【自主レポート】

いわゆる法定外公共物の管理について

 京都府本部/自治労城陽市職員組合・執行委員長 松本 常雄

1. 法定外公共物とは

 法定外公共物という言葉を聞いて、いったい何のことだろうかと思う人のほうが世間一般では多数派であると思います。より具体的な言い方としてある里道や普通河川と聞いても、道路や川のことを言っていることは解っても、その意味するところを完全に理解しておられるのは、不動産関連業界の人など特定の人に限られるようで、恥ずかしながら私本人も担当になるまで理解しておりませんでした。一般的には、河川法や道路法と言った公物管理法の適用を受けない道や川を「法定外公共物」といい、それらを構成する土地等を「法定外公共財産」という言い方をしております。

2. 国からの譲与

 2000年4月1日「地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律」(いわゆる地方分権一括法)が施行されて、法定外公共物の管理に対する法制度は根底的に変わりました。というのは、法定外公共物の取り扱い事務というのは、国と地方の関係から言うと屈辱的と言ってもよい不当な関係におかれていたからであります。
 具体的に述べますと、財産の所有権は国のものであり、その財産管理事務はあの悪名高かった機関委任により知事が行い、日常的な維持管理は市町村が当たるということとされてきました。さらに例をとって解りやすく説明しますと、里道がその機能を失ってしまうと普通財産として払い下げることができますが、このお金はきっちり国のものとなります。しかしその事務をこまごまと行うのは京都府が市町村の協力を得てやらねばなりませんでした。さらに、道を通れる状態に保ったり、川の流水を安全に保ったりといった日常的な機能の管理の行為は、すべて市町村の負担で市町村が行わねばならないとなっていたのです。通常考えれば、物の管理はその所有者が行うというのが当然のことであるのに、管理はすべて地方に振っておいて、費用負担もほとんどせずに財産の価値の対価だけはしっかり抑えていくのですから、担当者としてもよくこんな制度がまかり通るものだと強い憤りの感情を持って業務に当たっておりました。全国的にもやはりみんな強い憤りを持っていたからでありましょう、管理訴訟をめぐっては、「大東水害訴訟」といった有名な訴訟をはじめ、あえて訴訟でもって争われるという事態もあったところです。管理を言うなら土地の所有権も渡せというしごく当たり前の主張が制度化されたという意味で、地方分権一括法の施行は評価されると思いますが、なぜここまでかかったんだろうかというのが、率直な思いでもあります。

3. 譲与内容をめぐっての攻防

 いずれにしろ、2000年の、地方分権一括法の施行によって、里道や普通河川の底地である法定外公共財産が、国から市町村へ譲与されることとなりました。当時の大蔵省、自治省、建設省の三省によって譲与についてのガイドラインが作られていったわけですが、基本的な方向で特筆すべきは、①市道や都市下水路などを構成しているこれらの財産についてもきわめて簡便な方法で譲与されること、つまり、法定公共物を構成する国有財産も同時に管理者である市町村に面倒くさい従来の手続きなしに、譲与がされることになりました。又、②譲与できるのは、現に道路や水路として機能しているものに限定され、機能を失って普通財産となっているものは、対象から外し譲与しないこと。とされていましたが、この点では、地方からの強い反発に一定の配慮がされ、市町村の決定を尊重し譲与を決定していくという柔軟な姿勢が示されるところとなりました。

4. 譲与に当たっての城陽市の立場

 機能を喪失していると見られる法定外公共物は譲与できないという国の判断については、受け入れる側の市町村でも二つの態度を生み出しました。城陽市でも受け入れに当たって、積極受け入れ派と消極派に分かれて内部検討がされました。「状況にかかわらず積極的に譲与を受けて自分の町の問題として財産処分についても自分で判断していくのが地方分権の本旨にかなうのではないか」という考えに対して「現実的に考えた場合、法定外公共物というのは番外の無番地が殆どであり、財産的にも境界を確定しないと管理範囲も明確にならない。機能管理も十分に行ってきていないので苦情処理など厄介で面倒な点も多い。国に残せば責任は免れるから出来るだけ取らずにおいた方がよい。」確かに厄介な問題をはらんだ物件は国で解決してもらうという見解は、業務負担量や煩わしさから考えると魅力的ではありましたが「住民の立場からすると身近な自治体が関与すべきではないか」「国でしか処理できませんといっても結局住民は市に解決を求めてくるだろう。」ということで、最後には担当者として常日頃感じていた苛立ち「身近な目の前の物件であるのに、国とか府といった遠いところで処理が進められる」という経験に基づいた不満からでた主張が説得力を持ったのか、城陽市においては、可能な限り積極的に譲与を受けるところとなりました。

5. 管理条例の制定について

 里道という言葉が始めて現れたのは1876年太政官達によってであるとのことだそうです。日本に道路法が施行されたのは1920年のことですから、なんとも長い歴史を持ちながら陽の当たらない状況にあったことかと思います。先程も少し触れましたが、里道や水路が厄介なのはこれらには地番がなく、従って広さや所有者の登記情報がなく、ただ公図において青色や赤色で表示されていることだけが手がかりになっているからです。明治の新政府が近代的な土地所有制度の確立とあわせ地租改正を制度化する中でこれらの整理は進められたそうです。
 里道や水路は法定外、つまりは法律もなかった存在でした。しかし、誕生から長い歴史を経た今、市町村のもとで管理がされるとなると、市町村が条例を作らねばならなくなりました。譲与の期間のリミットが近づいてくると、条例制定に悩まされることとなりました。
 「条例化に当たって、国の方で条例準則の提示のようなことを考えておられないですか。」という問いかけには「それでは地方分権の本旨に反することとなりますので」とあっさり返され、地方分権推進と言いながら、自らの安易な中央準拠的体質が染み付いていることを痛烈に反省するところとなりました。

6. 道と水で2本の条例を制定

 そこで、各市町村への問い合わせと完成した条例の収集を行いましたが、水路と里道とは別々の条例にするという市としての方針があったことなどから、参考とするモデル選びは難航しましたが、別々の条例を作ろうとしていた京都市の立場が共通しており、条例作成にあたっては参考となる貴重な意見やアドバイスをいただき、おかげで無事議会で可決されるところとなりました。
 今、改めて全国的に条例制定状況を見ると、圧倒的に法定外公共物管理条例と一本の条例としておられるところ多く、こだわりすぎたのかなという思いがしないでもないですが、①土地改良区の水路が存在すること。②土地の所有権のない水路があること。などから「城陽市水路等管理条例」と「城陽市里道等管理条例」の2本の条例を作るところとなりました。
 又名称について、法定外公共物という言葉を使わず、里道や水路という名詞を使ったのですが、これは、親しみやすいというからだけでなく、「外」という言葉を使用した法定外という言葉への担当者の単純な感情的反発があったからかもしれません。
 内容的には、「行為の禁止」「目的外使用」「監督処分」や「罰則規定」を設け、恣意的・独占的な悪質な使用を制限できるように定めましたが、罰金まで設定するにはいたりませんでした。
 一方で、公用の廃止の規定ももりこみ、多様な対応ができるよう定めたところです。

7. 法定外公共物のこれからの管理について

 法定外公共物が譲与されて2年目に入りましたが、確かに最初の一年は、京都府からの大量の図書の引継ぎや水路に関する占用の更新業務の実施などで、かなりの業務の負担増を実感しましたが、最近ではようやく業務量が増加したという実感が薄らいできました。水路や里道の占用許可の業務や用途廃止の業務など全く新しくこなさなければならない業務が増加したのは事実でありますが、逆に、京都府との連絡業務などの必要がなくなったこともあるからなのかもしれませんが、いずれにしろ、以前から市町村が、この業務の多くの部分を担ってきていたのだと言えると思います。
 里道や水路を今後どのように管理していくのかを整理するに当たって、キーワードとなるのは次のようなことではないでしょうか。

(1) 時代の変遷
 先程から述べているとおり里道と言う言葉は明治の初期にうまれており、いまや130年以上が経過しています。この間社会環境の変化は目覚しいものがあり、産業社会や交通は高度に発展してきています。天秤棒や荷車の時代から、ハイウエーを高速大量にものが動く時代となり、都市化の進行も著しい時代となっており、時代のものさしの中で里道や水路の機能や存在価値が探られねばならないと思います。水路についても、当初の農村社会の中では用水機能も重視されたのでしょうが、いまや農業用水は地下水の利用が殆どとなり、水路は排水機能が中心となりました。都市部ではさらに公共下水道の完全普及の実現が近づく中で、用悪水路は必要なくなり、雨水排水機能だけが重要となるといった様変わりが起こっています。廃止や転用などを見据えた対応が必要となっています。

(2) 規 格
 里道のことを三尺道と呼ぶ人があります。急に尺貫法の世界に戻りますが公図のスケールアップによっても三尺(0.91m)の復員しかないということが里道には多くあります。極端な言い方をすれば傘を広げれば通れなくなるような、すれ違いもままならないスペースであります。山の中や田んぼの中のように両側がオープンなスペースであればさほど気にもならないでしょうが、両側にビルが建ちつくしている場面はどうでしょう。夜間の一人歩きが想像できるでしょうか。都市部の中で考えたとき、この財産の規格どおりの有様で残っていくことが妥当なことだと言えるでしょうか。建築基準法など他の法律の基準などをも考えたとき、都市部で存在させる方法は工夫が必要となると思います。

(3) 所 在
 法定外公共財産が無番地であることが殆どであると述べましたが、ここにも頭の痛い問題があります。その財産はどこにあるのかという問題です。不動産登記法第14条では法務局には地図を備え付けるということになっているのですが、この地図が備え付けられているところは極めてまれで、城陽市でも殆どが地図に準ずる地図(いわゆる公図)でしか所在が確認できません。この公図というのは、もともと税務署が地租を徴収するために備え付けていたというものであり、元をたどるとまたまた明治20年代の地租改正事業にたどり着きます。現在ではGPS測量などと測量技術は飛躍的に進歩しているにもかかわらず、公法上の筆界をあらわす根拠となる図面は、時代を120年程遡っているというのが現実です。城陽市では、山城町や京田辺市のように地籍調査を実施していませんのでこの問題は深刻なものとなっています。何とか実施を実現できるように考えています。国でも最近このことに力を入れ始め、街づくり街区再生調査に取り組むところとなっております。
 いずれにせよ、境界紛争や無断占用といった重苦しい財産管理上の問題に繋がっていますので早急な対応が望まれるところです。

(4) 資産的価値
 里道や水路は長狭物で利用価値はかなり劣るものの財産としての土地の価値を持っています。譲与に当たって財務省がこだわったのもこのことがあるからだと思えます。地方自治体でも最近の地方財政危機が進行しており、公共事業を行うに際しても用地買収費が節約できるため、活用されております。
 ただ、資産的価値だけに注目して何でも売り抜けようとするのは、思わぬ落とし穴に落ち込んでしまいかねませんので、十分な注意が必要かと考えるところです。

 以上のとおり、今後の里道や水路の活用については、着目点を述べるにとどめました。これを機会に、先進的な取り組みの情報などもお教えいただければありがたいかと思います。今後とも他市町村の対応を参考として精進に努めて行きたいと考えますのでよろしくお願いします。