【自主レポート】

犯罪報道にみる差別意識
~沖縄、奄美に向ける「日本人」のまなざし~

 鹿児島県本部/自治労(奄美)大島地区本部・副執行委員長 前利  潔

1. はじめに

 本稿では、犯罪報道にみる沖縄、奄美への差別意識について問題提起をする。いま想像もできなかったような犯罪が相次いでいる。わずか数ヶ月前の事件が人々の記憶の中では遠い過去のものとなるほど、立て続けにそのような犯罪が起きている。
 世の中を震撼させる事件が起きると、マスコミは事件の背景を探るために、加害者個人だけではなく、家族、職場、犯罪が起きた地域社会などに取材攻勢を仕掛け、犯罪の「要因」を発見しようとする。加害者が「日本人」であれば、取材の範囲はそれぐらいで終わってしまうだろう。
 ところが加害者が外国人、特にアジア、中東、南米等の出身者であれば、マスコミはあたかもその「○○人」という属性が犯罪の背景にあるかのような報道をする場合がよくある。外国人の場合だけではない。加害者の出身地、あるいは事件が起きた場所が沖縄・奄美であった場合も、そのような報道がみられる。
 1999年、沖縄出身の有名女性歌手の母親が叔父に殺害される事件が起きた。たしかに悲惨な事件であったが、全国どこでも起きている性格の事件であった。被害者が有名女性歌手の母親であったことから、マスコミは大々的な報道を行った。
 この事件について、あるTV情報番組のキャスターが番組の中で「事件の背景に、沖縄という土地柄があったとは考えられないか」と発言。そのキャスターは翌日、謝罪をした。考えてみたいのは、そのような発言が出てくる潜在的な沖縄、奄美に対する差別意識についてである。
 そのキャスターは、事件と「沖縄という土地柄」を結びつけようとした。つまり事件の背景には沖縄の風土があるのではないかと言いたかったのであろう。なぜ事件と「沖縄の土地柄」が結びつけられなければならないのか。この歌手、そして母親と叔父が東京の出身であり、事件も東京で起きたのであれば、そのキャスターは「この事件の背景には東京の土地柄があったと考えられないか」と発言しなかったはずだ。たしかに、相次いで起きている異常な事件の背景には現代社会の病理があるともいえる。しかし、犯罪が起きた場所の属性(土地柄)が犯罪の背景にあるという発言は、それが日本本土の場合であれば、おそらく出てこなかったと思われる。
 この発言について、沖縄の新聞は事実関係を紹介しただけで、それ以上追及しようとはしなかった。事件が起きた1999年3月は、サミット開催地決定の大詰めをむかえていた時期であった。沖縄県と沖縄のマスコミはサミット誘致に向けて大々的なキャンペーンを行っていた。そして4月末、当時の小渕首相の「決断」で、大方の予想に反して沖縄でのサミット開催が決定した。沖縄のマスコミは事件をめぐるキャスター発言を問題にすることを控えたのではないかと思われる。
 上記の事件以上に悪意と差別意識をあからさまにした犯罪報道が、上記の事件の2年前に起きた神戸児童連続殺傷事件をめぐる報道で行われた。

2. 神戸児童連続殺傷事件をめぐる報道

 1997年、全国に衝撃を与えた神戸児童連続殺傷事件。その犯人とされる、いわゆる「少年A」の両親は、奄美諸島の出身であった。マスコミが、犯罪とのつながりをもとめて島に殺到した。
 民俗学者の赤坂憲雄は、著書『排除の現象学』第5章「分裂病/通り魔とよばれる犯罪者たち」のなかで、次のように書いている。
 わたしたちは犯罪という結果からさかのぼって、かれがつねに・すでに犯罪へと宿命づけられた異人であったことを発見する。非日常的できごととしての犯罪は、そうして物語の定型に包摂され、日常意識の彼岸に逐い放たれる。マスコミの流布する大方の犯罪報道はまさに、この過剰な物語への欲望に支配され方向をさだめられている。負の理想像の強迫によって、犯罪者はいっそう犯罪者らしく造型されねばならない。
 マスコミは「犯罪という結果からさかのぼって、かれがつねに・すでに犯罪へと宿命づけられた異人であったことを発見」(傍点筆者)するために血眼になった。高山文彦というライターは、月刊誌『新潮45』に連載したルポ(97年8月号~10月号)のなかで、「少年Aのルーツを追って渡った島には、昔、生贄の首を捧げる儀式」があったとでっちあげ、事件と島をむすびつけた。
 高山はその島に「生贄の首を捧げる儀式」があったことは、「文献などからも明らかだった」と断定した。そして、「この島と海流でつながる東南アジアの少数民族のなかには、少年が大人になるための通過儀礼として、ほかの民族の首を刈りにいかせる儀式があった」と、ゆがんだかたちで島とアジアを結びつけた。「首切りの儀式」があった東南アジアと海流でつながっている奄美諸島の島だから、「首切りの儀式」があったとしても不思議ではないと、読者に印象づけたいのだろう。
 アジアに対する高山の偏見のまなざしも見逃せないが、ここでは高山の虚構を簡単に指摘しておくにとどめる。詳しくは、神戸奄美研究会編『キョラ』第4号に書いた「少年Aをめぐる言説~高山文彦の言説を中心に~」を読んでもらいたい。
 高山に「生贄の首を捧げる儀式」があったとする「文献」を明らかにするように求めたところ、私にはあいまいな回答しかよこさなかったが、大橋愛由等(神戸奄美研究会)の質問に対して、その島とは別の島について書かれたものを含む二つの文献をあげて、「想像力をかき立てました」と回答している。なんと、『新潮45』では「文献などからも明らかだった」と断定しているにもかかわらず、大橋への回答では「想像力を掻き立て」て書いたと述べているのだ。高山に著作が引用された山下欣一鹿児島国際大学教授は、「高山氏は、私の著作から何ら脈絡のないものを部分的に引用した」と批判している。高山はいくつかの文献から、民俗的事例の断片をつなぎあわせて、「生贄の首を捧げる儀式」としているにすぎない。
 「この島と海流でつながる東南アジアの少数民族」の部分は、高山が無知であることをさらけだしている。東南アジアと海流でつながっているのは、日本列島全体であることは、中学校の教科書にも載っていることではないのか。高山は、島崎藤村の詩「椰子の実」を読んだこともないのだろうか。
 高山のように「首切りの儀式」にこだわるのであれば、つい最近まで「首切りの儀式」があったのは、日本民族であったといえるのではないか。武士社会における切腹における介錯は「首切り」ではないのか。去る大戦で、アジアの人民の首を切り落としていったのは日本軍の兵士ではなかったのか。30年前、三島由紀夫は「日本民族」として、あのようなかたちで自決したのではないか、等々。
 高山は、私の抗議に対して、「なぜそれが『差別的表現』だということになるのか私にはまったくわかりません。『島差別』を私がどこでしていますか」と答えた。ところが、大橋愛由等の質問には、「同様のご指摘は、名前は申しませんが、ある方からも受けました。(中略)私はその方の気持ちを理解できます」と回答している。「ある方」とは、私のことである。高山は私の抗議に対しては、「私にはまったくわかりません」と答える一方で、大橋には「その方の気持ちを理解できます」と答えている。ここにも、高山という作家の本質があらわれている。
 私が『キョラ』第4号に高山批判を発表した同じ頃に、石瀧豊美が福岡県同和教育研究協議会発行『ウィンズ・風』第19号に、高山文彦著『地獄の季節』批判を載せていたことを、後日知った。『地獄の季節』は、『新潮45』の連載を単行本にしたものである。私の高山批判と、石瀧の高山批判のポイントは、ほとんど同じであった。私と石瀧は、まったく面識がなかった。しかし、私と石瀧が、高山の文章の同じところで、その矛盾に気づいたということは、偶然ではなく、必然であった。それだけ、高山の論理は粗雑な矛盾が多い。石瀧の論考は、著書『鳥の目と虫の目で見る部落史』(部落史再入門上巻/イシタキ人権学研究所発行)にも収録されている。
 高山文彦が、ノンフィクションならぬフィクション作家であるとするならば、フィクションを装いつつ具体的な島をモデルにして、グロテスクな小説を書いたのが桜井亜美である。桜井は、この事件に着想を得て、『14fourteen』という小説を書いている。フィクションを装いながら、小説に登場する島名と地名が、少年Aの両親の出身地の島と酷似しているどころか、実名の隣島、カタカナ書きだが実名の奄美諸島選出の国会議員が登場するなど、あきらかにフィクションではありえない。問題は小説の内容だ。島の民俗や風土と、少年Aをモデルにしたと思われる主人公の犯罪とをだぶらせるような、おどろおどろしい描写がいたるところにちりばめられている。
 文芸評論家の川村湊は、著書『風を読む 水に書く~マイノリティー文学論~』のなかで事件とマスコミ報道をとりあげ、「神戸の少年がその地元で引き起こした事件で、なぜ奄美の島が問題とならなければならないのだろうか。これは普通ではとてもいぶかしいことだ。父親の出身地がどこであろうと、それが子供の世代まで『遺伝』したり、影響を与えるということは今の日本ではほとんど考えられない」と書いている。
 高山や桜井は、少年Aのルーツが奄美諸島であったことから、島の風土や民俗文化を犯罪に結びつけようと考えたのだろう。あきらかに、高山と桜井は、奄美諸島の住民を「日本人」としてではなく、「日本人の心」では理解できない「異人(異族)」として認識している。

3. アジアから見る「沖縄」、日本から見る「沖縄」

 高山や桜井と対極にあるのが、『かごしま黒豚物語』(南日本新聞社/1999年)を書いた記者のまなざしである。記者は、かごしま黒豚のルーツをもとめて、奄美と沖縄の「島豚」をとりあげた。記者は沖縄の市場で売られている豚の顔、首、足、内臓などの光景に、「それが豚という生き物の一部だったということを、いや応なく実感」させられ。日本本土から来た観光客は、沖縄の市場を見て、カルチャーショックを覚えるという。ところが、台湾や香港などアジアからの観光客は、沖縄の市場に自分たちの生活と同じ光景を見て、安心するという。記者は「豚を食べることに対する、奄美や沖縄を除く日本の底の浅さをあらためて感じる」と書く。
 このまなざしの違いは何だろう。国家は、必然的に中央と周縁の関係をつくりだす。それは、空間的な「中央―周縁」の関係だけではなく、意識の中にも「中央―周縁」を生み出す。
 南日本新聞の記者は、奄美諸島や沖縄の食文化の中に、アジアとのつながりを肯定的に認識した。記者は、取材で訪れた琉球弧の島々から、日本と鹿児島、そしてアジアを見つめなおしている。そのとき、すくなくとも記者の意識の中では「中央(日本本土)―周縁(琉球弧の島々)」という構図は消えていたであろう。ところが、高山文彦は、奄美諸島の民俗文化の中に、否定的な意味でアジアとのつながりを認識した。高山も島を訪れているが、都合のいい断片を集めることだけが目的だった。島の郷土研究家に取材さえしていない。高山は、島から日本やアジアを見つめなおすことはなく、「中央―周縁」の意識にとらわれたままであった。

4. おわりに

 いま<癒しの島>というまなざしが日本本土から沖縄、奄美に向けられている。沖縄の作家・目取真俊は『沖縄「戦後」ゼロ年』(2005年)の中で、<癒しの島>という言説は、沖縄戦の歴史、沖縄の米軍基地の実態、経済問題、公共工事依存による自然破壊などの問題から目をそらさせる「イデオロギー」であると批判している。
 目取真俊は小説「水滴」で、芥川賞を受賞(1997年上半期)。去る7月14、15日、奄美市(奄美大島)で開催された鹿児島県本部自治研集会奄美集会に講師、助言者として参加した。同集会では沖縄戦、米軍基地、ハンセン病、民俗文化をめぐって活発な議論が展開された。その議論の要約は『自治研かごしま』に掲載される予定である。