込む可能性がある。地方自治暗黒の時代といえば言い過ぎか。合併・非合併問わず、財政を中心とする地方自治の危機が再現する局面を迎えている。1千兆円の借金が行政合併によって解消されないことは、歴史からも今日の事態の推移からも自明である。それは別の論理と手法で対応すべき問題である。日本ではなぜ大規模合併がかくも可能なのか。
このような時、自治体労働運動はどうこたえるべきか。
本稿で扱った小規模自治体問題には、当該自治体固有の問題をこえて、21世紀型自治制度や本格的な住民自治のあり方、民主主義からこの国の行く末にいたる全国共通、普遍的問題が内在する。小規模自治体の現場には、首長や職員、住民たちの、苦悩と葛藤が日々続けられ、意識するしないにかかわらず新しい自治の陣地が築かれつつある。「協働社会」を築く新しい公務労働者と新しい住民が生まれている。また、地方政府や連合化など、新しい制度化への挑戦も始まっている。それは1万人自治体つぶしへの抵抗という性格をもっている。当面は自分のまちやむらの生き残りに全力をあげている段階で、その力はまだ分散的といえるが、この結集と団結がいまこそ必要な時はない。地方自治を守り確立する自治体運動、なかんずく自治体労働運動は、この歴史的課題に都市・農村を問わず、立場の違いなど越えて連帯すべき時ではないか。伝統的な運動論をふまえつつ、それに一層のみがきをかけたい。
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