【自主レポート】

竹田市の集落営農

大分県本部/竹田市職員労働組合 前原 文之

1. 竹田市の概況

 周囲を祖母傾山系・阿蘇外輪山・くじゅう連山に囲まれ、山林原野が7割を占めており、地形が起伏に富んでいることと標高差があることから定型的な気候区分にあてはまらず、地域によって平均気温や降水量に差があり、農業はこの地域の特性を活かしながら、水稲・園芸品目・畜産・林業が複合的に営まれている。
 阿蘇山や久住山により台地が形成された標高が比較的高い地域では大規模な園芸や畜産の経営が営まれて九州における夏秋野菜の主力産地及び大分県の畜産基地を形成し、標高の低い地域では祖母傾山系、くじゅう連山、そして、阿蘇溶岩台地が浸食された起伏の多い複雑な地形となっており、耕地は狭小で水稲を中心に園芸品目や畜産が小規模な複合経営が営まれる。
 近年は農家の高齢化と人口の減少が著しく、対策として基盤整備の実施や施設園芸化、企業的農家の育成、そして、生産コストを低減するために機械の共同利用化を進めており、併せて地域の条件を活かした特色のある農産物産地形成や農産物直販事業も展開しており、農産加工、グリーンツーリズムなど消費者と直接交流できる産地づくりも盛んになってきた。
 しかし、産地間及び国際競争の激化、米価の下落や農産物価格の低迷などにより農業経営は厳しさを増しており、加えて本市の場合は多くの農家は経営規模が小さく高齢化が進んでおり、また、地域内に担い手となる後継者も少なく、農家の不安感は日ごとに増している。
 古くから地域の農業は集落をひとまとまりとしてその機能を維持してきたが、高齢化や担い手及び後継者の不足により集落の機能低下は避けられない状況にあり、このことは個々の営農にも影響を与えようとしており、このことから、地域の問題を解決する手法として集落営農に着目し、課題は山積みであるが、その取り組みを進めている。

2. 竹田市の集落営農(取り組み事例)
  本市の集落営農の取り組みは古く、水路・農道の維持管理や田植えなど必ず共同で作業を行うことがあり、村の行事も農業地帯としてごく自然に農業と密接に関係しており、これらは広い意味では集落営農であったが、機械化や高収益品目の導入などの個別完結型農業への移行と農村人口の流出や兼業化は、農村の機能や活動能力自体を低下させている。
 近年の農産物価格の低迷や消費減退は追い打ちをかけるような状況となっており、このような中、各地域では将来に向けた地域と農業を守る取り組みが展開されている。

(1) 九重野地区の概要(活動母体:九重野地区担い手育成推進協議会)
   本地区は、農業を主力にする中山間地域の山里で、九重野地区担い手育成推進協議会の活動範囲は、大字九重野にある田原・久小野・紺屋・緩木・滝部・百木・小川の7自治会と、隣接する大字次倉にある妙見自治会を区域としている。 
   同地区は祖母山麓の起伏に富んだ地形と大野川の幾本もの支流が流れる、地域の名称のとおり幾重にも野や山が重なる地域で、水稲を中心に葉たばこ、シイタケ、カボス、ピーマン等野菜類、畜産などの複合経営が営まれており、狭小な農地が多く基盤整備の遅れから機械化・施設化が図りにくいなどから土地生産性が低く、市内の中でも高齢化率が高い地域であった。
   近隣地区では昭和60年代から基盤整備及び機械の共同利用などが始まっており、本地区においても、基盤整備について論議されるようになり、1993年に基盤整備に着手するとともに担い手の育成に取り組むこととなった。基盤整備の実施に併せて、合理的な農業生産体制の整備を図るべく、1994年に「九重野地区担い手推進委員会」を設立し、担い手の育成や農地の集積など合意形成に基づいた集落営農を基本にして新しい農業を展開することとなった。
   1997年に、担い手農家で構成する「九重野地区受託組合」を設立し、大豆・ソバの集団転作と団地化及び水稲収穫等の受託作業に取り組み、また、地域全体で水田裏作に菜の花を作付けることで水田利用率の向上と高付加価値米の生産を目指し、水田利用率が160%以上に達するなど、中山間地域においても平坦地に負けない高度な水田農業が実践できることを示した。
   さらに、大豆の栽培に併せて、近隣地域の加工組合と大豆の原料供給契約を締結し、さらに、全国でも栽培の例がなかった大豆のキヨミドリの栽培に取り組み、2002年に加工所を設置して地域婦人部の若葉会により地域で生産した大豆とソバを利用した豆腐や味噌などの生産・販売を行っている。また、都市との交流も積極的に取り組んでおり、炭焼き、種駒打ち、古代米の田植えと収穫などには毎年多くの人が訪れるようになっている。
   九重野地区の活動は近隣の地域にも波及し、近隣地域においても本格的な集落営農の取り組みが始まり、組合間の機械利用調整など各地区受託組織が連携した活動に発展しつつある。

(2) 竹田市志土知地区(活動母体:志土知自治会(紫草の里営農組合))
   志土知自治会を活動の範囲としており、2000年から本地区と近隣の2地区で竹田北部地区として基盤整備に着手し、同時に基盤整備を実施した近隣の地区とともに担い手の育成や農地の集積に取り組みながら大豆や麦の本格栽培を行っており、それぞれの地区は単独で集落営農に取り組むとともに、3地区で機械利用組合による機械利用の調整を図っている。
   志土知地区は、阿蘇溶岩台地が浸食された複雑な地形から起伏が激しく農地は狭小で、農業はほぼ水稲のみの経営で小規模な野菜栽培やチョロギ、サフランなどの小規模品目がある程度で、高齢化の進行及び担い手不足が著しい本市の典型的な中山間地域の農村地帯であった。
   1992年に本市で最も早くワレモコウの栽培に婦人部で取り組み、水稲単作経営から園芸を組み合わせた高所得農業への転換が女性の力で始まり、ワレモコウ栽培によって農業所得を大きく向上したとともに、本市特産花きとして産地化へ大きく貢献した地域である。
   1998年に九重野地区が本格的な集落営農に取り組み時にその活動に賛同することとなり、「志土知地区受託組合」を結成して地域内の合意形成を基に大豆の本格栽培に地域として着手するとともに農地の高度利用や米以外の農作物の作付に組織として取り組むこととなり、熊本県の業者と裸麦の契約栽培を行うとともに、アスター、ムラサキ、シイタケ、クワ、ブルーベリーなどが集団経営品目として栽培しており、米・麦・大豆などの土地利用型作物は受託組合(男性)が中心となり、園芸品目は婦人部が中心となって班体制で取り組んでいる。
   志土知地区で特徴的なものにムラサキがあり、このムラサキについては市内の一般市民が参加して設立した「奥豊後古代紫草蘇生研究会」がある。志土知地区はこの会に参加して、栽培の研究、商品化、交流などに一般市民とともに取り組み、さらに、古代紫根染めの第一人者である著名な吉岡幸雄氏や製薬会社、大学の薬学部などもこの取り組みに参加するなど、地域振興に農業以外の部門が参加する形態になりつつある。

(3) 直入町南部を考える会
   本会は、長野、筒井、日向塚、栃原自治会を範囲とする組織で、1993年には地域内の基盤整備が終了し、野菜類や花き類の高所得品目も栽培されていたが、稲作が個人完結型であり裏作がなく、また、土地利用型作物の低コスト生産と農地の高度利用、そして、所得の向上や企業的農家の育成が求められてた。
   このような中、組織的な活動に至っていない4集落を支援地域とし、関係機関と協議して1997年に「直入町南部地域を考える会」を設立し、稲作受託組織の設立、直売活動への提案、都市交流などに、①水稲の受託組織をつくる、②ハウスの利用率300%を目指す、企業的農家を育成する、③農業粗生産額1億6千万円を目指す、④農産物の直販活動に取り組む、⑤美しい農村景観づくり、生活環境を整備するなど、地域としてビジョンを承認して取り組むようになった。
   そして、具体的な活動として、受託組合「なんぶ」の結成、公園整備、直販施設の「おんせん市場」、農産物加工品、円筒芸能の継承、農地高度利用として菜の花を作付し種まき交流や花見交流などに取り組み、地域の活動が活発になるとともに、直売事業等で農家所得も向上し、周辺地域にも活動が波及している。

   九重野では基盤整備に伴い地域の担い手を選定し、彼らが中心となって受託組合を結成して地域の農作業を受託している。近隣に次倉地区があり、この地区でも集落営農に取り組んでいるが、九重野地区と次倉地区の間にある地域は営農の組織化が遅れており、九重野地区と次倉地区が間にある地域の営農を支援している。
   男性の活躍に刺激されて女性達の活動も活発となり、婦人部の「若葉会」で「みらい香房若葉」を起こし、地域で生産された米・麦・大豆や野菜などを加工して販売している。
   地域には均等に水を3地区に配分できるようにした円形分水があり、この施設は、水争いを解決しただけでなく地域の和を形成したシンボルともいえるものとなっている。 将来に向けて地域営農を確立するため法人化について現在検討が進められている。

九重野地区    
 
集団で管理する大豆
 
九重野のオペレーター
     
 
円形分水
 
加工品各種

   志土知地区では、集落営農の取り組みの中で園芸品目や特産農作物の取り組みも行われており、特にムラサキの栽培は全国的にも珍し取り組みであり、栽培は極めて難しく、試行錯誤の中でようやく本格栽培が可能になってきた。
   一般市民も参加した古代紫草復興に向けた活動がの中で紫根染め製品も完成し、今年3月には全国各地から染色を愛好する人々が志土知に集まり染色交流会を開催した。
   このように志土知地区はムラサキをとおして地域の情報を発信、また、交流も期待できるようになり、「紫草の里営農組合」として法人化を目指しており、本市では最も早く集落営農が法人化できると見込まれている。

志土知地区    
 
ムラサキ
 
ムラサキの根(紫根)
     
 
紫根染め製品
紫草染色交流会

   直入町南部地域を考える会は1997年に設立され、この会には各集落の様々な立場の人から代表が参加し、農業生産や生活環境、直売活動などについて話し合いがなされ、歩きながら行った点検活動の中から、直売所の開設、地域シンボル権現山の整備、温泉資源の整備、農道の整備などが提案され、そのほとんどが実現できた。
   1998年から冬場の農地利用が少なかったことから、菜の花を活用した農地の高度利用や地力増進の取り組みが始まり、併せて「菜の花交流会」開催されるようになった。
   直入地域全体への波及効果も高く、直入各地で受託組合が設立され連絡協議会により作業料の調整がされている。
   組織化今後は稲作の低コスト化や「おんせん市場」と地域加工所を活用した直販活動の拡大、そして、菜の花を利用した都市交流等により地域の活性化を図ろうとしている。

直入南部地区    
 
水稲収穫作業
 
菜の花交流会
     
秋の交流会

3. 今後の課題

 本市の集落営農は、古い時代から共同作業や機械の共同利用など少なからず行われていたが、近年は米価格の下落や担い手不足の解消、生産の効率化・低コスト化、そして、地域の活性化の手法として本格的に取り組まれるようになってきた。
 今後は国の新しい施策と併せた取り組みが中心になると考えられるが、全市を見た場合集落営農に取り組んでいる地域は少なく、特に、高齢化の著しく後継者がいない地域では集落営農に取り組むことが難しい地域も多い。
 また、集落営農に取り組んでいる地域においても、比較的若い専業農家が担い手となっていることが多いが、これらの農家は各自の経営規模が既に大きく、オペレーターとして作業受託を行う場合はある程度自分の経営を犠牲にしなければならないこともある。
 さらに、園芸品目で規模の大きい農家が多くいる地域では個々の経営が主体となるため集落営農の展開が難しい場合もある。
 その他、集落営農に取り組んでいる地域においても、後継者がいない地域もあり、これらの地域については集落営農が継続できるかどうかも将来問題になると予想される。
 このように集落営農の今後の展開については大きな課題が多く、地域の状況を十分に把握しながら、場合によっては他地域と連携した集落営農の展開を図る必要がある。
 例えば本市の特徴である標高差を活かして早い時期に田植えを行う高標高地帯と田植え時期の遅い低標高地帯とで共同で機械を購入、あるいはオペレーター及び田植機の派遣のなどの取り組みによって集落営農が遅れている地域を、集落営農が展開できるように誘導することも考えられる。