【論文】
21世紀型自治体をめざして
京都府本部/自治労京丹後市職員組合 高橋 尚義
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1. はじめに
国の地方分権推進計画に基づいて関連する475本の法律を改正した、いわゆる地方分権一括法は、地方分権社会の創造に向けて2000年に施行された。この法律はそれまでの国と地方自治体のあり方をその根本から問い直すものであり、また国と地方の関係性を問い続けるための起動ボタンとしても機能したのである。
実際に、国から都道府県、都道府県から市町村への権限委譲が行われただけでなく、分権改革の本丸として自治制度も大きく変化を遂げ、「平成の大合併」では市町村という枠組みに変化が生じ、さらには道州制の議論へと展開を見せている。また財政面からも、「三位一体改革」などによって、現在では三位一体改革、新分権一括法の制定などへと議論も展開し、国と地方の関係性は、今後もますます揺らぎをみせていくものとみられる。
京丹後市は、こうした分権社会へと移行していく中で2004年4月に誕生した。合併前にはさまざまな夢を膨らませ、そして合併したはずの京丹後市であったはずだが、現実はその夢とは全く異なった大きなギャップが生じている。それが財政的制約という自治体運営上の問題である。
改革を迫られる自治体として、財政的制約を前提とすれば、組織としてまず何を目指すべきか、具体的に行政組織はどうなればよいかという課題に対して、本稿ではその方向性を探ってみたい。
2. 組織のあり方の変容
(1) 官僚制の研究
「官僚制」といえば、ドイツの社会学者で経済学者のマックス・ウェーバー(1864-1920)とアメリカの社会学者ロバート・キング・マートン(1910-2003)による研究が代表的なものとして思い起こされる。
ウェーバーは、近代官僚制のもつ合理的機能を強調し、官僚制支配の浸透によって個人の自由が抑圧される可能性や、官僚組織の巨大化によって統制が困難になっていくといった、近代官僚制のマイナス面について予見しているものの、特に機能障害については論じておらず、官僚制には優れた機械のような技術的卓越性があると主張した。
1)権限の原則
官僚制組織には、職務上の義務や、その義務を果たすための権限や、さまざまなポジションに就くために必要な条件についての一連の規則が存在する。さらに、規則で秩序付けられた明確な職務・軽減に基づいて職務が行われる。そのルールについての知識は、技術論として身につけていなければならない。
2)階層の原則
官僚制組織には、上下関係(命令―従属系統)のはっきりした階層関係が存在する。職務は上級から下級への上下の階層秩序が存在し、組織は命令・監督の体系になっている。いわゆるピラミッド型の組織である。
3)公私分離の原則
官僚制組織には、職場の場と生活の場が分離され、職務遂行に必要な諸手段(設備や金銭など)と私的なそれとが分離される。
4)文書主義の原則
官僚制組織では、職務や人事などありとあらゆることが文書によって記録・伝達・管理される。
5)専門性の原則
官僚制的組織では、その職務に必要とされている能力を持っていることを前提に人が採用され、配置される。また、人々はもっぱら専業で、職務活動は専門化され、分業と協業を原則とする。そのため、組織の使命のために働き、他の仕事との兼業はしない。 |
一方で、アメリカの社会学者ロバート・キング・マートン(1910-2003)は、ウェーバーが詳しく言及しなかった官僚制の逆機能について指摘し、官僚制は一転して非合理的な組織体系へと変貌してしまうとして、皮肉を込めて「訓練された無能力」と表現している。
1)訓練された無能…規則に固執するあまり状況の変化に対応できない
2)最低許容行動…処罰を免れるために必要最小限の行動しかとらない
3)顧客の不満足…顧客ニーズに対応した行動はとらない
4)目標置換…規則に従うこと自体が目標となる
5)個人的成長の否定…効率を重視するあまりコストのかかる「個人の成長」を軽視する。
6)革新の阻害…既存体系をかえる変革を容認しない。 |
つまり、規則や手続きの遵守が優先されればされるほど、そもそもそれが何のために作り出されたかという肝心な点が忘れ去られがちで、ルールのためのルールになってしまうというものである。その結果、「予測できない事態が回避されがちになる」「組織の力と個人の力を履き違えて、威圧的な態度になる」「責任を回避するために、常に上司の判断を仰ぐようになる」といった負の効果が高まってしまうことを指摘している。何か問題が起きると「マニュアルが無いから」という言葉も、自己保身、責任回避、画一的傾向を発揮した典型的な言葉ということになる。
これらは、一般に官僚主義と呼ばれているものである。例えば、「先例がないからという理由で新しいことを回避する」「規則に示されていないから、上司に聞かなければわからない」と言うようなものから、「書類を作り保存することが仕事と化してしまっている」とか、「自分たちの業務・専門以外のことをやろうとせず、自分たちの領域に別の部署のものが関わってくるとそれを排除しようとする」というようなことである。
この他にも、法規万能主義、秘密主義、セクショナリズム、権威主義、特権意識などのキーワードが揚げられるが、そもそもマニュアル化というのは、ルーティンワークを効率化し、それ以外の仕事に対する余地を高めるために作られるもののはずである。つまり、「ルールに当てはまらないものに対して、そのような即興を許すか」という例外に対する解釈がそこには含まれていなければマニュアル化した意味は無い。
(2) 分権社会に対応する組織のあり方
分権型社会に対応した地方行政組織運営の刷新に関する研究会は、2005年4月、『分権型社会における自治体経営の刷新戦略-新しい公共空間の形成を目指して-』の報告書が公表された。
人が生き生きとして地域社会に関わり、また、自治体運営を持続可能にしていくためには、もはや公共を行政のみによって担うという考え方から脱しなければなりません。地域の様々な主体が自治体と協働して公共を担う「新しい公共空間」の形成こそが、これからの自治体運営の基本理念となるのではないでしょうか。 |
ここには、持続可能な自治体運営と、新しい公共空間の形成がキーワードとしてちりばめられている。そのため、地方自治体の行政組織運営のための視点として、①行政の行うべき役割の重点化と「新しい公共空間」の担い手と多元化、②行政内部の変革と住民との関係の変革といった2点を示した報告書となっている。
しかし、これ以上のことは言及されてはいない。分権社会であり、この方法は多様な手法が存在していると認めているからだろう。だからこそ、本稿では、官僚制からの脱却を図り、具体的に行政組織をどうしていくのかということを課題として、その方向性を探ってみたいと考えるのである。
(3) ピラミッド型組織とフラット化の弊害
ご存知の方も多いだろうが、映画『踊る大捜査線2』では、「リーダーが優秀なら、組織も悪くない」と、青島刑事のセリフがクライマックスに流れる。リーダーの存在しない犯人グループとピラミッド型組織の最たる警察組織を対峙させ、組織論を考えさせる映画である。この映画では、リーダー不在の組織よりもピラミッド型組織に軍配が上がるわけだが、そもそも今の時代、映画ではなぜ対峙をさせたのかを考えてみたい。それは、かつて当たり前であったピラミッド組織に、揺らぎが生じているからではないだろうか。
図1 ピラミッド型組織
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ピラミッド型の官僚制組織では、上に立つ者が下の者より正しいこと、判断のための情報を持っていることが前提として成り立つ。だからこそ下の者は上からの指示命令に従うことが原則であり、上の者が優れたリーダーシップを発揮して現場の人間を上手く動かすことで、もっとも有効な組織運営形態として官僚制組織は大きな力を発揮する。青島刑事のセリフ「リーダーが優秀なら、組織も悪くない」である。
しかし、現実にはなかなかこのとおりには進まない。そこで最近では、硬直したピラミッド組織の階層を減らして、フラット化するところも見られる。中間管理職を排除し、階層を減らして、新しい組織へと転換して行くのである。例えば、「課」を主体としていた組織を「室」といった名称に変更し、階層を減らしている組織がある。
ところが、単に形をフラットにしたのみであるため組織の問題は解決しない。単に組織をフラットにして中間管理職を減らすという形だけの変更をしてしまうと、上司の意見集約ができず、かえって意見が紛糾し意思決定が行えなくなるというデメリットが生じる。これが組織のフラット化の弊害である。そこで、権限を部下に委譲していく方策が取られるが、現場に大きく任せるにも、人材育成・能力開発が追いついていないため、権限委譲に効果を見出せていないとも指摘できる。
(4) WEB型組織への転換
組織は人によって方向付けられる。組織は人によって運営され、第一線の業務も人が担い、組織の価値を向上させていくために組織は存在する。つまり、その組織に集う人の倫理や思考のレベルによって、組織の価値が決まるとも言える。
例えば、トップダウンでピラミッド型組織を運営する場合、トップの意思はトップダウンに下部階層へ指示として伝わり、その指示に基づいて実行され、トップの意思を反映した形で成果が現れる。しかし現実には、実はトップのレベル以上の価値は生まれない。ピラミッド型組織で、トップダウンの組織運営と官僚主義の相乗効果によって、まさにトップ個人のレベル以上のことができない組織効果を生み出し、結果的にトップのレベルそのものが組織の価値として表出するからだ。
一方で、ボトムアップでピラミッド型組織を運営する場合、官僚主義の立場をとる職員は、上から指示されたことだけ、割り振られた仕事だけ、を自分の仕事と考えているため、その仕事を無事にこなすだけの価値しか組織には生まれない。だからこそ、職員の中に自主的自律的に判断し、提案し、行動する人材がいれば、その人材の活躍が組織の価値を決定する。一般的には一部の職員が目立つ組織によくあるパターンであるが、これももちろん、官僚主義的な上司の下にいる職員ともなれば、その職員も自らの自主的自立的な判断や提案、行動といったものがうまく運ばない。言い換えれば、優秀な職員のレベルと、上司の官僚主義的な立場の度合いによって組織の価値が決まるということになる。もちろん、組織は優秀な職員以上の価値にはならないということでもある。
だからこそ、WEB型組織、つまり、階級にとらわれない責任と役割の所在を明確にした職員同士が相互に連携し、組織として自由に対話できる風土を持つことが重要となる。そして職員個人の能力でなく、その集合体としての組織能力で個人以上の価値を生み出すのである。
そのためには、職員は指示された以上のことを行う素質や努力が必要であり、「考える」ことが重要となる。さらに、考えるには職員が学び続けることが重要となり、それが「学習する組織」と言われる組織が求められているゆえんでもある。
図2 WEB型組織
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ウェーバーの指摘したとおり、ピラミッド型組織は、官僚主義によって20世紀社会には非常に大きな効果を生んできた。しかし、21世紀の今、情報革命とまで言われるように、我々には20世紀には無かったIT技術を手に入れることができた。情報はいつでも、どこでも、誰でもすぐに入手できる体制が整ったのである。
誰でも情報が入手できる今、もっとも最先端の情報、生きた情報を持っているのは第一線の職員である。つまり、上に立つ者が下の者より正しいことを知っているという前提はすでに崩れている。これまでのように、下の者が上からの指示命令に従うだけでは、結果としてベストを生み出すことには困難があるといっても過言ではない。一方で、下の者が上の者から正確で正しい指示命令に従うためには、上に立つ者は下の者より早く、多く情報を入手していなければ適切な指示命令を行うことはできない。すなわち、管理する側は、これまでどおりの管理意識では、太刀打ちできない時代が到来している。
ここまで説明すれば、ピラミッド型組織からWEB型組織、つまり第一線の職員が自主的自律的に判断し、行動する組織への転換が理想的な組織になるための、また管理職の呪縛から開放されるための仕組みであることは理解いただけるのではないだろうか。
しかし、組織のフラット化と同様にWEB型組織へ単に転換すればよいというものではない。第一線職員に対して組織として一定の権限と責任を委譲(エンパワーメント)しなければならないし、上に立つものは第一線職員を業務上で支援し、精神的にも応援していかなければ組織の転換をしても機能しない。さらに、WEB型組織は、個々人の力が連携することで個人の力以上の組織としての力が発揮される。だからこそ、上に立つ者の業務は、常に組織の目指すべき方向性を第一線の職員に明示し続けなければならない。人の感情はうつろいやすい。そういったメッセージが常に発信されてなければ、第一線職員は、どの方向へ走ればよいのか迷い道に入り込んでしまいかねないからである。迷子になったら最後、いくら能力を持った者でも、自らの力で戻ることは基本的に困難である。だからこそ、上に立つものが、官僚主義の立場をとり、目指すべき方向性を発信しないことが不毛な活動を産み、その損失も計り知れないものとなっていくのではないだろうか。
管理とは「決められたことを正しく行う」という意味である。管理するために、仕事の標準化や計画を立て、目標を設定し、その目標を達成するために実行者を管理することであるが、これまで述べてきたように、WEB型組織では管理監督者は管理ではなく第一線職員の支援者にならなければならない。その支援の方法こそ、常に目指すべき方向性を発信し続けることであり、業務上と精神上で第一線職員を支援することである。これが、WEB型組織における上に立つ者の真のリーダーシップと言えるものではないだろうか。
リーダーは、現場の人間を上手く動かせることで、大きな官僚制組織は大きな力を発揮する。青島刑事のセリフ「リーダーが優秀なら、組織も悪くない」が、ここでも実現するのである。
(5) 魅力ある職場をつくる人材の活用と育成
では、WEB型組織の人材はどうあるべきか。もちろん、第一線職員も、日頃の学習が非常に重要になる。常に情報を入手し、その情報の使い方を考え、個々人の力が連携して行動する能力を向上させることが課題となるからでもある。だからこそ、個人の学習意欲を持ち続けることに加え、組織としての職員の人材育成・能力開発も非常に重要となる。
そこで京丹後市では、こうした学習する組織への転換を図るためのツールとして2006年2月に、職員人材育成基本方針を策定した。
職員人材育成基本方針は、行政の進むべき方向や住民を重視した行政戦略、一貫性と整合性があることが必要な要素となる。そのためにも行政のビジョンに沿って、組織、マネジメント体制、学習環境・教育・訓練などを改革し、住民の変化に素直に喜ぶことの出来る「学習する組織」を実現し、結果として、最適な方法を自らの責任で決定し、実行できる自主性と創造性にあふれた人材を育成することを狙いとしている。
また、経営という視点で考えれば、もっとも価値のある経営資源は、「働く人のやる気(意欲)」である。職員にやる気がなければ価値は生まれるはずがない。逆に、組織にやる気が充満していればどんなことでも可能となる。だからこそ職員のやる気を高めることが必要となる。もちろん、その高めることの主体が、管理職である。エンパワーメントを拒否する意識から脱却した、管理職としての役割が問われているのである。
3. おわりに
管理職は、効率よく効果的な仕事を管理する職責ではなく、職員のやる気を高める、つまり職員の能力を100%以上発揮させることが管理職の役割である。同時に、その部下の能力をOJTによって高めていくことも重要である。つまり、職員を育てる担当者として、部下を育成し成長させて自らを楽しむことが管理職としての「生きがい」「働き甲斐」となってほしい。
そして、部下を支援するというリーダシップが、部下を励まし、力を引き出し、学習する組織への転換するきっかけになるのではないだろうか。まずできることは、こうした理解を組織の中に浸透し、共通理解とすることが重要だと思う。
最後に、元米マサチューセッツ工科大学教授ピータ・センゲは、学習する組織の本質を次のとおり述べている。我々の組織が目指していく姿として掲げておきたい。
チームは「個の集まり」から始まる。その「集まり」が「チーム」になっていくためには、全体として機能していく知恵を身につける時間が必要だ。言い換えれば、素晴らしいチームというのは「学習する組織」である。つまり、自分たちが本当に望んでいるものに一歩一歩近づいていく能力を自分たちの力で高めていける集団が、「学習する組織」なのである。 |
<参考文献>
金井壽宏・田柳恵美子『踊る大走査線に学ぶ組織論入門』かんき出版(2005年)
淡路富男編『「行政経営品質」とは何か~住民本位の改革と評価基準~』生産性出版(2001年)
財団法人関西生産性本部編『最強のスモールビジネス経営』ダイヤモンド社(2005年)
ピーター・センゲほか〔柴田昌治ほか監訳・牧野元三訳〕『フィールドブック 学習する組織「5つの能力」』日本経済新聞社(2003年)
「京丹後市職員人材育成基本方針」
http://www.city.kyotango.kyoto.jp/gyokaku/documents/syokuin.pdf |