【論文】

基 地 と 人 権
~「復帰」34年 戦後61年の現実を検証する~

沖縄県本部/沖縄市  桑江テル子

1. はじめに

 アメリカの植民地的軍事支配の27年、沖縄の人々に政治的自由はなく、民主的諸権利は奪われ、基本的人権は仰圧されていた。
 "自由と民主主義の国"と伝え聞いていたアメリカ合衆国だったが、占領軍は勝手に広大な基地を囲い込み、強盗・殺人・ひき逃げ、強姦……何をしてもフェンス内に逃げ込めば琉球警備は手を出せなかった。立法・司法・行政並びに四軍の最高司令官をも兼ねる高等弁務官が君臨し、軍事支配に都合が悪ければ拒否権を行使した。したがって沖縄の祖国復帰闘争は人権回復の闘争だったと言える。虫ケラから人間になる島ぐるみの闘争だった。
 しかし、母の懐に帰って34年、未だに人権は回復されず、夢はますます遠くになり、恒久的米軍基地化の不安と恐怖の中にある。爆音、性暴力、軍隊駐留に貢献する税金支出の3点から、日本政府の米軍基地容認政策を告発する。

2. 生存権にかかわる嘉手納飛行場の爆音被害

 嘉手納基地は、1945(昭和20)年4月の米軍占領後、その周辺の広大な民有地の接収等によって建設・拡大され、機能は強化されていった。
 1950年6月の朝鮮戦争勃発に伴い、その爆撃部隊の基地として使用された。1967年5月には2本の滑走路が完成し、ベトナム戦争当時は出撃、補給の中継基地となった。
 1968年~70年にかけてB52(黒い殺し屋)が常駐した。さらに1991年には、フィリピンのクラーク基地閉鎖に伴い、第353特殊作戦航空団と航空機C130、さらに輸送空軍と航空機C12が、嘉手納基地に移駐してきた。
 現在は第18航空団が管理し、F15イーグル戦闘機、KC135空中給油機、E3A空中早期警戒管制機、P3C対潜哨戒機、HC130救難輸送機、HH3救難ヘリなど、多くの航空機が常駐し、戦闘支援、空中給油、偵察、航空管制、通信、救難、物資や兵員の輸送などを行っている。空軍を中心に海軍、海兵隊が共同使用する米軍の重要基地となっている。

(1) 殺人的爆音はカデナ飛行場周辺の住民の生活を脅かし、精神をズタズタに破壊し、難聴や、低体重児の多発などの健康不安に陥れている。小中高校では上空の爆音で授業が中断され、児童生徒の集中力が途切れる。情緒は不安定になり、学業成績にも影響が出ている。例えば、北谷町砂辺や嘉手納町屋良地域では60ホンを超える爆音が日に数時間も持続し、90ホン一日数十回、時には120ホン以上にも達するという激しさである。さらに日中だけでなく夜間や早朝の騒音は人々の快適な安眠を妨害している。

(2) 嘉手納町、沖縄市、具志川市、石川市、読谷村など飛行場周辺の住民906人は、「静かな夜を返せ」を合言葉に、1982年日本政府を相手に訴訟を起こした。要求は、
  ① 午後7時~午前7時までの飛行差し止め
  ② 過去の心身に与えた被害の賠償である。
    沖縄県が、1995年度~98年度の4年にわたり、(財)沖縄県公衆衛生協会に委託して身体的、精神的影響を調査した結果によると、聴力損失者12人が検出された他、次のような各種の被害が明らかになった。
   ア 身体的被害
    a 難聴及び耳鳴り(北谷町砂辺10人、嘉手納町屋良2人)その疑い、可能性多数。
    b 低体重児………出生率高い
    c 幼児問題行動…他地域に比べて教育環境の破壊が目立つ
    d その他にも、頭痛、肩こり、目まい、高血圧、心臓の動悸、胃腸障害など。
   イ 睡眠妨害(療養中の安静妨害)
   ウ 日常生活の妨害
    a 会話や電話の通話が妨害される。
    b テレビ・ラジオが聴きとれない。
    c 趣味(音楽鑑賞、楽器演奏、無線通信等)が妨害される。
    d 家庭生活の破壊(親子、夫婦の不和)
    e 学習、思考妨害(学習や読書)
    f 職業での意思伝達、精神集中が妨害される。
   エ 精神的被害
     不快感、恐怖感は、精神的ストレスとなり、ノイローゼ、神経衰弱等を引き起こしている。

(3) 米軍に基地を提供している国の責任
   906人の住民は、日本国憲法に基づき、基本的人権としての「人格権」「環境権」及び「平和的生存権」の保証を求めて訴訟を起こした。1998年、福岡高裁那覇支部は、爆音の違法性を認め、住民の過去の損害賠償を認めた。しかし、夜間、早朝の飛行差し止めは「国は米軍機の活動を規制・制限する権限はない」との立場をとり、訴えは棄却された。

(4) 住民の被害は裁判所によって認められたにもかかわらず、その後も殺人的爆音は続き、住民を苦しめている。日本政府の積極的努力は認められない。
   それどころか、2006年7月26日~30日には、嘉手納町屋良で次の如き言語を絶する爆音がばらまかれ、抗議の声が沸き上がった。
   8/26 4時10分 100.2(db) 持続  9.6秒
       4時14分 100.8(db) 持続 12.4秒
       4時15分 100.6(db) 持続  9.6秒
       4時15分 100.3(db) 持続 11.0秒
       4時17分 101.6(db) 持続  7.4秒
   8/27 3時25分 101.9(db) 持続  8.8秒
       3時28分 103.0(db) 持続  8.4秒
       3時29分 101.0(db) 持続 10.0秒
       3時30分 102.1(db) 持続  7.8秒
       3時31分 102.3(db) 持続  8.4秒

(5) 米軍の基地再編に伴い、嘉手納周辺の被害は軽くなるか。飛行場の使用協定はあって無きが如し。さらにパトリオット配備、自衛隊の共同使用まで重なると、いよいよ「静かな夜」は遠ざかり、人々の権利は侵害され続けることになる。
   嘉手納基地周辺の住民の人格権、平和的生存権の否定、それは憲法で保証された人権の侵害であり、予想される未来の被害を含めて基地提供者である国の責任は重大である。

3. 女性や子どもへの性暴力

(1) 昨年(2005年)7月13日。衆院外務委員会で、高校生の頃米兵3人によるレイプ被害に会った沖縄の女性(現在38歳)から、稲嶺知事に宛てた手紙(公開書簡)への対応を質問された町村信孝外相は、「米軍と自衛隊があるからこそ日本の平和と安全が保たれている」「軍隊をなくせば戦争がなくなるわけではない」と答えた。被害から生き残り(サバイバー)、今は「嫌なものはイヤとはっきり声を出そう!」と市民運動、平和運動に携わっている当女性は、「心臓をえぐられているような気持ち」「二度殺された思いだ」と語っていた。
   非武装、非戦の憲法を揚げ、外交努力を誓い、世界の恒久平和をめざす日本国の外務大臣が、軍事バランスによる安全を国民の前で語ることが果たして許されることだろうか。
   同様、同質の発言が、総理や防衛庁長官の口からテレビを通してたびたび語られているが、果たして黙って見過ごして良いものだろうか。
   また、在沖米国総領事館のホームページをあけてみると、米軍は「沖縄で2番目の大雇用者であり、年間30億ドル以上も地域経済に貢献」「沖縄の学校での英語教育の支援からビーチのごみ拾い、孤児院や老人ホーム、障害児のためのスペシャルオリンピックまで奉仕活動をしている」と社会的貢献を誇大に宣伝し、事件は減少していると良き隣人を印象づけようとやっきだ。
   軍隊は洋の東西を問わず、国家的暴力であり、破壊と殺りくで敵を滅亡させることを目的にしている。その方法を学習し、技術を訓練することが平時軍隊の日常行動である。したがって沖縄(人)は極寒でも酷暑でもなく、民衆は銃を持つことも自爆テロを行使する習慣でもなく、宗教戦争を企むこともない「思いやり深い」温厚な亜熱帯民族であり、軍隊で培った屈強な若い男たちからすれば簡単にひねりつぶすことのできる虫ケラの存在に見えるかも知れない。
   でも、沖縄人は虫ケラではない。

(2) アジア太平洋戦争末期、1945(昭和20)年、米軍の上陸と3ヶ月余の地上戦によって、島の人口60万の1/3に当たる200,656人が戦死した。

(3) 「鉄の暴風」をくぐりぬけ、九死に一生を得た女性たちの上に、米兵たちの性暴力が襲いかかった。村々には自警団が作られ、酸素ボンベの半鐘を打ち鳴らして女性たちを守ろうとしたが、銃やナイフをふりかざし「女を出せ! 出さないとお前を殺す!」と脅され沖縄の男たちは娘や妻を差し出した。家族の面前で、路上で、井戸端で、畑で、車の中で……蛮行はくり返された。1945年~52年いわゆる占領下の無法状態の中で、殺人、強盗、ひき逃げ犯の捜査から裁判まで、すべては占領軍の意のままで、沖縄人の人権はふみにじられた。

(4) 1952年サンフランシスコ平和条件が発効。米軍事政権の直接支配下に置かれ「琉球政府」「立法院」「裁判所」の3権の府が形だけ作られたが、それは軍事支配のための手段にすぎない"傀儡"だった。
   日本国憲法は適用されず、本土渡航には米国民政府の発行するパスポートが必要となり、渡行不許可になるケースは後を絶たなかった。凶悪事件は相次いだ。
   △由美子ちゃん(6歳)事件(拉致、強姦、殺人、遺棄)
   △国場君(中学1年)事件(横断歩道を青信号で横断中に轢殺)
   △隆子ちゃん(小学4年)事件(ヘリコプターから落下したトレーラーで圧死)
   △宮森小(石川市)にジェット機墜落(11人即死、111人重軽傷)子どもたちも、米軍兵士ならびに米軍基地から派生するさまざまな事件・事故に巻き込まれ、犠牲になっていった。
   たまに犯人が検挙され、有罪になることもあったが、たいていの事件は迷宮入りとなり、うやむやに扱われ処罰はないか軽かった。兵士の場合は、転勤の名のもとに本国に帰されるか海外へ送られ、暗から暗に葬られた。

(5) 朝鮮戦争、ベトナム戦争をはじめ、米国は絶えず世界のどこかで紛争を作り出し、戦争状態となり、そのたびに沖縄基地は出撃基地とされた。無差別爆撃、枯れ葉剤使用で後に歴史的に弾劾されている、あのベトナム戦争の頃、沖縄の女性たちは米兵のすさまじい性暴力の的にされた。
   「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」(1994年結成、高里鈴代、糸数慶子共同代表、メンバー約160人)が調査、作成した「沖縄・米兵による女性への性犯罪」(第7版まで発行済み)を精査、分析してみた。
   戦後61年は大きく3期に分類することができ、犯罪の特徴はこうである。

1) 1945年から朝鮮戦争前後
 ① 上陸直後から女性への暴力、強姦が発生している
 ② 3人から6人の集団で襲う。また基地内の集団へも引き渡す(11人~20人)
 ③ 銃やナイフで無防備の者を脅かし死傷させる。
 ④ 畑、道路、井戸、川辺、家族の面前での強姦も含め、何処でも。
 ⑤ 赤ちゃんをおぶった女性も強姦、殺害される。
 ⑥ 被害者は9ヶ月の乳児から60代までも。
 ⑦ 強姦の結果の出産。
 ⑧ 圧倒的に加害者不明、不処罰。無法地帯
2) ベトナム戦争時代
 ① 戦場から恐怖と怒りを持ち帰る米兵の性的攻撃はもっぱら基地周辺で働く女性たちが受け皿となった-強姦・絞殺事件が相次ぐ。
 ② 経済的な貧しい社会、ドルの稼ぎ手、多額の前借金による強制管理売春が肥大化。1969年の調査=約7,400人が売春関係で働く。
 ③ 一晩に20人~30人のベトナム帰還兵を相手にする。異様に殺気だったすさまじい暴力にさらされ、今なおトラウマに苦しんでいる。
3) 復帰後~現在
 ① ベトナム戦争後、米軍は徴兵制から志願制度へ しかし、現在では「貧困徴兵制」=貧しい家庭、黒人・ヒスパニック系の若者が増加。
 ② 基地周辺での売春地域は影をひそめ、ディスコや海岸などが出会いの場となり、中・高校生が基地内に連れこまれたり、基地内PXでの買物に誘う"デートレイプ"的な事件が増加している。(以下省略)

「軍縮」№305、高里鈴代記「誰のための安全保障か?」より引用

   かつて日本軍が中国大陸で行った理不尽な虐殺や強かん等の蛮行。朝鮮半島の人々をら致し、軍夫や慰安婦として酷使した蛮行。アメリカがベトナムや湾岸の戦争で行った劣化ウラン弾や枯れ葉剤使用の蛮行。いずれも、人間が人間ではなくなり、ウォーマシン化した状況。それは戦争中、紛争中だけに限らず、戦前でも、戦後でも起こり得る、人間の名において決して許されない行為なのである。
   現在沖縄は、紛争中でも占領中でもない。沖縄は、施政権が日本に返還され、日本国憲法が適用され、34年が経過した日本国民である。復帰後に起きた女性・子どもへの性暴力、平時に起きた兵士たちの蛮行。女性の心身を傷つけ、青春と結婚の夢を壊し、運命を狂わせられた性暴力。その被害者に対し、国は軽々に「軍隊があるから平和」だ。「それくらいのことはがまんしろ」と言えるのだろうか。
   子どもの遊びで砂遊び中の幼児の口に、アメ玉をあげるからと目をつぶらせ、自らの性器を含ませる兵士たちが、ペイデイには街をうろつく。部活帰りの高校生が米兵に捕まり、妊娠させられてしまったのだが、世間体を苦に母親と二人ですべてを隠し、暗から暗に葬られなければならない。このような日常を日々迎えなければならない基地周辺の暮らしを、政府はいつまで我慢しろと言うのだろうか。

4. 「思いやり予算」に異議あり

(1) 1960年、国会をとり囲んだ国民大闘争の中、自民党は単独で日米安保条約改定を強行した。そして、少しの議論もないまま、差別的不平等条約である「日米地位協定」も、連結して、まるで金魚のふんの如く、ゾロゾロと強行採決された。
   こうして生まれた在日米軍・軍属の身分を護るための協定は、今日まで一度の検討もなく、環境汚染の際の基地内立ち入り調査権(第2条)や容疑者の身柄引渡し(第17条)、基地返還時の原状回復の義務化など、多くの改正要求を全く顧られることなく、わずかな運用改善で今日まで推移。多くの問題と国民・県民の不満を集めている。
   その地位協定の第24条には「米軍の日本駐留に要する経費は米国が負担する。日本に迷惑をかけない」と規定されている。にもかかわらず、地位協定に違反し、日本国憲法の精神に反し、超法規的に、1978年、米軍基地で働く日本人従業員の健康診断費62億円の支出で開始された「思いやり予算」。
   ベトナム戦争で疲弊した米国の経済及び円高・ドル安の状況で、時の防衛庁金丸信長官の「アメリカへの思いやりだ」との一言で始まった税金の無駄使いは、その後、年々うなぎ昇りに増額されていった。
   適用範囲も、従業員の福利厚生から「施設整備費」「光熱水費」「労務費」「移転・移設費」へと拡大されていった。(別表参照

別表 「思いやり予算」の推移(単位:億円)

年 度
日本人従業 員労務費負
提供施設
整備費
光熱・上下水道・生活用燃料費
訓練移転費
合 計
前年度比増
(%)

1978
 79
1980
 82
 87
1990
 91
 92
 93
 94
1995
 96
 97
 98
 99
2000
 01
 02
 03
 04
2005
 06

62
140
147
164
361
679
791
904
1,073
1,252
1,427
1,448
1,462
1,481
1,503
1,493
1,485
1,480
1,447
1,430
1,436
1,435
0
140
227
352
735
1,001
957
997
1,052
1,022
982
973
953
737
934
961
819
753
750
749
689
638
0
0
0
0
0
0
27
81
161
230
305
310
319
316
316
298
264
263
259
258
249
248
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
3.5
3.5
3.7
3.9
3.5
3.9
3.8
3.9
3.6
3.8
a. 4.3
62
280
374
516
1,096
1,680
1,775
1,982
2,286
2,503
2,714
2,735
2,737
2,538
2,757
2,755
2,573
2,500
2,460
2,441
2,378
2,326

351.6
33.6
18.6
34.1
18.1
5.7
11.7
15.3
9.5
8.4
0.8
0.1
△7.3
8.6
△0.1
△6.6
△2.9
△1.6
△0.8
△2.6
△2.2
△印はマイナスを示す。[注]80年代のデータは抜粋。 a. 伸び率から逆算。

(2) 米高官が、「思いやり予算がなければ米国は日本に駐留しないだろう」と公言したように、米国にとって日本は本国に置くより安くつく最も居心地の良い駐留地だ。嘉手納基地内には、保育所にはじまり、小・中・高校、大学まで充分な広さと快適な条件下でゆとりの運営がされている。広々とした4LDKの単身者用、家族用の住宅は整備され、映画館、スーパーマーケット、ボーリング場、ゴルフ場、病院、教会、ディスコ、果ては刑務所、格納庫まで日本の経費で作られたみごとなリトル・アメリカなのである。
   それらの施設や住宅で使う電気、水道料金はすべて日本負担で、1ヶ月~3ヶ月の出張や帰国などで中・長期に自宅を空ける際にも、彼らは冷房機の電源は切らない。クーラーをつけっぱなしにした方が部屋は臭くならないという理由らしい。無駄使いもはなはだしい。省エネ、節電の努力は、フェンス内には不要らしい。フェンス内は聖域らしい。1995年、13歳少女強姦事件をきっかけに、ノーベイス、ノーバイオレンスの住民運動が再燃したとき、基地温存の要因であるこの「思いやり予算」への懸念が全国に広まった。その住民感情を少し汲み入れたのか、これまで米側の予算要求を100%以上認めていた政府が、基地外の住宅の光熱水費は措置されないことになり、全体として若干の減額になった。
   でも、1998年国を相手に争われた「異議あり! 思いやり予算・関西」の訴訟は、わずか4回の意見陳述で打ち切られ、棄却され、「日米安保条約遂行の必要な予算措置」として、その後も拡大・増額され続けている。

(3) 金武町と恩納村を結ぶ、剣道104号線を封鎖して行われる実弾砲撃演習は、時に目標の恩納嵩、ブート嵩の山を越えて名護市の民家の屋根に破片が落下。時に、目標に到達直前に破裂し、高速道路の給油所に落下。時に作業中の田畑に落下する危険な飛弾、跳弾事故を引き起こした。その度に、沖縄の人々の反発と抗議が渦巻いた。着弾地潜入の反対運動も続いた。
   米軍は、沖縄の声を聴き入れたかのように演習の県外移転を通告してきた。かの湾岸戦争で、まるで、TVゲームのように、ターゲットに打ち込まれ強力な破壊力を見せつけた155ミリ流弾砲がなくなるものと期待したが、何のことはない。その演習を北海道矢臼別、宮城県王城寺原をはじめ山梨県、静岡県、大分県の五カ所への分散移転で、米軍はより長い距離の演習を自衛隊と共同で行うという、住民の要求をテコにした強化策であった。
   米軍がより効率的な訓練を成し遂げるための本土移転。本土の沖縄化がはじまったのだった。
   その移転に伴うすべての費用が、「訓練移転費」の名目で「思いやり予算」に加わった。武器、弾薬、兵員を運ぶ船、列車、飛行機、もちろん陸上輸送の費用がすべて日本国民の税金で賄われた。
   本土の五カ所の移転先では、それぞれに、海兵隊移駐後の事件・事故等を心配した反対運動が取り組まれたが、残念ながら、例によって日本政府による「アメとムチ」、金をちらつかせた地域振興策によって住民を黙らせた。

(4) さて、2006年5月1日、日米政府は、米軍の世界戦略=在日米軍の再編計画を最終的に合意した。アジア10万人体制(抑止力)を保ちながら、日本側の負担を軽減するのだという。 その計画の目玉は、
  ① 米本国にある陸軍の司令部を神奈川の座間基地に移し、自衛隊もその指揮下に入ること。
  ② 沖縄普天間飛行場を名護市の東海岸、辺野古崎に移設し、海兵隊8000人をグァムに移動すること。
  ③ 山口県の岩国基地を艦載機離発着場として使用すること-などである。
   これらの政府間合意は、座間でも辺野古でも岩国でも、地元住民に前もって納得いく説明はなく、地方自治権をふみにじる押しつけ手法であり、合意が実施されれば安保条約をも超えた中近東までカバーするグローバル安保となってしまう。さらに、"思いやり予算"が国外移転まで広がる。
   グァムにおける海兵隊員の住宅建設をはじめ、基地の整備、移転、移設、移設費用などを日本側が負担するとなると特別な法整備をし、約3兆円の予算支出がなされるものと予想される。
   国内では、小泉内閣によって行財政改革の名で、公務員減らしが強行され、社会保障や福祉が削られ、教育予算=義務教育費さえ削られていく厳しい状況にある。地方交付税の見直し・削減により、地方自治体は倒産の寸前にあるという。他国の軍隊の駐留にこれほど暴大な「思いやり」予算を使い込んでもいいものか。国民大衆に許容してもらえるのだろうか。不戦と非武装の日本国憲法に反する「軍備を重視した戦争政策」になっているのではないだろうか。

5. まとめ

 最近、沖縄の若者たちが舞台上で米軍基地をネタに笑いを演じ、人気を集めている。2004年8月13日(金)のヘリ墜落事故も、不平等地位協定も笑い飛ばされている。今どきの若者の感性に受入れられやすい方法で、極めて深刻な基地問題が彼や彼女らの血となり肉と化そうとしている。
 また、中学生、高校生の間でも、歌、詩、ダンス、空手など多様な形で、沖縄地上戦と戦後の米軍基地被害を表現する活動が増えて注目されている。
 戦後61年が経ち、体験を語る世代がどんどん去りゆく中で、残された大人たちの中からも「軍事化のキナ臭い流れを感じ黙っていてはいけない」と重苦しい体験を手記にしたり、語り始めた人々もある。
 私は、6歳の幼児期に戦場をさ迷い、終戦後の飢餓社会をバッタやカエルを食して生きのびた。亡き母は、夫を防衛隊にとられ、5人の子を養う苦境にある時、「戦争さえなければネー…」と涙をこぼしていた。その悲しい後ろ姿は、今も、私の反戦、反基地、反軍隊の活動の原点となっている。
 一市民にすぎない私だが、「二度と戦争を起こさせない」「基地をなくす」「これ以上の基地は絶対に作らせない」ためにやれることが、何かないだろうかと考え、私のひとり芝居が作られた。
 2000年に初演となった自作自演のひとり芝居「沖縄うない55年」は、戦前・戦中・戦後の沖縄。敗戦・占領・米軍事支配下の女性への性犯罪。復帰後も変わらない基地から派生するさまざまな事件・事故。実在したそれらのできごとを通して、平和を希求する心を現わしている。
 沖縄のことを知りたい! と望む人々に、本土に出かけて演じ、沖縄県内でも平和学習の一つにとり入れてもらって演じ、この6年間で約100回を超えるまでになった。
 でも、それはまだほんの一面にすぎない。
 私はこれから、爆音のために心身を引き裂かれている人々のことや、土地をとり上げられ、「難民」となり、今も戦い続ける反戦地主の思い。
 さらに、新基地は許しません!と、海を守るために非暴力で9年間も戦いの手をゆるめない辺野古のおじーやおばーたちの心。それらを芝居に組み立てて演じてみたい。
 良い戦争はない。悪い平和はない。
 パトリオットなる迎撃ミサイルが新たに嘉手納に配備される。いつ北朝鮮が攻めてくるかも知れないから仕方ないという論調が一部にあるようだが、何とわびしい平和論か。
 国が国策として仮想敵を仕立て、世論操作をし、国民のマインドコントロールをし、マスコミと教育を手中に収めようとやっきになっている。私たち一人一人、主人公である国民が、もっとしっかりしなければならない。
 沖縄地上戦は次のことを明確に教えてくれた。つまり①軍隊は住民を守るためにあるのではない、②教育の力は恐ろしい、③軍隊や司令部に近いほど犠牲は大きい。
 国家が人権を仰圧し、言論や教育に介入してくる時代。有事に備えて戦争を準備する時代。それは新しい戦前だ。その足音が聞こえてくる。
 例えば日本国憲法の改正、教育基本法改正、有事関連法の制定、国民保護法や共謀罪の制定…。
 敵を作るのではなく、人材や文化の交流、友好、友情の譲成の努力をもっともっと盛んにし、そのためにこそ予算を使ってもらいたい。
世界中の自然災害や疫病対策にも、非武の日本国民らしく、もっともっと予算を使ってもらいたい。
 軍事国家を押し止めるために、働く者、国民、市民が主体的にあるいは組織的に発言する時が来ている。